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自分を持たない男の願い

 青年は体が欲しいと言った。

 年齢はおそらく20代中盤。

 金色の髪をもつ美形と言って良い青年だった。


 青年が私を訪ねてきたのは、1日の診察の終了間際。

 具体的な時刻を書くなら、19時目前と言う頃だった。


 1日の診察を終えた私が、診察道具を片付けていると、一体いつの間に入ってきたのか、「すみません……」と言って来て、私とレーナを「ビクリ!」とさせたのだ。



 聞けば青年はここから南のディザン王国から来たらしい。

 歩いて五日ほどの距離である。

 診察が終了だからと言ってこのまま帰らせるのは気の毒なので、診察時間を延長して話を聞いてみる事にした。


 青年は名前をマークと名乗り、ディザン王国の首都であるレンデホルツに住んで居ると言った。

 そして、そのレンデホルツで、主にガラスを使用した細工職人をしていると言うのだ。


 そのレンデホルツの細工職人が、一体何の用があって私の元を訪ねてきたのか。

 私がそれを聞いてみると、マークは「体が欲しいんです」と、意味不明な事を言ったのだった。


 私とレーナは顔を見合わせ、続くマークの言葉を待った。

 が、マークは言葉を続けず、そこで口を閉ざしてしまう。

 私達には意味不明だが、本人としてはどうやらそれで話が伝わったと思ったらしい。


「あー……すまないが、話がいまいち見えてこないのだが……」


 やむをえずに言葉にし、話の詳細をマークに促す。


「あっ、そ、そうでしたか。すみません……」


 マークは一言謝ってから、事の詳細を話し出した。


「実は僕は人間じゃないんです。本当は人間が恐れるモンスターで、元々は山の中に住んで誰とも関わらず生きていたんです」


 人間では無い、という事にさしたる驚きは感じなかった。

 私の事を知っていて、わざわざこんな遠くまで診察に来たという事で、普通の人間ではない事が薄々は分かっていたからである。


 故に私の反応は、この時点では「なるほど」というだけのもの。

 話の続きを聞く為に余計な事は言わなかった。


「7年程前の事です。ある日、僕は倒れている人間の男性を見つけました。その人は瀕死の重傷を負っていました。命が助からない事は僕が見てもわかりました。そして、おそらくその時にはすでに目が見えなくなっていたんでしょうね。魔物である僕に向かって頼み事をして死んで行ったんです」


 言葉を続けたマークはそこで、話を区切って息を吐いた。

 おそらく話は続くのだろうと私とレーナは黙って待っていた。


「……」

「……」


 1秒、2秒とが無為に過ぎた。

 沈黙が場を支配する。

 何か相槌を打つべきだったかな、と、私が後悔し始めた直後、


「そ、その人の頼み事はなんだったんですか?」


 と、レーナがマークに聞いてくれた。

 ナイスレーナ! グッドクエスチョン!

 心の中だけでそれを褒め、マークが発するだろう答えを待った。


「その人は恋人を救う為に飛竜の血を探しに来たらしいんです。飛竜を見つけ、血は取ったけど生きて戻れそうに無いようだからそれを彼女に届けてくれと、その人は僕に言ったんです」


 飛竜の血は「強心剤」の代わりになるものとして有名である。

 その男性の恋人はおそらく心臓を患っており、飛竜の血のような強力で、高価な薬を使わなければ命が危うかったのだろう。


「それで僕は……彼の代わりに、それを彼女に届けたんです」


 マークの言葉はそこで止まった。

 私は話を理解したが、なぜ、彼が今そんな話をしたのか、その点は理解ができなかった。


「……君がここを訪ねた理由と今の話との関わりがいまいち理解できないが」


 思っている事を素直に聞いてみる。

 こちらが黙っている限り、おそらくマークは黙ったままだと彼の性格を学習したからだ。


「先生は……ドッペルゲンガーと呼ばれている魔物の事をご存知ですか?」


 ドッペルゲンガー。

 その魔物は、脅威の変身能力を持つという実態を持たない魔物である。

 彼らには文字通り実体が無い。

 本当はあるのかもしれないが、「誰かの姿をしている為に」本来の姿がわからないのだ。


 大抵は死んだ人間か、もしくは死に行く人間の姿で生活しているという。


 邪悪なドッペルゲンガーは相手そっくりの姿で現れ、その本人を殺害し、入れ替わって悪事を働くというそら恐ろしい話もある。

 しかし、なぜ、そんな事をマークは私に聞くのだろうか。

 私が疑問に思っていると、マークは私を納得させる次のような言葉を口にした。


「……僕はドッペルゲンガーなんです。この名前と、この体は、その時死んでしまった人からずっと借りているものなんです」




 私達の目の前に居る「マークという人間」は、もうこの世の人ではなかった。

 ドッペルゲンガーという魔物が、その姿を借りているだけで、7年前に死んでいたのだ。


 彼、ドッペルゲンガーは、マークという人間の姿を借りて、マークの恋人を救う為に彼女に飛竜の血を届けた。

 そして、彼をマークと信じる彼女を置いて去る事が出来ず、一緒に過ごして来たのだそうだ。


「同じ人間の姿のままで、こんなに長い期間を過ごした事はありませんでした。だから、まさかこんな事になってしまうなんて思わなかったんです」


 マーク(仮にそう呼ぶが)は独白するように言って、自分の服をまくりあげ、わき腹の辺りを私達に見せた。

 私とレーナは息を飲んだ。

 マークのわき腹部分が黒い、ゼラチン質の何かになっていたからだ。


「変身が解けはじめているんです。もし、1度解けてしまったら、この体にはもう2度と戻る事が出来ません。僕達は本人に触れ、本人の全てを知る事でしか、変身する事ができないんです」


 マークの変身は解けかけており、そして、もはや同じ姿に戻る事は叶わない。

 彼はおそらく1人で悩み、苦悩していた時に噂を聞いて、誰かに悩みを聞いて欲しいと思って私の元を訪れたのだ。


 ならば聞く事は1つである。


「君の気持ちはどうなんだ? その姿のままで居たいのか?」


 元の姿に戻って良いなら、彼はここまで悩みはすまい。

 1度、今の姿を捨てれば、もう2度と戻れないからこそ、彼は真剣に悩んでいるのだ。

 今の姿を捨てる事でなぜ彼が悩むのか。

 そこにこそ彼がここを訪れた、最大の理由があるはずだった。


「僕は、このままで居なければいけないんです。もしも……マークさんが、居なくなったら、彼女はきっと悲しむから……」

「彼女さんはあなたの事をマークさんだと信じているんですか?」


 それを聞いたのはレーナだった。

 マークはその質問には、「はい」と短く言葉を返した。

 そして、その後に言葉を続け、


「彼女は本当に心臓が弱いんです。マークさんが居なくなって、自分が捨てられたと思ったら、それだけで生きていられないかもしれない……」


 と、悲しそうな顔で言ったのである。


「なるほど……」


 私の言葉を最後にし、場の会話は「ぴたり」と止まった。

 マークにしてみれば話す事は全て話したという事だろうし、私達としてもどうしたものかと思案に暮れていたからである。


 マークはおそらく具体的には、


「今の姿でのままで居たいから、変身を持続させる方法を一緒に考えて欲しい」


 と、私達に言っているのであろう。

 だが、魔法というならともかく(レーナは魔法のエキスパートだし)、ドッペルゲンガーの性質で変身が解けるというのであれば、私達に出来る事は限りなく少ない。


 一緒に考え、資料を漁る、という、2つの事しかできないだろう。


 勿論、私はその事自体にやぶさかではないのだが、果たしてそれが真実の事態の解決に繋がるのか、疑問に思う気持ちもあった。


「どうかお願いします! 僕の為だけじゃなく彼女の為にも! お願いします! 先生!」


 マークが言って、深々と私の目の前で頭を下げた。

 必死な様子が伝わってくる。

 結局はそれが決め手となって、私はマークの名を借りたドッペルゲンガーの依頼を受ける事になった。




 マークは私の家に泊まり、翌朝早くに帰って行った。

 依頼を受けた私はそのまま街の図書館に足を向けることにする。

 今回は私1人では無く、レーナにも一緒に来てもらった。


「いいんですか? やったぁ! 街に行くのは初めてなのでわたしすごく嬉しいです!」


 と、喜ぶレーナを目の当たりにして、彼女が人間の街を見る為に私の家に来た事と、今まで一度として街を案内していなかったという事に今更ながら私は気付く。


 思えばレーナは今まで1度も、私の家から出た事が無かった。

 それは、私が「一緒に行こう」と誘った事が無いからであり、居候である自分が断りも無く外出するのは悪いと考え、レーナが今日に至るまで自重していたからに他ならない。


「(これは配慮が足りなかったな……)」


 私は深く反省し、「もし、調べものが早く終わったら街の案内等をしますよ」と、レーナと約束したのであった。


 家を出た私達は30分程の時間をかけてプロウナタウンに到着した。

 見る物全てが珍しいのか、レーナは1分と時間を空けず、次々と私に質問してきた。


 あの人達(店の呼び込みをしている人達)は何をしているのか。


 あの建物は一体何なのか(大衆浴場)。


 この人達(浮浪者)は一日中こうしているのか。

 等、実に様々な質問だった。


 私は嫌な顔をせず、その質問の全てに答えていった。

 少し前の私なら「面倒くさい」という気持ちの方が、おそらく先行していた事だと思う。


 だが、今はレーナに対し、ある程度(という事にしておいてほしい)の好意がある為に、少しも面倒くさくはなかった。

 むしろ、質問に答える事でレーナが喜んでくれる事に、私自身も喜んでいた。


 街に着き、大通りを10分程歩いただろうか。

 私達は目的地である図書館の前に辿り着いた。

 調べ物は後にして、先に街の案内をしようか。

 そんな気持ちがわいてくる。

 だが、一瞬は迷ったが、それではさすがに本末転倒だと、「渋々」図書館に入るのだった。


「ありゃ! まーたあんたかい! 読んだ本はしっかりと元の場所に戻しておくれよ! この前は広げっぱなしだったよ!」


 それは受付の老婆の苦情。

 もはや完全に記憶されている。


 それには「すみません……」と一応謝り、私とレーナは図書館の二階部分へと足を向ける。

 そこは過去の新聞や、民族史や魔物の本などが数多く置かれている場所であった。


「とりあえず魔物の本から行きましょう。ドッペルゲンガーの頭文字、「D」の項から調べて行くといいと思います」


 私はレーナにそう言って、「D」の項の本を1冊取った。

 残りは軽く50冊。

 この項にある本を調べるだけでも相当の時間が必要である。

 レーナが私の横に立ち、そして、本を3冊取った。


「わたし、本を読むのが得意なんです。実家に居た頃は本くらいしか娯楽というものが無かったから」


 抱えるようにして本を持ち、レーナが笑って私に言った。

 私はその笑顔に「どきり」とした為に、「あ、ふ……」等としか言えず、その後には曖昧な笑顔を返して、座れる場所を探し出した。


「……あ、ああーではこちらで、こちらにの方に椅子があるので、それに座って調べましょうか」


 こちらに、ではなく「こちらにの」。

 挙句の噛みに「しまった……!」と思いつつ、長方形の長机と、長椅子が置かれている場所へと向かう。

 幸いにもレーナは聞き流してくれたのか、フェネルのように「こちらにの???」と、わざわざ聞き返して来る事は無かった。


 現在、そこには誰も居らず、長い机と長椅子は私とレーナだけが使う事となった。

 適当な場所に私が座り、そして、隣にレーナが座る。

 微妙に離れて座られたら多分ショックを受けたと思うが、これはこれで私としてはなんだか妙に落ち着かなかった。


「ダンピール」


 と、レーナが口を開く。


「ヴァンパイア、またはドラキュラと人間の間に生まれるもので、親であるヴァンパイアと同等か、それ以上の力を持つに至る魔物。太陽の光を苦手とせず、また、にんにくや十字架にも恐れを示さない。ヴァンパイアハンターとしての適性は最高」


 一体何を言い出すのかと私はレーナの顔を見た。

 レーナの視線は机の上の本の一部にあるようだった。


 そういえばダンピールの頭文字も、ドッペルゲンガーと同じく「D」だった。

 レーナはダンピールの説明書きを声に出して読んでいたのだ。


「嘘ですね。わたしはにんにくは苦手ですし、ここに描かれてる絵みたいに、筋肉だらけじゃありません」


 すねたような口調で言って、レーナが頬を膨らませた。


 覗き込むと、筋肉質の半裸の男が、左手でヴァンパイアを鷲づかみにしており、右手に持ったトゲ棍棒で掴んだヴァンパイアを叩きのめそうとしていた。

 そういうダンピールも居るのだろうが(居ないか?)、知らない人がこれを見ると、ダンピール全体のイメージがおそらくこれに決まってしまうだろう。


「にんにくが苦手なのは別として、このイラストは確かにヒドイ……」


 レーナがすねてしまった理由も私は十分理解できた。

 故に、同情的な意見をレーナに向けておくのである。


「イメージ的には「バーサーカー」ですよね? これを描いた人が理解できない」


 ありえない、といった感でレーナがその場で首を振った。


「確かに貴女の言う通り、どちらかと言うとバーサーカーですね」


 その「バーサーカー」がツボに入り、私は思わず笑ってしまった。

 面白すぎて「バーサーカーは、なぜバーサーカーというのだろう?」という、変な事まで考えていた。


「ですよね? ちょっとヒドすぎますよね?」


 私の笑いに釣られたのか、今はレーナも笑っていた。


「ヒドイ。確かにヒドイ。適当に描いたとしか思えない」

「情報を整理すれば「こんなの」が出てくるはずがないんですよ」

「良く見ればこのヴァンパイアも「タバコ屋の店主」って感じですしね」

「あー確かにそんな感じー! 先生凄い! 凄い鋭い!」


 鋭いからなんなのか。

 と、今言われたら少し困るが、その時の私とレーナはそれで妙に興奮したものだった。


「あんた達うるさいよ! ここはホテルじゃねーっつーの! ホ・テ・ル・じゃ・ねーーーっつーのー!」


 ヒステリックなその声は、老婆が下から発したもので、とりあえずの形で「すみません……!」と謝って、顔を見合わせて苦笑いをした。

 とにもかくにも叱られて、反省した私達はおとなしくする。

 そして、そこからは小さな声で話し、静かに探し物を続けるのであった。




 閉館時間である19時を迎え、私達は老婆に追い出されるように、図書館を後にして外に出て来た。


 まず、結果を言うのであれば、有益な情報は見つからなかった。


 ドッペルゲンガーそれ自体は、小さく何件か載っていたが、変身を持続させる方法等は、一切載っていなかった。

 その時はまだ時間があった為に、私達は次に「魔法」の文献と、「薬学」の文献をそれぞれあたった。

 変身を特性として見るのではなく、方法として考えるなら、そういった効力がある魔法や薬があるかもと思ったからだ。


 しかし、これも結果としては残念なもので終わってしまう。

 一応、「魔法」の文献に、変身魔法があったのだが、今のレーナにも使えない上、それを伝授できる使い手が存在しないという事で諦めざるを得なかったのだ(失われた秘術なのだそうだ)。


 私達は通りを歩き、そして、一軒の食事処で少し遅めの夕食を取り、自宅へ向かう為の帰路につく。

 その途中でフェネルと会ったが、私とレーナが親しそうに笑って話している事を見て、フェネルは「爆ぜろ!」と吐き捨てて自分の家へと走っていった。


「(どんだけ暇なんだ……難儀な奴だな……)」


 それが私の感想だった。

 どれだけ待ったか不明だし、普通であれば「可哀想に」とも思うだろう。

 が、今までが今までと言う事もあり、そういう気持ちは微塵も感じない。


 自宅に着いた私達は、それぞれ眠る為の用意に入る。

 レーナはシャワーを浴びに行き、私は眠るまでのひとときを応接間のソファーで過ごしていた。


 広げた本を読む事も無く、私は依頼の事を考えていた。

 変身を持続させる事は現時点では不可能だった。

 何しろ資料には「ドッペルゲンガーの生態」についてさえ満足に書かれていないのだ。


 それをさらに踏み入った情報となると、どこにあるのか検討もつかない。

 何か、私達の知らない所にもしかしたらそれはあるのかもしれない。


 だが、それを探すだけの時間と知識が今は無い。

 きっと何かあるだろうと言って、結論を先延ばしにしている間に、マークの変身が解けてしまい、彼女の前から強制的に去る事になってしまうかもしれないのである。


 それならば、と、私は考える。


 だが、その考えは私が決めて良いものでは無く、マーク自身が考えて、決断しなくてはならないものだった。


 マークが帰った頃に彼を訪ねよう。


 そして、私の考えをマークに話してみようと思う。

 少し残酷な気がするが、マークの為にも、彼女の為にもそうする事が一番だと思う。


 私はそう決断し、開いていた本の文章を今更ながらに読み始めた。




 4日後、私とレーナの2人は、ドリアードゲートを使わせてもらい、自宅を出てから1時間でディザン王国の首都についた。

 本来ならば5日はかかるので、ゲートの番人には感謝をする他ない。


 ディザン王国の首都レンデホルツは、人口約10万人。

 レンガ造りの建物と坂道が実に多い街で、首都に相応しい賑やかで活気に満ちた都市だった。


 城門を抜け、街に入れば、そこは街の大通りである。

 プロウナタウンの通りのように魚は並んでなかったが、多くの交易商人や、農夫や、猟師で賑わっている人通りの激しい場所であった。


 レーナは露店や建物に興味を示しているように見えたが、マークに会うという目的を最優先してくれたのだろう、しっかりと私についてきていた(視線だけはキョロキョロしていたが)。


 おそらく30分くらいかかっただろうか。

 私達はマークが勤めているという工房を見つける事が出来た。


 工房の名はエターナル。

 永久、という意味の名前だった。


 工房の前の階段は、上と下とに続いていたが、「お客様はこちらへどうぞ」と言う看板が玄関先にかけられていたので、私達は上を選び、5段程の階段を上がった後に、玄関前の呼び鈴を押した。


 玄関の左に見える窓には、ガラスで作られた小さな馬や、ガラスで作られたカボチャ等が展示品のように並べられている。

 レーナがそれをキラキラした目で見つめていた。


「綺麗ですね」


 その言葉には小さく頷く。

 同調やお世辞等ではなく、素直にそれが綺麗だと思ったからだ。


「先生! 来てくれたんですね!」


 私達が立つ左下、地下へと続く階段からマークが姿を現した。

 今は仕事中だったのか、その格好は先日と違う作業服らしきものだった。


「すみません、入って待っていてください。僕もすぐに行きますから」


 マークが言って、再び消えた。

 私達はやむをえず、ドアを開けて中へと入った。


 建物の中にはガラス細工が数多く展示されていた。

 ガラスの薔薇にガラスの白鳥。

 ガラスのイルカ等が並び、建物の中とドアの外とを別世界のように演出していた。


「これは見事なものだな……」


 私が特に注目した作品は、ガラスで作られたもみの木だった。

 直径は60㌢くらいだろうか。

 素人目だがその作品が素晴らしいものだと理解できた。


「先生にもわかりますか。その作品の素晴らしさが」


 建物の奥から現れたのは、服を着替えたマークであった。

 その表情には誇らしさより、敗北感のようなものが浮かんで見える。


「君が作ったものではないのだな……?」


 その表情を見て直感し、私はマークにそう言った。


「はい……この店に並んでいるものは全て本当のマークさんが生前に作っていたものです。僕も努力はしたんですが、ここまでの域にはなかなか……」


 小さな犬を左手に持ち、悔しそうな口調でマークが言った。


「それより今日はどうしたんですか? もしかして解決の方法がもう見つかったんですか?」


 左手に持ったそれを置き、マークが私に向かって言った。

 私は言わなければならなかった。

 少し、残酷かもしれない解決の為の方法を。


「実は……現段階では方法は無い。変身を持続させる為の方法は残念だが発見できなかった」

「そう……ですか……」


 マークが表情を曇らせた。

 若干だが顔が俯いてもいた。


「時間が際限なくあると言うなら、或いは方法は見つかるかもしれない。だが、君の変身がいつまでもつかが分からない以上、早めの対策をとるべきだろう」

「早めの対策……ですか?」


 マークが俯けていた顔をあげる。

 瞳には希望の光さえ見える。

 胸が痛いが、言うしか無かった。


「あくまで私の考えであり、最終的には君自身が考え、決断を下してほしい事だが……」

「なんなんですか!? 教えてください!」

「……彼女の心臓を手術する。君がその姿で居られる間に。そうすれば君が居なくなっても、彼女はこの先も生きていける。彼女の為にも、君の為にも、こうするのが私は一番だと思う」


 静寂が訪れた。

 建物の外の騒音も聞こえていないような気がした。


 マークは黙り、考え込んでいた。

 私にももはや話せる事は無かった。

 ……残酷な事を言ったのは分かる。


 君は去らなければならないが、その前に彼女の支えになれ、と、言っているのと変わらないのだ。

 もし、マークが彼女を愛し、ずっと一緒に居たいと思って私の元を訪ねてきたなら、それは凄まじい落胆だろう。


 どれくらい黙っていたのだろうか、マークは覚悟を決めたように、


「そう……ですね……」


 と、呟くような口調で言った。


「きっと……彼女は悲しむけど……それで死んでしまう事がないなら……僕は喜んでそうします」


 マークの頬に涙が伝った。

 マークは彼女を愛しているのだ。

 その感情が何なのか、彼が分かっていないとしても、それは愛だと私は思う。


 マークが彼女を説得し、彼女を連れてプロウナタウンにやってきたのはそれから10日後の事であった。




 私は友人のフォックスに頼み、心臓手術の権威であるバーブ医師を紹介してもらっていた。

 バーブ医師の家は遠かったが、ドリアードゲートを使った事で3時間程度で連れてくる事が出来た。


 彼は男性で、50歳程の年齢だったが、オカマというわけでもないのに語尾に「~ね」だの「~だわ」をつけるちょっと困ったおっさんで、本当にこいつが権威なのか、と、私は何度も疑ってしまった。


 だが、私が作ったカルテを見るなり的確な事を言った為に、改めてマークの彼女である「ステラ」の手術をお願いしたのだ。


 ステラは年齢24才。

 茶色と黒が交じった髪の、素朴でおとなしい印象の娘であった。


 手術はバーブ医師が来てから4日後。

 ステラの体調が良いと思われる日にちを選んで決行された。


 私はバーブ医師の助手に回り、マークはステラの傍らに居た。

 レーナは邪魔者のフェネルを連れて街へ遊びに行っている(行ってもらったというべきか)。

 万全な状況で手術に臨み、開始から10時間後に手術は終了。



「大丈夫。これできっと元気になるわ」


 バーブ医師のその言葉で、手術が成功した事が分かった。

 彼がそう言ったとおり、ステラは手術の翌日からみるみる元気になっていった。

 顔色が良くなって、声をあげて笑う事が多くなったとマークは言った。


 手術の日から6日が過ぎ去ると、マークの体はもうすでに殆どが人間ではなくなっていた。


 そして、ついにマークとステラの別れの時がやって来たのだ。


 マークはステラに何も告げず、その夜、私の家から去った。

 何か言った方が良い、と、私はマークに言ったのだが、居なかった事にして欲しい、と、願い事を託して、マークは黙って去ったのだ。


 眠っているステラの枕元には、本物のマークが作ったガラスのもみの木が置かれていた。

 そのもみの木の根元には、マークとステラを象ったガラス細工の人形が見えた。


 それは、ずっとマークでいたかったある魔物が彼女に残した愛のかたちだったのだろう。




 翌日、目を覚ましたステラはマークの行方を私に聞いた。

 私は約束を守る為に、そんな人間は居なかった、と、頼まれていた事をステラに告げた。


 貴女は1人でここに来て、1人で病を治したのだと。

 誰かが居たというのなら、それは貴女を大切に想う、誰かの魂だったのでしょう、と。


 レーナにも協力してもらった事で、マークは居なかった事となり、ステラは1人で帰って行った。

 自分が住む街に戻り、マークの工房を訪ねた時に、ステラはマークが本当に居ないという事に気付くのだろう。


 しかし、彼女は死にはしない。

 きっと強く生きて行くはずだ。


 ガラス細工のもみの木と、自分達を象った人形を彼女は大事そうに抱えていたから。



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