将来は有閑マダム
この世界に生まれ落ちて早23年。
過疎った村でぼっち暮らしの乙女が一人。
村人たちがまとめて出てったのがかれこれ3年前で、そのころ何があったかというとちょっとした魔物騒動があっただけだった。なんでもちょっと居眠りこいてる間に自分の縄張り内に人間の村ができてたとかで、あちらさんは脊髄反射で追い出そうと襲ってきたらしい。一度目はなんとか撃退することができたものの、これからもこの恐怖とつきあっていかなければならないのかと思うと耐えられなかったらしく、村人たちはさっさと夜逃げった。
一人置いてかれた身の上としては特に言うことはなく、むしろすっきりしていた。
これで隠れてこそこそと魔物を撃退しなくて済むのだから。
「とりゃ!」
ものを放り投げるポーズと短い掛け声にバレーボール大の風の玉が飛んで行く。
「るぐおおぉんっ!」
それを軽々と避けて魔物1号が火を吹いた。
襲いくる炎をぎりぎりで避けて横へと転がりすぐに起き上がる。
「えいっ!」
軽い掛け声とともに指差した方へと水が降りかかった。
「山火事、だめ、せったい!」
消火した部分をびしっと指差すと魔物1号が「うっ」と呻いて硬直した。
しばらくして無言ですごすごと帰っていく後ろ姿を見ながら、戦利品として魔物1号が置いていった果物に齧りついた。
「ぷはーっ!やっぱ仕事の後の一杯は違うわね!」
口の周りの冷たい井戸水を拭い、夕日に目を眇める。
明日は雨かしら?そんなことを思いながらコップの中の井戸水を飲み干した。
森の中を散策しながらきのこや果物、食べられる野草や豆類を探す。
冬が近いからか収穫は少なく、川に行って釣りでもしようと森から出た。
出たら少し離れたところに黒い霧みたいなもやもやしたものが漂っていた。入るときはなかったのに。
「なにあれ?新手の魔物かなにか?」
腰に提げていた小さな籠を背中側へ回して様子を窺う。
しばらくそうしていたところ、ただそこに在るように漂っていたもやもやが突如伸縮したと思ったら滑るように移動しはじめた。
「え?ちょ、待っ、そっち私ん家ー!」
慌てて後を追ったのに見てる目の前で家が壊された。腐った、って感じで壊された。木製のお家は黒くなってくしゃりと潰れた。
「わ、わた、私の、おうち・・・」
その場に崩れ落ち両手で体を支える。ひどい、ひどいよ、こんな何もないとこでどうして暮らしてたと思ってるの。家賃だよ、家賃。町とか行ったら高いって聞いたしここならタダだしだからここに住んでたのにーっ!
「ゆ・る・さ・ん。」
むくりと起き上がり恨みがましく下から睨み上げる。
その怒れる気配に気づいたのか、黒いもやもやがゆっくりと移動を開始した。こちらに向かってくるもやもやを見据え手の平を突き出すと、手の平の周りにパチパチと静電気じみた音とともに青白い火花が散りはじめ、瞬く間に光球をつくりあげた。
「反っ省っビィーム!」
掛け声とともに雷球がもやもや目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。直撃した瞬間、バチイッと一際大きな音をたてて周囲に感電したように青白い光が黒いもやもやの合間に広がった。幾分か蒸発したようで、元の大きさよりも一回り小さくなったもやもやは、しかし何事もなかったかのようにそこに在った。痛がる風でもなく怒った風でもない。まるで本当にただの煙のような様子に、どことなく不気味な雰囲気を感じてごくりと喉が鳴る。
あと何回か攻撃したら倒せるかな?そんな算段をつけながら一歩距離をあけ、再び手を構える。
ゆらりと手の平の向こうにかすかな炎が揺らめいた瞬間、後方から強風が吹いた。
はっとして振り返れば、そこにいたのは翼を畳んだ魔物1号だった。
ぴ、ピンチ!もしかしてピンチ!?挟み撃ちとかまじでー!?
焦る心のままにもやもやと魔物1号を見比べる。どっちだ、この場合先にやらなきゃいけないのはどっちだっ!・・・も、もやもやしか怖い!もやもやしか不気味でなんか嫌だからもやもやから!決定!
魔物1号に背を向け手を構えると、強風とともに影が差した。やっべ、頭上にいるよ、魔物1号。なにする気だと思いながらもやもやから目を逸らさず集中する。さっきのより大きく、さっきのより強く。手の平の向こうで揺らめいた炎が凝縮するようにぐるぐると渦を巻いてバスケットボール大の火の球をつくりだした。
「どっか、行けーっ!」
心の底からの掛け声とともに火球がすごい勢いで飛んでった。正直びびった。
その直後、もやもやに火球が直撃するのと同時に上空からもそこに炎の滝が流れ落ちてきてそれにもびびった。
その後、チリチリとした熱気と眩さが消えると、魔物と人間、その合わせ技の大火力の前に水蒸気風情では存在することが難しかったのか、きれいに消☆滅していた。
一つ頷いて、脇に下り立った魔物1号に体を向けた。
「その、助けてくれて、ありがとう・・・」
なんだか喧嘩友達に助けられた心地で、はにかみながらお礼を言った。
当然、魔物1号も気にすんな的な仕草か何かがあると思っていた。
「フン、縄張りを荒すものは貴様一人で十分だ。」
なんか言葉が聞こえた気がしたんだけど・・・き、気のせいよね?
「あのようなものが我の縄張りに入ろうなど、虫酸が走るわ。」
えーっと、喋るのはまぁこっちへ置いとくとして、これって遠まわしに気にすんなって言ってるんだよね?
「うん、そうだね、また来たら2人で追い出そうね!」
やっだ、頼りになるぅ!そんな笑みで魔物1号の前足をバシバシ叩いた。何やら嫌そうな目を向けてくるのに気づかないふりをしながら、魔物1号の体を間近で観察する。整然と並んだ黒い鱗は滑らかだった。鱗と鱗の間に隙間はない。さっすがー!
しばらくして魔物1号が不意に顔を上げた。
視線を辿ると、腐って潰れたぺしゃんこの我が家の向こうから全身鎧を身に纏った人間が歩いてくるところだった。なんか騎士っぽい。体格は良さそうで、鎧も違和感なく着こなしているように見える。やはり騎士っぽい。
「そこの君。」
やや離れたところからそう声をかけられて、一瞬変態を見る眼差しを向けてしまった。すぐに不審者を見る目つきにしたからバレてはいないと思うけど、視力が良かったら気づかれたかもしれない。ちょっと不安にどきどきしつつ魔物1号の前足の後ろに隠れるようにわずかに距離をあけると、騎士っぽいのが慌てたような動きで待ったをかけてきた。
「違うんだ、怪しいものじゃない。私はレーンブルクト王国に仕える騎士で、名をハウゼンと言う。どうか話を聞いてほしい。」
そう言った騎士っぽいの、改め、騎士は訥々と語り出した。
・・・長かった。
まさか王国の建国についてから語られるとは思ってもみなかった。魔物1号は離れたところで関係ないとばかりにごろ寝している。
「そ、それで結局、ご用はなんですか?」
耳を素通りする眠くなる話を聞き終わり、開口一番そう言った。
「ん?」
もしかして聞いてなかったの的な顔をしないでほしい。つまるところ何が言いたいのかはさっぱりだったのだから。
「いや、まだ続きがあるのだが・・・」
そう言われて絶句した。話、終わったんじゃなかったのか。
そんな反応を返されてやっと気づいたらしい。
「あー、そうだな。君にはちょっと難しかったかな、すまなかったね。」
なんだろう、マッハでイラつく。下瞼がぴくっとなった気がする。
「そうだった。私が言いたかったのは、君のことを推薦させてもらえないかということなんだ。」
「推薦、ですか?」
訝しげに尋ねると、興味を持ったのが嬉しかったのか満面の笑みになった。
「そう。先ほどの死をもたらす霧との戦い、見事だった。実は死をもたらす霧がこちらに向かったと知らせを受けて様子を見に来たのだが、このあたりには村も何もないからね。そう焦ってはいなかったんだよ。しかしそこで死をもたらす霧と戦う君を見つけてね。急いで駆けつけようとしたんだが、その前に君とあそこの魔獣がやっつけてしまった。しかも霧を退けるだけではなく消滅までさせてしまったじゃないか。たった1人と1匹で。それは素晴らしいことなんだよ。
だから、推薦させてほしいんだ。この国の、王直属の特務隊に。」
「お断りします。」
そう言えば、キリッとしていた男の顔が強張った。
どんだけ喋んのと思っていたが、最後のところしか必要ないからね?
「ど、どうしてだい?君にはわからないかもしれないけど、これは名誉なことなんだよ?」
仰るとおりです。よくわかってるじゃないですか。
「だって、自分にとってそんなよくわからないものに命はかけられませんから。」
「そ、れは・・・」
さてこれからどうやって言い包めよう、そんな顔で腕を組んで視線を下げた騎士の傍から離れて魔物1号の脇に立った。
「なんか変なのに目をつけられたっぽい。」
「なぜそれを我に言う。」
「じゃあなんでまだここにいるのよ?」
「・・・フン。」
「つ、ツンデレ?魔物1号ってツンデレ!?」
「誰が魔物一号だ。我には素晴らしく雄大で荘厳な名が」
「ねぇねぇ、なんていうの?私、篠 遼子。ここだけの話、実は異世界転生者なの。」
「異世界?・・・そうか、それゆえ貴様・・・」
「なに?もしかしてなにかあるの?こう、なんかあれなの。」
「いや、特にない。」
「えぇーっ、ないのー?なんだがっくりだぁよ。ちぇっ。」
「そうがっかりするな。まぁ特にはないが、その図太さは賞賛に値するやもな。」
ふっと笑って言われて、お前私をどうしたいの!?って聞きたくなった。動物が喋るとイケメンボイスってよくあるけど、あんたはちょっとエロくて低くてなんか好きな感じなのよーっ!それでふって笑うとか、もうなに!?なんなの!?私に襲われたいの!?そうなのね!?
「なぜ呼吸を荒くして近づく・・・」
「え、あ、ごめん、あ、やっぱり謝らない。」
「・・・謝罪は要らぬが、あまり近づかないでもらいたいかもしれぬ。」
「えー?なんでー?」
「なぜと問われてもはっきり言えぬが、なにか空恐ろしい気配を感じるゆえ・・・」
ちっ、敏感なヤツだな。こうなったら寝床を探し当てて寝込みでも襲ってみるか・・・?
「・・・今何を考えた。」
「べっつにー?」
下手な口笛を吹いてそっぽを向く。
向いたら騎士が歩いてくるところだった。まさか説得できる見通しでもついたとか?
「ではこうしよう。」
笑顔で口を開いた騎士その1の用事はまだ終わってなかった。
「その魔獣、討たれたくはないだろう?」
そう笑顔で言った騎士の顔を目を見開いてまじまじと見た。今、なんて言ったの?
「魔獣とともに隊に入るならそれで良し、もし魔獣を置いていくにしても君が隊に入ればそれはそれで良し、魔獣はそのまま。だが、どうしても嫌だというのなら、そのような危険な力を持つ魔獣を野放しにはしておけないからね。きっと近いうちに討伐隊が来るんじゃないかな。」
「で、でもそんなの返り討ちにして」
「どうかな?そうなると今度は本腰を入れたもっと強力なのが組まれると思わないかい?」
「そ、そんな、勝手な・・・」
「そうかもね。だけど、わかってくれないかな?こっちはね、あの霧に対抗できる人材は喉から手が出るほどほしいんだよ。それが例え、忌まわしい魔獣を使役する忌むべき魔獣使いであろうとね。」
冷ややかに笑う顔から思わず目を逸らす。
なんなの、こいつ。そんなこと、できるわけな・・・できるんだ。こいつは王国の騎士で私はただのぼっち村人。自分より下のものに言うことをきかせることに慣れてるようだし、きっと本当に簡単に始末できる気なんだ。そこに魔物1号が入ってるのがムカつくけど。だけど、魔獣使いじゃないから使役とか無理だし人間の事情なんて彼には関係ないもんね、バーカ。とか言ったらまじで討伐隊組まれるんだろうな。そうなったら返り討ちにしたとたんに2倍にも3倍にもなった人間が押し寄せて。それで最後には・・・だ、だめだ。魔物1号は自分の縄張り守っただけなんだから、そんなこと、させたら、いけない。それに良いように考えてみれば家も壊れちゃったし代わりに住めるようなところもないし、ちょうど良かったと言えなくもないような気もしてきた。
3年というそれなりのつきあいのある魔物1号から目を逸らしたまま、下唇を噛み締めて首を縦に振った。
村の入り口の手前に停めてあった立派な馬車に乗せられ、どうやら隊の人らしい数人とともに数日かけて王都へと向かう。観光する気なんて起こらなかったものの、当然のように一人だけ始終馬車に缶詰にされたまま入隊の手続きを終え、そのまままたどこかへ運ばれた。運ばれたのは国内に何十箇所か点在するという“霧の前線”と呼ばれる場所だった。
「ではみなさん、準備はよろしいですか?」
つい先ほど紹介を受けた爽やかイケメンラース隊長が3人の隊員たちを見渡す。
「あいよ。」
「ええ。」
「いつでもいいっすよ。」
ラース隊長の言葉に頷きを返す色とりどりの頭を後ろからぼんやりと眺める。
初日、しかもさっき着いたばかりである。それを何の訓練もなく放り込まれて、まさかの放り込まれた当日に実戦に投入とか。こんなことしてると、された側はくたばる確率高いと思うよ?せめて一回くらいは予行演習的なのさせてほしかったな。ここへ来るまでの馬車の中でも説明はなかったし、おかげで流れがさっぱりわからない。霧でた→出動→やっつける。いや、それはそうなんだけど、もっと、こう、連携とか、色々あると思うんだけど・・・
「新入り?行くよ?」
赤い髪の女性に背中を押されてのっそりとついていった。
拠点と呼ばれる、塀に囲われた白い施設から出てしばらく歩いたところで一行は立ち止まった。目の前には瓦礫が散乱している平原みたいなところが広がっていて、たしかに見晴らしはよく黒い霧の発見も簡単そうだった。
「今日のとこは新入りは後ろから様子を見てればいいから。」
同僚の言葉に控えめに頷く。
隠れるところなんてどこにもない。あの霧には意思などないから隠れることは必要ないということだろう。対応としては、見かけたらやっつけるか逃げるかしかなく、触れないように注意するのが最優先、と。
「あそこだ!」
「行くよ!」
「ええ!」
「うっす!」
みんなの後ろ、邪魔にならないと思われる場所からどう戦うのかじっと見つめる。
主力は魔法で霧と距離を取りながら集中砲火で削っていくわけね。魔法の種類も小さいめのからちょっと強そうなのまで色々、と。
みんなの魔法を受けて黒い霧は徐々に小さくなっていくものの淡々と進み続ける様子はかなり不気味で、半分くらいの大きさまで小さくなったとき、黒い霧はゆらりと消えた。
「お疲れー!」
「いやー、今日のはけっこう大きかったですねぇ。」
「ほんとよねぇ、あんなのばっかりになったらもっと人増やしてもらわないとやってらんないわよぅ。」
「クルクトーのあたりはまだ小さいのばっかしって言ってたっすよ。」
「うっわ、なにそれ、羨ましすぎるわー・・・」
食堂に集まった同僚たちの話を端っこで聞いていると、不意にラース隊長が爽やかな笑みを向けてきた。
「それで、どうだった?新入り君。前線は初めてだってハウゼンに聞いていたけど、あれとの戦いは怖くなかったかい?」
ラース隊長の声につられて他の人たちも視線を向けてくる。
その視線に、ぼっち生活・・・というか、魔物1号撃退生活が長かった身としては思わず俯いてしまった。
「・・・その、不気味に思いました。」
俯いたままぼそぼそと喋ると、「だーよねー!」と隣に座っていた女性にばしんと背中を叩かれた。驚いて何度も瞬きしながらそちらを見ると、赤い髪の女性が豪快に笑って見つめていた。
「気にするこたぁないよ。あんなの的、的。的だと思って魔法の練習台にすればいいの!あたしもここへ来て魔法の命中率上がったしさぁ!」
「そーよー。ほんとにマレラってば最初はひどかったんだからぁ。」
「そうっすよ、俺なんて何度姐御に殺されかけたと思ってるんすか?」
「リーニーは黙ってなぁ、後でシメるよ?」
「うっわ、俺だけなんすか?フィーアさんも言ったのに・・・」
「あっらぁ、あたしはいいのよぅ。」
「まじひどいっす・・・」
そこでどっと笑いが起こる。
リーニーと呼ばれた青年も翳りなく笑ってて、彼らの仲が良いことが本当に伝わってくる。
同じ班になったのが良さそうな人たちで本当に良かった。
これならぼっちマスターでもなんとかやっていけるかもしれないと、少しだけ気が抜けた。
夕食も終わり、自室として宛がわれた部屋に戻って一人でいると、浮かんでくるのは魔物1号のことだった。彼は縄張りを荒らす人間がいなくなって清々しただろうか?それとも少しは寂しいと感じてくれただろうか?
ベッドに腰掛けて悶々と考えていると、扉をノックする音が聞こえてきた。それ以降何の反応もないことを不審に思いながらも扉に近づき、気配を窺う。
「・・・はい?」
恐る恐る出した声は思ったよりも小さかった。
「私だ、ハウゼンだ。」
その声に驚き、目を見開いて扉の前から一歩離れる。
「君に話があるんだが、ここを開けてくれないか?」
優しげな声でそう言われて、思わず唾を飲み込んだ。
たしかにハウゼンさんは嫌がる私を無理矢理推薦した人でなしな騎士だけど、なにもこんな時間に一人暮らしの女性の部屋に来なくてもいいのではないか?それに話をするならもっと適した場所があったはずだ。
「あの、お話なら談話室のほうで」
「それがね、あまり人に聞かれたくない話なんだよ。どうかな?ここを開けてくれないかな?」
キモイ。
もうそれしか思い浮かばない。イケメンだし、とくに嫌悪を感じるはずのない喋り方。それなのにまじでキモイとしか思わない。なんかぞわぞわしてもう一歩離れた。
「・・・ねぇ、早く開けてくれないかな?」
優しげだけど、声の様子からかすかに苛立っているのを感じる。きっと内心ではもっとイラついているんだろう。たとえ自意識過剰と思われても、そのことを恐れてここを開けるのはバカな気がする。
「それなら談話室の隅ででも」
「だからね?人に聞かれたくないってさっき言っただろ?こんなところにいるのも見られたくないんだよ。それもわからないかな?」
こんなところと言いつつ、人目を憚り、まったく親しくない顔見知り程度の女性の部屋に侵入しようとしている男。女性は平凡な見た目のぼっち村人で、男は王国の信頼厚いイケメン騎士。初対面時はお互いに好感度だだ下がりな会話と態度だった。どう考えても恋愛はありえないだろうしこの女性は自意識過剰だ。過剰すぎる。でも。キモイものはキモイのだ。しかもこいつは卑怯な手を使ってあの場所から無理矢理ここへ入隊させた鬼畜である。そのときに忌まわしいとか忌むべきとか言ってたから、案外なにか不手際があったとかで殺しにきたのではないだろうか?どっちかというとそっちのほうが十分ありうる気がする。それならキモイどころじゃなく呪って恨んでも足りないくらいじゃないだろうか?
「すみませんが風邪ひいてるんですよゴホゴホ!うつすの悪いですから無理ですゲホゲホ!」
殺されるの嫌だし、もう自意識過剰なバカ女って笑われていいからこの言い訳で帰ってくれないかな?
「バカにしてる?そんな演技に騙されると思ってるなら」
「あ、少し熱もあるみたいです。すみませんお話はまた後日にお願いしますゲホゴホ!」
そのまま部屋の奥へ行こうと背を向けた。その瞬間。
強く扉を蹴りつけたような音が聞こえて驚きと恐怖に跳びあがりながら振り返る。
げ、幻聴だろうか・・・?
しかししばらくして少し離れたところで鉢かなにかが割れる音が聞こえた。
どうやら幻聴ではなかったようだ。物音をたてると目立つというのに、そんなことも忘れるくらい人知れず始末できなかったことが頭にきたらしい。怖すぎるだろ、あんた・・・
深夜、緊張に眠れないまま可愛らしく震えながらベッドの上で布団をかぶって丸まっていると、窓をノックする軽いお、と、が・・・ぎゃーっ!!正面がダメなら窓からとかハウゼンお前まじで超怖いわっ!しかもここ3階!布団から少しだけ顔を出して恐怖の視線を窓へと向ける。
カーテンが閉まってるのでさっぱりわからないが
――ここを開けろ、縄張り荒らし。
聞こえたちょいエロ低音ボイスにマッハで開けた。
「・・・開けるのが早すぎる。もう少し躊躇ったらどうなのだ。」
嬉々として部屋に招き入れた魔物1号は人型だった。ちょっと驚いたがそれだけだった。そんなことよりも一週間ぶりの魔物1号に一瞬で涙腺が崩壊した。目を見開いたまま涙がぼたぼた落ちる。不安と寂しさ、あいつに殺されるという恐怖に晒されていたので、もう何が何だかわからなくなるくらい泣いた。ぶじゃぶじゃと泣いて縋るのを払いのけることもせず、嫌そうな顔で受け止めたまま魔物1号は落ち着くのを待っていてくれた。
気づけばベッドに腰掛けた魔物1号に軽く抱き締められてゆっくりとあやされていた。
ええ、これでもまだ恋に落ちるなというほうが無理があると思うのですが。
抱きついたまま魔物1号を見上げる。絶対ぶっさいくになっている顔を見下ろし、月明かりに照らされた魔物1号が小さく笑った。
これ、襲っていいのかな?
「魔物1号・・・」
「誰が魔物一号だ。我には素晴らしく雄大で荘厳な名が」
「だって名前知らないもん。」
素敵な胸元におでこをぐりぐりと押しつけて抗議する。
そのままじっとしていると、頭頂部に大きな手のひらが触れた。
優しく頭を撫でられ、やんわりと顎を持ち上げられる。
見上げた瞳は穏やかな熱を帯び、その様子に多大な期待が胸に押し寄せる。
琥珀色の瞳を見つめながら、そっと、目を閉じた。
唇に感じる柔らかな感触。
自分と違う、ほんの少し低い体温。
そのことに、
我を忘れた。
無事に一線を越えた。素晴らしかった。なんか身も心も繋がるってバカみたいに素敵なことだと思った。名前も教えてもらったしこの上なく幸せだった。脳内ハッピー過ぎてすっかり忘れていた。
「ハウゼン、さん・・・」
準備を済ませて朝食を食べに行こうと扉を開けたら扉横の壁に潜むようにして男が立ってたとか本気でやめて。それに気づいた瞬間反射的に閉めようとしたら手と足をねじ込んで無理矢理押し入るとかもうまじでやめて。日頃から鍛えている騎士の男と魔法が使える以外は普通の女の筋力差なんて明らかすぎて比べる気にもならないからとっとと帰ってお願い。
扉を閉め、行く手を塞いで立つ男を見つめ、ごくりと唾を飲み込む。
――消してやろうか?
不意に頭に直接聞こえた、眠たげなちょいエロ低音ボイスに慌てて否定の気持ちを向ける。
――だめ。そんなことしたら討伐隊組まれちゃう。それより危なくなったらちょっと出てきてほしいかも。・・・その、服はちゃんと着ておいてね。
それにしてもこの男、人に見られたくないと言っておきながらいつから潜んでいたのだろうか?この階には私しか住んでいないらしいが、そのことをこの男は知っているのだろうか?いや、知ったから待ち伏せていた?目的はなんだろうか?やっぱり殺すことだろうか?それはお断りしたいのだが。
その手になにも持っていないことを確認しつつ、もう一歩離れる。
ギラギラした瞳の男が微妙な笑みを浮かべて口を開いた。
「君の魔獣を呼んでくれ。あの後、あそこに行ったが君の魔獣は見つからなかった。君がどこかに隠したんだろう?」
ポカーンである。約束、破ってたのか。しかも、直後に。
そんな表情が出ていたのだろうか?男の眉がわずかにひそめられる。
「当然だろう?主を失った魔獣などただの害獣だ。さっさと片づけるに限る。それよりも、君がまだ使役しているなら早く呼んでくれないか。」
え?そんなこと聞かされてなんで呼ぶと思ってんだ?
「嫌です。」
きっぱり言ってやった。清々しく、どこか誇らしくも感じる。自然と背筋が伸びる。
「・・・おっ前!たかが魔獣使いがっ!」
ハウゼンがキレたくさい。脇の壁を拳で叩きつけ、憎々しげな目を向けてくる。
「こっちが下手に出てるうちにさっさと・・・!」
下手の意味を勉強してこいと思っていると不意にハウゼンのギラついた視線が後方脇へと逸れた。おそらくこの部屋に麗しの夫様が登場したと思われる。
「何だ、お前、ここでなにを・・・ああ、この女の恋人かなにかか。ハッ、たまにいるんだよな。危険なところに行く恋人が心配でわざわざついてくるバカが。」
一瞬顔を歪めたハウゼンの中で話が出来上がったらしい。なんという妄そ、いや、想像力。だいたい合ってるけど。
「あなたにはそんな素敵な彼女はいないか、いたけど別れたってところ?」
ぽろっと言ったらどうやら古傷を抉ったらしい。ものすごい目で見られた。
「そこのお前、この女は魔獣使いだぞ。こんな女さっさと捨てて王都にでも行ってみるといい。お前の見た目ならこんな女よりももっと良い女がすぐに釣れるだろうよ。それに。」
そこで言葉を切って、意味深な視線が向けられる。その口元に皮肉げな笑みが浮かんだ。
「こいつはアブリアの最前線に送られるからな。」
・・・もしかしてこの男はバカなのか?
なにをピリピリしてるのか知らないが、いくら忌むべき魔獣使い様といえども少しは気持ち良くそこへ向かってもらったほうがそちらにとっては得策じゃないのか?それをこんなことしてちゃ途中で逃げられても仕方ないと思うんだが。
「アブリア?」
聞いたことのない地名を呟くと、ハウゼンがそんなことも知らないのかとバカにしたように笑った。
「まったくおめでたいな。ここよりももっと酷いところだ。死をもたらす霧も大きく現れる頻度も多い。そろそろヤバイと思っていたが、昨晩確認したところ・・・」
ま、まさか、最前線全滅してたとか、言うんじゃないわよね?
ちょっとハラハラしてハウゼンを窺う。
「全員逃亡してやがった・・・!」
・・・なんだ、逃げただけか。まぁ全滅よりはそっちのほうが良いと思うからいいけど。
「あの砦は守りの要だっていうのに、あいつら・・・!」
えーっと、これは・・・八つ当たり、されてたのかな?
そう思ってぬるーい目で見るとハウゼンがわずかに目を逸らす。
「・・・まぁそういうことだ。だが、お前に拒否権はない。拒否するというなら魔獣使いとして指名手配するだけだ。」
勝ち誇った笑みで見てくるハウゼンをしっかりと見返した。
「ちょっと確認したいのだけどその砦は何の素材でできてるの?木造なら腐ってぺしゃっと潰れるから行かないわよ?それとそこに住むにあたり当然家賃は発生しないわよね?発生するなら行かないわよ?もちろんお給料は出るわよね?出なかったら行かないわよ?勝手に畑作っても怒られないわよね?怒られるなら行かないわよ?水はきれいに決まってるわよね?ぎりぎり飲めるとかだったら行かないわよ?」
ハウゼンを凝視しながら一息で言い切った。
ゴトゴト揺れる馬車の中で朝食のかわりに用意されたハムサンドを頬張る。
ふがふがもごもご少々パサついたパンを噛んでいると、口のすぐ横にそっと触れる感触があった。
視線を向けると、微笑みを浮かべながら指先をペロッと舐めた麗しの夫様がいて、えと、あわ、その・・・だっ、だれかカメラを!カメラ!写真!写真撮って飾ってーっ!!パネルにして飾ってーっ!いややっぱ飾らないでいい!そんなの目にしてたらずっと鼻血垂らして悶えてる自信あるから!!
ふと、その笑みがニヤリとしたものに変わる。
「真っ赤だな。こういうのが好みか?」
さっ、砂糖がっ!糖度がっ!あんまいよー!ゲロ甘だよー!
カクカクしながら知らない間に飲み込んでいたハムサンドの後を潤すようにジュースを一口飲む。
「どっ、どど、どどっどっどど、どっちでも、そ、その・・・」
俯きながらもじもじするという、まるで初々しいうら若き少女のような反応に自分で自分が恥ずかしい。そして同時に居た堪れない。向かいに座った男から舌打ちと嫌味ったらしい溜め息が聞こえてくる。
「そんなことは2人きりのときにしろよな。まじむかつくから。」
じゃあくんなよ。もしくは屋根の上にでも乗ってろよ。そう思ったが私は優しい大人なので黙っておいてあげることにする。
「ってゆーかそっちの男は帰れよ。まじで危険なんだぞ?未練があるならしばらくは手紙かなんかで済ませろよ。そのうち新しい女ができてその女のことなんて忘れて」
突然ハウゼンの声が消えた。ちらりと視線を向けるとぐっすり眠り込んでるハウゼンと、次にその光景を隠すように間に平らな黒い壁ができる。向こうの様子はまったく見えず、周りの音もなにも聞こえない。抱き締める麗しの夫様の温もりと馬車の揺れが小さく伝わってくるだけで、どきどきしながらゆっくり見上げると、優しく微笑んだ琥珀色の瞳に真っ直ぐ見下ろされていた。
「二人だけなら良いのだろう?」
囁いた声はかなりエロかった。
「・・・そろそろだぞ?」
優しく起こされて、寝ぼけながらつい甘えるようにぐりぐりと頭を擦りつける。
「やだ、もうちょっと・・・」
むふぅとだらしなく笑いながら抱きつくと大事そうに頭を撫でられた。
ああ、し・あ・わ・せ。
眠りこけてるハウゼンを放置して見上げた新居は、砦と聞いて想像していたものよりは小さかった。それでも石造りの建物は家3軒分くらいの大きさがあって周りは自然豊か。森もあるし大草原もある。清らかそうな川も流れている。海はないが近くに澄んだ水を湛えた泉があった。砦全てが石造りというわけではなく、外壁は石だが室内などは木造で、それに広めのお風呂やトイレもある。
うむ、概ね理想的と言えよう。あとは黒い霧が出てこなければ万々歳なんだけど・・・
視界の端でいつの間にか起きていたハウゼンが草原のほうを指差した。
「おい、出たぞ。危なかったら加勢してやるからちょっとやってみろよ。」
ですよねー。3日に1回は出るって言ってたもんねー。一昨日、昨日って出てなかったら当然今日出ますよねー。
指差された先を見て、ちょっと観察する。
ラース隊と見たのよりは少し大きいかもしれない。地面すれすれを浮遊しながらのろのろと移動している。意思がないらしいので多少失敗しても逆上して襲ってくるとかないだろう。よし。
「んじゃあ、とりあえず・・・サンッダー!!」
想像したのはビリッと痺れるバレーボール大の電撃の球だった。手から放たれたのは白く輝く光球だった。身長の半分くらいはありそうな直径の。そのことにめっちゃびびった。黒い霧は輝きに飲まれて消えた。その有様にもびびった。内心引き気味にカクカクしながら後ろを振り返る。
ハウゼンはポカン顔で石像のように固まってた。
その向こうにいる麗しの夫様は笑みを浮かべて頷いてくれた。
ど、どういうことだ・・・だっ、誰か説明!説明を!私チート!?もしかしてチート!??
ハウゼンは灰になって帰っていった。
都合よく居眠りこいてた御者さんに引き取られて。
問題の解決を図り夫婦で話し合う。
きっと解決は難しいだろうなぁとか思ってた。
「リョーコは我の半身になっただろう?」
甘ったるく微笑まれて頭を撫で撫でされる。
「そのせいで互いの魔力が繋がったのだ。何も気にする必要はない。」
撫でる手の心地良さにうっかり流されそうだったがなんとか覚醒した。
「つ、つ、つつ、繋がるとか!だ、誰も見てないときだけだから!討伐隊組まれるのやだし夫婦の危機とかゴメンだし!人がいるときは弱いふりするからね!?ここで有閑マダムするからね!?」
高らかに精一杯の宣言をして思いっきり抱きつく。
顔が熱い。なんか恥ずかしい。黒い服をぎゅっと握り締めて顔を押しつけた。
「お前まだいんの?」
「いて悪いか。」
月1でやってくるハウゼンから般若顔を変えないまま荷物を受け取る。ここを空けるわけにはいかないのでこうして要るものを持ってきてくれるのはありがたいのだが、いかんせん態度が悪い。別の人にしてもらえないのかな?こいつまじウザいんで詮索しない静かな人を切に望む。
「普通なら長くても二月もつかどうかなんだがな。」
「あらそうなんですか?それはご愁傷様ですこと。」
もうすぐ半年ですものねぇ、ほほほ!と笑ってやるとハウゼンが舌打ちした。
「それくらいにしておけ。リョーコは自分の務めを不足なく果たしている。それを褒めてやるくらいの度量もないのか?」
「ユーノ!」
聞こえた声に振り返って麗しの旦那様に跳びつく。
ぎゅっと抱きつき勢いよく背後を指差した。
「あいつが苛める!」
ぽんぽんと頭を撫でられてマッハで気分が上昇する。
「・・・お前もまだいんのか・・・」
呆れたような声を麗しの旦那様に向けやがるハウゼン。お前いつか絶対泣かせてやるからな!覚えてろよ!上昇した気分のままに闘志を燃やしつつ、我が家ででたゴミのうち燃えないものを押しつける。
呆れの溜め息を吐いているハウゼンを見送るついでに次回からできれば別の人にしてって言ってみた。微妙に硬直したハウゼンに首を傾げつつ、ふとある疑問が思い浮かぶ。
まさか・・・まさか、こいつ・・・ユーノに興味あるんじゃなかろうな!?いや、ユーノは麗しの旦那様だけあって麗しい美形だが男に興味ないからね!?狙ってるとか言ったら消すよ?跡形もなく消すよ?
はあはあ呼吸を荒くして視線で武器を探す。まずは物理的に後悔させてから・・・
ふと、右手を優しく掬い上げられた。
馴染んだその感触に刺々しかった気持ちが落ち着いていく。
「ユーノ・・・」
見上げれば麗しの旦那様が諌めるように微笑んだまま小さく首を振る。
そうだった。ここでこいつを消しちゃったら討伐隊組まれるんだったね。ありがと、ユーノ。
感謝の気持ちをこめて微笑むと、おでこに軽くキスされた。ぎゃー!やだもうなんて素敵!さすが旦那様わかってるぅ!!
別の意味ではあはあ呼吸を荒げて麗しの旦那様を見上げていると、いつの間にかハウゼンとそれを乗せてきた馬車はいなくなっていた。
はたして黒い霧はどこからやってくるのか。
現れる地域が限定できるのはなぜなのか。
黒い霧が触れた昔の家はどうして腐って壊れたのか。
そして、どうしてここは緑豊かで水がきれいなのか。
このあたりについては他に何もやることがなくなった頃にでも考えてみようと思う。