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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
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Episode:006 魔動空母

 魔克歴415年・第9月11日



 エテリア大陸から南方、約2000キロメートル離れたところにある名も無き島嶼とうしょは、陸地のほとんどが鬱蒼とした密林になっている。

 島一つ一つは、大きいもので25平方キロメートル、小さいもので100平方メートル程で、人の手は入っていない。


 入植されていないのには理由があり、この周辺海域一帯が魔獣の巣から染み出てきた魔物たちのテリトリーになっているからである。強力な個体は魔獣の巣に篭っているが、それらに生存競争で負けた弱い個体が、群島周辺にウロウロしているのだ。漁師たちから『地獄の宝庫』と呼ばれる無名の群島では、日夜自然の恵みと魔物がひしめき合い、生と死の饗宴が繰り広げられる。


 そのような環境でも、人間が生存を許される場合がある。


 紺青の海上を飛ぶ巨大な構造体は、人が作り出した英知の結晶だ。

 上から見ると「へ」の字に見えるそれは、当然揚力で浮遊しているわけではない。


 魔動空母クロノス・ミカニ。グリモアに匹敵する魔術兵器の傑作だ。

 全長42.5メートル、全幅199メートル、全高60.2メートルの構造体が飛ぶ様は、異様であると共に、威容だった。


 艦底部に敷くようにして、淡い光を放ちながらゆっくりと回転している複雑な幾何学模様の描かれた円陣が、飛翔魔術の起動陣だ。それも桁違いに大きい。


 遠目に見えるワイバーンの群れも、この魔動空母には流石に手が出せない。

 大自然の猛威に抗う人類最後の砦とでも形容すべきそれは、悠々とノトス海を往く。





 //






 クロノス・ミカニ内部。

「へ」の字型の艦体の鋭角になっている艦首の1階から4階が第1区画。その中には主艦橋、作戦会議室、高級将校の居室などが収まっている。

 第1区画3階の作戦会議室で、5人の人物がテーブル越しに向かい合い座っていた。


「にわかには信じ難い」


 窓側の席に座った中年の男性が口を開く。

 豊かな口ひげを整えており、厳しい顔に刻まれた深い傷痕が、彼の戦歴を物語っていた。


「艦長、戦闘補助精霊に虚偽を申告する機能はついていません。全て事実です」

「それはわかっている。わかっているんだが、な……」


 隣に座った青年士官の報告に、艦長アドニス・コイノス・ヌース大佐は、眉間を指で揉みほぐしながら、苦悩を露わにする。

 ヌースは、クロノス・ミカニの艦長であり、魔術兵器の試験及び開発を行う魔術兵器開発実験部隊の部隊長でもある。

 2日前、彼の部隊が保有する貴重なグリモアの試作実験機が、見るも無残な姿で還って来たと同時に、いくつもの問題が噴出した。

 一つは、ノトス海への統一グランベル帝国軍の領空侵犯。


 帝国軍がエテリア大陸内海のオンパロス諸島で行う軍事演習と時を同じくしてノトス海に現れた事は、偶然ではないだろう。しかも、その相手の一人は帝国三剣ザ・トリニティを名乗っている。嘘か真か、敵軍の戦略兵器が自国内をうろついているのだ。嘘であってほしいと思う艦長の気持ちもわからなくはない。


 二つ目は、キュアレーヌス・セレネを操縦していた人物についてだ。


 コックピットの中から現れたのは、負傷したイリアス・デルマ少尉を抱えた身元不明の少年だった。その同乗者の扱いについて、クロノス・ミカニでは大きな波紋を呼んでいた。

 戦闘補助精霊の証言をまとめた報告書によると、高高度に発生した魔力乱流から出現した少年を救出した直後、帝国三剣を名乗るグリモアに襲撃を受け、重傷を負ったデルマ少尉に代わり、少年がキュアレーヌス・セレネを操縦し、それを撃退した、との事である。


 その報告書は、一度読んで己の目を疑い、二度読み返して作成者の心の病を心配し、最終的に作成者自身に直接問いただして、ようやく渋々納得するような内容であり、前代未聞の怪文書と呼ばれていた。

 それくらい、混沌無形で、真実味に欠ける話だった。

 しかし戦闘補助精霊は事実しか言わない。


 加えて、機体に刻まれた多数の破壊痕から、複数の異なる魔力の残滓が検出された。通常、世界抵抗の影響で、魔力はすぐに散逸してしまうのだが、成形魔石繊維などの魔力を保持する性質のある部品がいくつも使われているグリモアには、魔力が残りやすい特徴がある。その検出結果の示すところは、シーサーペント以外に複数の魔術戦闘を行った可能性がある、ということである。


 更なる事態の究明には、意識不明の重態となっているデルマ少尉の回復が待たれるが、前代未聞の怪文書を裏付ける証拠は揃っていた。

 ヌースとしては、信じる他ないのだが、信じたくない、というのが本音である。


「……それで、その少年は今どうしている?」

「第2区画の客室に軟禁しています。一昨日はかなり混乱していましたが、今は比較的落ち着きを取り戻したようです。取調べにも素直に応じています」

「少年――名前はアーノ・カキュリといったか?」

「失礼ながら艦長、アマノ・カギリです」

「そのアマノ・カギリは、報告書によると、帝国語を話しているらしいな」


 身元不明の少年が、敵性国家の公用語を使用している。

 それが、もっとも状況をややこしくしている要因だ。

 アマノ・カギリという少年は現在、スパイ容疑をかけられている。

 帝国のグリモアを撃退した行動とは矛盾するが、スパイを潜り込ませるために帝国兵と少年が一芝居打った可能性も捨てきれない。


「その通りですが、潜り込む国の言語、文化、風習に精通してこそ、スパイ足り得ます。敵に捕縛され、素直に母国語で弁明する間諜など、お話にならない。彼は出身国について、ニホンという聞いた事もない国名を口走っていますし、自分は別の世界の人間であると繰り返しています。帝国語の発音もたどたどしいところがあり、単なるスパイと断ずるには、早計かと」


「ペイン中佐、貴様は憲兵の取調べに立ち会ったのだろう? どういう印象を受けた?」


 詳細な情報は報告書に書いてある。

 ヌースが気になったのは、ゲート・ペイン中佐の所感だ。【ミトロの内紛】と呼ばれる貴族の反乱を終局に導いた功績と、帝国との小競り合いに巻き込まれた多数の民間人を救出した功績から、一部でイーリスの小英雄などと呼ぶ声もある俊英である。


 32歳という若さで中佐まで昇り詰めた彼の状況判断能力と分析能力には、ヌースも一目置いていた。それ故、ペイン中佐はグリモア隊の指揮官として、クロノス・ミカニの攻撃力の中枢を担っている。


「忌憚のない意見を聞かせてくれ」


 上官からそう言われたペイン中佐は、待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。

 意見を言いたくてうずうずしていたのだろう。


「では、僭越ながら申し上げます。彼は、ほぼ白ですね。スパイにしては受け答えが間抜けすぎました。また、彼の雰囲気や言動からは、嘘を吐いて誤魔化そう、という後ろ暗さが感じられません。これは、実際対面して尋問していた憲兵と、魔術センサで少年の心拍数などをスキャニングしていた魔術士も、同意見でした。私個人の所感では、真実を告げても信じてもらえない諦観みたいなものを抱いているという感じですね。状況証拠しかないので、完全に白とは言い切れませんが、限りなく白に近いグレーと見ていいですよ、アレは」


 一気に自論を並べ立てたペイン中佐を、艦長は面白げに見つめていた。

 まったく言葉を選んでいないが、第三者の意見も交えた論拠には一定の正当性が認められる。個人的な感覚というのも、ペイン中佐の場合は経験則に基づいた判断材料の一つである。実際に見て、聞いて、感じた情報も、経験豊富な人間からもたらされた物なら、馬鹿にできない。


「……艦長、彼はいつもこの様な意見具申をするのかね?」


 すると、同席していた客人の一人が口を差し挟んでくる。

 クロノス・ミカニの実用性実証試験任務には、お目付け役として3名の参謀将校が帯同していた。

 ディオゲネス・オナシス少将、レウコン・プセルロス大佐、ゼノン・メルクーリ少佐の3人である。

 ヌースに質問してきたのは、この場で最も位階の高いオナシス少将だ。

 これは異例の措置である。

 試験の段階では、新兵器の開発を主導する技術将校や開発の認可を出した軍幹部が同行する事はあっても、参謀本部から人員が出張ってくる事は殆どない。

 キュウアレーヌス・セレネがどれほど重要な新兵器であっても、試験段階で作戦や用兵には関わらないからだ。


 ヌースとしては、「想定外の事件が起きたのは任務に横槍を入れたお前らのせいだろ」と糾弾したいのだが、この緊急時に味方同士でいがみ合うような愚は犯したくないので、堪えていた。

『母艦から離れ、支援を受けず、交信魔術を封鎖した状態で、単機で魔獣の巣に潜行し、実用性実証試験を実施する』という試験内容は、彼ら参謀本部の面々が決定した内容である。


 開発責任者の技術将校をはじめ、多くの関係者が反対したが、参謀総長のサインが書かれた命令書を見せ付けられては、黙る他なかった。


 ある意味、統一グランベル帝国や身元不明の少年よりも、彼らの方が厄介だ。

 内海オンパロス諸島へ進軍する帝国軍の対応で多忙を極めているはずの参謀本部が、ノトス海の試験任務に注目する意図が、わからない。


 彼らの存在が、クロノス・ミカニに不穏な影を落としていた。

 全ての問題は繋がっていて、元凶は彼らなのではないか、と疑いたくなるほどだ。


 しかし、彼らもまたキュアレーヌス・セレネが破損して帰還した際には驚いた様子だった。


 キュアレーヌス・セレネを見て青ざめていたオナシス少将たちの顔は、演技とは思えない。

 あの時、何かが、オナシス少将たちの意図から外れたのだ。


 彼らのような目の上のたんこぶは、早急に切除したいのだが、残念ながらアマノ・カギリと同じく彼らの嫌疑についても証拠不十分だった。もっとも、この3名の場合は限りなく黒に近いグレーだが。


 今は相手の出方を見るしかないとヌースは考えていた。


「申し訳ありません閣下。部下の不始末は上官の不始末。よく言い聞かせておきますので、平にご容赦ください」


 ヌースは苦々しく思いながらも相手の面子を立てる。

 階級的にはオナシス少将が最上位だが、部隊の最高責任者が忌憚のない発言を許しているので、ペインにそれほどの落ち度はない。

 頭の堅いお偉いさんだ、とヌースは内心で唾を吐いていた。


「部下の教育は徹底したまえ……ところで、デルマ少尉の容態はどうだね?」

「まだ昏睡状態が続いています」


 ペイン中佐は先ほどの軽快な調子を消して機械的に応答した。

 最低限、場の空気を読む力も彼は持ち合わせている。ヌースは優秀な部下に不遇の扱いを強いている事をすまなく思った。


「……そうか、わかった。我々は参謀本部に今回の顛末を報告する準備をしなければならないので、これで失礼させてもらう」


 そう言うや否や、オナシス少将は他の2名を連れて部屋を出て行った。

 キュアレーヌス・セレネの修理の進捗、少年の今後の処遇、他にも話し合わればならない問題は山積しているのに、デルマ少尉の容態を確認したら急に方向転換した。ヌースは彼らの思惑がデルマ少尉に関連していると、直感的に悟った。


「中佐」

「はっ、医療室周辺の人員を“それとなく”増やしておきます」


 ヌースは、ペイン中佐の言葉に満足し、一つ首肯した。

 物分りの良い部下を持つと仕事が楽である。


 次の議論を始める前にコーヒーを飲もうとカップに手を伸ばした。

 するとペイン中佐が、再度口を開いた。


「艦長、口の悪い部下から一つ、アマノ・カギリについて、余計な意見を具申してもよろしいでしょうか?」


 皮肉交じりにそんな事を言ってくる。


 コーヒーを持ったまま肩を竦めて促すと、ペイン中佐は本当にとんでもない事を言い始めた。


「アマノ・カギリがスパイではないと仮定して、彼に我が国への帰属を勧めたいのです」

「……ペイン中佐、まさか貴様……」

「報告書にある戦闘記録が事実だとすれば、彼は帝国三剣を撃退したという事になります。そんな人材を、この非常時に捕えておくのは、あまりに勿体ない」

「仮定に仮定を重ねるのは危険だ、中佐。彼がスパイでない確証はないし、自分から帝国三剣と明かした敵魔術士も信じられない」

「しかし、それら全てが真実だったなら、我々は遠からず追い詰められるかもしれません。そうならないために、打てる手は打っておきたいのです」


 その言葉に、艦長は黙考する。

 参謀本部の面々が席を外した今、その無茶とも取れる意見を告げたペインの考えは明白だった。

 帝国軍、参謀本部、アマノ・カギリといった不確定要素が渦巻く状況の中で、その一角を切り崩して味方に引き入れると共に、ジョーカーを作り出そうと考えているのだ。


 少なくとも当面の敵は帝国軍だ。

 参謀本部の思惑がどうあれ、自国に無断で侵入している他国軍を放置してはおけない。

 クロノス・ミカニの置かれた状況をイーリス王国に伝えるためにグリモア一機を連絡用に使わなければならない関係上、その補充が現地でできるのは嬉しい。

 ただし、アマノ・カギリが帝国のスパイではなく、大人しく恭順の意を示してくれる前提での話だ。

 危険な賭けだった。しかし成功すれば、大きな見返りが期待できる。

 艦長としての度量と決断力と運が、試されていた。


 思えば、軍に入隊してから多くの艱難辛苦を味わってきた。

 士官学校を出た直後に勃発した帝国軍との紛争に駆りだされ、最前線を飛び回った。当時のグリモアは今よりずっと低スペックで、蛮族のような殴り合いをグリモアで行っていた。

 その壮絶な戦争を生き残り、現在の地位まで上り詰めた。


 それをヌースは己の才幹で成し得たとは考えていない。

 自分を助けてくれた上官がいたからだ。

 自分を支えてくれた部下がいたからだ。

 自分の代わりに死んでいった仲間がいたからだ。


 ヌースの地位は、多くの人柱の上に成り立っていた。


 ペインは信頼できる部下だが、彼の言葉を安易に認めるわけにはいかない。一歩間違えば、大きな爆弾を抱え込むことになってしまう。

 一方で、ペインの提案が、クロノス・ミカニに光明を齎すかもしれない。


(かつて自分を助けてくれた上官のように、私を庇って逝った仲間のように……今度は、私の番なのかもしれない)


 ヌースは短くない時間を思考に費やした。

 その間ペイン中佐は黙って上官の判断を待った。

 コーヒーが空になった頃、ヌースは口を開いた。


「貴様に任せる。責任は取ってやるから好きにやってみろ。ただし、懐柔に成功したとしても、監視は厳にしろ」

「はっ!」


 歴史が動いた瞬間だった。

 後にヌースは、この采配を『人生最大最良の選択だった』と自著に記す事になる。

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