Episode:057 新たなる世界の秩序
それから限は、少ない魔力で何とか飛翔魔術を使い、サカの元に戻った。
「悪い。これが精いっぱいだった」
死迷の聖女のグリモアから奪い取った腕と、その掌に収まっていた遺体をサカに渡す。
『…………礼は言わない』
『言われても困る。それで、どうする?』
憎悪が冷め切らないサカに、限はそう水を向けた。
まだ敵討ちを続けるか、と暗に聞いていた。
2人ともほぼ魔力を使い果たした上、負傷しており、まともにグリモアも使えないだろう。
この場合、最終的に殴り合いでもして決着をつける必要がある。
賢いやり方ではないが、彼女がやる気なら、限は応じるつもりだった。
『勘弁してくれ。サカまで失うわけにはいかないんだ』
また交信魔術から覚えのある声が聞こえてくる。
「あの学校、わけありの人間しかいないのかよ……」
限は辟易する。
『承知の上で来てるものとばかり思っていたけど、アーノ・カキュリの言動は全部“素”だったってことか?』
新手の偽神猫に乗った魔術士――ソータ・アナッタは飄々とそう言った。
限は悪びれない様子に毒気を抜かれてしまう。
張りつめていた空気が少しだけやわらいだ。
おそらく限とサカの戦意を削ぐために、意図的にそういう態度をとっているのだろう。
『ご想像にお任せする』
『ふふ……まあいい。話を戻すが、俺の目的は今回の責めを負う人間の回収だ。カギリと戦う事は含まれていない。見逃してくれるなら、大人しく去るよ』
『いいのか? 俺はアナ・ガーミンの仇だぞ?』
『俺はカギリを恨んでいないよ。アナは大切な戦友だが、軍人が戦場で命を落とすのは当たり前……魔術士なら皆、覚悟の上さ。遺体を取り返してくれたこと、感謝してる。それに俺は、お前みたいな奴が嫌いじゃない』
『ヨル、わたしは納得していない。勝手に話を進めないで』
ヨルというのが、ソータの本名なのだろう。
これで、見知った学友はほとんど素性を偽っていた事になる。
ノイシュとスティービーに対する感情は今も消化しきれていないが、関わりの薄いソータにも複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
『アナをちゃんと弔ってやる方が先だ。これ以上、皇国に付け入る隙を与えるわけにはいかない。それとも、家族を野晒しにしたまま殺し合うか?』
ソータ改め、ヨルの正論にサカは黙り込む。
『沈黙は同意ととらせてもらう。カギリはどうする?』
『――――わかった』
今し方、味方の魔動空母がこちらに近づいている事を、セレネが教えてくれた。
超高位魔術師同士、生身で殴り合っているところを目撃されたら、絶対に横槍が入るだろう。
心置きなく遺恨を晴らすには、日と場所を改めた方がいい。
『次に会った時に決着を付けよう、サカ』
『馴れ馴れしく呼ぶな、言われなくても、お前はわたしが殺す』
憎まれ口を聞いた限は、少しだけ頬を緩めた。死にかけていると思っていたが、案外元気そうだ。
このとき限とサカは、偶然にも同じ感情を相手に抱いていた。
それぞれ相手に恨みがあるのは確かだが、それと同じくらいに、全力で殺し合い、殺し切れなかった敵へ畏敬の念のような感情を持つに至ったのだ。
『ちなみにソータ……じゃなくてヨルは、もし俺が戦うと言ったら、どうするつもりだったんだ?』
『その時はサカにかわって破軍四星、有学位第三位のヨル・サンヨージャナが相手をしただろう』
『お前もか……それ、言っていいのか? 超高位魔術師の情報は秘匿されると聞いていたけど?』
『そうだな……アナの遺体を取り戻してくれた礼に、一つ教えよう。ユグランスが壊滅的な打撃を受け、俺たちを取り巻く環境は変わりつつあるんだよ。この騒動で利益を得たのは、帝国をまねて超高位魔術師を積極的に活用した国だ』
炎がちらつく平原を見渡しながら、ヨルは言葉を継ぐ。
『こんな戦果を見せつけられたら、嫌でも変わらざるをえないだろう。これから先、超高位魔術師はもっと前面に出ることになる……というのが大方の予想だ。だから今、多少自己紹介したところで、何も問題ない』
『……その予想、外れてくれることを祈ってるよ』
『さあ、どうだろうな? 言っておくが、変化の中心にいるのはお前だぞ、蒼い月光』
「糞くらえだ――ああ、本当に……」
無意識にもれた言葉に、感情がこみ上げてきた。
限は歯を食いしばりながら、燃え崩れる自由都市に目を向けた。
ダアトの魔法で隕石落下の破壊力をコントロールし、生ける屍の多くは排除されたが、全てではない。
瓦礫の山と化した街は、今だに死体が闊歩し、炎と煙がたなびいている。
(これで良かったのか、ギー、ダアト……俺は、何かできたか?)
胸中には、荒涼とした風が吹いている。
限がユグランスで守りたかったものは、何もかも無くなってしまった。
(ああ、望みは繋がったよ。ありがとう、アマノ・カギリ)
答えを期待していなかった問いに答えが返ってきて、限は目を見開く。
(アルベルト・コルレアーニ……逝くのか?)
(私は遅すぎたくらいだ。それより、あそこを見てみるといい)
言われるがまま、アルベルト・コルレアーニの魂の幻影が指さす方向にモニタを向ける。
炎が消えている夜の街道をズームすると、そこには街から逃げてきた人たちの列ができていた。
(独立都市国家の民は、全滅してもおかしくなかった。100万人が死に絶える未来を、君が変えたんだ)
(そうか。良かった……良かったよ)
(新しい時代が来る。未来の君が、他人の遺志ではなく、自分の意志で戦えるようになる事を、祈っているよ……)
アルベルト・コルレアーニの魂が離れていくのが、限にはわかった。
彼の向かう先が、天国なのか、地獄なのか、聞いてみたい気もしたが、やめた。
戦場に立ち続ければ、答えは自ずとわかるだろう。
『それじゃあなカギリ、また戦場で会おう。次は味方だといいが』
『わたしが殺すまで死ぬなよ、カギリ』
そう言い残して、破軍四星も去っていった。
みんな、去っていった。
少年はそっとコックピットの天井を見上げた。
失ったものを想って俯かないように。
過去にとらわれて立ち止まらないように。
込み上げてくる何かが零れ落ちないように。
ずっと上を見続けていた。
少ししてから、巨大な矢じりのような魔動空母ヘルメス・スピーラが、遠くの空に姿をあらわした。
その艦体には幾つもの亀裂が走り、砲塔のいくつかは壊れている。
まわりを飛ぶ直掩のグリモアに無傷のものは皆無。
彼らも厳しい戦いを乗り越えてきたのだろう。
皆がそれぞれの正義のために戦い、傷ついた災厄は、こうして終わった。
それは同時に、動乱の時代の到来を告げる、始まりの鐘の音でもあった。
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魔克歴415年は、魔術文明の転換点と呼ぶべき激動の年だった。
その年の第14月33日、ハーベスト・シーズン終了宣言とほぼ同時に、独立都市国家と統一グランベル帝国は、軍事同盟を締結した。
過去の友誼を水に流し、敵の手を取ろうとする自由都市と、迷走しながらも大陸の覇権を握ろうと画策する超大国に対して、各国の反応は様々。
かねてよりユグランスの動静を察知していたイーリス王国は、これを利用して南エテリア大陸の勢力の均衡を復元しつつ関係強化を図るために、情報戦を展開した。
他方、神聖ガルテニア皇国とクリノン共和国の反応は、静かに水面下で策略を巡らせる帝国、独立都市国家、王国とは対照的で、かつ直截的だった。
皇国と共和国は、呼応する形で武力による独立都市国家、ひいては帝国の排除を企図する。
それに加え、運悪く独立都市国家近辺への隕石の落着だ。
不幸が重なるにしても、あまりに出来過ぎだったため、隕石の落下はイーリス王国の超高位魔術師、蒼い月光により行使された魔術だ、などという実しやかな噂も流れたが、王国は公式に関与を否定している。
真実はどうあれ、自由都市ユグランスは甚大な被害を受け、魔克歴415年・第14月末に、世界地図から姿を消す事になる。
この自由帝国同盟から独立都市国家崩壊までの混乱を、後世の歴史家は『ユグランス事変』と名付けた。
事変の裏で暗躍した王国の目論見は、半分成功していた。
一国を生贄に差し出し、南エテリア大陸の総合力は低下したが、残った三国は過去にないほどの太い紐帯で結びついたのだ。
それはユグランス事変における三国の共犯関係を暗に示しており、ユグランス亡きあとの新たな世界情勢に、三国が同じ危機意識を持っていたからに他ならない。
ユグランスから逃れた難民を受け入れた三国は、災害復興支援の名目で、事実上独立都市国家の領土を分割統治しはじめる。
三国に反発したのが、独立都市国家政府の生き残りが結集して立ち上げた暫定政府だ。
暫定政府の盟主は、パルミロ・アルベルト・コルレアーニ。彼は生きていた。
なんら実行力のない暫定政府に対して列強三国は冷ややかだったが、事態は想像を超えて推移する。
主権と領土の回復を御旗に掲げる暫定政府を、統一グランベル帝国は政府として認め、自由帝国同盟を理由に、軍事介入を開始したのだ。
帝国軍の後押しを受ける独立都市国家暫定政府軍――実質、帝国軍のみだが――と、三国の対立は、北対南という構図を浮き彫りにしていき、魔克歴415年末から416年にかけて、大小の小競り合いが繰り返された。
戦いの最前線には、常に彼ら――超高位魔術師たちが立っていた。
これよりエテリア大陸の戦火は、兵器の進歩と魔術士の才幹もあいまり、急速に拡大していく事になる。
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魔克歴416年・第10月30日。
修理を終えた魔動空母クロノス・ミカニの前に整列する軍人たちは、礼服に身を包み敬礼している。その姿は凛々しくも勇ましい。
彼らが、イーリス王国軍史上初めて創られた特殊部隊――第零独立遊撃部隊のメンバーだ。
艦長兼部隊指揮官には、ノトス―中央海戦の経験者、歴戦の猛者であるアドニス・コイノス・ヌース少将が就任し、副官はゲート・ペイン大佐が務める。
零部隊――第零独立遊撃部隊の略称――は今日、修理を終えた母艦の進発式に臨んでいた。
つい一月前、皇国と帝国の間で戦端が開かれたばかりだ。
イーリス王国は表向き中立をうたっているが、零部隊は皇国の聖騎士団という体で加担する予定だった。クロノス・ミカニ本体にあったイーリス王国所属という事を示すペイントなどはすべて消されている。
世界は駆け足で戦争に向かっていた。
零部隊が向かう先は、皇国と帝国の国境線にして、帝国東部紛争地域だ。
そこには夢も希望もない。
魔術と死が交錯する最前線だ。
それにも関わらず、隊員の顔が明るいのは、零部隊が王国の期待を一身に背負う英雄を抱えた特殊部隊だからだ。
みなの視線の先には、仮面をかぶった少年がいる。
至尊の十冠、“戦場の霧”を打倒し、破軍四星と死迷の聖女を相手に引き分けた、イーリス王国軍2人目の超高位魔術師、蒼い月光その人だ。
アマノ・カギリ特務中尉の類稀な才能の輝きが、零部隊に誇りと勇気を与えていた。
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クロノス・ミカニ第一飛行甲板上。
直立するキュアレーヌス・セレネのコックピットで、限は疲労を紛らわすように、眉間を揉んだ。
「はぁ……この調子じゃあ先が思いやられる……」
晴天に恵まれた現実の空に反して、世界情勢とカギリの現状には暗雲が立ち込めている。
事実上、皇国と帝国は戦争状態に突入していた。
これから2ヶ月間、零部隊は皇国軍の支援任務に忙殺されることになる。
地球に帰るという初心は忘れていないが、状況がそれを許さない。
先ごろ行われた進発式と新部隊発足の顔合わせで拝んだ面々の顔を思い出すと、プレッシャーで胃がひっくり返りそうだった。
少年の双肩には死者の想いも大量にのっている。その重みはかなりのもの。
『遊撃隊に求められるのは機動力と打撃力。その要がカギリ様です。カギリ様の働きが、部隊の戦果に直結するでしょう』
「わかってるって……わかってるからため息の一つも付きたくなるんだろ」
『能力を正当に評価された結果です。喜ぶべき事と、私は考えます』
「全人類が重責に対してやりがいを見出せるわけじゃあないんだよセレネ」
ぼやいていると、交信魔術が入った。
『一二○○から訓練開始です。初のチームアップですが、準備は大丈夫ですか?』
「デルマ少尉、大丈夫です」
『敬語はやめてください。示しがつきませんから』
「ああ、了解」
限はユグランスの騒動を経て、望んでもいないのに昇進してしまった。
それに加えて、零部隊のグリモア隊隊長も任されている。
どんどん責任が増えていく。ペインの策略だろう。
魔術の勉強だけでなく、魔術戦のチームプレーも学ばなければいけなくなり、毎日悲鳴を上げていた。
『あとカギリ中尉、今日訓練後に一緒に食事しませんか?』
「さっき示しがどうとか言ってたけど……」
『上司と部下の円滑なコミュニケーションのために必要な事ですよ』
ここ数ヶ月、イリアスが一段とグイグイ来るようになった。
限は困り果てている。
男性であるイリアスを女性として意識しそうになる自分を、必死で押しとどめてきたのだが、この『男性である』という大前提が揺らいでいた。
ダアトに思わせぶりな事を言われたせいだ。
イリアスはイリアスで、女性的な仕草や振る舞いが目立つようになっていた。
無理に隠さなくなった、という方が正確だろう。
イリアスをただの友達と思えなくなりつつある事を、限は自覚していた。
これから先、自分の気持ちがどうなっていくのか、限自身にも予測できない。
地球に帰るという考えは持ち続けているが、果たさなければならない想いがあるのも事実だ。
ケジメは、つけなければいけない。
ダアトのように未来がわかれば、悩む事はないのかもしれないが、過ぎた力は身を亡ぼすとダアト自身が証明している。それは、そっくりそのまま、蒼い月光にも当てはまるだろう。
いずれは自分の順番も回ってくるのかもしれないと、限は思った。
「――イリアス、まずは今やる事をやってから、先の話をしよう」
『了解です、中尉』
「行くぞ、セレネ」
『はい、カギリ様』
そして今日もまた、天の限りに月が昇る。
――第二章 了――
――第一部 完――
こんにちは、はじめまして、喜由です。
第二章 了をもって、『天の限りに昇る月』は『第一部 完』となります。
本作を応援してくださった皆様には、感謝しかありません。
ブックマーク、評価、感想、レビューを頂いた方々には、感謝してもしきれません。
皆様の声がなければ、文字を書き続けることすらできなかったと思います。
初投稿のネット小説という事で、至らない点など多々あったと思いますが、「一度諦めかけた創作活動を再開するなら、自分の書きたいものを納得いくまで書く」というのを第一に、ここまでやれた事、それ自体が純粋に楽しかったです。楽しくない趣味なんてやってられません。
第二部については、書き貯めはゼロ(というか本作にもともと「書き貯め」などというものは存在しません)ですが、構想はしっかりあるので、またいつか、時期は未定ですが、再開できればしたいと思っています。
本作以外にも、なろうに投稿してみたいまったく別形式・別ジャンルの作品や、ラノベの賞に持ち込んでみたい作品、シナリオで参加させてもらった同人ゲーム『ルインズシーカー』の後日談を描く同人小説など、書きたい物はたくさんあります(でも時間はない)。
とにもかくにも、また何らかの形、何らかの媒体で物語を創っていきたいです。
最後に改めまして、『天の限りに昇る月』をここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
またいつかどこかでお会いできたら幸いです。