Episode:056 生と死の狭間
興奮した竜は、一番目立つキュアレーヌス・セレネに狙いを定めた。
群がってきた竜を相手に、限は大立ち回りを演じる。
蒼い騎士が形を変える光陣を足場にしながら輝く槍を振るう姿は、英雄譚の登場人物のようだ。
もちろん超高位魔術師同士の戦いも終わっていない。
キュアレーヌス・セレネの周りには、花のような起動陣が咲き乱れていた。
(綱渡りだ。一撃でもまともに貰えばわたしは落とされる――でも、やれる、やるんだ!)
偽神猫は、竜の間を縫うように空間を転移していき、キュアレーヌス・セレネの鉄壁の魔術障壁に魔術の空白をむりやり作りだして本体を狙った。
サカがドラゴンに期待していたのは戦闘力ではなく遮蔽物としての役割だ。
小刻みな奇襲は、キュアレーヌス・セレネの装甲と限の魔力を少しずつ、確実に削っていった。
『ダメージ50%超。アンリストレイントの維持、残り15分が限界です』
「相手も余裕はないはずだ。何とか保たせてくれ!」
キュアレーヌス・セレネも戦闘補助精霊もまだ戦えるが、リソースは有限だ。
限の消耗具合は、ノトス海の戦いに勝るとも劣らない。
大気圏突入から今までの無理が祟っていた。
『お姉ちゃん、わたしに勇気を!』
叫び声がしたかと思えば、キュアレーヌス・セレネを真下から偽神猫が急襲してきた。
反射的に放たれた槍が“イチライ”の起動陣に吸い込まれ、キュアレーヌス・セレネ自身にかえってくる。
戦闘補助精霊のサポートで魔術は急きょキャンセルされ、自爆する前にことなきを得るが、注意が逸れた隙にサカは消えていた。
左右から挟撃してきたドラゴンを力場の腕で振り払っていると、今度は目の前に“イチライ”の起動陣が生まれる。
すぐに巨大化した力場の掌で握りつぶそうとしたが、直観がブレーキをかけた。
(こんな見え見えの場所に? あからさますぎる)
奇襲効果の薄い眼前の起動陣は囮。注意を向けさせたあと別方向から攻撃がくる。
そう考えた限は、キュアレーヌス・セレネの前後左右上下に小さな光弾を作り出した。
サカの欺瞞攻撃を逆手に取り、反撃する。
満を持して掌で起動陣を握りつぶしてみせた。
かなりの魔力を込めた本気の一撃だ。
意識をすべて正面の起動陣に向けたと見せかけ、一拍置いてから全方位に光弾を3点バースト。竜ごとあたり一面を吹き飛ばす。
『しまっ――!』
交信魔術からサカの驚愕の声が響く。
斜め上方の起動陣からちょうど出てきたところだったグリモアに、キュアレーヌス・セレネの弾が命中。
派手に爆発した。
倒したと思った瞬間、
『警告、破片が共和国のグリモアと不一致』
セレネが魔術士に冷や水を浴びせる。
“イチライ”の起動陣から出てきたのはユグランス守備隊のケレブレムMk-3だった。
交信魔術の声も油断を誘うためのブラフ。
3重の罠だ。
『墜死しろッ!』
そのときすでにキュアレーヌス・セレネの背中付近に出現していた“イチライ”の起動陣から、刃が飛び出す。
『タダじゃあ――!』
死なないと言わんばかりに、精霊と勘を頼りに蒼い月光は槍を突き返した。
偽神猫の剣は、使い物にならなくなっていたキュアレーヌス・セレネの左腕を、今度こそ完全に切り飛ばす。
その刃はコックピットに達した。
座席の左側面に亀裂が走り、左モニタが消え、パーツと魔力が弾け飛ぶ。
『ぐぅっ……ま、まだ……まだだッ!』
限はひどい裂傷と火傷を負いながら、何とかキュアレーヌス・セレネを操り、サカから距離をとる。
『まだまだ……蒼い月光は、お姉ちゃんの仇は、わたしがとる……』
ここで限を殺しきれなかったのは、サカも大きなダメージを負っていたからだ。
苦し紛れのAMFの一撃は、偽神猫の右足に続き、左腕をもぎ取ることに成功していた。
機体よりもサカ本人の方が重症だ。彼女の魔力はかぎりなくゼロに近い。
団子にした髪がほどけて掛かるサカの顔には、死相に近い疲労の色が浮かんでいる。
そんな状態でも、サカの目に宿った復讐心はいささかも衰えていなかった。
一呼吸おいたあと、決着を付けるために、再び2機がぶつかり合おうとした時だった。
荘厳な風琴の旋律と壮麗な歌声が、2人の耳朶をうつ。
『――ご機嫌麗しゅう。星が降る今日は、死ぬには佳き日ですね』
現れたのは、7つの棺を背負った赤黒いグリモアだ。
炎のくすぶる大地を癒すようなしっとりとした音色は、あまりに場違いだった。
『死迷の聖女……そんなボロボロのグリモアで、何しに来たの?』
『貴女にだけは言われたくありませんよ、サカ=ダー・ガーミン。用があるのは、そちらの殿方と、貴女の姉君ですから』
音楽のような異相魔術は鳴りやまない。
『お前……まさかッ?!』
サカが何かに思い至り、声を荒立てる。
すると死迷の聖女のグリモアは掌を開いて見せた。
『死は終わりにあらず……乱造された強く儚い魂でも、それなりに使えるでしょう』
掌の中には、目を閉じて布をかけられているアナ・ガーミンが横たわっていた。
『お姉ちゃんッ!!』
刹那、サカは“イチライ”を起動していた。
偽神猫が赤黒いグリモアの背中に瞬間移動する。
そうなる事がわかっていたかのように、巨大な棺の蓋が一つ開き、その中からドラゴンブレスのような火柱が迸った。
姉と死迷の聖女しか見ていなかったサカは、火柱をもろにくらう。
ギリギリで魔術障壁を展開したが、障壁は紙のように貫かれた。
まるこげになった偽神猫が、キュアレーヌス・セレネの真横の地面に落ちてくる。
『がはっ……ぐッぁ……ヤダ、よ、お姉ちゃん……そっちに逝っちゃ、ヤダ……』
サカはまだ生きていたが、虫の息だ。もう魔術戦はできないだろう。
偽神猫を撃墜した深紅の巨人は、2本の長剣を背負い、両腕に炎を燃え上がらせていた。
そのグリモアに乗る魔術士は一言もしゃべらず、死迷の聖女の横に滞空している。
『ようやく2人っきりになれましたね。これで落ち着いて話ができます』
『その声……どうして……君が……』
限は操縦桿を強く、強く握りしめた。
『いずれ愛し合う2人に、これ以上の秘密は無粋でしょう。死迷の聖女と呼ぶ者も多いですが、改めてちゃんと自己紹介をしましょうか』
信じられない。
『神聖ガルテニア皇国、不滅の白夜団団長――ノイシュ・カシュルと申します』
信じたくない。
『末永くよしなに、アマノ・カギリ様』
『ガルテニアの死迷の聖女……ノイシュが? ユグランスを滅ぼそうとしただって?』
頬から伝う血の味を飲み下しながら、限は唇をわななかせる。
怒りのような、悲しみのような感情が、胃液と共にせりあがってきた。
『はい、私が皆さんを死なせました』
『どうしてだ! 俺にグリモアの扱い方を教えてくれた君は、そんなじゃあなかった! それにギーは、君を守って逝ったんだぞ……何故、平然としていられる?』
『ギーさんの事は、とても残念でした』
『ノイシュ……』
悼むような素振りから一転して、彼女は朗らかな声でこう続けた。
『少ない魔力で雑に作った疑似霊魂は、細かい命令ができないので、ときどきああいうアクシデントが起こります』
『……やめろ』
『体の大部分が壊れたら、私の異相魔術でも蘇生は難しい……あ、難しいだけで、できはするんですよ?』
『やめてくれ……』
『ただ、ちゃんとした思考力のある人間に肉体も含めて蘇らせるには、相応に魔力が必要でして……ギーさんにそこまでする価値はありませんでしたから』
『もういい……』
『アナ・ガーミンやカギリ様は別ですよ? 死んでもちゃんと生き返らせます。信じられないかもしれませんが、私、貴方様をお慕いしております。本気です。一目惚れなんです』
『もう、黙れッッ!!』
激怒した蒼い月光から5本の槍が飛ぶ。
槍は標的に刺さる前に、深紅のグリモアの激しい炎にかき消された。
『まず、訂正するが、2人っきりじゃねェからなノイシュ。あとこんな状況で告白するなんて、どうかしてるぜ? なァ、アマノ・カギリ』
はじめて口を開いた深紅のグリモアのパイロットは、限の予想したとおりの人物だった。
ノイシュを紹介してくれたのは彼だ。驚く事はなかった。
『どいてくれスティービー。先に逝ったみんながノイシュを待ってるんだ』
半ば独り言のように、限はそう言った。
死迷の聖女に殺された魂の声が、キュアレーヌス・セレネの周囲に重油のようにまとわりついていた。
『死人に引きずられているようじゃあ、先はないぜ?』
『お前らのせいだろ。ノイシュは殺しすぎる、生かしておけない。そこをどけ、三度は言わない、スティービー』
『どきたいのは山々だが……わりィができねェ相談だ。ノイシュを殺したかったら、まず俺を殺せ』
『そうか――――』
限は目を閉じ、大きく息を吸ってから、吐き出す。
あの眩しい日々を。
学び舎での時間を。
何もかも吐き出すように、肺を空っぽにした。
長い沈黙の後、呼吸を再開し、瞼を開けた限の瞳に光はなかった。
『じゃあ殺すよ、スティーブン・クイーン』
気持ちを押し殺し、淡々とそう口した。
『上等だぜアマノ・カギリィ! この糞ダセェ元帝国三剣の人生の蛇足に幕をひけるもんならひいてみろや!』
スティービーの乗ったグリモアが気炎を上げた。
限とスティービーが一触即発の視線をかわす。
男同士の間にすっと聖女が入り込んだ。
『その辺にしなさいクイーン。ここに来たのは、帰国する前に私の気持ちをカギリ様に伝えておきたかったからです。今はカギリ様も私も万全ではない。愛と死を語り合うのは、またの機会にしましょう』
『待て、帰すと思うのか? たとえ俺が死んでも、ノイシュはここで殺す』
『あぁ、もう、私を誘惑しないでくださいましカギリ様! 悶え殺すつもりですか?』
『……意味がわからない』
『同感だ、こんな奴に殺されてこき使われてる自分が哀れでなんねェよ』
『お黙りなさいクイーン。カギリ様、名残惜しいですが、やはり今は去ります。また、いずれお会いしましょう』
『待てと言ったはずだ!』
限は聖女とスティービーを追おうとしたが、まわりに散らばっていた竜の死骸が、突然起き上がった。
壊れたおもちゃの怪獣のようなドラゴンたちが、不格好な動きで行く手を阻む。
限はAMFを操り、嵐のような攻撃を見舞うが、死骸は完全に形を失うまでしつこくまとわりついてきた。
その間、死迷の聖女の背中は遠ざかっていく。
とっさに限は交信魔術を起動していた。
『サカ=ダー・ガーミン! 力を貸せ!』
『――――』
返答はない。
群がってくる竜の死体を蹴り飛ばしながら、かまわずに続ける。
『このままじゃあ、大事な家族が弄ばれる事になるんだぞ、いいのか!』
『――よく、ない……あの女、絶対に許せない……けどわたしは、お前のことも憎い……』
すすり泣くような声で、サカはそう言った。
限は竜を薙ぎ払いながらサカに問いかける。
『俺だってユグランスをめちゃくちゃにしたお前らを許せない。だけど今は、聖女を何とかする方が先決だろ? 俺たちならやれる!』
『その言葉を信じろと?』
『信じなくていい。俺に出来る事は、お前の姉をもう一度殺して、お前にちゃんと憎まれてやる事くらいだ。アナ・ガーミンの死と尊厳を取り戻す。それでいいなら』
『――――』
『蒼い月光を使え、サカ!』
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ノイシュは無言で退却しながら、悦びに打ち震えていた。
天野 限は、ノイシュの思っていた以上の男だった。
戦場に満ちる死者の声は、想いを遂げたい相手や、魂の繋がりがある者に届けられるのがせいぜいで、普通、縁もゆかりもない人間に聞き取れるものではない。
死と身近に接する機会が多いノイシュでさえ拾いきれないような小さな囁きにすら、蒼い月光は感応していた。
どこの誰とも知れない人間の愛別離苦や怨憎会苦を一身に受けとめる行為は、赤の他人に心を土足で踏み荒らされるようなもの。
死者の想いを受け止めきれれば魔力は強大になるだろうが、正気ではとてもいれない。
普通はすぐに彼我の境界線が曖昧になり、自分という人格を保つことも難しくなるだろう。
それが出来るアマノ・カギリが特殊なのだ。
死を想い続けられる稀有な感受性を持っている。
正真正銘の強く儚い魂をもつ者だ。
(ほしい……貴方がほしいです、アマノ・カギリ様。絶対に振り向かせてみせます。たとえ殺してでも)
純粋な恋心とは程遠いが、ノイシュの限に対する執着は強まる一方だった。
『おいッ、ノイシュ!』
恋慕の情に耽溺していた彼女をスティービーが激しい口調で呼びつける。
ほぼ同じタイミングでグリモアのセンサが警告を発した。
見上げた空に花のような起動陣が刻まれている。
その中から隻腕の蒼いグリモアが飛び出てきた。
『私を追ってきてくれたのですか、カギリ様!』
見当違いな事をいうノイシュを無視して限は唱えた。
『AMF、モード・アンリストレイント、フルバースト!』
『馬鹿女ッ、下がれ!』
スティービーのグリモアが両腕から火柱を照射。
直撃した蒼い月光は、しかし止まらない。
炎のレーザーをものともせずに、ノイシュに突貫した。
『殺す、絶対に、ノイシュ、お前だけは!』
『嗚呼、カギリ様、私も愛してさしあげます。たとえ死がふたりを分かつとも愛は永遠です!』
赤黒いグリモアの背負った棺が、2つ開く。
そこから新たに2機のグリモアが姿をあらわした。
死した高位魔術士の操るグリモアが、魔術障壁を展開する。
間髪入れずに原形魔術の腕と刃と槍が2機に群がり、障壁ごとすり潰す。
限は屠った2機を一顧だにしない。
標的は最初から一人に絞っている。
「迷わずに逝け!」
魔力切れ寸前の限は、全力で槍を振るった。
『だから、そうはさせられねェんだよッ!』
深紅のグリモアが限の渾身の一撃を炎の剣で受け止める。
本気の限と拮抗するスティービーの実力は本物だ。
『警告、アンリストレイント維持限界まで残り30秒』
セレネの声で限は冷静になる。
今の状態ではスティービーを突破できない。
『ならせめて――』
旧友とつばぜり合いながら、力場の腕たちを伸ばす。
腕たちはスティービーを無視して、ノイシュのグリモアに肉迫した。
ノイシュは変性魔術の雷を使い、腕の数本を打ち消したが、隕石落下のダメージが色濃いグリモアは不調を来しており、魔術が途切れる。
その隙に生き残った2本の腕が、ノイシュのもとに到達した。
ノイシュは機体を逃がしながら、胴体に魔術障壁を集中する。
コックピットの破壊は難しい。が、
『――返せ、それは俺の罪だ』
腕1本をコックピット周辺の障壁にぶつけて注意を引いている内に、もう1本の腕で赤黒いグリモアの肘から先をちぎり取った。
『そんな、カギリ様! 他の女に目移りなんかしないでください!』
『今は退くんだろうが! 行くぞ!』
スティービーのグリモアが、腕を失ったノイシュのグリモアを抱え、退却していく。
後を追えるだけの魔力は残っていなかった。
ゆっくりと着地した片腕の蒼騎士は、2人が去っていった東の空を見つめ続けていた。
『ノイシュ、スティービー……』
炎の中で、キュアレーヌス・セレネにわずかに残った魔力が静かに瞬いていた。
諦めたわけではない。
これは始まりだ。
『“地球に帰る前に、俺が2人をみんなのところへ送るよ。絶対だ。約束する”』
怨嗟の悲鳴と、悔恨の慟哭と、悲哀の妄念に耳を傾けながら限は、そう独り言ちた。
夜明けはまだ遠い。