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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第二章 自由に集う星々編
59/63

Episode:053 星降る夜


 槍で手足を時計台に縫い留められたダアトは、昆虫標本のように身動きがとれなかった。

 その身体は幽霊のように薄れ、しぼんでしまっていた。


『さんざん手こずらされましたが、ここまでですね』


 死迷の聖女の乗る赤黒いグリモアが片腕を振り上げると、死刑執行人のようにユグランス守備隊が各々の武器を振りかぶる。


 物質に直接干渉できないダアトの頼みの綱は“プロバーティオー・ディアボリカ”のみ。

 それもターゲットにできる魂が効果圏におらず、肉体を失った事で魔力の回復が見込めない現状では、どうしようもない。

 自分の死期を占った事はないが、おそらく今日がそうなのだろう。

 しかし今この瞬間であってはいけない。

 あと少しだけ時間を稼ぐ必要があった。

 そうすれば、ユグランスが生きる可能性は残る。


『……お前は自分が何者で、何をやろうとしているのか、本当にわかっているのか?』


 文字通り手も足も出ないダアトは言葉で戦う事を選ぶ。


『惑わそうとしても無駄です。私の信仰は揺るぎない』


 問答をするつもりのない聖女は、斬首するように素早く腕を振り下ろした。

 槍や剣や斧などの付与魔術が、悪魔の身体を貫き、斬り裂き、すり潰す。

 ボロ雑巾のようになったダアトの身体は、端から風化するように崩れ始めた。


『グッ――死迷の聖女はそうだろうが、“お前は”どうなんだ?』


 まだダアトは諦めていなかった。

 希望は潰えていない。

 悪魔が希望を信じるなんて世も末だ、と思いながら、ダアトはその一縷の望みに命をベットした。まさに世は末なのだ。


『私が聖女です』

『生まれた時からそうではないだろう? 人は生きていく上で様々な仮面ペルソナを使い分けるが、お前のそれは神によって被らされた仮面だ』


 悪魔の囁きは、人の心の弱さにつけ込む。

 この世の中に完璧なものなどない。人なら尚更だ。

 凶悪な異能を操る聖女といえど、心まで無敵というわけにはいかない。


『私は――』

『魂は肉体に縛られる。疑似霊魂といえど、もとになる魂に染み付いた言葉遣いや仕草のような癖は無視できない。その肉体にもともと宿っていた魂と疑似霊魂に乖離がありすぎると、拒絶反応がおきるからだ』


 記憶の矛盾、情緒不安定、一貫性のない言動、それらは注意深く観察しなければ自他共に気付かないほど小さな、“正しい偽りからの起床”で生き返った死者に現れる綻びだ。


『アラマズドの先触れ……死迷の聖女は、至尊インペリアル十冠・テン帝国三剣ザ・トリニティとの戦闘で摩耗した肉体と疑似霊魂を新調する必要があった。その身体と魂は、新しいドレスとして、神に捧げられたものだ』


『わた――しは――』


魔克歴まこくれき415年第13月2日に行われた第2次刈取り作戦で、お前はもう死んでいるんだぞ、オフィーリア・ミレイ』


 赤黒いグリモアが傾ぐ。


『わたしが、死――死は、わたし、私は、死、わた死が、わた、死は――』


 聖女は、壊れた機械のように意味のない言葉を繰り返しながらフリーズした。

 ダアトは槍で貫かれ裂けた口の端を器用に釣り上げ、憐憫の微笑を浮かべる。


『オリジナルの魂を多く残す事で、あたかも死者蘇生の奇跡のように振舞い、信者を納得させてきたのだろうが、自らの死を正確に伝えてやるだけで、魂が存在の矛盾を自覚して混乱するような体たらくだ。見るに堪えないが、その杜撰さのおかげで助かったぞ、アラマズド』


『だ、ま、れ、だまれダマレだまれ黙れっっ! 主を侮辱するな!』


 神を冒涜するセリフに反応して、かたまっていた死迷の聖女が再起動する。


『言われなくても、時間は十分稼いだ』


 ダアトは唯一自由になる瞳を夜空に動かした。


『今宵、月光と共に星は降る』





 //





 ユグランス近郊の平野部の上空で、アナ・ガーミンのシークレット・フォースは、腕を掲げて大きな起動陣をコントロールしている偽神猫を守るように浮遊していた。


 異相魔術“イチライ”は、異なる2つの空間を繋げる出入口を一対つくり出す。

 入口はサカのグリモアの周囲に自由に作成できるが、出口は“自らが訪れた事のある記憶に強く残っている場所”に限られ、記憶が薄れると使えなくなる不安定さがあった。

 グリモアの超高高度運用実験で死にかけた“空の彼方”、刈取り作戦の時に美しい朝日を拝んだ背の高いガオケレナの葉の上など、記憶に焼き付いている場所は一生使えると、サカ本人は豪語しているが、かなり怪しい。


 一度出入口を作ってしまえば双方から行き来できるが、2点間の距離、出入口の大きさ、使用時間に比例して消費魔力が増えるため、使用タイミングは慎重に考えなければならなかった。


「私たちの失態も含め、何もかも水に流す。悪いけど、やっぱりユグランスには滅んでもらわないと」


 アナは自分勝手なことを呟きながら、時折やってくる魔物を殺していく。

 サカの起動陣から出てくる魔物は群れのほんの一部に過ぎないが、死迷の聖女と共和国の破壊工作に苦しむ自由都市にとっては死活問題だろう。

 独立都市国家の命運は尽きた。

 そう思われた時だった。





 //





(ダアトの予測より少しはやいみたいだ。遅刻気味だから急いでアーノ)


 肉体から解き放たれた魂は、時空を超える事ができる。

 もう二度と聞きたくないと思っていた親しい人間の魂の声に、限は表情を歪めた。


(父さん、母さん、ノイシュ、スティービー、イリアス……あとついでにスルタンたち……この自由な世界で生きる不自由な魂たちを……助けてあげてほしい。君なら、それができる)


(違う……俺はただの人殺しだ。ギーたちを助けられたら、少しはマシになれると思っていたのに、どうして、いつも手遅れなんだ……)


(まだ間に合うよ)


(ギー・グリフィンを助けられなかった)


(もう、助けてくれたさ……僕は先にいくけど、アーノの顔は当分見たくないな)


(馬鹿野郎)


(じゃあね、親友――)





『時速4万キロメートル、外気温2千度を超えました。装甲が溶融しています』


 精霊からの警告が限を現実に引き戻した。

 眼前のモニタには、赤熱化した巨大な岩石が映り込む。

 キュアレーヌス・セレネは、機体と岩石をAMFで包み込み、盾にしながら高速で空に吸い込まれているところだった。


 アラートが鳴りやまない。

 機体各部が悲鳴を上げている。

 超高速で大気圏へ突入する機体前方の空気は急激に圧縮され、膨大な熱を発生させた。

 全力のAMF――アンリストレイントを使っても、機体は爆散寸前だ。


「まだだ、限界いっぱいまで行く!」


『すでに限界出力です。熱と衝撃を緩和しきれません。危険です』


「死んでも間に合わせるんだ……もう誰の声も聞きたくない。無事にたどり着ける可能性はゼロじゃあないんだろ?」


『試算では3%です』


「ノトス海の時よりも高い、贅沢だ。俺たちなら不可能じゃない」


『カギリ様がそう願うのならば』


「ああ……ユグランスを滅ぼそうとした奴らにどんな正義があったとしても、命には命で償ってもらう」





 //





(――命には命で償ってもらう――)


 強烈な魂の波動が、あまねく地上に降り注いだ。

 アナが上空を見回す。


「今のは……」

『なに……この嫌な感じ…』


 短い間だが、雨のように降ってきた怒りと悲しみを、妹は警戒していた。

 心臓を鷲掴みにするような感情の雨は、平野の空を圧迫し、見る者に窮屈さを感じさせた。

 窮屈な空には、サカの起動陣に負けない明るさの月が輝いている。



『まるで月が落ちてくるみたい……』



 サカがそう言った。


 直後、目の眩むような閃光が空をおおい、世界を染め上げた。


 閃光の正体は、太陽のような巨大な火球。


 それは空一面を燃え上がらせ、ものすごい速度で迫ってきた。


 火球が複数に分裂する。


 アナは全力で叫んだ。


「サカ――――ッッ!!!!」


 声は、凄まじい光と、世界をひっくり返ったような衝撃にかき消された。


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