Episode:XX5 僕の物語
これは、他の誰でもない、僕の物語だ。
英雄でも天才でもない、凡人の話には興味ないかもしれないけれど、我慢して少し聞いてほしい。
独立都市国家を愛し、アルベルト・コルレアーニを敬愛する優しい両親の下に生まれた僕は、それなりに裕福で、それなりに不自由な、ありふれた中流家庭で育った。
そんな人間が、魔法や魔術、グリモアや魔動空母といった、ありふれないもの、特別な何かに憧れるようになるのに、時間はかからなかった。
猛勉強して、南エテリア大陸の最高学府、魔術の殿堂、魔術士の登竜門と言われる、リベラル・アーツ・スクールに合格した僕を、両親は祝福してくれた。高い学費を工面してくれた2人には一生頭が上がらない。
この時、さすがに超高位魔術師になれるとまでは考えていなかったけど、これで一流の魔術士になるという夢の第一歩が踏み出せると、僕は期待に胸を膨らませていた。
その夢は、入学早々に行われた魔術士の適性診断で、木端微塵に打ち砕かれる。
僕にはグリモアを長く動かせるだけの魔力がなかった。
適性診断はぎりぎりクリアしたが、その結果は下の中。一流の魔術士には決してなれず、よくてグリモアの技術者止まりだ。
これは、スクールに入るまで、まともに魔力を測定しなかった自分の浅慮さと、両親の優しさが招いた結果だ。
父さんと母さんは、たぶん息子が一流の魔術士になれない事を知っていた。
良くも悪くも、2人は優しい人だったんだ。
その種が大輪の花を咲かせることはないとわかっていても、可能性を育んでほしいと願わずにはいられない。それが親心というものなんだろう。
「大人になったらすごい魔術士になるよ!」と何度も何度も無邪気に語り、誕生日に魔術学の参考書を欲しがるような息子の夢を、種のまま腐らせたくないと彼らは考えたんだ。
そんな両親の事を愛していたし、自分で言うのもなんだけど、僕は感情のコントロールが上手い人間だった。
やり場のない怒りはぶつける前に消化できたし、夢が潰えた喪失感は徐々に折り合いをつけていけた。
あまりにうまく切り替えられてしまったので、自分の夢に対する本気度を疑い、自己肯定感を失ったけど、推薦者のいない一般入試は倍率が100倍を超える特別クラスに受かったという事実を思い出し、すぐに自信を取り戻せた。
一流の魔術士にはなれないかもしれないけど、リベラル・アーツ・スクールで別の夢を見つけられるかもしれない。
ささやかだが大きな人生の転機を経て、学校生活を前向きにスタートしようと思っていた矢先に、スクールカースト上位の人間からいじめを受けはじめた。
「何で特別クラスに魔術オタクがいるんだ?」
引き金は些細な一言だった。
魔術の知識以外は、財力もコネも才能もない一般人にすぎない僕は、あっけなくクラスの最底辺に落ちてしまう。
(大丈夫、いつもみたいに、上手く気持ちに折り合いをつけて、乗り切れるさ……)
耐えて。
(大丈夫、乗り切れる……)
耐えて耐えて。
(大丈夫、大丈夫……)
耐えて耐えて耐えて。
(大丈夫……)
耐えて耐えて耐えて耐えて――――誕生日に両親からプレゼントされて、擦り切れるほど読んだ魔術学の参考書を燃やされたとき、僕の糸はプツリと切れた。
ひどく、疲れていた。
気が付けば、僕は図書館の屋根の上を歩いていた。
前後の記憶が抜けおちており、時間も曖昧だ。
朝靄のようなぼやけた空気の中をフラフラと歩く僕に、声がかかる。
「自分がいつ死ぬか、知りたくないか?」
声をかけてきたのは見るからに裕福そうな身なりの10歳前後の少年だった。
緋色に金糸の刺繡が施された豪奢な装束に身を包み、宝石がちりばめられた黄金の指輪と腕輪と首輪を付けている。
「……たぶん、もうすぐだよ」
「それはどうだろうな。こうして俺様の問いに答えたお前は、まだ余裕がある方だぞ。真に絶望した人間は、死ぬ前に会話の時間などつくらない。で、どうする? いつ死ぬか、知りたくないのか? 知りたいなら頷け」
見た目に反して、どんな偉人よりも尊大な態度で、こちらを見下してくるが、アーモンドのような瞳と八重歯が愛らしく、小さな子が精一杯背伸びをしているような憎めなさを漂わせていた。
「初対面で馴れ馴れしいな……なんなんだ君は、どこかに行ってくれ」
邪険にする僕を意に介さず、少年は食い下がってきた。
「どうせ死ぬんだろう? 冥途の土産にあらかじめ死期を聞いておいても損はないぞ。騙されたと思ってほれ、はい、うん、イエス、オーケー、なんでもいい、頷け。ほれほれ」
「なんて失礼な子供だ…………」
真面目に受け答えしている自分が馬鹿らしくなってきた。
彼の言葉に一理あるような気もしてくるから質が悪い。一流の詐欺師の悪質な押し売りにあっているような気分だ。
「わかった、わかったよ。好きにしろ」
とにかく少年の癇に障る口を閉じたかった。
落ち込むことばかりだ。
せめて自己憐憫に浸る時間くらいほしい。
「じゃあまず名前を教えろ。お前の名前を俺様はまだ知らないからな」
「厚かましいやつだな……ギー・グリフィンだよ」
すると、少年がニヤァと笑った。
「では一つ――詭弁は真理に、蓋然が必然となり、その逆もまた然り。須らく“無い”と証明できなければ、全てが“有る”のだ――」
「うわ……腕を広げて意味不明なこと言い始めた……」
「おいこら黙れ人間。格好つけて気持ちを高めているんだ」
「はぁ?」
「普通の魔術の詠唱は、自動魔術生成装置の負荷分散や威嚇などの側面があるが、魔法や異相魔術の場合は、自己の認識の影で世界を満たすために行う儀式だ。まあ省略もできるんだが、気持ちの問題だ。格好つけてなんぼなんだぞ?」
「魔法って君、何を言って――」
「いいから黙ってろ――選択、 参照、 答えは 1番、 俺様が、そう証明する」
そして少年が手を打ち合わせた。
「――どうやら今日ではないらしい。ざっと半年先を見てみたが、半年後お前は高確率で生きている」
「口から出まかせを言っているんじゃあないか? その時、僕はどうなってるんだ?」
「ギーは友を得る……そうか、お前が“月”に至る起点――ようやく見つけたぞ」
少年は勝手に何かに納得して盛り上がっていたが、僕には前半の方が気になった。
「僕に友達が? クラスメイトみんな、僕を無視するか、馬鹿にするばかりなのに?」
「1番はほぼ確実だ。その友はギーの味方……安っぽい言い方をすれば、救いになるかもな。俄然お前という人間に興味がわいてきたぞ、ギー・グリフィン」
「君みたいな得体の知れないやつから興味を持たれるのは、なんか嫌だな……」
「ダアトだ。さあこれで得体の知れる奴になったぞ? 俺様自ら名乗った凡人は、アルとギーの2人だけだ。光栄に思え」
「ダアト……変な名前」
「なんだとこいつ!」
少年が掴みかかってくる。
小柄な僕とダアトの背丈はそんなに変わらない。
ひっかき傷をつけ合うような子供の喧嘩をして、僕らは地面に転がる。
そのとき屋根に後頭部を少し強めに打ち付けた。
痛みに瞼を閉じて、再び開けると、そこは図書館の屋根の上ではなく、机の下だった。
昼休みの図書館でうたた寝をして、椅子から転がり落ちたらしい。
さっきまでの事は、全部夢だった。
まるで現実のように感じられたが、所詮夢は夢だ。
追い詰められた心が見せた妄想のようなものだ。
「僕に友達が、味方ができるって……? 教室で昼食を食べる事もできない僕に……? はは……なんて夢見てるんだよ……僕は……」
救われたいという願望が生んだ幻だ。
我知らず、頬に雫が伝った。
「いて!」
痛みが走った頬に触れる。
そこには猫に引っかかれたような傷跡が残っていた。
「夢じゃ……ないのか……?」
これが、僕と悪魔の出会いだった。
//
怪我人の絶叫。
争う者の怒号。
大切な人を呼ぶ悲鳴。
すべての人間が生きようともがき、苦しみ、助けを必要としていた。
自由都市ユグランスの平穏は遠い過去にしかない。
黒煙をあげてピラーが倒壊し、魔術灯が消えた夜闇を、燃え上がる建物が照らし出す。
少しでもはやく魔物の群れから遠ざかろうとする人々が無秩序に逃げようとしていた。
その行動は、頻発する爆発や火災、迫る魔物の群れと相まって、狂乱を加速させる。
大量の家財を持ち出そうとする人間が道を塞いで避難を遅らせ、些細な言い合いが血を見る喧嘩となり、火事場泥棒も横行している。警察も機能していなかった。
最悪の政府放送から始まった混乱と火災は燃え広がり続け、鎮火するには手遅れだった。
「糞ッ! どうなってんだ! なんなんだよ!」
怒声を放ったのはスティービーことスティーブン・クイーン。
暗く細い道を、僕とノイシュとスティービーは走る。
普段なら魔術灯が照らしてくれる夜道は暗い。
魔術インフラが止まりかけていた。
当初、自由都市で一番大きな通りから逃げようとしていたけど、僕たちはその近くまで行き、引き返してきたところだった。
道すがら通った街を見渡せる高台から、大通りにひしめく大勢の避難民と、それに向かって魔術を放つユグランス守備隊の姿が見えたからだ。
「どうして守備隊が俺らを攻撃するんだッ?! 頭イカレちまったのか! あの政府放送もだが、わけわかんねェぞ!」
人と瓦礫が飛散する光景は、僕らの顔から血の気を引かせた。
「たしか、学校裏の山林から北の街道に抜けられたはずだ。暗いし整備もされてない山道だけど、守備隊に見つからずに街から遠ざかるには、それしかない」
「その後どうするんだギー、アテはあるのか?」
「わからない……でもとにかく街から離れる事を優先した方がいいと思う」
「私はギーさんに賛成します。先ほどから聞こえる風琴と歌声も気になりますし……どこかガルテニアの音楽に似ているような……」
話し合う僕らの鼓膜を、重たい足音が揺らした。
曲がり角から、マナモーフ・ソードを両手に持ったケレブレムMk-3が、ぬっと現れる。
首を九十度曲げたまま、背中を丸めてよろよろ歩くグリモアの頭部センサが、こちらを捉えて、輝いた。
「スティービー、ノイシュ!」
「死は終わりにあらず」
「祈ってる場合かッ! 走れ馬鹿ッ!」
僕たちは駆けだした。
その後をケレブレムMk-3が追ってくる。
走る人間と歩くグリモア。
歩幅が違うため、彼我の距離はゆっくり縮まっていく。
街中で起こる狂乱は増す一方で、とどまるところを知らない。
突然、必死で走る僕らの頭上を、ものすごい光が満たした。
輝きを放つのは、都市近郊にある平野の上空に出現した、巨大な起動陣――魔術だ。
小さな太陽のような起動陣は、ユグランスを隈なく照らし出した。
人知をこえた出来事に対して、都市の人間は一時、声の出し方を忘れる。
人々の静寂を引き裂いて、怖気が走るような叫喚が轟いた。
「オイオイ……オイオイオイオイィッ!?」
空を見上げながら走っていたスティービーが叫んだ。
運動が苦手な僕とノイシュは息も絶え絶えになりながら上を見て、絶句する。
追ってくるケレブレムMk-3よりも恐ろしい光景が、空に広がっていた。
大量の魔物が、空の起動陣から湧き出てきた。
それを見た僕は、唐突に悟った。
(きっと今日が、そうなんだ)
僕は息苦しさも忘れて、悪魔とした会話を思い出す。
そのとき突然、ケレブレムMk-3が持っていた剣を放り投げてきた。
僕らは慌てて角を曲がるが、剣がぶつかった建物が壊れ、大小の破片が散乱する。
前を並走するスティービーとノイシュの上に破片が落ちてくる様子が、スローモーションで見えた。
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僕とダアトの不思議な交流は続いていた。
僕はいじめにあって落ち込むと、この図書館に来て、幽霊のような存在の嘘みたいな話を聞く。
いつしかその会話が、僕の密かな心の支えになっていた。
どんなに小さなことでも目的があれば少しだけ生きやすくなる。
ダアトは未来を占う力を持っていた。
少年が“プロバーティオー・ディアボリカ”と呼ぶ能力を、僕はすんなり受け入れた。もともとダアト自身がよくわからない存在だ。今更信じられない事が1つや2つ増えたところで、大して驚きもしない。
その力でダアトは僕を占い、未来の可能性を少しだけ話してくれた。逆に、ダアト自身の事はあまり話してくれなかった。起点が知りすぎると予期しない方向に未来が変わるかもしれないと言っていた。
どうやら僕は“月”という存在の運命を左右する起点の1つ、らしい。
「ギーは強く儚い魂を持たないが、どんな人間にも果たせない役割がある。棋雀でたとえるなら地竜のような目立たないが役に立つ駒だ。胸を張れ」
そう言われても、いまいちピンと来なかった。
あと、役に立つ駒なんて言われて喜ぶ人間は、あまりいないと思う。
「“プロバーティオー・ディアボリカ”による未来予測は、現時点でターゲットとなる魂に予測される66分間の事象の発生確率を羅列したものに過ぎず、その人物に絶対に起こるたった一つの未来が知れるわけではない」
ダアトはそんな風に言っていたが、占いが外れたことはなかった。
外れないのは、長年の人間観察で培った知識と経験と勘が、確率の中から選択する未来をより確かなものにしているからだとか何とか、よくわからない事を言っていた。
実際、ダアトと出会ってから半年経つと、僕には友達が出来た。
ノイシュ、スティービー、イリアス、そしてアーノ――彼らは、一癖も二癖もある生徒だったけど、みんな気持ちのいい人たちだった。
4人は僕を、対等な人間として扱ってくれた。
アーノのおかげでいじめは終息し、その事でアーノに引け目を感じる時期もあったけど、一騎討ちという汚名返上の機会を得て、ようやく払しょくできた。
やっと僕の学校生活は楽しくなってきたところだった。
そんなある日、図書館に訪れた僕の前にダアトは姿を現した。
“プロバーティオー・ディアボリカ”には、強く儚い魂を持つ者以外は自分の意思で入る事ができないけど、ダアトが招く分には自由だった。
「自分がいつ死ぬか、知りたくないか?」
神妙な様子でそう切り出す少年に、僕はただならぬ気配を感じた。
決して冗談で言っているわけではないとわかった。
「……近いの?」
「あくまで確率の一つだ。今年のハーベスト・シーズンの終わりに、ユグランスは魔物の大群に襲われる。その時、アルが最後まで己を貫き通したなら、俺様は自由都市を救うために、この力を使うだろう。そして、そうなればお前は死ぬ。俺様が殺す。ギーが命を落とす確率の高い未来を選ぶ。そうしなければ、ユグランスを救う目が消えるからだ」
「僕が死ねば街は救われるって? そんな馬鹿な」
「自由が滅ぶと出た1番は、ほぼ確実だ。やはりギーは重要なピースだった。その死により、滅びを回避する可能性が生まれる」
言っている意味はよくわからなかったが、自分が死ぬ必要があるという事だけは、何となくわかった。
ダアトの占いはほとんど外れない。
希望が見えてきた途端、絶望に真っ逆さま。
ようやく人生が軌道に乗り始めたと思ったら、すぐにまた台無しになるらしい。
気持ちのコントロールは上手いつもりだったが、さすがにショックは大きかった。
「……父さんと母さんは? ノイシュ、スティービー、イリアス、アーノは、大丈夫なんだよね?」
「たまたまだが、ギーが死ぬ未来は、その全員が生き残れる確率が、もっとも高くなる未来だ」
「……………………そっか……」
僕は無意識に図書館の天井のシミを数えながら、小さいころの事を思い出していた。
我知らず、考えが口から出てくる。
「僕は、特別な何かになりたかった……一流の魔術士、英雄、偉人、天才、そういった特別な何かに……だから頑張って、努力して、特別に近づけるかもしれないこの学校に入った。でも、現実は容赦なくてさ……すごい魔術士にはなれないし、いじめられるし、あげく死ぬだって? 僕の人生、踏んだり蹴ったりだよ」
「……」
「でも確かに、家族や友人を守るために命を捧げられたら、特別な何かになれるかもしれないよね……最期に一花咲かせて、有終の美を飾る。最高に格好いいと思う……」
「ギー……」
「なのに、僕ってやつは死ぬのが怖くてたまらないんだ……怖くて怖くて、震えも止まらない。いじめられてて辛かった時期も、結局、死ななかった。死ぬ勇気すらないんだ……ダアトの言うとおり僕は凡人だ……ようやく、諦めがついたよ……」
「ギー、俺様は、必要があれば、ためらいなくお前を殺す。自分の望みのために、他人の命を踏みにじれるから、俺様は悪魔なんだ。ギーも、パルミロのように、俺様を殺す権利がある。付与魔術が施された武器を使えば、今の俺様も退治もできるだろう。殺されたくなければ、精一杯抵抗しろ」
「馬鹿だな、そんな事、僕にできるわけないだろ」
「何故だ?」
「君を殺して、みんなを見捨ててまで、生き残ろうとは思えない……僕は勇気がないからさ、人から恨まれるのも、人を恨むのも怖いんだ」
「そうか…………一つ、訂正するぞ」
「なに?」
それからダアトが言ってくれた言葉を、僕は生涯、忘れないと思う。
//
明るい夜。
魔物の群れ。
降り注ぐ建物の破片。
ゆっくり進む時間の中で、僕は、ノイシュとスティービーの襟首に手を伸ばした。
今の僕なら間に合う。
運命を掴める。
本当に届いた。
僕は、2人を力いっぱい引き、後ろに投げ飛ばした。
反動で自分の身体は前に飛ぶ。
友人の身体と僕の身体が交差する瞬間、2人と目があった。
2人の目に映る僕は、どんな顔をしているだろうか。
恐怖で引き攣った顔? 悲哀で青ざめた顔?
「ギー・グリフィンは凡人ではない。未来のお前が、そう証明する」
わからないけど、間抜け面だけは、嫌だな。