Episode:052 来たれ、汝甘き死の時よ
『そう急くな。この騒動の主犯はお前だろ? 時間はある。魔物の死骸を操ってユグランスにけしかけた顛末を、したり顔で語ってくれたりしても良いんだぞ、あー……今は死迷の聖女と呼ばれているんだったか?』
『――死に迷う、死の間際、死へ至り、死よりも強く、死と向き合い』
ダアトの言葉に、赤黒いグリモアのパイロット――死迷の聖女は、聖歌で返した。
ダアトは心中で舌打ちする。
未来が意図しない方向に変わり始めていた。
想定したよりもはやく神聖ガルテニア皇国の超高位魔術師――死迷の聖女が到着し、戦闘に入ろうとしている事が、その証拠だ。
『死で終わり、死から始まり、死を想いなさい――』
“プロバーティオー・ディアボリカ”とダアトは、魔術障壁のような不可視の力場として存在している。
普通の人間にはダアトの姿が見えていないが、強く儚い魂を持つ者は例外だ。
死迷の聖女は、ダアトの方を真っ直ぐ睨みつけてきた。
聖歌に誘われるようにして、ユグランスの守備隊が集まりだす。
ケレブレムMk-3たちは、都市に侵入した敵である死迷の聖女を攻撃するどころか、守るように整列した。
そして彼らは一斉に、悪魔に襲いかかってくる。
『むごいことを……俺様も顔負けだ』
ユグランス守備隊は、すでに全滅しているのだ。
ダアトは死迷の聖女の力を知っていた。
彼らは聖女に殺され、操られている。
歌声が届くところにある死体に、擬似霊魂を挿入して、生ける屍を作り出す異相魔術――“正しい偽りからの起床”の力だ。
魂を持つ生き物は、死ねばもれなく聖女の駒と化すのだ。
擬似霊魂次第では、生前の技能や記憶を維持したまま、聖女の命令にだけ逆らえなくなる。
文字通り死ねば最後、聖女から与えられた目的を達成するか、聖女の魔力が尽きるまで、その魂に安息の時はおとずれない。
『ダアト、貴様の死は認めません。疾く灰燼に帰すがいい』
一方、聖女もダアトの力を知っている。
悪魔の囁きを受け入れていない――受け入れるわけがない、犬猿の仲だ――彼女は、運命再編のターゲットにできない。
それでも、聖女に繋がる誰かが悪魔の囁きを受け入れていれば、運命再編で間接的に聖女を操作できた。
だからこそ、死迷の聖女は単騎でユグランスにやってきたのだろう。
そもそも神聖ガルテニア皇国の独立都市国家襲撃には、国際的な大義名分が存在しない。
魔物の群れの出現は、神の身勝手な気まぐれだ。
『……お前の箱庭に手を伸ばしてきた女がそんなに嫌いか? 北と南に橋を架けるユグランスを破滅させようと思うほどに? 生に執着するあいつと、死に魅せられたお前……どちらも永く在り続ける事に疲れ、世を倦み、背中合わせの狂気に逃げただけだ。そういうのを、同族嫌悪というんだぞ?』
付与魔術の攻撃が、四方八方から返される。
“プロバーティオー・ディアボリカ”もダアトも、原形魔術に近い存在のため、付与魔術にはめっぽう弱い。
攻撃を受け続ければ、魔力を――魂を削られる。
やがて陥る魔力欠乏症は、ダアトにとって消滅を意味した。
『その囁きで人を弄んできた悪魔が、よくもまあほざきました。このクズめ』
『趣味でもないと、お前らのようになってしまうからな。俺様も自分を保つために創意工夫を凝らしているんだ。しかし“今回の入れ物”は口が悪いな』
ダアトは槍が降る空を飛び回りながら、舌戦を繰り広げる。
この言い合いも駆け引きの一つだ。
今は1秒でも多く、時間がほしかった。
『――何を、言っているのです?』
『半端に本人の自我を残すのは悪趣味だぞ。その点に関しては、オオガネの方が良心を残している。小指の先ほどだが』
その裏でダアトは慌ただしく運命再編を実行していた。
(ルイージ29番、カミッラ35番、ロレンツォ5番、アレッシア8番、レベッカとミアは2番……いやミアは32番、糞ッ、またズレた)
破滅から遠ざかる未来に軌道修正を試みるが、上手くいかない。
死迷の聖女が死者を使って、事象に干渉する起点となる魂を潰し回っているのだ。
“プロバーティオー・ディアボリカ”で干渉できる人間と、そうでない人間を見分けているわけではない。
見境なく住民を虐殺しているのだ。
殺された者は、また別の誰かを殺すために動き始める。
死者が増えれば増えるほど、ダアトは弱り、聖女の脅威は増していく。
『手段を選ばず、的確にこちらの弱点をついてくる。つくづく嫌な女だ』
乱戦の中、聖女と守備隊に追いかけ回されながら、より多くの未来から最善を選ぶために、ダアトは独立都市国家にいる人々の運命をくまなく走査していった。
垣間見た未来の一つに、ダアトは声を荒げる。
『やめろ、サカ=ダー・ガーミン! “プロバーティオー』
『この私を無視できるとお思いですか?』
ついにケレブレムMk-3のマナモーフ・ランスが悪魔を貫く。
間髪入れずに、何本もの槍が悪魔の身体に突き立てられた。
『グ――ッ、アラマズドの操り人形風情がッ!』
ダアトは、変容する未来の中で見た、ガーミン姉妹が高確率で実現させる凶行に、かつてないほどの焦りを覚えていた。
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キュアレーヌス・セレネは謎の起動陣に吸い込まれた。
ダアトからそうするように指示されたからだ。
未知の攻撃をあえて受けることは、かなり抵抗感があったが、悪魔から「これが最善」と言われれば、二の句は継げなかった。
「す、すごい……」
起動陣に吸い込まれた先で目にした光景は、信じがたいものだった。
なだらかな曲線を描く巨大なブルー。
周りには、宙に浮かぶ大小の岩石と、果てしない虚無と、無数の星々。
『完全代行操縦開始。障壁常時展開。コックピット内の圧力を自動調整。外気温-270度。重力と大気が消失。有害なエネルギー線の照射を検知。何らかの魔術攻撃でしょうか?』
セレネが何か言っているが、限の耳にはほとんど入っていなかった。
「宇宙だ……」
限は夢現のような声で呟いた。
「グリモアなら宇宙もいけるのか……」
無事でいられる大部分の理由は、戦闘補助精霊のおかげだろう。
精霊がグリモア周辺の環境を、パイロットが生存できるレベルに調整してくれているのだ。
別のグリモアだったら減圧症と酸欠でパニックになったまま気絶し、宇宙放射線を浴びながら絶命していた。
『うちゅう――とは何ですか?』
セレネの質問で限は我にかえった。
「あぁ……うん、そういえば、ソサイエじゃあまり知られてないんだったな」
科学が発達していないソサイエでは、宇宙に対する理解も未熟だ。
四世紀かけて魔術ばかり発達させてきたため、ソサイエの宇宙論は神学や哲学の領域にとどまっている。
セレネを生み出した天才ケイ・ルーデですら、宇宙の実態を知りはしない。
「いろいろ解釈があるけど、簡単に言えば、空を越えた先にある広大な空間のことだよ」
限も詳しいわけではない。
その知識は高校物理程度だ。
「星から遠ざかりも近づきもしない……ラグランジュポイントにしては月は遠いし、地表に近い……気がする。静止衛星軌道上と考えるべきか……」
本当に静止しているわけではなく、赤道上を東向きにソサイエの自転と同じ速度で飛行しているのだ。
セレネの端末にうろ覚えの円運動方程式を入力していき現在地点をわりだそうとするが、仮に置く数値が多すぎてはっきりしなかった。
『カギリ様は現生人類が知り得ない知識をお持ちなのですね。すごいです』
「魔術の方がすごいよ。魔術障壁をちゃんとコントロールできれば宇宙空間でも活動できるみたいだし、飛翔魔術があれば――」
そう言いながら慎重に飛翔魔術を起動して、ほんのちょっとだけ移動する。
思った以上に自由に動けそうだ。魔力の消費量も地上より少ない。
空気抵抗がない分、よりスムーズだ。
「――いけそうだ。本当に魔術は何でもありだな。ソサイエの文明が宇宙開発を考えられる段階まで進めば、科学史はすぐ追い抜かれそうだ……今はそれどころじゃあないけど」
未来に希望が持てるのは良い事だが、その前に現在を何とかしなければ、未来は拝めそうにない。
限は気を引き締めるために、両手で頬を挟むように叩く。
「……ここまで飛ばされた魔術、異相魔術かな?」
『十中八九そうでしょう。敵シークレット・フォースか、その仲間が、超高位魔術師と考えられます』
「もしかしたら、ここが一番安全な場所かもな。ダアトに指示された時間まであと何分?」
『8分40秒です』
「オーケー。あとは、AMFが大気圏再突入にたえられるか、だ……」
周りに浮かぶ岩石を見まわしながら、起動陣に吸い込まれる直前に、ダアトから受けた指示を胸中で反芻する。
もしダアトに二心があり、戯れのように嘘をつかれていたら、ユグランスもカギリも危うい。
ノトス海の戦いの時もそうだが、一事が万事、リスクと隣り合わせだ。
何の準備もなくいきなり宇宙に放り出されるとは思っていなかっただけに、改めてそのリスクが骨身に染みる。
踏みしめる大地がない、底無し沼に似た宙は、恐怖をあおりたててきた。
深淵を覗き込むと、どこまでも落ちて行けそうな気がした。
その闇には、自分自身が映り込む。
死にたいと思ったり、生きたいと足掻いたり、イリアスたちのために戦うと言ったり、元の世界に帰りたいと考えたり、限の心は現状同様、地に足がついていない。
地球に帰るという最初に掲げた目標を漠然と追い続けているが、宇宙くんだりまで来て、自分の本当の望みが何なのか、自分でもわからなくなりはじめている事を再確認する。
死を恐れながら、誰かのために死ねたら救われるような気がしていた。
(俺には、他人より優先したい自分が……信念がない)
罪を犯した自分に、それだけの価値を見出せないのだ。
その時々で、誰かが望む人物像を演じている節があった。
(だから、揺らがない信念を持って、何かを望める魂たちが、羨ましいと思う……)
肉体的に殺されたダアトは、それでもユグランスのために残された魂を使うと言った。
全身を失っても、全霊を捧げると、悪魔が魂から言い放ったのだ。
アルベルト・コルレアーニが出した答えと、その生涯に対して、ダアトが言った事と、浮かべた表情に嘘はないと、限は信じたかった。
英雄と悪魔の友情は、褒められるものでも、讃えられるものでもない。
それでも、2人が積み上げたものは、罪ばかりではないと、
「信じるぞ、ダアト」