Episode:051 いまここに星は集う
『させない――――ッ!』
突然叫び声が聞こえ、巨大な花弁に似た起動陣が、蒼い月光と思われるアエルルスの近くにあらわれた。
起動陣には、墨汁のような黒色と小さな無数の光点が内包されていた。
それは大量の水を吸い込む蛇口のように、何もかも吸い込みはじめる。
強風が発生し、倒れた街路樹やはがれた舗装や土砂が、次々に起動陣に飲み込まれていく。
一番近くにいたアエルルスが引力に捕まる。
『カギリ!』
退避していたもう1機のアエルルスのパイロットが叫んだ。
平面の起動陣がグリモアを頭から飲み込んでいく光景は、まるで現実味がない。
ついに蒼い月光の姿が見えなくなると、起動陣が忽然と姿を消した。
続けて、アナのシークレット・フォースの近くに、新たな起動陣が出現する。
今度の起動陣は何も吸い込まなかった。
逆に中から薄黄色と白を基調にしたグリモアが身を乗り出してくる。
起動陣から立体物が出てくる様子はカリカチュアのようだ。
現れたのは9メートル程度の巨人だった。
腰、腕、背中に取り付けられた蓮の花弁のようなパーツに覆われ、獣の耳に見えるセンサ部と、節足動物に似た長い尾部のパーツが目を引く。
グリモアの肩にはアラベスク文様のような紋章が刻まれており、その機体がクリノン共和国の所属という事を顕示している。
【偽神猫】と呼ばれる量産機をカスタマイズした、サカ=ダー・ガーミンのグリモアだ。
「あなた、何してるのよ?!」
命令違反、作戦無視、機密漏洩、その他多数の危険を犯して、サカはこの場所に共和国のグリモアで来ていた。
『わたしたちが死にかけた“空の彼方”に月を飛ばした……あの魔力お化けも、あそこで無傷とはいかないでしょ。これで安心だよ、アナ姉……無事でよかった、本当に――』
「助かったけど、秘密作戦が台無しよ。なに、あんた泣いてるの?」
『泣いてない! それより、逃げたやつを追った方がいいよね?』
「待って、いま考える」
サカの暴走にアナは助けられたが、作戦そのものは絶体絶命だ。
学校周辺には、諜報機関やその関係者の目がごまんとある。
偽神猫が見られていないとは、考えづらかった。
シークレット・フォースを使い自由都市の混乱を煽り、ユグランスとグランベルの同盟関係を白紙に戻し、南エテリア大陸の和を乱し始めた国の力を削ぐ事が、本作戦の目的だ。
破軍四星を救い、蒼い月光を消した軍功は小さくないが、クリノン共和国の主義は、とにもかくにもサカのような独断専行を嫌う。
それがたとえファインプレーだったとしても、党が下した決定と作戦をないがしろにし、全体主義の枠から外れれば、制裁の対象になるのだ。
いま逃げているアエルルスを破壊しても状況はさして好転しないだろう。
「追いかけっこするだけ時間の無駄よ。これ以上混乱する前に、作戦を前倒してやりましょう。偽神猫まで使ったんだから、覚悟はできているんでしょうね、サカ?」
『さすがに、もうできてるよ』
「言っておくけど、自分が死ぬ覚悟じゃないわよ? みんなから恨まれる覚悟よ?」
『わかってる。知らない誰かよりも、家族の方が大事だから』
「馬鹿ね……私もよ」
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『戯れに助言したが……やはり1番を選ぶか、サカ=ダー・ガーミン』
図書館上空でダアトは独り言ちた。
“プロバーティオー・ディアボリカ”は、1回ごとにターゲットとなる魂を指定し、現時点から約666,666時間(約40年)の範囲で選んだ66分の間に、その魂が体験する可能性のある事象を、確率の高いものから順に、41パターンにわけて使用者に示す。
ダアトは41パターンの事象の発生確率に干渉する事ができた。
確実に起こる事象の確率を下げ、ほとんど可能性のない未来を手繰り寄せるのだ。
それが“プロバーティオー・ディアボリカ”の一つ目の奥の手――“運命再編”だ。
ターゲットとなる魂が関わる他の魂の未来にも間接的ながら干渉でき、先ほど高確率で死ぬことになっていたイリアスを、限に使った“プロバーティオー・ディアボリカ”で見た33番目の未来――『絶体絶命の瞬間に限が間に合い、アナの攻撃を防ぐ』という未来の確率を上げて救った。イリアスが生きている方が独立都市国家のためになるとダアトが判断したのだ。
この異相魔術――ダアトの場合、身一つで起こしているので魔法に分類される――は、あらゆる防御をすり抜け、攻撃を事前に感知することもできない。
せいぜいダアトの声を聞いて、確率を操作された前後で違和感を覚える程度だ。
一見反則のような力だが、制約も多い。
まずターゲットは、ダアトがフルネームを知っている者に限られ、ダアトの周囲666平方メートル内に居て、その上“プロバーティオー・ディアボリカ”による干渉を、ターゲット自身が一度受け入れる必要があった。
また、同じターゲットの運命再編には66分のインターバルをあけなければならず、同時に干渉できる人数は6人までだ。
更に言うと、特定人物の66分にしか作用しないため、それが望み通りの結末につながるかは、やってみるまでわからない。
どうして666,666時間の範囲で66分ごとにしか知れないのか、どういうわけで41パターンなのか、なぜ諸々の面倒な条件がついて回るのか、ダアト自身にもよくわかっていない。
もしかしたらダアトの捻くれた性格が魔法に現れた結果かもしれなかった。
『あとはカギリが指示に従ってくれれば、ユグランスが救われる目がでてくる。次だ―――ランベルト19番、ブリジッタは40番、ジルド……7番だな、お前は24番だバルトロ、ギーは20番、カローラは1番のままでいいだろう――』
異相魔術の中で、力場の椅子に腰掛けて、足を組みながら、悪魔は都市内の住民の運命を操っていく。
これまでダアトは、夢や幻にみせかけて、多くの人間たちに問いかけてきた。
『未来を知りたいか? 答えがほしくないか? 望みはなんだ?』
その囁きに応じた人間を通じて、独立都市国家を生かすために次々と事象に干渉していく。
ダアトはリベラル・アーツ・スクールに通っていた時期もあるため、ターゲットの選択肢は多い。
有効射程に収まりさえすれば、ターゲットを起点にして、多くの事象に干渉できた。
ダアトの干渉によって命を落とす人間もいるが、それによって救われる者もいる。
彼は悪魔で、正義の味方ではない。
殺す必要があるものはためらいなく殺す。
『恨む相手ならここに適役が居る。自由のためだ、心置きなく俺様を呪って死ぬといい』
アフタヌーンティーに使う茶葉を選ぶような感覚で、ダアトは他人の生死をふるいにかけていった。
その時、鋭利なナイフでめった刺しにするような意思が、異相を揺らした。
『貴様のもたらす死は合理的すぎて、喜びに欠けます』
敵意、害意、悪意、殺意――あらゆる負の念が込められた意思が、荘厳な風琴の音に伴われ、自由都市の空に充溢する。
ダアトは立ち上がり、空の一点を見つめた。
視線の先には、夜に紛れる様に赤黒い異形が浮かびあがっていた。
それはまるで、空に刻まれた傷跡のようだ。
『お前にだけは言われたくないぞ……』
7つの棺桶を背負い浮揚するグリモアを認め、ダアトは苦笑を浮かべた。
『予定よりも早いな。さて、どうするか……時間潰しに忌敵同士、再会でも祝おうか? 全存在をかけて魂を削り合うのは、それからでも遅くないぞ?』
ダアトは余裕たっぷりに嘯きながら、忌々しさを隠すために、かなり努力していた。
『衷心よりお断りします。貴様と祝うような出来事は、この世界に一つとして存在しません』
どうやら気が合うようだ。