Episode:050 悪魔の証明
「これで少しは状況がよくなればいいけど」
『ようやく互角といったところだ』
低く高く太く細く、大人にも子供にも男にも女にも聞こえる声が、頭蓋の中で反響する。
『ちなみに俺様は肉体がないから、物理的には無力だ』
「は?」
『直接身体を張るのはカギリの仕事だ』
「はぁっ?!」
『おっと、少し待て――――15分22秒後に、カギリの恋人が死ぬな』
「いや、恋人なんていないんだけど……」
自分で言っておきながら悲しくなってきた。
せっかく異世界の学校に通っていたのに、軍の仕事と勉強ばかりやっていた。
学生としては正しい姿だが、学校生活に悔いがないと言えば、嘘になるだろう。
『イリアス・ト・テロス・デルマイユだ』
「イリアス……って、イリアス・デルマのことか?!」
『彼女が死ぬと――』
「彼女??」
『――なるほど、激怒した月と星の戦闘で都市が半壊するのか。お前も難儀な奴だな』
「待て、落ち着け、時間を、時間をください、いろいろ、追いつかない」
落ち着く必要があるのは限の方だ。
しきりに鼻の頭をかきながら、「落ち着け落ち着け」と呟いているが、目の焦点はあっていない。
過程を飛ばして結果を示す悪魔の言葉は、人知を超える。
“プロバーティオー・ディアボリカ”の力の一端を、限は味わっていた。
『説明してる暇はない。すぐグリモアに戻れ』
「ともかくイリアスが危ないんだよな?」
『そうだ。大切だと思うならすぐ動け』
「わけがわからないけどわかった!」
駆けていく少年の後ろ姿を、ダアトは目を細めながら見送った。
別の誰かのために必死になるような感情は、魔物にはない。
ないからこそ、眩しく見える。
きっと、必死になれるものがあるという事は、幸せな事なのだろう。
『飛翔魔術と、言うんだったか?』
ダアトが両腕を広げると、その巨体がふわりと宙に浮いた。
ダアトは図書館の屋根を擦りぬけて外に出た。
夕陽が消えかけた宵闇に、翼を広げた悪魔の陰影が浮かび上がる。
上から見下ろすユグランスには、狂騒が蔓延っていた。
各所でピラーが破壊され、暗い空を照らす魔術灯が消えかけている。
風にたなびく黒々とした煙に煽られるようにして人々は逃げ惑う。
図書館から走り出る限を横目で確認ながら、悪魔はニヤリと笑った。
『始めよう――詭弁は真理に、蓋然が必然となり、その逆もまた然り。須らく“無い”と証明できなければ、全てが“有る”のだ』
詠唱しながら、悪魔は広げていた両の手を強く打ち合わせた。
『選択、 棄却、 答えは 33番』
異相が自由都市をくまなく包み込んでいく。
『俺様が、そう証明する』
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アナ・ガーミンは、慣れない帝国製グリモアのコックピットに収まっていた。
パイロットの背面以外を惑星の環のように取り囲む36個の魔術入力鍵、2つの操縦桿、3つのペダルは、通常のシークレット・フォースと同じだ。
一点、シートの背もたれに取り付けられたポールのような機材が異なっている。
そのポールからは、爪のような突起部が24本、肋骨のように伸び、アナの背中に接続されていた。
それが共和国第一魔術開発局が作りだした“脊髄虫”と呼ばれる魔術デバイスだった。
想像力と魔力を使って動かすグリモアの操縦はムラが生じやすい。
戦闘中、極限状況下で、完璧に操縦しきるのは難しく、しかもかなりの集中力と労力が必要になる。
そのムラと手間を、“脊髄虫”は取り払ってくれる。
脳から脊髄を介して全身に送られる電気的な信号と、魂の情報を読み取り、機体にフィードバックすることで、四肢や魔術のコントロールを補完するのだ。
脊髄虫の装着手術さえ乗り切れば、誰でも即席で一流の魔術士になれた。
手術の成功率はおおよそ25%。
失敗すれば良くて半身不随、悪くて命を落とす。
一流になるための代価を、高いと考えるか、安いと考えるかは、人次第だろう。
アナとサカは25%の壁を越えた人間だ。
政府に買い取られた貧しい家庭の子供たちは、例外なく脊髄虫の手術を受けている。
そこに本人の意思は介在しない。
(自分たちだけが正しいなんて思い上がりよ……私たちにも戦う理由はある!)
共和国は全体主義を完全なものにするため、裏切らない優秀な兵士を大量に作り出そうとしたのだ。
そのために真っ先に倫理感と道徳心が捨られた。
厳しく統制された社会主義国家で、ヒューマニズムは封殺される。
そうやって共和国は、あらゆる魔術の可能性を追求した。
何年もトライアンドエラーが繰り返され、星の数ほど失敗が重ねられたが、際限なく試行回数を増やしていけば、成功の数も増えていく。
欺瞞と犠牲の果てに、成功が積み上げられていった。
一度取り付けられた脊髄虫は、定期的にメンテナンスを行わなければ体に害を及ぼすため、反乱や不服従も抑制される。
アナたちは、そうやって運良く成功した上に魔術士としての才能も開花させた、一握の中の一握だ。
上手く製造できた人工天体の中でも、ひときわ強い輝きを放つ一等星。
それが、破軍四星の正体だった。
アナは変性魔術を高速で入力しながら、アエルルスに切りかかった。
同時に、敵のスペック、魔術の癖、得意不得意などを、つぶさに観察し、記憶していく。
アナの記憶力と分析力は、ありきたりな魔術戦でこそ力を発揮する。
四肢の動きには淀みがないし、魔術の空白もほとんど見受けられない。
場慣れもしている。
いずれは一流の魔術士になると感じさせるダイヤモンドの原石だが、残念ながら運がなかった。
イーリス王国の魔術士が操るグリモアは、基本に忠実すぎた。
火球を放つ魔術――紅玉と名付けられた火属性の変性魔術――には原形魔術をぶつけ、付与魔術には付与魔術で返す。
「優秀だけど、それだけね」
シークレット・フォースが再び紅玉を唱える。
切りかかったてきた直後、避けづらいタイミングを狙った。
予想通り、アエルルスは再度、魔術障壁を展開する。
その力場に亀裂が走る。
『あっ――』
イーリスの魔術士の間抜けな声が聞こえてきた時には、命運は決している。
紅玉が消え、あらわになった魔術障壁には、マナモーフ・ナイフが突き立っていた。
アナは火球を放ったあと、僅かな間を置いて、短剣を原形魔術で投擲していたのだ。
魔力を一点に集中する魔術兵装は、やわな魔術障壁を簡単に貫通する。
火球はただの目くらましだ。
気付いた時にはもう遅い。
少しの判断ミスや経験の差が、魔術戦をあっという間に決着させる。
魔術障壁を貫いた短剣が、コックピットに突き刺さり、パイロットは絶命する。
『Optio, rejectio, solut XXXIII, Probatio diabolica』
その時、頭の中に届いた声に、アナは総毛立った。
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イリアスは、自分の運の無さを痛感していた。
「毎回毎回格上ばかり……嫌になる!」
敵のシークレット・フォースには当然のように魔術の空白が存在せず、駆け引きも上手い。
(守ったら一瞬で落とされる。攻めないと!)
ノトス海の戦いを経て、イリアスは成長していた。
格上の相手にひるむ事はない。
紅玉の対処も適切だった。
しかし、適切なだけでは超高位魔術師に及ばないと、イリアスは知る由もない。
そもそも相手が超高位魔術師だという認識すらなかったのだ。
強い対戦相手を引き当てる運の無さは本人も自覚するところだが、その不幸体質は筋金入りだった。
戦いながら、短時間で、能力を底まで把握されるなんて、思いもしない。
これ以上ないというくらい効果的なタイミングで搦め手を使われたら、ひとたまりもなかった。
「あっ――」
魔術障壁に突き刺さったマナモーフ・ナイフを視認したときには、死は目の前にあった。
こんなに呆気ないものかと、馬鹿馬鹿しさすら覚えた。
終わり方が唐突すぎて、走馬灯も見れなかった。
金属をこすり合わせるような音と光の明滅が消えれば、自分の意識はこの世から消える。
しかし不思議な事に、数秒たっても痛みはやって来なかった。
相変わらず息ができている自分自身に、イリアスは驚く。
瞼を開くと、薄緑色のグリモアの背中が見えた。
アエルルスだ。
普通のアエルルスよりも一回り大きいその機体に誰が乗っているのか、誰何するまでもなかった。
『間に合って良かった。イリアスを助けるのは、これで2度目だ』
交信魔術から彼の声が聞こえてくると、イリアスの顔に安堵が溢れる。
これほど大きな安らぎを感じた事はなかった。
イリアスの頬には薄紅が差し、痛いくらい心臓が高鳴っていた。
感情が制御しきれず、少しでも気を抜けば涙がこぼれそうだった。
そして、頭の中にあったラベルのない気持ちが、ストンと胸に落ちてくる。
本当は、とっくの昔に落ちていたのだ。
思いかえしてみれば、自分の振る舞いはとてもわかりやすかった。
もう認めるしかない。
『ようやく借りを全部返せた気がする』
たぶん、この気持ちが、恋と呼ぶべきものなのだろう。
//
アナは頭の中に響いた声に聞き覚えがあった。
4年前、ガオケレナ大森林の刈取り作戦に参加した時のことだ。
王国、共和国、そして独立都市国家の各軍が魔物の駆除を行っている最中、当時破軍四星になったばかりだったアナは、後方で万が一の時に備えてグリモアに乗り、待機していた。
作戦の終盤、独立都市国家軍は、指揮官の些細な判断ミスにより、大量の戦死者を出してしまう。
追い詰められた独立都市国家軍に、王国と共和国は“できるだけ”速やかに救援を送る約束をしたが、“運悪く”間に合いそうになかった。
独立都市国家軍は壊滅する。
そう思われた矢先、満身創痍の軍隊の前に、巨大な魔物が、忽然と姿を表したのだ。
悪魔に似たその魔物は、何故か一番近くにいた独立都市国家軍を無視して、他の魔物を殺し回った。
悪魔の不条理な力で、魔物の群れは殲滅され、独立都市国家軍はなんとか全滅を免れたのだ。
悪魔が大暴れしているときに響き渡った怖気の走るような声は、記憶力のいいアナには忘れようがない。
その悪魔がユグランスの昏き書庫の悪魔なのではないかと、他の列強国は推測し、様々な形で探り合いが行われたが、悪魔が何の痕跡も残さずに消えてしまったため、真実は闇の中に消えた。
「あの耳障りな声、この違和感……今、確実に何かされた」
必殺の攻撃に横やりを入れたのは、新手のアエルルスだった。
そのアエルルスは明らかにおかしい。
突っ込んできた時の飛翔魔術の速度、機体のサイズから考えると、普通ではない。
(違和感の元は、このグリモアなの? 一度退くべき……いや、すでに何らかの魔術の影響下にあるとしたら、早く手を打たないと、サカに危険が及ぶかもしれない!)
アナは違和感の正体をはっきりさせるために、戦闘の続行を決めた。
逃げるのは相手の手の内を知ってからでも遅くないはずだ。
そう考えて、小手調べに変性魔術の雷――奏雷を発動する。
普通に使っても範囲が広い金属性の魔術を、シークレット・フォースの魔力抽出機関の限界に近い出力で使い、更に広くする。
派手な光と音を伴う雷は、ただの目くらましだ。
アナは、即座に敵との間合いをつめながら、落ちていたマナモーフ・ナイフを回収しつつ、魔術障壁を展開した。
魔術士は視界不良になったらまず魔術センサを使う。
よしんば使わないまでも、僅かな時間、意識や視線がセンサに向かうはずだ。
その時、敵機が魔術センサ上から消えていれば、次にどうするかの選択を魔術士は迫られ、余裕を失っていく。
わずかな逡巡が勝敗を分つ。
棒立ちになっている変なアエルルスにシークレット・フォースは短剣を突きこんだ。
「貫けない?!」
暗殺者の一刺しは、魔術障壁で防がれた。
(切り替えて、次――)
アナは動揺を1秒で消したが、1秒の間に触手のような腕が魔術障壁から無数に生えてきて、マナモーフ・ナイフを側面から叩き折った。
目まぐるしく戦況は変わっていく。
短剣の次に、シークレット・フォースに腕の群れが殺到する。
シークレット・フォースは慌てて飛び退いたが、まだ安全圏ではない。
接近した事が裏目に出た。
魔術障壁がうねり、広がる。
アナは腕の攻撃を回避しながら、敵の魔術をつぶさに観察していく。
その魔術には見覚えがあった。
(違う、こいつは違和感じゃない……このアエルルス、失敗した、最悪っ!)
アナは自分の思い違いに歯噛みする。
投網のように広がりシークレット・フォースを取り囲む力場の腕たち。
リアルタイムに可変していく攻防を兼ねた魔術障壁。
ガオケレナ大森林で目にした驚異的なグリモアの戦い方に酷似していた。
(こんなやつ、一人しか心当たりがないわよ!)
彼我の距離を一定に保ち、鉄壁の魔術障壁に守られながら、理不尽な魔力でゴリ押ししてくる。
「ユグランスについたの、蒼い月光ッ!」
秘密作戦の性質上、超高位魔術師と正面から戦うような状況は想定していない。
圧倒的な魔力から生み出される無限の攻撃は、シークレット・フォースを確実に追い込んでいった。
息つく暇もない攻撃に、舗装された路はボロボロにされ、街路樹がなぎ倒されていく。
(一か八かで異相魔術を……けど失敗すれば後がない)
異相魔術を使えば、シークレット・フォースの自動魔術生成装置に不具合が発生する可能性があった。
自動魔術生成装置はグリモアの生命線、壊れれば一巻の終わりだ。
そう、わずかな逡巡が、勝敗を分つのだ。
異相魔術の使おうとした時には、遅すぎた。
(負ける、破軍四星が、こんなあっさり――)
魔力の腕が逃げ道を塞ぎ、全方位からシークレット・フォースに迫る。