Episode:049 昏き書庫の悪魔
「見つけたっ!」
図書館の上空で、イリアスは声をあげた。
限を一騎討ちの会場で見失ったイリアスは、グリモアや要人を隠しておくために王国がユグランス内にいくつか用意している『セーフエリア』に走った。
それからアエルルスに乗り込んだところまではよかったが、最悪の政府放送で、状況は加速度的に悪化していった。
都市を出ようとする人々が無秩序に逃げ始め、独立都市国家軍のユグランス守備隊も動き出している。
ひどい混乱の中、守備隊から身を隠しながら、ようやくキュアレーヌス・セレネを見つけたのだ。
(コックピットに――いない。どこに行ったんだカギリ?!)
念のため着地前に独立都市国家軍が近くにいないか、魔術センサで確認しておく。
反応はない。
念には念を入れて、新しく搭載された変性魔術が利用されたセンサも使った。
魔力をそのまま検出する通常の魔術センサとは違い、金属性の変性魔術で電波を照射し、物体に反射して返ってきた波をとらえて、対象の距離と方位を測定する。
ノトス海戦の轍を踏まないように、ケイ・ルーデ技術少佐が考案した最新の魔術センシングユニットだ。現行機に急ピッチで搭載が進められている。
これが後に普及する魔術レーダの先駆けだった。
「反応、有り? 通常では出なかったのに……まさか――」
イリアスは反応のあった方角をモニタに収め、拡大する。
注意深く観察すると、暗い影がわずかに動くのが見えた。
「やはりシークレット・フォース……どうしてここに」
帝国のグリモアが、自由都市のピラーに接近する。
「何をするつも――」
爆音と閃光に、イリアスは息を詰まらせた。
「そんなっ!」
ピラーが根元から煙を噴き上げながら倒れていく。
最初の爆発とほぼ同時に、一定間隔で置かれた周辺のピラーも破壊されていった。
図書館近くにあったピラーも爆破された。
イリアスは自機でキュアレーヌス・セレネを素早く持ち上げて、破壊の余波に巻き込まれない位置まで運ぶ。
「魔物の群れが近づいているのに、ピラーが破壊されたらどうなるか、想像できないのか!」
イリアスは怒りをあらわにする。
一度夢を砕かれ、現実を思い知られたが、彼女の理想主義的な心根は変わっていない。
限やセキヤ、ミストレインのような真っ直ぐな魔術士たちを間近で見てきたイリアスには、黒いグリモアの行いが、ことさら卑劣に映る。
立ち込めていた黒煙から、シークレット・フォースが飛び出してきた。
『なぜ、王国のグリモアが?!』
アエルルスを見て動揺したのか、シークレット・フォースに乗る魔術士は、迂闊にも交信魔術を起動していた。
「……それはこちらのセリフだ! 自分のやっている事の意味を考えろ、大勢の人が死ぬかもしれないんだぞ!」
イリアスは憤りながらも、自分を見失ってはいなかった。
あえて交信魔術を返したのは、傍らにあるアエルルスに偽装したキュアレーヌス・セレネから意識を逸らすためだ。
セレネも限と同じくらい重要な存在だ。
無防備になっている戦略兵器を、むざむざ破壊させるわけにはいかない。
感情的にも、合理的にも、敵の目を自身に釘付けにする必要があった。
『何もかも手遅れなのよ……私もサカも、もう立ち止まれない!』
黒いグリモアがマナモーフ・ナイフを振りかざす。
「そんなの間違っている!」
『焚きつけたのは王国よ!』
シークレット・フォースが変性魔術の火球を放つ。
イリアスは魔術障壁で火球を受け流しながら、マナモーフ・ソードを抜いた。
シークレット・フォースの短剣とアエルルスの長剣が激しくぶつかり合った。
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「ダアト! いないのか? ダアト!」
どうやったらダアトに会えるのか見当もつかない限は、呼びかけながら書棚の間を練り歩く。
(ここに来れば会えると言われたけど……どうすれば……)
以前は、うたた寝をしている時に、夢を見るような形で遭遇している。
その時の様子を再現してみようと思いたち、椅子に座った。
とりあえず突っ伏してみる。
「………………………………………………………………………………………………………………いや眠れるか!!」
ガバッと起き上がる。
緊迫した状況下で、呑気に寝られるわけがない。
「それは新しい芸か?」
いつの間にか、頬杖をついたダアトが正面の席に座っていた。
「いた!」
「俺様はずっとここにいるぞ?」
「だったらはやく出てきてくれないかな……呼んでたの、聞こえなかった?」
「俺様が出てきたんじゃなく、カギリが“プロバーティオー・ディアボリカ”に入ってきたんだ」
ダアトは椅子から飛び降り、棋雀のボードが置かれている席に戻っていく。
「俺様はこの図書館から動けない。自然の理に反し、生前の状態を保とうとすれば、魂は肉体に縛られる。死体が埋められているここが、俺様の終の縁だ。いわゆる地縛霊というやつだな……いや、地縛悪魔か?」
ダアトは自分の言ったことが面白かったのか、くつくつと笑っていた。
小さな子供のように、苦労しながら背の高い椅子をよじ登っている。
その様子が限の目には痛々しく映った。
まるで生きているかのようにふるまっているが、ダアトの身体は、すでにこの世にはない。
「ダアト、もう死んでいるんだってな……」
「そうだが? 同情なら必要ないぞ。肉体的な死は、魂の状態の一つでしかない。アラマズド風に言うなら、次の生の準備段階……しかし、一流の女詐欺師が今や神なのだから、世の中は面白いものだ」
「ダアト、アラマズド、大鐘、あとクリファとかいう奴が一緒になって魔術を広めたんだろう? 仲間なんじゃないのか?」
「仲間? 仲間だってっ!」
ダアトは腹を抱えて大笑いし始めた。
笑いすぎて椅子から転げ落ちている。限は閉口するしかない。
やがて笑いつくしたダアトは、また椅子にヨタヨタと這いのぼってくる。
「いやぁ……笑わせてくれるなカギリ。俺様たちは倶に天を戴く事はない敵同士。今の世界の対立構造は、元をたどれば俺様たちの争いから生まれている。その争いに巻き込まれたり、魔物に滅ぼされかけたりしながら、徐々に進化していった猿が、“俺様たちのやり方を下手に真似て”勝手に魔術と名付けただけだ」
「神と悪魔の戦いに人を巻き込むなよ……ダアトみたいに魂だけで居続けられないんだぞ? 死んだらそれっきりだ」
「確かに人は咲いては散る花のように儚いが、強かでもある。俺様たちを利用してでも生き残ろうとする強欲さは、見ていて飽きない。そんな人間が、未来の断片を知らされたとき、何を考え、どう動くかを観察するのが、俺様唯一の趣味だ。趣味はいいぞ? 退屈な一生を豊かにしてくれる」
「そんな風に捻くれてるから退治されるんだ」
「人間には人間の事情があるように、悪魔にも悪魔の事情がある。誤解されているかもしれないが、“プロバーティオー・ディアボリカ”は全知全能の技じゃあない。神が何もかも手中に納められないのと同じように、この世に完璧なものなど何一つないんだ…………ああ、そろそろ時間だな。さあ、答えを聞かせてくれ。聞いてきてくれたんだろう?」
ダアトが催促する。
限はため息を一つ付いた後、アルベルト・コルレアーニの伝言を思い出す。
一言一句間違えないように注意しながら、言葉にした。
「“E-2、只人、私の勝ちだ、糞悪魔”――だそうだ」
言われたとおりにダアトが棋雀の駒を動かした。
ダアトは黙り込み、彫像のようにじっと盤面を凝視する。
しばらくの間そうした後、悪魔はぐしゃぐしゃと髪をかいた。
そして椅子の上から机の上にあがり、行儀悪く歩き出す。
『アルベルト・コルレアーニ……お前は凡人だ。勤勉さだけが取り柄の、どこにでもいる普通の男だ。本来なら、小さな家で、妻と子供に囲まれ、ありきたりな苦悩とささやかな幸せを経験して、最期は、家族に看取られながら、老衰で死ぬはずだった』
黙り込んだまま机の上を歩くダアトの考えが、限には何故か手に取るようにわかった。
それは交信魔術に似た魂の声。
異相魔術を使い、魂だけで存在するダアトの魔力が、その内面を物語っていた。
大きな呆れと小さな悲しみと、ほんのちょっぴりの喜びを、ダアトは感じていた。
『悪魔の力など借りず、いつでも諦め、逃げ出して良かったんだぞ……そうした方がお前自身の幸せにつながると、何度も囁いたのに……自由のためにと、代償を払い、傷つきながら、俺様の囁きとは真逆の辛く険しい道を選び続けた』
机の端に行きついたダアトが、勢いよく机から飛び降りる。
突然舞台上から消える演者ように、少年の姿が見えなくなった。
すると、空気が変わった。
ぞわぞわと肌が粟立つ。
限は自分の腕を抱き込んだ。
広く薄く膜のように広がっていた異相魔術が、ダアトが飛び降りた場所を目指して収縮していく。
そこを震源に、地面が震え、机が吹き飛ぶ。
限は慌てて書棚の影に避難する。
ダアトが消えた付近の地面から、何かが噴き上がってきた。
『たわいない遊戯の決着など無視して、家族と和解し、安らかに逝く未来もあったのに……今日、この日、この時、俺様に答えを伝えるところまで至った。これは、英雄でも、偉人でも、天才でもない、悪魔にそそのかされたただの人間が、最後まで意地を貫いてみせただけの話…………だが、認めよう――――』
地下から現れたものは、コールタールのような粘性の泡だ。
図書館の床から、泡のような何かがボコボコと沸き上がってきていた。
すごいスピードで量を増していき、膨れ上がる泡は、徐々に形を帯び始める。
大きな3対の蝙蝠の翼、鋭い刃のような2本の尾、禍々しい4本の角。
獣と竜と人を掛け合わせたような凶悪な顔を持ち、不透明な硝子に似た、生物のようにも鉱物のようにも見える巨躯を有する怪物が、泡の中から姿を現す。
『俺様の負けだ、アルベルト・コルレアーニ。親愛なる我が共犯者よ』
昏き書庫の悪魔。
“隠れしもの”ダアト。
理性と感情を備え、永き時を生きてきた魔物が、その真の姿を現した。
『幸せを手放してでも自由を守ろうとした馬鹿のために、糞悪魔が残された魂を使うというのも、また一興だろう』
醜悪な面相に、晴れがましい表情を浮かべた魔人が、限を見下していた。