Episode:048 共和国、動く
ユグランスにあるクリノン共和国の公館は、アジアンテイストの立派な建物だ。
どこか台湾の寺院に似ているロの字になった居住空間は、多数の歴史建造物を手掛けた共和国建築界の巨匠が手ずから設計し、繊細で流麗な幾何学模様が所狭しと描かれている。
建物のすべてが一級品で統一されているが、その真価は表に出ない部分にあった。
公館地下。
そこには、表の建物の3倍以上の容積を誇る巨大格納庫が存在し、ピラー、クレイドル、グリモアが所狭しと並んでいた。
10年の歳月をかけて建設された、クリノン共和国の前線基地だ。もちろんユグランスには認められていない。
ばれたら大きな外交問題となるその格納庫に、今、アナが率いる特務部隊と耳目のメンバーが集まっていた。
「なによそれ、本気で言ってるの……」
灰色のローブで全身をすっぽりと覆った耳目の男が伝えた内容に、サカは呆れながら怒っていた。
「党は、自由都市の人間を皆殺しにするつもり?」
「サカ様、そこまでは言っていません」
「言ったも同然よ。魔物の大群と同時に魔甲大隊が到着した“という事にして”、10分程度戦闘したら撤退なんて……その上“アレ”を使って混乱を煽るんでしょう? 血も涙もないわね」
サカの感情論は人として正しい。
しかしその正義感は、党が見逃してくれるラインを、サカに越えさせようとしていた。
逃げ切ったと思わせ、しっかり監視を付けて最終的に引き戻される筋書きが出来上がった脱走ごっことはわけが違う。
党からダイレクトに伝えられる命令は絶対だ。
「サカ!」
アナがことさら大げさに、サカの頬を平手で殴る。
大きな音のわりにあまり痛くない様に工夫した。
「私たちは党の勅令に従うわ。妹にも強く言って聞かせる」
「…………」
無言の耳目が放つ冷たい眼光から妹を守るように、アナは毅然と前に出た。
サカもアナも籠の中の鳥――党の決定一つで、縊り殺されるかもしれない金のガチョウだ。
2人は代えがたい才能の持ち主だが、唯一無二、というわけではない。
星に匹敵する存在は、姉妹の後ろに控えていた。
首を挿げ替える事は難しが、不可能ではないのだ。
「私たちはまだ使える。党にとって有益な存在であると、働きで証明するわ」
「……わかりました。お二人は素直に勅令に従ったと、伝えておきます。お使いいただくアレですが、“脊髄虫”が使えるように、コックピットを換装してあります。しかし、自動魔術生成装置に少しクセがあるようで、お二人の異相魔術にどこまでたえられるかは未知数です。念のため、異相魔術の使用は極力、控えてください」
わかったと、アナは頷く。
耳目のメンバーは幸運を祈る定型文のような台詞を残して去っていった。
「……さあ、仕事の時間よ。党の威光とやらを、知らしめてやろうじゃない。総員、機乗!」
特務部隊の面々は、力強く「応」と返し、各々の乗機に走っていった。
一人だけその場に残った者がいる。
「……サカ、わかっているわよね?」
「納得してない。この前は脱走までしたのに、どうして今日は素直なの?」
「あなたに足りないのは大人の計算よ。脱走ごっこなら許される、こっちは許されない」
それに、脱走したのは、アナなりの理由がある。
自分の趣味のためというのも嘘ではないが、それと同時に、妹に少しでも見聞を広めてほしいと思っていたからだ。
色々な物に触れて、多くの人と出会い、様々な体験を通して、自身の魂の可能性を見つめてほしい。
もっと上を目指せるのに、姉の後をついて回るばかりで、頭一つ抜けようとしないサカに、魔術の頂に到達するチャンスを、ふいにしてほしくなかった。
有望な妹の前途に障害があるのなら、すべて姉である自分が取り除く。
「土壇場で党は決断したのよ。ユグランスを潰す。本気という証拠が、アレよ」
アナ・ガーミンが指差す方に、黒い機体が片膝立ちの姿勢で置かれていた。
「ノトス海の亡霊……私たちには役不足だけど、ユグランスと帝国にとってこれほど嫌らしい手はないでしょう」
「アナ姉は、本当にそれでいいの?」
優しいサカを慈しむように、アナは微笑んだ。
2人の働きようで、罪のない多くの市民が犠牲になるのだ。
人として躊躇うのは自然な事だろう。だが――
「軍人として命令に従うのは当然の事よ」
良い悪いの問題ではないのだ。
手を取り合い、苦難を分かち合う時は過ぎ去った。
自由が選び、虹が謀り、死が怒り、星が巡ったのだ。
進んだ時計の針は、戻せない。
「アナ姉……」
「急ぐわよ。頭のおかしい女が来る前に終わらせないと」
そして姉妹はシークレット・フォースに乗り込むのだった。
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偽アエルルスが湖畔から浮上する。
スルタンの事は、家政婦に任せた。
ソータ・アナッタには悪いが、後夜祭には参加できそうにない。
限は、ダアトが待っていると教えられた図書館に向かった。
雲一つない夕焼け空は、どこか懐かしい色彩を帯びる。
郷愁的な赤色がモニタからコックピットに差し込み、限は目を細めた。
ふと、南西の空だけが不自然に暗くなっている事に気付く。
時刻は18時半。
地球と同様に、ソサイエも太陽は東から登って西に沈む。
太陽が沈み切っていない今、南西の空が暗いのはおかしい。
気になった限は、最大望遠で宵闇を見つめる。
広大な範囲を覆う黒いベールのような何かが、少し鮮明に映し出された。
黒いベールは、脈打つように蠢く。
『映像データ解析――――完了、大規模な魔物の群れです。数、測定不能』
「あれが破滅か」
限が呟いた後、都市にサイレンが響き渡る。
ユグランス政府がようやく重たい腰をあげたのだ。同時にピラーを使った交信魔術がユグランス全域に展開される。
『私は、独立都市国家首相、ユハネア・ユリアンヌです。まず、私がこれから皆さんにお伝えする内容が真実であるということを、断っておきます。いま、120万以上の魔物の群れが、ユグランスに向かってきています。約4時間後、22時付近には、都市近郊に最接近する見込みで、甚大な被害が出ることが予想されますが、しかし、安心してください。ユグランスは、他国と協力し、皆さんを安全に都市から脱出させる計画を――なんだね農政卿、こんな時に? おい、今がどういう時かわかって……な、何をすっがぁぁあ――』
『死は終わりにあらず――』
『やつを首相から引き離せー! はやくッ!』
『放送を止めろ! 止めろッ!』
『――かくあれかし――』
ふいに交信魔術は途絶える。
聞こえてくるのは、サイレンの音ばかり。
「どうなったんだ……」
『農政卿はユグランスの農林業を取り仕切るポストです』
「そんな人間が、アラマズド教の聖句を口にしながら、何かをしでかした……この騒動、きな臭くなってきたな。皇国が裏で糸を引いているのか?」
『不明ですが、あり得ます』
「……とにかく急ごう」
キュアレーヌス・セレネを全速力で飛ばせば、湖畔から図書館までそんなに時間はかからなかった。
沈む太陽を背に下降しながら学校を見渡すと、地上は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
少しでも魔物の群れから遠ざかろうと、慌てて学校から逃げ出す教師や生徒たちでごった返している。
ぶつ切りになった政府の放送が、いたずらに恐怖心を煽ったせいだ。
ちょうど、着地しようとしている外路の近くに、大量の本を風呂敷に入れて背負った男が通りかかった。
(あれ、火事場泥棒じゃないのか?)
ムッとした限は機体を少し乱暴に着地させる。
男は驚いたようにしりもちをつき、汚い罵詈雑言を放っていた。
「みっともない事してないで、ちゃんと避難しろよ」
拡声器で忠告しながら、AMFで軽く小突いてやる。
男は、悲鳴を上げながら転がるように逃げていった。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか、あるいは悪魔が出るか……いってくる」
セレネが恭しくハッチを開けた。