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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第二章 自由に集う星々編
51/63

Episode:046 終焉の足音

 一騎討ちが終わる少し前。

 イリアスは、大歓声がとどろく教練場の入り口で立往生していた。


「まいったな、こんなに人が集まるなんて……中に入れないぞ」


 人気のない林中に隠していたキュアレーヌス・セレネまで限を案内したあと、イリアスは徒歩で引き返してきたのだ。

 いざ辿り着いた教練場は人であふれ返っており、中に入る隙間もなかった。


「すみません、ちょっといいですか?」


 どうやってギーたちと合流しようか悩みながらあたりを歩き回っていたイリアスを、女子生徒が呼び止めた。


「何か?」

「イリアス・デルマさんですよね? 少しお話ししたい事があるんですけど」

「きみ……」


 その女子生徒は、どこにでもいるようで、どこにもいないような、特徴の掴みづらい顔をしていた。

 父と一緒に仕事をしていた者や、屋敷に出入りしていた者に、同じような人間がいたのを思い出す。

 その印象の薄さは、生まれつきのものではない。

 何気ない仕草や顔のパーツに現れる個性を、外科的な手段や長い訓練で削ぎ落していき、大衆に埋没するように作られた没個性は、見る人が見れば――表に出ない仕事をする人間が見れば、芸術的と評すだろう。

 

「諜報部隊の――」

スクール(ここ)で滅多な事を言うな、普通に、世間話をするように」


 女子生徒は、表情も雰囲気も変わらないまま、最初の挨拶の時に受けた印象がガラリと変わるような緊張感のある声で、イリアスをたしなめた。


 イーリス王国軍参謀本部直轄の諜報部隊に、名はない。

 成り立ちも、構成員も、体制も知られていない部隊は、王国に『謀略のイーリス』という二つ名を与えた立役者であり、世界最高レベルの諜報機関だ。

 国家間のパワーゲームを制するために、数々の事件や事故に関与した疑いをもたれながら、その全容は決して明るみに出ない諜報機関を、他国の同業者は恨み交じりに『八色目』と呼ぶ。


「“かすり傷”から“月の恋人”へ指令だ――至急、月を連れて都市を離れろ」

「どうし――」

「質問には答えられない。“大森林に魔物の大群が出現した”……そんな顔するなよ。私も上の連中ははかりごとのしすぎでついに頭がおかしくなったのかと思ったが、嘘じゃない。古竜ドラゴン3匹を含めた推定120万の魔物が隊列を組み、ユグランスに向かってきている」


 荒唐無稽な話に面食らったイリアスは、半笑いのような表情になる。

 超高位魔術師も加わり3度にわたり行われた刈取り作戦で、今年のハーベスト・シーズンは終わったと考えられていた。

 大きな群れが形成されるほどの魔物は大森林に残っていなかったはずだ。

 よしんば生き残った魔物たちがすべて集まったとしても、同族同士でも食い合い、殺し合う魔物たちが、種の垣根を越えて結託するなんて前例にない。

 事実だとしたら悪夢だ。


 信じられない事を言う女子生徒が、自身を八色目に見せかけて誤情報を流布しようと企む悪意ある第三者機関の人間とも考えられたが、事前にゲート・ペインがその場の思い付きでイリアスに伝えていた緊急時の暗号名――自身の暗号名をペインから提案されたイリアスは変更を強く訴えたが却下されている――を知る彼女の所属は、疑いようがない。


「群れの予想進行ルート上に東方方面軍基地があるため、第1、第2魔甲師団は、共に第1級戦闘配置に移行した。1900(ひときゅうまるまる)より遅滞戦闘を開始する予定だ。進行方向を変え、非戦闘員を逃がすためだが、状況によっては、基地は放棄される。独立都市国家軍は不退転の構えをとりながら、各国に協力を要請しているが、うちはうちで手一杯だ。共和国は破軍四星と、2個魔甲大隊をこちらに寄越すらしい。皇国の方は、何を考えているのか、要請を無視して聖騎士団を中央海に向かわせたそうだ。これらの情報を、ユグランス首脳部は混乱を防ぐために公表していないが、それも時間の問題だろう」

「そんな……バカな……」

「気持ちはわかるが、続けるぞ。やむを得ない状況を除き交信魔術は封鎖。最優先は月の安全確保、次点で都市外への脱出、最後にお前の命だ。私たちもいま火の車だから、援護は期待するなよ。セーフエリア11にアエルルスが準備してある、必要なら使え。この話が知れ渡れば、パニックで月との接触は難しくなるだろう。時間はないぞ。急げよ――」


 伝えなければならない事をすべて伝え終えた諜報員はすぐに踵を返す。

 呼び止める暇もなく彼女の姿は人込みの中に消えた。

 




 //





「そこまで! 勝者、アーノ・カキュリ!」


 審判のソータ・アナッタが、高らかに試合終了を宣言した。

 グラウンドに降り立つアエルルスに万雷の拍手が贈られる。


『お疲れ様アーノ。プロの試合でもなかなか見られない、ハイレベルな戦いだったよ』


 ソータが交信魔術でインタビュアーのように限に話しかけてきた。


「本当なら……ここにはスルタンが立っていたはずだ」

『それほどジョアンが強かったという事か? 帝国人エンパイアンみたいな謙遜の仕方をするなぁ……ところで、賞品の贈呈だけど、オフィーリアが休んでいるから、日を改めてもいいか?』

「光栄だけど、辞退するよ」

『敗者の命や賞品の扱いは、勝者が自由に決めるのが慣例だから、別に問題ないけど』

「じゃあ、スルタンには死んでもらおう」

『了解、じゃあ早速――』

「嘘だって!」

『わかってるよ。でも、本当に良いのか? 俺から見てもオフィーリアはいい女だと思うぞ?』

「オフィーリア・ミレイの自由意志を尊重する。それ以外に俺が決められる事はないよ。ここは自由の国なんだから」

『はぁ……だからさ、そういう言葉を――』

「みなまで言うなよソータ……いろいろ、事情があるんだ」

『ほんと変わってるな』


 そう言ったところで、限とソータは、会場の異変に気付く。


「やったぞ! 食費一ヶ月分! やったああああああ!」

「終わった……俺の全財産……来年の学費までつぎ込んで……終わった……」

「へへ、へはは……へはははは……」


 限に賭けていたギャンブラーは歓喜し、スルタンに賭けていた大勢が絶望する観客席は、勝者を讃えるムードから一転し、混沌と化していた。


『ソータ、助けてくれ! 客が盛り上がりすぎて収拾がつかなくなりそうだ!』


 客席の整理を行っていた大会運営スタッフの乗るサマリーから、ソータに助けを求める声があがる。


『あー……ジョアンに賭けていた人間が多かったから、ちょっとまずい感じか……わかった、すぐいく』


 ソータは訓練用のコル・ケレブレム改で嘆息するような動作をして見せる。彼もかなりの腕前だ。


『俺は観客をなだめるのに協力してくる。今日の主役ヒーローにこんな事を頼むのもなんだけど、アーノはジョアンを回収してきてくれないか?』


 限は、一瞬断ろうかと思った。

 自分が負かした相手を助けに行くのは、かなり気まずい。

 スルタンも情けをかけられる事を嫌がりそうだし、どの面下げて行けばいいのか、見当もつかなかった。


『いったん会場をクールダウンさせたい。複雑な気持ちなのは何となくわかるけど、頼むよ』


 生徒たちは、かなり熱が入っていた。

 ソータの言う通り、このまま会場に居続けると、観客たちはヒートアップする一方だ。

 押し合いへし合い、思い思いに感情を体で表現する姿は、サッカーの熱狂的なサポーターに似ている。

 魔術士見習い同士の試合でこれほど盛り上がるのだから、プロの試合は想像を絶した。


 盛り上がる観客の中にギー、ノイシュ、スティービーの姿があった。

 3人から離れたところにイリアスの姿も見つける。

 4人とも興奮したように限に向かって手を振っていた。

 中でもイリアスは一番大きく手を振り、何かを限に伝えようとしていた。


 みんな健闘を讃えてくれているのだろうと、限は思った。

 やったぞ、という意味を込めて、グリモアで親指を立ててみせると、観客席が湧いた。

 そうやってチヤホヤされると、徐々に居心地が悪くなってくる。

 不正を働いた犯人を許せないと思い、偽装したセレネを使って勝利した限は、一騎討ちのためにズルをしたという点では犯人と同罪だ。手放しで褒められた立場ではない。

 ソータに言った謙遜は、謙虚さからではなく、罪悪感から出た言葉だった。

 スルタンの顔を見る気まずさと、罪悪感による居心地の悪さを天秤にかけた結果、僅かに後者が勝った限は、ソータに協力する事に決める。


「……わかった、ちょっと行ってくる」

『こき使って悪いね。19時から後夜祭を始めるから、その時までには戻ってきてくれよ』


 了解と答えてから飛翔魔術を起動した。

 遠くで飛び跳ねて喜んでいる――ように見える――イリアスらしくない姿に、少しだけ疑問を覚えながらも、限は会場を飛び立った。





 //





 限は魔術センサとセレネに助けられながら、スルタンの飛んでいった方角をなぞって、空を滑るように移動していた。

 しばらく進むと湖が見えてきた。

 湖のほとりに、ケレブレムMk-3が不時着している。ずいぶん遠くまで吹き飛んだらしい。

 限はケレブレムMk-3の横に自機を着地させて、周囲を見回した。

 リベラル・アーツ・スクールに入ってずいぶん経つが、学校の近くに湖があると聞いた覚えはなかった。

 自然豊かな湖水に、西に傾いた太陽が映り込んでいる。

 水中を動きまわる影は、魚ではなく淡水に住む肉食の軟体生物だ。ナチュラルに人も襲い、指を食いちぎるくらいの事はする。ソサイエは身近な生き物まで殺意が高い。

 湖の岸には小さな桟橋と舟があり、岸からのびる細い道の先には、大きな館が見える。

 木々に隠れるように建つその館は、目立つ装飾や色が一切使われていないため地味だったが、その建築様式には、どこかイーリス王国の趣があった。湖畔に建つ貴族の別荘、といったところだろう。


『ケレブレムのコックピットが開いています。パイロットはいないようです』

「怪我でもして、あの館の人に助けられたのかもしれないな、確かめてくる」

『お気をつけて』


 キュアレーヌス・セレネから降りて、限は館に歩いていく。

 辿り着いた扉をドアノッカーで叩いてから、声を張り上げる。


「すみません! どなたかいませんか? すみません!」

 

 イーリス語で通じるか、言った後に迷いが生まれた。

 ユグランスではトリア語や共和国語も普通に使われている。

 館の住人がイーリス語と帝国公用語を使えなかったら、限にはボディランゲージしか手段がない。

 心配は杞憂に終わった。

 軋む音をたてながら扉を開く。


「ようこそ。"お待ちしておりました"」


 あらわれた家政婦が、流暢なイーリス語で出迎えてくれる。

 待っていた、という相手の言葉にやや違和感を覚えたが、誰かが迎えに来ると考えたスルタンが事前に伝えていたのかもしれない、と思い至る。


「突然すみません。お尋ねしたいのですが、こちらにジョアン・スルタン……私と同い年くらいの少年は来ていませんか?」

「はい、おりますよ。故障したグリモアから這い出てきたところで力尽き、意識を失ったのが窓から見えていました。放置するのもあんまりだと思ったので、連れてきて今はベッドに寝かせています」

「彼と私は、リベラル・アーツ・スクールの生徒で――あ、すみません自己紹介もせずに……私はアーノ・カキュリと言います。グリモアパンクラチオンをやっている最中、彼が場外に飛び出してしまったので、連れて帰るためにやって来ました」

「"ええ、存じていますよ"」

「そ、そうですか」


 何もかも見透かすような家政婦の微笑みに、限は一歩後ずさる。


「どうぞお入りください。久々のお客様です。当家の主人にも、どうか会っていかれて下さい」

「え? あ、はあ……」


 何故わざわざ家主に会う必要があるのか、と限は戸惑った。

 推理小説で殺人事件の舞台となる館に誘い込まれたようだった。

 いつも都合良く助けてくれる直観は、何も言ってくれない。

 問題ない、という事なのかもしれないが、不確かな感覚を頼りにするのは不安が付きまとう。

 しかしながら、この不確かな感覚に何度も助けられてきたのだ。

 家政婦に害意があるようには感じられなかった。

 嘘をつくのが上手い人間や、人を騙し慣れた詐欺師なら話は別だが、限には彼女がそんな風には見えなかった。


「わかりました。でもまず、スルタンを容体を確認させてください」


 限の申し出を家政婦は快諾し、すぐに屋敷を案内してくれた。

 2人は、茶色い絨毯が敷かれた広い廊下を歩いていく。

 人が5人くらい並んで歩けそうな廊下は、立派だが殺風景だった。

 雨風を防げて、丈夫で、大きければ後は何でもいい、と注文して建てられたような館だった。

 インテリアも壁紙もライトも、全て色合いが暗く、地味で、味気ない。

 伽藍堂の広間の中央から両脇に分かれて伸びる階段をのぼり、左に30メートルほど進んだところにある部屋に入ると、スルタンが寝かされていた。


「魔力欠乏症と疲労です。私は医療と魔術を多少、心得ております。安静にしていればじき目を覚ますでしょう」


 その言葉を信じるべきか悩んだが、汚れや汗は綺麗に拭かれており、巻かれた清潔な包帯や花瓶の一輪挿しからは、精一杯の心遣いが感じられた。


「では、主人の部屋にご案内しても、よろしいでしょうか?」

「ええ、はい」


 自分がぶっ飛ばした被害者を介抱してくれた相手の頼みを、無碍むげにすることもできない。

 そう思った限は、家主に会うと決めた。

 拐かすなり、害するなり、するつもりがあるなら何回もチャンスはあったはずだ。

 まだ油断できないが、ここまで来たらもう、毒を食らわば皿まで、という気分だった。

 スルタンのいた部屋から真逆、2階右翼の角部屋に導かれる。

 他の部屋よりも一回り大きな扉の前に限たちは立った。


「私は外に居るように言われております。中で主人の――あの方の話しを、聞いてあげてください」

「えっと……」

「戸惑われるのはもっともです。ですが、どうかお願いします」


 家政婦は深々と頭を下げ、微動だにしない。

 限は腹をくくり、扉をくぐった。 



『――よく来てくれた。待っていたよ』



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