Episode:045 一騎討ち
一騎討ちの会場となる教練場は貸し切られ、サッカーの試合会場のような観戦席は満員だ。
賭けに参加できる木組みの発券場には、『ジョアン・スルタン対アーノ・カキュリ』と書かれた看板が掲げられ、店員が声を張り上げて賭けの意欲を煽っている。発券場の周りでは、胡散臭い予想屋が勝敗を予想して小銭を稼ぎ、飲み物や食べ物を売って回る売り子たちが忙しそうに駆け回っていた。
教練場の中央には、スルタンのグリモアが腕を組んで待機している。
ユグランスの最新鋭機――ケレブレムMk-3だ。
ケレブレムシリーズと呼ばれるグリモアに共通している開発理念は、無駄の排除にある。
他のグリモアよりもおうとつが少ない流線形の機体は、筋肉質でシャープな男性の肉体を彷彿とさせた。全高は7.0メートル。グリモアの中では小さく、軽い方だが、魔力抽出機関を2機搭載し、限界出力はアエルルスを凌駕する。自動魔術生成と連携して原形魔術をコントロールする2本の背鰭は、キュアレーヌス・セレネに似ていた。
ケレブレムシリーズの配色は暗褐色で統一されているのだが、スルタンのそれは赤と金に塗られ、必要以上に輝いて見える。派手な高級スポーツカーのようだった。
普通、兵器と魔術士は国の管理下に置かれ、所有や使用は法律で制限されるが、自由の都ユグランスでは許可を取ってお金さえ払えば、グリモアでも魔動空母でも買える。
スルタン商会というユグランスの流通を取り仕切る大商会の息子であるジョアン・スルタンは、それが可能な家に生まれた。
貧富の差は個人レベルから国家レベルまで、世界中に存在する。
この世に平等はない。小さな子供でも知っている当たり前のことだ。
持って生まれたものを活用できる人間と、そうでない人間が居たとして、できない人間にあわせる必要はない。富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる。できない人間を慮り、できる人間がレベルを下げるなんてナンセンスだし、社会の損失だ。
(才能も、境遇も、容姿も、何もかも貧しいお前が、俺に勝てるわけないんだよ)
ジョアン・スルタンは、そういう考え方をする男だ。
戦意を高めながら待つ彼の前に、アーノ・カキュリは姿を現さない。
すでに一騎討ち開始の時刻は過ぎている。
「どうしたんだー!」
「おい、まだかよー」
「まさか、お金だけとって試合は無し、なんて事はないよね……?」
「一騎討ちが中止の時は、掛け金は払い戻しになるんだろうなー?!」
観客から不満の声があがり始める。
「大丈夫です、アーノ・カキュリは少し遅れていますが、試合は開催されます。落ち着いてください」
『おい、アーノはまだか? 何としても探しだせ――――見つからないじゃない、見つけるんだ! このままじゃあ暴動がおこるぞ!』
賭場の元締めをやっている生徒たちはてんやわんやだ。
彼らは手分けしてアーノを探しながら、サマリーに乗って客をなだめてまわる。
その様子を横目で眺めていたスルタンが交信魔術を起動した。
『実際のところ、アーノはどうした?』
通信先は、教練場の端に待機するコル・ケレブレム改に乗ったソータ・アナッタだ。彼は審判を務める。
『わからない、何かトラブルがあったみたいで、格納庫にはいないんだ。賭けの主催者たちに探してもらってるけど……どうかな』
『フンッ、わかった』
答えを聞いたスルタンは、鼻息荒く交信魔術を切り、今度は拡声器で声を張り上げた。
「オイ! アーノ・カキュリ! いざ戦うとなったら怖くなったのか?! お前は口だけの臆病者か? 違うと言うのなら、姿を現せ!」
分かりやすくスルタンが挑発する。
周囲に聞こえる様に拡声器を使ったのは、自分の正当性を周囲に伝えるためだ。
スルタンに呼応するように、会場のざわめきが大きくなる。
本当にアーノ・カキュリは直前になって怖気づき逃げたのではないか。
そんな囁きが観客の間に広まっていく。
賭場の元締めたちにも、もしかしたら、という波紋が広がり始めた時だった。
「――違う、から来たぞ」
空から冷や水のような返答が降ってくる。
飛翔魔術を伴って、アエルルスに乗ったアーノこと限が、ゆっくり教練場のグラウンド着地した。
そうアエルルスだ。
事前情報では、訓練用のコル・ケレブレム改を使うと聞かされていた会場全体にどよめきが走る。限に賭けていた一部の人間たちは「話しが違う!」と叫んでいた。
『アーノ、遅いぞ!』
ソータが心配半分、怒り半分の交信魔術をアエルルスに送る。
『悪い、ちょっとした野暮用でな』
「ハッ! 遅れて登場したり、グリモアを変えてみたり、奇をてらっても実力差は埋まらないぜ?」
悪びれた様子のない限に対し、観客にもわかりやすいようにスルタンが拡声器で食って掛かる。スルタンは自分の方に正義があると疑っていない。
ケレブレムMk-3とアエルルスがにらみ合った。
「誰のせいで、こうなったと思ってるんだ……」
静かな怒りを声にのせる限に、スルタンは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
意味が分からないというスルタンに、限は少し思案した。
「……本当に、わからないのか?」
「訳の分からない事を言って、動揺を誘おうって腹か? 没落貴族なりに頑張ってイーリスのグリモアを取り寄せたようだが、俺の優位は覆らないぜ!」
「……小賢しい嘘をつくような奴じゃない、か……犯人捜しは後だ。悪いけど、ムシャクシャしてるから暴れさせてもらうぞ」
「ノイシュ・カシュルに一度も勝てなかったお前が? 誰に向かって言っているんだ」
グリモア越しに火花を散らすスルタンと限をなだめるように、交信魔術でソータが割って入る。
『盛り上がってるところ申し訳ないけど、もうとっくに時間は過ぎている。はじめてもいいかな?』
「当たり前だソータ。いい加減、待ちくたびれたぜ!」
「いつでもいい、はじめてくれ」
ケレブレムMk-3が半身になって構える。
一方のアエルルスは微動だにしない。
そしてソータが会場中に伝わる様に声を張り上げた。
「今この時、自由の名の下に、魔術士は集った! 譲れぬもの、叶えたい願い、退けない想いがあるのなら、誇りと魂をかけて、魔術で証明しろ! 両者、用意はいいか!?」
審判により一騎討ちの慣例に則った宣言が行われる。
「「応っ!」」
2人が間髪入れずに答えた。
同時に、2機の足元に光る円陣――起動陣が浮かび上がる。
会場のボルテージも最高潮だ。
「はじめっっっ!!」
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教練場を絶叫がつんざく。
「どういう事だ……何が起こった……」
「嘘だ! こんなの! 悪い夢に違いない! 夢なら覚めてくれ!」
「やばいやばいやばいやばい」
つい数分前に、席を外したイリアスが戻らない状態で試合が始まったのだが、限と苦楽を共にしてきた3人は、唖然としていた。
スティービーは口を大きく開けたまま固まり、ノイシュは開いた口を両手で隠したまま固まっている。
ギーも眼前で起きた光景が信じられなかった。
昨日まで満足に魔術も使えなかったアーノが、飛翔魔術の起動陣を展開したのには驚いたが、それだけで言葉まで失わない。
(開幕直後に起こった事を、正確に把握できた人間が何人いるだろう……)
ギーが唾を飲み込む。
大きく抉れた教練場の地面には、スルタンのグリモアがうずくまっていた。
空には、飛翔魔術の起動陣の上にアエルルスが佇んでいる。
パッと見、外見はアエルルスなのだが、よく観察すると違いがある事に、ギーは気づく。伊達に魔術オタクをやっていない。
まず通常のアエルルスよりも一回りほど大きい。アエルルスが立った時の全高は8.2メートルあるが、そのグリモアはざっと見積もっても10メートル以上ある。背中から伸びる背鰭のような部品は、アエルルスの基本装備にはないパーツだ。
「どこであんなグリモアを……アーノ、君はいったい……」
ギーのつぶやきに反応して、ノイシュが息の仕方を思い出すように豊かな胸を上下させる。
動体視力がいいノイシュは、アエルルスの動きを一から十まで捉えていた。
「すごい、すごいです、アーノさん! スタートの合図と同時に突っ込んできたケレブレムの足を払い、浮いた機体を膝で中空に打ち上げた後、飛翔魔術で飛び上がって上空から蹴り落した。意識を失っていないという事は、ほとんどのGを飛翔魔術で打ち消して……あれほど高速で魔術の起動と停止を行いながら体を操りきるなんて……プロの魔術士でもできるかどうか……!」
ノイシュの言う内容は、体操競技で言うところのG難度技――超高難度のスーパープレイだ。そんな技を披露されて、観客が盛り上がらないわけがない。
「アーノの糞野郎ッ! やれるんじゃねェか! 練習じゃあ手を抜いてたってのか?」
「いいえ! 一緒に練習した私にはわかります。一昨日までのアーノさんの動きは、嘘偽りのない実力でした。アーノさんは間違いなく魔術の素人だったのです。練習で多少よくなりましたが、本当に多少です。今の動きは、アーノさんの実力では説明がつきません」
「……ノイシュって、言う時はけっこう言うよね」
「できるかぎり正直であるように努めています」
「オイ、漫才やってる場合じゃねェぞ、これで勝負ありなら、アーノの勝ちって事だろ?」
我に返ったスティービーが慌てたようにまくしたてた。
ノイシュが首を横に振る。
「審判が終了の合図を出していません」
「確かに! ということは……」
「スルタンの野郎ッ! まだやれるってのか!」
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加熱する客席とは反対に、アエルルスに偽装したキュアレーヌス・セレネの中で、限は冷静に状況を観察していた。
純粋な魔術戦なら、隙だらけの敵に雨あられと魔術を打ち込めば勝利は確定するが、グリモアパンクラチオンではそうはいかない。飛翔魔術以外の魔術は禁止されているため、どうあがいても決着は近接戦でつけることになる。
追撃しないのは警戒しているからだ。
『敵魔力反応、依然健在。地面に衝突する寸前に、飛翔魔術で衝撃を逃がしたようです』
セレネが教えてくれたとおり、スルタンの姿は限の油断を誘うための擬態だ。
小賢しい嘘はつかないが、勝利には貪欲だった。
初撃で限がグリモアを十分に操れる事を悟り、からめ手を交えてきている。
「スルタンの奴、口だけじゃあないか。俺相手でも本気だな」
直後、ケレブレムMk-3の下に起動陣が現れ、弾丸のように機体が飛び跳ねた。
迫る敵の拳を、キュアレーヌス・セレネは身をひるがえしてかわす。
通り過ぎたケレブレムがすぐ方向転換して、背後から再度迫る。
『カギリ様、それはルール違反です』
指摘されて、慌てて思いとどまった。
思い描くだけで操作できるAMFは、あまりに簡単に魔術障壁を作り出せてしまう。
直観的に操作しすぎると反則負けをくらうのは自分だ。
ルールを守り、試合形式で戦う事の難しさを痛感する。
「アーノオオオオオオオオオオ!」
血気盛んに攻撃してくるスルタンに、飛翔魔術と格闘だけで応じるのに苦心した。
攻防を入れ替えながら空を飛び回る2機を、喝采が包む。観客は総立ちだ。
殴り、蹴り、掴み、投げ、互いが互いを地面に引きずり落そうとする。これこそグリモアパンクラチオンの醍醐味だ。
キュアレーヌス・セレネの下方から、ケレブレムMk-3の回し蹴りが襲いかける。
横にスライドしてキックをかわすセレネを、ケレブレムMk-3が足の降り抜いた姿勢のまま後を追うように横にスライドして、そのまま踵落としを見舞われる。
かわし切ったと思い油断していた限は、直撃をもらい沈み込んだ。
物理法則によらない飛翔魔術ならではの動きをみせるスルタンに、限は素直に感心する。
「普通じゃあり得ない機動も魔術ならできるんだ……敵ながら勉強になる」
持ち前の魔力を使い、最大出力の飛翔魔術で墜落は防ぐ。
魔術にラグや隙がないAMFは、グリモアの飛行を盤石にしてくれる。
急上昇してスルタンと位置関係を交代し、急停止してから急降下へ――いわゆるUを逆さにした軌道を描くテールスライドを逆V字に行うようなアクロバット飛行から、地面すれすれを高速航過する。その軌跡は航空力学を完全に無視していた。
『当然ですが、相手の方が経験は上です』
「下のヤツに会った事ないぞ!」
『今後しばらくは無縁でしょう』
はっきり言って、会話をする余裕がある戦いだ。
魔術入力鍵での入力が追いつかないような無茶な操縦も、キュアレーヌス・セレネなら難なくできてしまう。全方位から牙をむく加速度は、セレネ完全監修ではそよ風のような快適さだ。
限は縦横無尽に飛び回り、スルタンを翻弄した。
その動きは、熟練の魔術士に近いスキルを持つスルタンでも追いきれない。
スルタンの視界から完全にキュアレーヌス・セレネが消える。
限は、きょろきょろする敵機の背後からタックルをしかけた。
魔力量に任せて高速で突っ込むだけの技だが、想像が容易で対処されにくい。限の得意技だ。
『グウアゥッ! ……な、んなんだッ! なんなんだよッお前はッ!』
悪態のような悲鳴をあげながらスルタンが吹き飛んでいく。
教練場の端に飛んでいくケレブレムを追って限も飛んだ。
道中、精霊が誇らしげに言ってくる。
『戦闘補助精霊のプロトコルで生じる自動魔術生成装置に対する負荷が、以前より3%ほど減っています。成長しましたね、カギリ様』
「褒められてるんだよね?」
『褒めているつもりですが……人の心の機微とは難しいものですね。グリモアパンクラチオンは飛翔魔術と格闘戦の基礎訓練になります。今のカギリ様なら、私抜きでも32秒は戦えたでしょう』
「ほ、褒めてるんですよね?」
『褒めてます』
実質2対1と言える。ズルなのは百も承知だが、先にケンカを売ってきたのは相手の方だ。売られたケンカは買う。
心無い方法で妨害してきた実行犯が、自分に負けてほしいと願っているのなら尚更、大人しく負けてやるわけにはいかなかった。
『先ほどの攻撃で敵機は飛翔魔術制御用のユニットを損傷した模様です。空中で思うように動けない状態なので、いま場外に押し出せば、最短時間かつ最小労力で勝利できます』
「我が精霊のえげつなさが頼もしいよ」
『“我が精霊”……』
「セレネ?」
『はい、カギリ様、とどめを刺しましょう』
「あ、ああ」
妙に息巻く精霊に導かれるまま、全魔力を注ぎ込んだ飛翔魔術で、いっきにケレブレムに追いつく。
「謝らないぞ。それが、せめてもの礼儀だ」
『クッソぉォぉォォぉッ!!』
空で溺れる様に藻掻いていたケレブレムに、限は全力でタックルし、場外へ吹き飛ばす。
こうして一騎討ちは決着した。