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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第二章 自由に集う星々編
48/63

Episode:043 これが自由の選択

 静まり返った夜の格納庫に、人影が差す。


「身の程知らず共が……特別クラスのトップは俺たちなんだぞ……っ!」 


 人影は、ふらふらとした足取りで、限のコル・ケレブレム改に取り付けられたタラップをのぼり、背部のハッチから中に乗り込んだ。

 彼が座席に座り、入力端末を操作すると、ケレブレムに火が入る。


「俺をコケにしたこと、後悔させてやる!」


 悪意を抱くのに、大きな絶望や失意はいらない。

 簡単に望みを叶えられる状況と、ちょっとした動機が手を結べば、誰でも自分の中にある良心の枷を外せる。

 ほどなく、仄暗い悪意は果たされた。


「ハッ、ハハッ、ハハハハッ! ざまあみろ! ざまーみろ!」


 ケレブレムは不穏な音を立てて、煙を上げはじめた。

 彼の抱く鬱屈とした気持ちも、彼の非道も、彼の名前すら、誰も知らない。

 知ろうともしなかったのだ。

 言った本人は、言った事すら忘れているだろう。


『お呼びじゃないんだ、またね』


 その一言が、彼の自尊心をボロボロにした。

 途方もない屈辱に魂まで苛まれている。

 恥をかかされて、黙ってはいられない。


「思い知れ、俺の屈辱を、俺を! アーノ・カキュリ! イリアス・デルマ!」  


 人の数だけ大切なものはある。

 多くの人が気にもとめないような事が、誰かにとってはとても大切な何かだった、という事もあるだろう。

 小さな箱庭の上下関係が、彼のアイデンティティを支える柱だった。

 特権意識に取り憑かれた彼にとって、スクールカーストは法よりも重い。

 カーストの下位が、上位を見下していいはずがない。

 客観視のまぶたを、妄執は優しく閉ざしてくれる。


「ハハハハ、ハハハハッ!」


 卑屈な笑いだけを残して、彼はふらつきながら去っていった。





 //





 ユグランス某所。


 魔術灯で隅々まで照らし出された部屋の窓とカーテンはしめきられている。今が昼なのか夜なのか判然としない。

 異種混交のユグランスらしく、室内には様々な文化圏の調度品が並べられていた。それらの共通点は、庶民が生涯年収をつぎ込んでも買えない高級品、という点だけだ。


 今し方、イーリス王室御用達の家具職人に作らせた長方形の会議用テーブルをはさんで、共和国製の金箔で縁どられた漆塗りの賞状盆に入った調印済みの証書が取り交わされた。

 そのあと壮年の男たちが笑顔で握手をかわす。


「よくご決心いただいた、独立都市国家のご英断に、敬意を表します」

「これは大きな躍進です。必ずや後世に語り継がれ、両国の未来をより良いものにするでしょう」

「自由都市のますますの発展を祈念しております」

「こちらこそ、貴国と共に歩める事、光栄に思います」

 

 握手を解いた瞬間、男たちの顔からすっと笑顔が消える。

「話は終わった、もう用はない」と態度で物語る特使団にも、パルミロ・アルベルト・コルレアーニ――国民からコルレアーニ2世という愛称で呼ばれる彼は、動じなかった。

 

(お互い様だがな)


 すでに実質的な事務手続きは走り出している。

 大げさな会話も、握り合う手も、慎重に取り交わした紙きれも、すべて形だけ。

 胸の内をわかっていながら、あえて取り繕うのは、一連の流れが長いあいだ守られてきたマナーだからだ。

 マナーを守る事は、益こそあれ害はない。

 少々の手間で敬意と真心を交換した事にできる。国際社会における通過儀礼とは、そういうものだ。


 マナーにのっとって、今日、自由都市ユグランスは秘密裏に大きな決断を下した。

 コルレアーニ2世は、この決断の推進者だ。

 今年で42歳。父――アルベルト・コルレアーニの支持基盤を引き継ぎ、より国を発展させることを望まれて、外交を扱う事務方のトップを任されたのが37歳の頃。

 政治家としては異例の若さでの大抜擢なのだが、それでも遅いと思えるのは、偉大な父の影がコルレアーニ2世に付いて回るからだ。

 父は20代から華々しい功績を積み上げ続け、40代で国のトップに立った。家族にどれだけ冷たい仕打ちをした人間でも、彼が偉大な英雄であるという事実は揺るぎない。

 そんな父のようになる事を望まれていると思うと、胃液がせり上がってくる。

 虫唾が走る思いだった。

 母と自分を捨て、仕事に生きた父には、嫌悪感しかない。

 その本心をひた隠しにして、コルレアーニ2世は国をよくするためにまい進してきた。

 5年前に撒いて、水をやって、大事に大事に育ててきた花が、ようやく芽吹こうとしている。


(5年……長いようで短い……いや、やはり長かったか……) 


 ユグランスという名の小鳥は、嵐の中で羽を休める大樹をずっと探していた。

 どの樹が安息所として優れているか。

 危険な獣が寄って来ないか。

 巣をつくり子を育てるのに適しているか。


 多くの会議を行い、慎重に慎重を重ね、ついにこぎ着けた今日この日。

 

 これが自由都市国民の総意を代弁する政治家たちの決定。

 最大多数の最大幸福を追求した結果。

 ユグランスをよりよくするために行われた善意の結実。

 多くの票を集め、信任を得て組織された内閣が、この選択を賛成多数で可決した。

 今こそが刈取時期ハーベスト・シーズンと、コルレアーニ2世は心中で断言する。

 この収穫で、自身の職責を果たし、嫌悪する偉大な父を越えたと、信じてやまない。





 魔克歴415年第14月33日。





 独立都市国家は、統一グランベル帝国と秘密裏に安全保障条約を締結した。





 後世で『自由帝国同盟』あるいは『1433(イチヨンサンサン)密約』と呼ばれる秘密条約は、他の列強に驚きと怒りをもって迎えられる。

 列強の中でも、神聖ガルテニア皇国の反応は、劇薬を飲んで発作を起こした病人のようだった。


 生き神として皇帝と大鐘家の永遠の生を讃える皇帝崇拝と、唯一神アラマズドを崇め死を尊ぶアラマズド教は、水と油のように交わらない。

 帝国東部紛争も、両者の教義の違いからくる摩擦が根底にある。


 レコンキスタ然り。

 十字軍然り。

 ジハード然り。


 地球の歴史が証明するように、一神教集団の排他と迫害は、ときに熾烈を極める。

 歴史の転換点で、月と星の衝突は、もはや不可避だ。

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