Episode:040 インタールード(中編)
「というわけでリベラル・アーツ・スクール図書館に来てみたわけだけど……建てられたのは最近のわりに、すっごい本の数……」
南エテリア大陸最大と豪語する蔵書数にサカは、ぼんやりと独り言をもらす。
活発に情報がやりとりされる自由都市ならではだ。
「いやはや、表現の自由の賜物だね~」
書架には帝国の書物まであった。クリノン共和国では考えられない。共和国の印刷物は、国が管理し、コントロールするものだ。抑圧されながら育った姉が、ここぞとばかりに趣味に走りたくなる気持ちも、理解できなくはない。
幼少期に魔術士の素養を見出されて、政府に身売りされた姉妹は、魔術の英才教育を受けて育った。
すぐ魔術士として頭角を現した2人は、尊敬と羨望のまなざしを送られる対象となる。それは同時に、籠の中の鳥となる事を意味していた。普通の女の子らしい生活とは縁がない。
程度の差はあれど、超高位魔術師たちは政府の管理下に置かれているが、社会主義的な共和国の管理方法はかなり厳重だった。
いま公館の職員たちは躍起になって姉妹を探しているに違いない。
下働きの人たちに迷惑をかけている事は申し訳ないと思う。
見つかるのは時間の問題。連れ戻されるのは確定事項だ。
かなりキツい罰を受けなければならないだろう。
そうなるとわかっていながら姉の脱獄ごっこに賛同したのは、ちょっとした出来心や思い付きではなかった。
(もうじき、こんな馬鹿な真似もできなくなる。そんな気がしたから……)
そう“感じて”いた。
直観、とでも言うのだろう。魔術士に時折おとずれる、虫の報せのようなものだ。
魔力は魂の力、魔術は魂の具現と言われるが、魔術学ではその魂のことを、『心象世界から世界を見る時に落ちる自己の認識の影』と定義している。
認識の影は心理に結びついており、その形は人に似て、頭と胴体と手足を持っていた。
自分の影を自分で踏むことができないように、認識の影――自らの魂を、人は自分一人では捉えられない。
一つだけ抜け道がある。
ドレス効果というものがあった。簡単にいうと、着る衣服によって心理状態が変わる事を指す。スーツを着たら気持ちが仕事モードに切り替わったり、防火服を着た消防士が勇敢になったり、車に乗ったら性格が変わるような心理効果のことだ。
スピードが速かったり大きい車体の車に乗ったとき、その車の強さを、人は無意識のうちに自分と重ね合わせてしまう。
人型に収まった人間の心理は、自らの認識を人型に合わせて拡大解釈する。
巨大な人の鋳型に収まり、はじめて人は、自分の影を踏めるようになるのだ。
己を正しく理解するために、人は人の形を必要とした。
別の形では、自己の認識の影を、正しく拡大解釈できず、魂――魔力の抽出に失敗してしまう。
それがグリモアやクレイドルが人型である意味だ。
魔力抽出機関は自己の認識の影を魔力として抽出するプロセスを、技術として確立したものだ。
魂を拡大解釈する過程で、新たな感覚を得る者もいた。
勘が良かったり、超能力じみた先見性があったり、物事の本質を無自覚に見抜いたりする力だが、これには個人差があり、まったく発現しない者もいる。
姉は感じた事もないと言っていた。
そういった鋭敏な感性を、サカは持っていた。
「サカ、手分けして探しましょう! 私はあっちの棚を見て回るわ」
「昏き書庫の悪魔を探すのに、棚を見てどうするの」
「どこに目当ての本が置いてあるかわからないでしょ!」
「本って言っちゃったよもう……」
趣味に関しては暴走気味なアナだが、記憶力と計算処理能力において共和国で右に出るものはいない。500桁のランダムな数字を瞬時に覚えきり、200桁の数字の13乗根を1分以内に計算しきる頭脳の持ち主だ。今の姿からは想像もできないが。
その能力は魔術戦でも有効にはたらく。
魔術を瞬時に記憶・分析し、有効な解決策を機械のように算出できる彼女は、魔術戦の駆け引きにおいて無類の強さを誇った。異相魔術も、彼女の才能をよく表したものになっている。
比類なき長所を持つ姉だが、その一方で予期しない出来事に弱かった。
どんな事が起きても対処できる柔軟さと、適度に力を抜く要領の良さがない。
つまるところ不器用なのだ。
その馬鹿真面目な性格が災いして、いろいろと苦労してきたアナの背中を見て育ったサカは、「しかたないな」と嘆息しながらも、柔らかい笑みを浮かべる。
サカの大事なものは、この不器用で馬鹿真面目で少し変な姉だけだ。
自分を打算抜きで愛し、大人や社会から守ってくれた、たった一人の家族。
政府に自分たちを売った両親の事は覚えていないし、興味もない。
2人ぼっちの姉妹だ。
姉を失うことは、自分の半身を失うのに等しい。
(我が姉が楽しんでくれているみたいで良かった……わたしも棋雀の本でも探そうかな)
後ろ手を組みながら図書館を散策しはじめる。
目的の書棚を探して図書館をさ迷い歩いていると、棋雀の盤を机に広げている豪奢な服を着た少年が目に入った。
棋雀とは、世界的な競技人口をほこるボードゲームだ。
サカも愛好しており、アナやボディーガードを巻き込んでよく対戦している。
同好の士を前にして、無視することはできなかった。
吸い寄せられるように近づいてき、少年の背後から盤面を覗き見る。
「棋雀、図書館でやってもいいの?」
「ここは俺様の場所だから、俺様の好きにしていいんだ」
「はぁ……」
尊大な態度にサカは眉をしかめた。
『俺様は国に税金を納めているんだから、国の施設を自由にしていい』と考える輩だろう。公共施設に時々いる迷惑なお客さんかもしれない。
関わり合いにならない方がいいと思ったが、棋雀を見たら黙っていられないたちだった。
「……それ、詰んでるよね?」
気が付けば少年の背後から口を出していた。
「俺様も俺様の勝ちだと思っている」
「じゃあ、なんで盤をたたまないの?」
「『起死回生の一手を思いつきそうだが仕事が入ったから少し待ってろ』と言ったっきり、対戦相手が戻ってこないからだ」
「それでずっと待ってるってわけ?」
「そうだ」
「うーん、F-12に金馬を動かしてもやられるし、I-10の風蠍は死んでて、持ち駒もないし……駄目じゃないかな、これ……」
「俺様もそう考えている。J-15の火竜を持ってきて壁にする手も考えたが……」
「それだと――――21手先に地竜で投了だよ」
「ほう、なかなかわかっているじゃあないか、サカ=ダー・ガーミン」
いきなり名前を言い当てられても、サカは驚かなかった。
星の巡り合わせ、運命とでもいうのか。
「もしかして、あなたが【昏き書庫の悪魔】?」
直観からすべてを察して、口を開いた。
「そう呼ばれる事もある」
あっけらかんと頷かれる。
「が、ダアトというちゃんとした名前があるのだから、そっちで呼んでほしいぞ」
何やら言っているが、サカの耳には入っていない。
眼前でユグランスの軍事機密がボードゲームをやっているのだ。
「えぇ……本当に見つかっちゃったよ……」
そしてその事実をすんなり受け入れてしまった自分自身に引いていた。
少年の言葉に嘘はない。何となく、そんな感じがする。
この直観が外れた事はない。
アナが趣味を隠す建前に使った空言が現実になってしまった。
「これ、アナ姉に言った方がいいかな……いやでも、アナ姉は律義だから、上に報告するよね……そしたらわたしも報告書の作成とか、事情聴取とかに巻き込まれるわけだし……何にしても、きつめの折檻はもう確定済みだし……うわ、これ、正直者が馬鹿をみる典型だよ……」
「月も見どころのある奴だったが、お前も面白い奴だな」
「えへへ、それほどでもあるよ~……というわけで、ここはお互い何も知らなかった。そういう事にしない? そうしよう?」
「お前が報告しようがしまいが、この異相は俺様が認めた相手以外入れないから、俺様は捕まえられないぞ」
「よし、報告しなきゃいけない理由がきれいサッパリなくなった!」
「本当に変わった奴だな……気が向いた。去る前に一つ、お前にも悪魔の囁きを授けてやろう」
「それ、授けられていい物なの? 悪魔の囁きって、聞いたら悪い結果になりそうだけど……」
「悪魔はただ思わせぶりに囁くだけ……結果どうなるかは、お前次第だ」
「たちが悪いなぁ……」
「悪魔だからな、さあ、どうする? 聞くか? やめるか?」
「じゃあためしに一つ、授けられてあげよう」
「月と対立すれば大切なものを失う事になるぞ」
そう聞いた直後、サカは少年の胸倉をつかみあげていた。
サカにとって大切なものは一つしかない。
「お姉ちゃんの事を言っているの!?」
激情に駆られて少年を揺する。
「一つだけと、言っただろう?」
「告诉我(教えろ)!」
怒りと驚きのあまり、今ではあまり使うものが居ない古い母国語で怒鳴りつけていた。
「無駄だ。今言ったことは、俺様が異相を介して蓄積した知識に基づいて算出した現時点での確率と統計でしかない。未来は常に揺蕩っている」
いつの間にか胸倉をつかんでいたはずの少年が、遠くに佇んでいた。
距離をつめようとしても、サカの身体は彫像のように動かない。
少年と、少年を取り巻く世界だけが、ゆっくり遠ざかっていった。
背後から闇が迫ってくる。
「等一下! お願い、待って!」
遠ざかる世界を止める術をしらないサカは叫ぶ事しかできない。
運命に翻弄される人間を憐れむように、慈しむように、悪魔は目を細めた。
「現実は、お前自身の魂で見定めろ」
瞬きをしたサカが次に目にしたものは、何の変哲もない図書館だった。
少年の姿は影も形もない。
(アナ姉が……否、否否否! そんなのありえない……アナ姉だって超高位魔術師なんだ……アナ姉が負けるなんて、絶対にありえない!)
蒼白になったサカの肩が叩かれる。
振り返ると、そこに笑顔のアナ・ガーミンが立っていた。
「見なさいサカ! こんなに素晴らしい本が……どうしたのあなた? 顔が真っ青よ」
「なんでもないよ」
強引に白を切ったが、内心の動揺は収まっていない。
刈取り作戦で見た、膨大な魔力を放つ蒼い満月を思い出し、唇をかみしめる。
(なにか起こるというのなら、その前にわたしが、奴を―――!!)
「サカ? 本当にどうしたの? もしかして、何か拾い食いしてお腹が痛くなったとか?」
「…………そんなこと、時々しかしないってば」
「時々でもやめなさい……ああっ、思った以上に時間をくっちゃったわね。私はもう十分満足したから、帰ってもいいんだけど、サカは何かやりたい事とか行きたいところはないの? どうせ怒られるんだし、付き合うわよ?」
「……いや、いいよ。これ以上ここにいても、あの悪魔はもう出てこない気がするし」
「あなたそれ、まだ信じてたの? ごめんね、あれは方便で」
「わかってるよ。帰ろう、アナ姉……」
サカは歩き出した。いつもとは違う妹の神妙な態度に、アナは首をかしげながらも、後に続く。
サカは直観的に、悪魔の言葉に嘘はないと感じていた。
ほぼ確実に、再び月とまみえる事になる。
何があっても、やる事は一つだけだ。
物心ついたころから、ずっと変わっていない。
(わたしがお姉ちゃんを守るんだ!)