Episode:037 思ってたのと違う
限が呼び出されたのは校舎の屋上だった。
屋上の入り口は普段鍵がかけられているのだが、先を歩くソータはすんなり扉を開ける。
扉の先で限を待っていたのは5人の生徒だ。
特別クラスの王様スルタンを筆頭に、美男美女が揃っている。いつも一緒にいるオフィーリア・ミレイの姿だけ見当たらない。
スルタンとミレイ以外の生徒の名前を限は知らなかった。そんなに興味がないのだ。目立つために必要なことだけを終わらせたら、すぐに帰りたいと思っていた。
しかしソータも含めれば1対6の状況だ。簡単には逃がしてもらえないだろう。
身構える限に、スルタンが不機嫌そうに声をかけてくる。
「遅かったな」
大柄で横柄で眉目秀麗なジョアン・スルタンの年齢は、限の2つ上で、19歳だ。リベラル・アーツ・スクールのHRクラスは専攻と入学年度でまとめられるため、生徒たちの年齢にはばらつきがある。
「悪いジョアン、でも図書館から歩いたらこんなもんだよ」
実際は本を片付けるのに手間取ったせいだが、ソータは黙っていてくれた。
「俺になんの用?」
限から切り出した。
「今日呼んだのは、ゆっくり腹を割って話したかったからだ」
「手短に頼む」
気乗りしない時ほど、そう思う。
「穏便に行こうと思ってたんだが……そんな態度を取られると、考えが変わるぜ」
「俺はスルタンみたいに頭が良くないから、遠回しに言われてもわからないぞ」
「……イリアス・デルマを仲間に引き入れて、自分たちがクラスの中心だとでも言いたいのか?」
「そんなつもりはない。というかクラスの中心なんかどうでもいい」
「そうやって、興味ありませんってツラしながら、オフィーリアの心を奪ったんだろう?」
「…………は?」
「とぼけるなよっ!」
「オフィーリアって……オフィーリア・ミレイだよな? いや、どうしてそういう話になるんだ?」
「オフィーリアがお前を見る目、知らないとは言わせないぞ!」
(知らないんだけど?!)
寝耳に水だった。
オフィーリア・ミレイとは、同じクラスに居る以外の接点がない。
それなのに、どうして惚れた腫れたの話になるのか、理解不能だった。
難癖を付けるための、都合のいいこじつけにしか思えない。
それか、新手の美人局だ。
「いや、冷静に考えろよスルタン。俺はミレイと一度も話したことがないんだぞ、ありえないだろ?」
「信じられねえのは俺の方だ! だけどよ、男と女の話だ。どんなきっかけで惚れるかなんて、誰もわからねえだろう?! オフィーリアがお前みたいなボンクラに心移りしたかと思うと……思うと……! 糞ッ糞ッ! こんなに心が乱れる! オフィーリアだって、こんな風に、まともな精神状態じゃないかもしれないだろ!」
「失礼な発言はひとまず置いておくとして、当事者が違うと言っているんだから、信じろよ」
「そんな言葉だけじゃあ信じられねえな!」
「じゃあミレイは何て言ってるんだ? いま居ないみたいだけど、ちゃんと確認したのか?」
「聞いてもはぐらかすんだ! それなのに、教室でも、礼拝の帰りでも、デート中も、物憂げにお前の話をするんだぞ!」
「こっちだってまったく身に覚えがないぞ」
そう言いながら、限自身も言葉だけでは説得力に欠けると思っていた。
オフィーリア・ミレイと好き合っても付き合ってもいないと、証明できる物が一つもない。
それにスルタンと限の間には何の信頼関係もなかった。
クラスメイト以上でも以下でもない、友人未満の人間を、言葉だけで信じるのは難しいだろう。
「ジョアン、アーノ、その辺にしておけ。双方の言い分は並行線……真実はどうあれ、お互いがお互いを認め合わないと、結局わだかまりは残るだろう?」
ソータは限とスルタンの間に入るように、やんわり話し出した。
「俺たちには言葉よりも雄弁に真実を語り合う方法がある、違うか?」
ソータが握り拳で軽くスルタンの胸を叩く。
「なるほど、そういうことかソータ。俺はいいぜ! ……だがアーノ、お前にそんな度胸があるのか?」
限も何となく言わんとするところを察する。
「俺は貧乏だからそんなに高いものは買えないけど、売られたケンカくらいは買える。タダだからな」
「タダより高いものはないぜアーノ! 俺が勝ったら、オフィーリアから手を引け!」
限はさりげなく拳を握り、軽く膝を曲げ、すぐ動ける体勢になる。
「そもそも手を出してないんだけど……わかったよ、俺が負けたら、ミレイには二度と近寄らない。約束する」
そう言うや否や、限は戦闘態勢に入る。
男のケンカは古今東西共通のコミュニケーションツールだと、ケンカっ早い限は考えていた。
世界は違えど同じ男同士、不慣れな言葉で水掛け論を行うよりも、拳の方が百倍わかりやすい。
「両者合意ということで、いいね?」
「愚問だぜソータ!」
「それでスルタンが納得するならいいさ。やろう」
ケンカと決まれば、勢いと思い切りが大事だ。
ためらいなく、やりすぎなくらいの一撃を、スルタンにお見舞いする。
やる気は十二分だ。
浅く構えた限は、いつでも始められると、ソータに目で訴えかけた。
「では、ユグランスの伝統に則り、午後の授業がない2週間後の15時から、アーノ・カキュリとジョアン・スルタンは、グリモアパンクラチオンによる一騎討ちを行う! これは正式な一騎討ちだ、証人は、ここにいる皆がなる!」
「――――んあっ?」
今まさに殴りかかろうとした限がタタラを踏む。
「覚悟しろよアーノ! 俺のグリモア、ケレブレムMk-3が、お前のグリモアを完膚無きまでに叩き潰し、オフィーリアの心を取り戻す!」
「ちょっと待っーー」
「譲れないことがある魔術士同士、グリモアパンクラチオンの一騎討ちで白黒ハッキリつけるのはユグランスの常識! 俺らは魔術士見習いだが、これを知らない奴はいないよなぁ!」
静止の声をさえぎりながら取り巻きの一人が言い放った内容に、限は耳を疑う。
(知らないんだけど?!)
言葉で納得できない男同士、拳で語り合い、負けた方が相手の条件を飲む。
しかし苦戦した勝者と、善戦した敗者の間には、いつしか友情が芽生えていた。
「俺の負けだ。悪かった彼女のことは諦める」
「俺の勝ち……だけど、お前もなかなかやるな。誤解してたぜ」
そうして硬い握手を交わし合い、2人のわだかまりはとけ、学校で適度に目立つという目的も達成されてハッピーエンド。スタッフロールが流れる。
そんな展開を思い描いていた限は、予想の斜め上を行かれて、ただただ唖然としていた。
国ごとの風習や伝統については、まだ勉強ができていない。
「一騎討ち用のグリモアはそれぞれが準備する決まりだが……アーノ、お前みたいな貧乏人が、グリモアを用意できるのか?」
「最悪、訓練用のケレブレムを貸し出してもらえるだろ。格好はつかないがな」
取り巻きたちが口々に嘲笑混じりの言葉を投げかけてくる。
「そこまでだ。由緒ある一騎討ちを、心無い発言で汚すのは厳禁。お互い相手に敬意をもって戦いに臨んでくれ」
そうフォローするソータが「俺、いい仕事したろ?」とでも言うように、ウインクしてくる。
こんなに困る善意をはじめて味わった限は、開いた口が塞がらない。
「楽しみにしてるぜアーノ!」
捨て台詞を残してスルタンたちは去っていった。
ソータも彼らに付いていき、限は屋上に立ち尽くす。
少年は1人、空を仰ぎ見た。
雲の数を数えるようにひとしきり上を見続けたあと、ぽつりと帝国公用語で呟く。
〈……思ってたのと違う……〉
思い通りにいかない現実のほろ苦さを噛み締める限だった。