Episode:036 引力
世の中には、運や縁というものがある。
それは望むと望まざるとにかかわらず、人知の及ばない何かによってもたらされ、人間を翻弄する。
限は魔力乱流が関係した何らかの現象に運悪く巻き込まれ、ソサイエにやってきた。
魔力乱流は、世界抵抗の減衰率を超えて魔力を使い続けるとできるらしいが、世界抵抗を超える具体的な魔力量やソサイエのあらゆる場所で起こるのか等々、その発生メカニズムや性質には謎が多い。そもそも滅多に起きないため、検証が進んでいないのだ。
魔力乱流を任意に発生させる方法は未解明。そうわかった時の落胆は大きい。
地球帰還の調査は、はやくも暗礁に乗り上げていた。
ソサイエを知るという副目的がある程度の成果を上げていることが救いだ。
いま限の前には、魔術関連の本がうず高く積まれている。
今日はボディーガードを自称するお邪魔虫たちは非番だ。それぞれ用事があるらしい。
広大なリベラル・アーツ・スクール図書館の蔵書量は南エテリア大陸一だ。4階建ての建物の壁一面を書架が覆っている。
厳かな雰囲気の中、人型の重機――サマリーに乗った司書が、大量の本を入れたコンテナを抱えて移動していく。その見た目は、全身が丸太のように太く、寸胴で、腕が長くて手が大きい。
民生用グリモアは魔力が少ない一般人でも使えるように、機械的な運動を原形魔術と成形魔石繊維で補助して動く。ギアやダンパーといった部品がたくさん内蔵されているため、鈍重で大きいが、能率は悪くない。そんな人型ロボットが図書館を歩く姿は、なかなか見慣れなかった。
サマリーで作業をしなければならないほど多い蔵書の中には、帝国の新書もあった。
魔術は帝国発祥というだけあり、最新の魔術書はほとんど帝国公用語で書かれていた。おかげで魔術関連の自主学習は他に比べてやりやすかった。
列強はそれぞれ魔術の研究開発を行っており、独立都市国家は原形、皇国は変性、共和国は付与が得意なようだが、帝国は別格。彼の大国は、魔術のあらゆる分野で最先端をひた走っている。
一方、王国はといえば、帝国との戦争で鹵獲した魔術兵器を分析・模倣したり、外交取引や諜報活動を通して、広く浅く魔術研究を進めていた。
得意不得意がない反面、突出した分野もない王国が『女神計画』という仰々しい名前の計画を立ち上げたのは、技術力でも他国に負けていないことを証明するために、独自のノウハウを注ぎ込んだ初の純国産グリモアを試作するためだ。
巨額の資金を投じて完成したのは、普通の魔術士ではまともに扱えない革新的問題作なのだから、笑えない。好き勝手にアイデアを詰め込んだケイ・ルーデ技術少佐が原因だ。限が来なかったらキュアレーヌス・セレネはマウスのような失敗兵器として歴史の闇に消えていたかもしれない。
「精が出るな」
本から顔を上げると、対面にある机に一人の少年がボードゲームを広げて、ジッと盤面を睨みつけていた。
緋色に金糸の刺繡が施された豪奢な装束に身を包み、黄金の指輪と腕輪と首輪に宝石がちりばめられている。見るからに金持ちのボンボンだが、アーモンドのような瞳と八重歯がどこか憎めない、10歳前後の少年だった。
周りが見えないほど集中していたわけではないにもかかわらず、いつからそこに少年が居るのか、限にはわからなかった。
彼は限に目もくれず、不遜に言い放つ。
「お前が、アマノ・カギリだな?」
限は動揺を表に出さないように全神経を集中させた。
「誰かと間違えてない?」
稲妻に打たれたような衝撃に全身がこわばっていた。
(ばれた? どうやって? カマをかけているだけ? 確信されてる? 半信半疑? どれくらいの確度で言っている?)
疑問を巡らせた時間は2秒程度だが、少ない時間でも沈黙は不自然だ。
(難しく考えすぎるな、何にしてもボロは出せない)
必死で自然な表情を作る努力をしながら、何とか会話を続ける。
「そういう君は誰なんだ?」
「俺様はダアト。短い付き合いになるだろうが、まあよろしく」
「……こちらこそ、よろしく」
「どうだ、この図書館、すごいだろ? 全部俺様のなんだぜ?」
一度も目を合わせずに、淡々と自慢してくる少年。
内容はおもちゃを自慢する子供のようだが、その表情はピクリとも動かない。
少年は見た目に反して、どこか老成した雰囲気を漂わせていた。
限の疑問は尽きないが、動揺を隠すために、とにかく話し続ける。
「そうなのか……ダアトは裕福なんだな」
「裕福? なるほど……知は金に勝る万代の宝だとすれば、確かに俺様は裕福だ。思ったより賢いじゃないかカギリ。評価してやるぞ」
「人違いだけど……まあ褒められているみたいだし、嬉しいよ」
少年がはじめてボードゲームから顔を上げた。
何もかも見透かすような瞳孔には光がなかった。
死を目前にした老人に似た、暗い海の底のような虹彩が限を見つめる。
「俺様も嬉しいぞ。カギリは欠けているようだが、暗愚ではない」
「限じゃないってば……いや、ここでこうして勉強しているわけだし、どちらかといえば愚かな方だと思うけど」
「不知の知だ。知らないことを知らないと考えられる、それこそが智慧というものだ……必死で学ぶ必要があるような大きな悩みを抱えているのなら、俺様が相談に乗ってやるぞ?」
「いや、いいよ。ダアトには難しい問題だろうし」
随分ませているようだが、得体の知れない少年に、自分の悩みを打ち明ける気にはなれなかった。
「俺様に難しいことは、ほとんどない。それを証明しつつ“未来でカギリが俺様にくれる答え”の礼を、先払いしてやろう。今なら条件なしで、一度だけ何でも答えてやるぞ。ただし一度だけ、一回だけだ。心して聞くがいい」
そう嘯く。
自信満々な様子に、試しに聞いてみようか、などという気の迷いが生まれはじめた。
自分の正体を教えるわけではないし、ただ魔力乱流について質問するだけなら、大きな問題はないだろう。それに、ませた少年に難しい質問をして少し困らせてやろう、という意地の悪い考えもあった。
「わかった。じゃあ魔力乱流を発生させて、別の世界に行く方法を教えてくれよ」
「世界の法則を壊し切れば、時空の裂け目は生まれる」
間髪入れずにダアトは答えた。
「だよな、わからな……い――?」
「任意に発生させたいのなら、3つくらいの異相魔術を複数回、同一空間上で使えば、近似する宇宙の入り口くらいは開けるだろう」
「――まっ、待ってダアト、今の、もう少し詳しく教えてくれ、いや、ください!?」
「一度と言っただろ? だが、悪くない一問一答だった。強く儚い魂を持つ者は、そうやって無意識に運命を手繰り寄せてしまうから、運命に翻弄されやすい」
「君はいったい……」
「月の引力に惹き寄せられて、星々が集おうとしている。収穫祭の終わり、星降る夜が、預けた勝負の行方を知る最後のチャンスになるだろう……」
そう言う少年がボードゲームと共に、徐々に遠ざかっていく。
少年が歩いて移動しているわけではない。
景色の方が勝手にスライドして、暗くなっていく。
「待て! 待ってくれ!」
「心配しなくても強く儚い魂は必ず惹かれあう。また会える。会いたくなくてもな」
「まだ聞きたいことがある!」
「そのときは俺様に答えを教えてくれ。そこから先は勝敗次第だ――」
突然、限の脳天を衝撃が貫く。
ストロボライトのように世界が明滅した。
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瞬きの間に景色が刷新される。
跳ね起きた限の前には、先ほどまで変わらない図書館の光景が広がっていた。
ませた少年の姿だけが消えている。
ちょうど限の席の横を、サマリーが通り過ぎていくところだった。
歩行の振動で、積まれていた本が崩れて頭にあたったらしい。
「白昼夢でも見ていたのか……?」
驚くほど現実的で、鮮明な夢だった。
ダアトと名乗った少年の言葉は、しっかり記憶に残っている。
重大なヒントを得たという実感があった。
同時に、何かが起こりそうな予感がした。
「よっ、アーノ」
考え込んでいる限の肩を、後ろから誰かが叩いた。
ふり返ると、ソータ・アナッタが立っていた。
「ジョアンが呼んでる。少し時間を貰えないか?」
「スルタンが? えっと……拒否できる感じ?」
「できるけど、日を改めてまた同じことが繰り返される感じ」
「それはできないのと一緒だろ……わかった、行くよ。本をしまうから、ちょっと待ってて」
「手伝うよ」
書架を巡って本を片付けていく途中で、ソータが申し訳なさそうに謝ってきた。
「悪いな。ジョアンのやつ、ちょっとナーバスになってるんだ……たぶん誤解か、不幸な行き違いだと思うんだが……ヤバくなったら俺もフォローするから」
「いいって、ソータも立場があるだろ? ま、何とかなるだろ。たぶん……」
そう言うと、ソータが口笛を吹く。
「アーノ、もしかして慣れてる?」
「まあ、慣れてない事もない……のかな?」
地球に居たころから直観にまかせて無用な争いに首を突っ込んでいた。
若い身空で慢性的な胃痛と過労に悩まされているものの、ノトス―中央海戦や竜狩り以上でなければ、大丈夫だと思う。それにこれは、望んだ展開でもある。
目立つチャンスの方からやってきた。
悪い上司の思い通りに動くのは癪だが、報酬分の仕事はする。嫌いな相手だろうと、恩には報いなければならない。
「ははっ、自分のことなのに疑問形かよ」
「自分のことをちゃんとわかっている人間の方が少ないだろ」
「……そういう言葉を、ちゃんと周りに伝えていけば、もっと上手く立ち回れるだろうに」
「そういうアドバイスはもう少しはやくしてくれ。呼び出された段階で手遅れだろ」
「違いない」
やいのやいの言い合いながら二人は連れ立って図書館を後にした。
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活火山地帯のハーベスト・シーズンは、“無事に”鎮静化された。
不滅の白夜団以外に、地上と空に動くものは存在しない。
『聖女様、お加減はいかがですか?』
「何も問題ありません」
聖女と呼ばれた女性は粛々と答えた。
大勢の人間が死んだ事実に良心を痛めることもなく、天気の話をするような口ぶりだった。
赤黒いグリモアの中は、教会の懺悔室にパイプオルガンを押し込んだようなつくりになっており、かなり狭い。その中で拘束具に似た革のベルトで全身を固定され、ローブのフードを深く被った聖女の容貌は、うかがい知れない。ベルトで締上げられて強調された腰や胸のラインから、女性ということは確かだ。
「彼らは善く戦い、善く逝きました。更に善い人生が来世に約束されたでしょう」
そう言ったあと、聖女はうやうやしく両の手を握り合わせ、祈った。
「死は終わりにあらず、かくあれかし」
『かくあれかし』
「ああ、そういえば、3、4キロ離れたあたりに盗み見している不埒者が大勢いました。天罰が下ったようですが、念のためちゃんと全員救われたか、確認しておいてください」
『はっ、聖女様はどうされますか? お疲れなら、最寄りの街で休憩できるように取り計らいますが……』
「いえ、急ぎ背徳の都に“戻らなければ”なりません。あの都市は神意を霞ませる愚かな選択をしようとしている……アラマズド様のご意思に叛するのなら、彼らの事も救ってさしあげなければ……それに…………」
『それに……なんでしょうか?』
「……貴女、一目惚れを信じますか?」
『は?』
「一目惚れです」
『……え、あ、いや、はい? 聖女様? どうかされたのですか?』
「私がどうかしている? ……そうかもしれません。しかし、アラマズド福音書第3章23節で“正しく死に至るために、まず愛を育み、命の営みを受け入れなければなりません”と、主も仰られていますし……この気持ちを、私も受け入れるべきなのでしょう」
『聖女様が熱に浮かされたように話しておられる……やはり、お加減が優れないのでは……』
「いいえ、私の心身はすこぶる良好です。霧が晴れたように、やるべきことが明確になっています。これは天啓……あなた様は、私と共に歩むべき人……背徳の都などに居るべきではありません。
近く、お迎えに上がります……アーノ・カキュリ様……」