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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第二章 自由に集う星々編
39/63

Episode:034 週末

 ソサイエの1年は16ヶ月、1月44日、1週間は11日で、1日は地球と同じ24時間だ。

 各国は魔克暦のはじまりから共通して、1週間の内5、10、11日目を休みにしていた。

 3日間の休日を、限は軍の仕事がなければ寝て過ごし、余力があれば自主学習に費やしていた。


「――ノ、アーノ――」


 シーツにくるまりミノムシになった限の肩が揺さぶられる。


「うぅ…………まだ朝だろ……寝かせて……」

「もう12時だよ。ほら、起きるんだ」


 シャッとカーテンを開く音が聞こえてくる。

 窓から差し込む陽光が、ミノムシの中身をあぶり出した。

 寝起きでぼやけた視界に後光のさす女神が映りこむ。


「……おはよう、イリアス……」

「おはようアーノ」

「…………いや待って、どうしてイリアスが俺の部屋に?」


 そう言うと、イリアスは鍵につながったキーホルダーを人差し指にはめて、くるくると回して見せた。


「昨日、昼になったら起こすようにギーに頼んで、合鍵を渡しただろう? 彼、急な用事で来られなくなったから、代わりに頼まれたんだ」

「そういえば、そうだったか……助かったよ、ありがとう」


 金髪美人に起こされたおかげで、少し得をした気はするが、微笑みながらサムズアップして空に浮かぶギーが偲ばれた。死んではいない。

 寝ぼけまなこでイリアスを見やると、今日は三つ編みをほどいて背中に垂らしていた。

 ピンクチェックの長袖シャツに淡いグレーのカーディガンを羽織ったパンツルックのイリアスは、完全に性別が反転している。


(相手は男相手は男っと)


 限は定型文テンプレートを唱えて冷静になる。

 この頃やけに距離が近い女性的なイリアスに対して、少年が編み出した煩悩必殺ワードだ。ノーマルをアブノーマルに引きずり込む中性美人の魅力を頭から漂泊してくれる。

 慣れたもので、すぐに気持ちを切り替えた限は、シーツを跳ね除けて着替え出す。


「そ、外で待ってるよ!」


 イリアスが慌てたように出ていった。

 限は疑問符を浮かべる。


「待ってるって、ほかにも何か用があるのかな?」


 ハーベスト・シーズンに代表されるソサイエ独自の過酷な自然環境に苦しめられてきた人類は、魔術の発達によって文明を拓いた。

 平和になり、国家が生まれ、経済が育まれると、次に起きたのは戦争だ。

 魔克歴が始まり時が経つにつれて、自然災害による盛衰が、人災による興亡に変わっていった。


 統一グランベル帝国、神聖ガルテニア皇国、クリノン共和国、独立都市国家、そしてイーリス王国は、魔克歴400年代における生存競争の勝者と言える。

 暫定の、と付け加えなければならない世情は、予断を許さない。


 帝国東部では皇国が少数民族を援助する形で代理戦争をしかけ、新たな超高位魔術師を得た王国はノトス―中央海戦争の傷跡が癒えきっていない。敗戦した帝国の各州はひりついており、輪をかけて不安定になりつつある。

 火種はそこかしこにあり、いつまた戦争が起きてもおかしくない。


 戦の勝敗を決める重要なファクターの一つが、超高位魔術師だった。

 その一人である自覚がようやく芽生えはじめた限は、日々自分を酷使していた。

 自ら望んだこととはいえ、軍と学校の二重生活はかなりハードだ。


 リベラル・アーツ・スクールで出される課題は授業をしっかり頭に入れていなければ解けないし、授業についていくためには予習復習が欠かせない。

 限はイーリス語で行われる授業を選んでいるが、専門用語は単語の意味から調べなければならず、イーリス語の勉強をしながら魔術学を勉強しているような状態のため、労力は倍だ。

 並行して地球に帰る方法を調べ、夜はグリモアで魔物を倒しまわり、報告書等の事務処理を済ませてから朝に帰る。そのあと仮眠をとってまた学校だ。毎日疲れが抜け切らない。


 しつこく残る眠気を、頭を振って頭蓋の内側から締め出しながら、部屋の鍵をかけて外に出る。

 壁に背を預けて俯き気味に物憂げな表情を浮かべていたイリアスが、限に気付いた。 

 その表情が輝き、ぱたぱたと小走りに近づいてくる。


「それで今日は何をするんだい? 私も付き合っていいかな?」


 そう言って、上目遣いに限を見上げてきた。


「――ああ、付き合おう」

「どういう意味かな?」

「あ、いや、違う。イーリス語は難しいな、ほんとうに……」

「帝国公用語の方が難しいと思うけど?」

(なに今の仕草……うっかり告白するところだったけど?)


 するところではなく、していた。

 起きたばかりで回りきらない頭を、壊れた古い家電を直すように数度叩く。


「で、何をするって?」

「あ、うん……教会に行こうと思う」

「教会?」

「休日はアラマズド教の教会が一般に解放されて、スクールにない宗教関係の本が見れるらしいんだ。それが見てみたい」

「何時まで?」

「閉まるまで居るつもりだけど……なんならイリアスは先に帰ってくれてもいいよ」

「確か先週の休みも、先々週の休みも、寝る以外は図書館で勉強をしていたよね…………君、ちゃんと休んでる?」

「当たり前だろ。昨日は一日寝て過ごしたし」


 正確には、一日中ベッドに突っ伏して動けなくなっているだけだ。

 本人には超高位魔術師の自覚はあっても、働き過ぎの自覚がなかった。

 それだけ地球に還りたい、現状を変えたいという思いが強いのだが、オーバーワークは不安の裏返しでもある。


 疲れ切って頭を空っぽにしてしまえば、余計なことを考えずに済んだ。


「アーノ、休日は休むものだよ?」

「知ってるよ。だからちゃんと休んでるだろ?」

「……わかった、予定変更だアーノ。今日は私に付き合ってもらう」

「いや、でも……」

「デモもストもないよ。損はさせないからさ」

「うわっ……!」


 イリアスに手を握られた限は、後に続く他なかった。


(相手は男相手は男……)





 //





 自由都市ユグランスには3つの顔がある。

 様々な形の住宅が並ぶ居住区、行政機関や病院などの公的施設が集まった行政区、商店や工房が屋根の付いた歩廊式の建物に軒を連ねる商業区の3つだ。


 イリアスに導かれるまま、限は休日の商業区に足を踏み入れた。

 大声で商品を売り込む商人がいれば、恰幅の良い女性が値切り交渉に精を出し、6枚羽根の目玉のような魔物を笛の音で操る大道芸人がおひねりを貰っている。ユグランスらしく、売り物や出し物は何でもあり。立っているだけで酔いそうな混沌とした熱気が充満していた。

 魔術インフラのある都市の常として、一定間隔で建つピラーが、限には違和感を感じるところだった。


「……それで、どこに行くつもりなんだ?」

「目的地はここじゃないけど、せっかくだから少し何か食べて行こうか」


 イリアスが指さすお店の看板には、トリア語――主に皇国と帝国東部で使われる言語――とイーリス語で氷菓子屋と書かれた。

 ソサイエには冷蔵庫やガスコンロに似た機器が存在する。

 魔術インフラが魔術を供給し、家電のように使われているのだ。

 一瞬で凝固・沸騰させた水を何もない空間に生成したり、熱や機械を使わずに金属を加工できたりする。電気テクノロジーのない世界で魔動空母やグリモアが作れるのも、やはり魔術のおかげだ。

 スクールでソサイエの社会学や魔術学を学んだ限は、この世界が魔術に依存する理由がようやく理解できてきた。

 無から有を生み出し、物理法則に縛られない魔術の用途は無限大だ。

 世界抵抗の影響で安定して長く維持できないが、魔術インフラがあれば飢餓や干ばつも無縁だろう。地球でも実用化できれば、電気に取って代わる新たなエネルギー源になるかもしれない。


<おんや、可愛らしいお客さんだねぇ>


 色黒のおばあちゃんが、椅子から立ち上がって歓迎してくれる。


<こんにちは、カップアイスを2つ、味は……アルデとイーラのダブルで、砂糖チーズをトッピングしてよ>

<あいよ>


 イリアスがトリア語で淀みなく注文する。

 軍の士官学校を卒業した貴族パトリキのスペックはかなり高い。魔術を修め、語学に長け、他国の文化や世情に精通したイリアスは、軍務と授業を難なく掛け持ちしている。頭の出来が違うのだ。

 実際、イリアスが来てくれたおかげで予習復習や課題の負担はかなり減った。

 本当にいろいろサポートしてくれて助かっている。これで見た目も性格も良いのだから、世の中不平等だと思う。


<そんだけ別嬪べっぴんだと、モテてしょうがないだろう?>

<不特定多数に好かれるよりも、尊敬できる大切な一人に振り向いてもらいたいよ>


 イリアスとおばあちゃんから流し目を使われたあと、何故か笑われる。

 限には何を言っているのかわからないので、すこぶる居心地が悪い。


<可愛い上に一途とは恐れ入った。あたしの若いころにそっくりだよ>

<若い頃って、お姉さんもまだまだ現役でしょ?>

<ヒャッヒャッヒャッヒャッ! 老人会のマドンナ・ミレイといえばあたしのことさね>


 何やら盛り上がっていた。

 楽しそうに会話する2人を少し離れて眺めていると、イリアスが礼を言いながら受け取ったカップを差し出してきた。

 限がお金を出そうとすると「無理に付き合ってもらってるんだし奢るよ」と返された。

 対等の友人に無暗に奢られたくないと思ったが、値段を聞いて、財布の中を見たあと、友人の厚意に甘えることにした。ソサイエのアイスクリームは高級品だった。

 大人しくカップを受け取ると、カラフルな丸いアイスが3つ入っていた。


<お前さん可愛いからサービスだよ>

「聞いた? 私が可愛いからサービスだって」

「トリア語はわからないから信じるしかないけど、謙遜って言葉、知ってる?」

「ワ国で美徳とされた考えだよね。セキヤさんも同じような事を言っていたよ……イーリスでは優れた点があれば積極的に言う方が好まれるんだけど、君もしっかり帝国人エンパイアンなんだな」

「まあね……」


 限は、統一グランベル帝国の母体となったワ国と日本の類似性に思いを馳せる。


大鐘オオガネ鈴夜スズヤ――帝国公用語はほぼ日本語だし文字の作りも同じ、通俗的な考え方も似ている……この体験が長い夢や妄想でなければ、パラレルワールドだと仮定して、近い世界同士、同じような人間が同じような文化を持って、同じような言語を使うのは、全部偶然の一致なのか、それとも帝国と日本に何らかの接点があるのか……地球に帰るためにも、もっと帝国を調べたいんだけど……簡単に行けないよなぁ、あそこ敵国だし……)


 黙考していた限の肩が叩かれる。

 叩いてきた方を向いたら、頬に人差し指が刺さった。


「……なに?」


 限は真顔でイリアスに質問する。


「私と一緒にいるのに無視しないでくれ」

「彼女か!」

「そ……そう思う?」

「そこで照れるな、変な空気になるだろ」

「変なって、どんな?」

「…………」

「…………」

 

 男と男のような何かが無言で見つめ合う。

 雑踏のざわめきがミュートになったような時間がゆっくりと過ぎていった。

 アイスに刺した木のスプーンが倒れてカップの縁に当たる音で、2人は我に返る。


「こんなだよっ……」

「ふふふっ、新鮮で楽しいね」

「貴族の感性どうなってんの……」


 ちなみに今の無音の間も限は心の中でずっとテンプレートを唱えている。


「まあまあ、眉間にシワを寄せていたら休まるものも休まらないよ。食べながら少し歩こう」


 気を取り直して、イリアスと限は本格的に街を散策しはじめた。

 商業区にある大きな噴水を見たあと、土壁の家々に挟まれた階段を登る。

 アイスを食べ終わるころ、2人は高台にある小さな空き地にたどり着いた。

 あたりには誰も居ない。 


「ギーに教えてもらったんだ。地元の人くらいしか来ないらしい」

「へー……いい眺めだな……」


 高台の空き地からは、ユグランスの街並みが見渡せた。

 交易の要衝であるユグランスは、南エテリア大陸の文化の交差点だ。

 西欧風の建物で画一的に整えられた王国とは違い、自由都市内には南エテリア大陸すべての建築様式が取り入れられていた。

 パルテノン神殿のような古代ギリシア建築に似た公衆浴場の横に、ゴシック建築のようなアラマズド教の修道院があるかと思えば、台湾の寺院にそっくりなクリノン共和国の公館があった。

 異種混交ハイブリディティがユグランス文化の特徴だろう。


「風が気持ちいいね……」

 

 異国情緒を味わうイリアスが、風にたなびいた自分の長い髪をかき上げる。


「ああ……」


 同意するようなため息が漏れる。

 憂鬱ではない感嘆のため息を吐いたのは久しぶりだ。

 ゆっくり景色を眺めるような時間を持つのは、いつぶりだろう。


 ソサイエに来てからは、他人の望みや状況に引きずられながら、がむしゃらに進んできた。

 生きている者も、死んでいった者も、誰もが天野 限ではなく、蒼い月光を望んでいた。

 いつも何かに追い立てられている。

 無念を抱えたまま解き放たれた魂のほとんどが、限に怨嗟と羨望の声を届けて逝く。

 殺した帝国の魔術士の断末魔は、今も記憶に残っていた。

 立ち止まってしまったら、過去に肩を掴まれるような気がした。


「カギリ」


 手に感じたぬくもりで、限は我に返る。


「悪い、またぼーっとしてた……」

「君は少し、頑張りすぎだ」

「そうかな……まだ足りない気がするんだ。もっと上手いやり方があるんじゃないかって……いつも考えてる」

「顔色が悪い。考えすぎはよくないよ」

「……いや、ごめん、男が男に泣き言を吐くなんてダサいよな」


「…………私が男じゃなかったら、気兼ねなく弱音を吐ける?」

「え?」


 イリアスが居住まいをただす。


 思い詰めた顔には、憂いと恐れと、かすかな期待が入り混じっていた。


「カギリ、私は――――」

「アナねぇ、見て見て、5段アイスのヘッドストール! わたしのバランス感覚すごくない?」

「はしたないからやめなさいっ!」


 姦しいイーリス語が聞こえてくる。

 限がチラリと見やると2人の女性が高台に続く階段の下の方から歩いて来ていた。

 鏡合わせのように片方の髪を伸ばし、片方の髪を団子にした彼女たちは、よく似ている。おそらく姉妹だろう。1人は5段アイスの入ったカップを頭に乗せてバランスを取っている。行動の意味は分からないが、これでもかというほど休日を満喫しているようだった。


「ちょっとアナ姉、見て見て!」

「今度は何よ?」

「男の子同士で手をつないでる! ……ん? あれ男の子かな?」

「その素晴らしい光景はどこよっ!?」

「はしたないからやめなよアナ姉……」


 切れ長の瞳をサーチライトのように光らせて周囲を見回す女性に気付かれる前に、2人はスッと離れた。


「……イリアス、何か言いかけていたけど?」

「……いや、今は止めておくよ。それより、せっかくユグランスにいるんだから、私たちも自由を謳歌しよう。行こう、君に見せたいものがいっぱいあるんだ――」


 週末はまだ始まったばかりだった。


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