Episode:033 不自由な自由
魔克歴415年第13月10日。
限は夕陽が照らし出す教室の隅で、図書館から借りてきた本の中から、魔力乱流が書かれたところをノートに写していた。
実績を積み、地球に帰還するために必要な情報を得られる立場になるという目論見は、リベラル・アーツ・スクールに入る事である程度の成功を収めたが、これから先はわからない。
いつまで学校に居られるかは、今後の情勢次第だった。
自由になれる内に、許されている内に、学べるだけ学んでおきたかった。
少しの時間も無駄にはできない。
「ユグランスのケレブレムは、飛翔魔術の最高速度と巡航速度の差がほとんどないからすごいよ」
「はじめて飛翔魔術で中央海を縦断したのは、アルベルト・コルレアーニが乗るコル・ケレブレムだからね。簡単な付与魔術が施された大きな弓や剣で前時代的な戦争をしていた第一世代のグリモアに翼と盾を授け、第二世代機に飛躍させた起爆剤がケレブレムなんだ。原形魔術関連の研究開発は、南の列強の中でもユグランスが頭一つ抜けてると思うよ」
無駄にはできない。
「コルレアーニはイーリスではむしろ政治家として有名だけど……あまりよく言われてないかな」
「あはは……まあ、そうだろうね。魔術士として第一線を退いた後に政界入りして、際どい外交政策を推し進めた張本人だし……ユグランスにとっては自国に大きな利益をもたらした英雄だけど、他国からすれば利益を掠め取っていった盗人……でも、謀略の虹と呼ばれているイーリスには負けるかもね」
無駄には、できない。
「立場上ノーコメントで」
「同じ穴の地竜だよ」
(…………似た者同士って意味かな)
気が散ってしょうがなかった。
「コルレアーニは魔術の研究者としても優秀だったから、この学校の名誉教授にもなってるんだ。御年90歳の生きる伝説も、今は病気で入院中。回復してくれるといいけど……」
「多才な英雄も寄る年波には勝てない、か」
「一世紀近くユグランスを支えた彼を失うのは大きな損失だよ」
「息子が新人政治家として期待されているそうじゃないか」
「コルレアーニ2世も優秀ではあるんだけど……父親が偉大過ぎるとどうしても、ね」
「2世は比べられるから大変だな……わかるよ」
「え、わかるの?」
集中力が切れた限は、ついに口を出す。
「……あのさ、喋るなら他でやってくれないかな? 集中できないだろ」
「いやいや、むしろ感謝してほしいくらいだよ。僕は君の事を心配して、ここにいるんだよ?」
「どういう意味」
「イリアスをこっちに引き抜いて、HRでスルタンたちの顔を潰しちゃったから、アーノは目を付けられているんだよ。一人になったら君、どんな目に遭うかわからないよ?」
「引き抜かれたなんて心外だ。自分の友人くらい自分で選べる」
「と、本人も言っている。同じ教室でこっちもあっちもないだろ。事実無根だ」
「事実がどうあれ、イリアスみたいな人間が、僕らみたいなモブと一緒にいるのが、スルタンたちには面白くないみたいなんだ」
知ったこっちゃないと全力で叫びたい。
「“自由”都市の、“リベラル”・アーツ・スクールで、友人を選ぶ自由はないのか?」
「上下関係や暗黙の了解みたいな型やルールに、人は人を当てはめて考えたがるものだよ。教室の隅にいる奴らは冴えない連中で、中心にいる人間よりも格下。そういう共通認識をみんなが持っていて、口にしないけど心のどこかで全員がそう思ってる。自由都市だからどうってわけじゃなく、秩序の上に立つ人間は、秩序を乱す人間が許せないんだ」
「だから身の丈に合った交友関係を築けって? 馬鹿らしい」
限も本心では平穏無事な学校生活を送りたいと思っているが、“適度に目立て”という中佐の指示がある手前、空気を読んでばかりもいられなかった。
目立つといっても色々な目立ち方がある。
真っ当なところでは、勉学でとびぬけた成績を収めたり、スポーツで優秀な結果を出したり、人脈を広げて名を売る方法が考えられるが、そのどれも今の自身の能力と立ち位置では実現できそうになかった。
逆に不良行為などの失点を重ねて、悪い意味で有名になる事もできるが、気は進まなかった。
イリアスと中佐は、肝心の方法についてはノープランだった。「いや肝心なそこは行き当りばったりなんかーぃ!」と限は下手な関西弁で突っ込んでしまった。それを聞いたイリアスが不思議そうな顔で「その変な帝国公用語はなんなの?」と可愛らしく小首を傾げてきたときには、危うく性別に関係なく告白しそうになった。閑話休題。
要するに手段は問わず、という事なのだろうが、できればストレスの少ない手段は選びたかった。これ以上心労がたまると胃に穴があきそうだ。
波風を立てずに目立つ方法があるのならば、喜んでその方法を採用する。
しかしそんな都合の良いやり方を簡単に閃くわけもなかった。
「イリアスもそう思うよな?」
「まあね。わかりやすい階級社会でない分、ユグランスの人間関係は複雑怪奇だ……自由だと余計な面倒も増えるのかもね」
すでに限の意志はイリアスに伝えてある。
目立つために、2人はスルタン王朝に喧嘩を売ろうとしていた。
いまはその準備段階だ。
「自由も過ぎれば毒になるから、誰も自由になり切れないのに、自由を求めずにはいられない……人はみんな、自由の奴隷なんだよ」
どこか遠い目でギーがそう言ってくる。
何か思うところがあるのかもしれないが、内心は読めない。
「――てめェら、ずいぶん仲がいいじゃねェか」
横合いから会話に加わってきたのは、クラスの自称不良――スティーブン・クイーンだ。
長髪を赤と緑でつむじから半々に染めており、鼻にはピアス、上下に皮の服を着て、全身に銀のアクセサリーを身に着けている。制服も自由なリベラル・アーツ・スクールとはいえ、ここまでパンクでサイコな装いの人間はそうそういない。
見た目と同じで言葉遣いも荒いが、実は常識人で面倒見がいい。しかもエテリア大陸の4つの主要言語を操るクァドリンガルだ。
「俺はこの2人に迷惑してるんだよ、スティービー」
そう気安く話しかける。
限はスティービーの事を外見が尖りきっているだけの良識ある秀才君と思っていた。
「スティービーと呼ぶんじゃねェぜ糞カキュリ! ダラダラくっちゃべってねェでさっさと帰れや。じき日が暮れるぞ!」
「……ギー、一応聞くけど、彼は怒っているわけじゃあないんだよね?」
「スティービーは『危ないから早く帰った方がいいよ』と心配してくれているんだよ」
「あァん!?」
コソコソと話すギーとイリアスにスティービーがメンチを切るが、あまり怖くない。
垂れさがった眉毛と目じり、ふっくらした頬をした可愛い顔の彼が眉間にしわを寄せても、困っているようにしか見えないのだ。
「でも確かに、アーノとイリアスは仲良すぎだと思うよ?」
ギーも少し顔を赤くしながら、限とイリアスの距離感を改めて指摘する。
2人はカップルシートに座る男女のような距離で並んで腰かけていた。
集中力が続かない一番の原因がこれだ。
最近、気付いたらイリアスが近くにいる。一緒にいるときは、やたらと接近しようとしてくるのだ。イリアスのパーソナルスペースがぶっ壊れていないか限は心配していた。
「まあ僕は“そういうの”に理解があるから、別にいいけど」
「そういうのってなんだよ、ギー」
「アーノはなんだと思う?」
そう言うイリアスが意味深な微笑を浮かべながら、ぐっと顔を寄せてくる。
「し、知らん! あと近い、近いって」
いよいよ肩が触れ合う、イリアスの鼻筋が頬に当たりそうな近さだ。
お互いの吐息が感じられる位置に美形が迫ってくると脳が混乱する。
もう勉強どころではない。
「……てめェら揃いも揃って俺をコケにしやがって!」
「わかった、わかったよスティービー、帰るよ」
スティービーの荒げた声が、限には助け舟のように感じられた。
素早くノートなどをカバンに詰め、イリアスから離れる様に立ち上がる。
「糞カキュリ! 帰り道は背中に気をつけろよ!」
「……アーノ、一応聞くけど」
「『一緒に話せて楽しかった、夜道に気を付けて帰りなよ』だ」
「てめェアーノ、明日面貸せや!」
「今のは私にもわかった。『アーノ、また明日ね』だよね?」
「「正解っ!」」
「糞がァッ!!」