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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第二章 自由に集う星々編
36/63

Episode:XX4 謀略の虹


 時間は今から少しだけ遡る。


 例年の事だが、ハーベスト・シーズン中の各国の軍は多忙を極める。

 内地にある魔獣の巣の活性化は、エテリア大陸の人類が分かち合う痛みだ。

 イーリス王国、クリノン共和国、神聖ガルテニア皇国、独立都市国家が、足並みをそろえて魔物に対抗している。

 毎年建策される刈取り作戦は、大規模な国際的防災事業だ。この時期だけはどれだけ敵対していても表向きは手を取り合わざるをえない。


 南海方面軍魔術兵器開発実験部隊の面々は、旗艦であるクロノス・ミカニの修復と、部隊再編のため、慰労を兼ねて約1ヶ月の休暇が与えられた後、東方方面軍に吸収された。

 人材が払底しかけている王国軍は、使える人間を遊ばせておく余裕がない。

 かき集めた人材を東奔西走させて何とか刈取り作戦に参加している、というのが実情だった。


 ガオケレナ大森林から西に数キロ離れた平野に、イーリス王国軍は集まっている。

 王国軍が刈取り作戦のために使う前哨基地であり、航空基地だ。

 航空力学に頼らない兵器を扱う関係上、滑走路はない。

 ちょうど日が落ちた基地で、円状に設置された管制灯が、停泊中のヘルメス・スピーラと【クロノス・マケリ】――クロノス型の2番艦――の巨大な船体を、わずかに照らし出している。


「よく来てくれた、イリアス・デルマ少尉。非番にすまないね」


 基地中央にある指令所の一室で、私はゲート・ペイン中佐と向き合っていた。

 東方方面軍に戦術補佐官として招聘しょうしゅうされたペイン中佐に割り当てられた高級士官用の広い個室は、軍帽とコートがかけられたコートハンガーと、サーベル型の指揮刀しきとうが飾られたラック以外、大量の書類に埋め尽くされていた。

 書類に埋もれた広い机の椅子に足を組んで深く腰を掛けた部屋の主の顔には、歓迎を示す笑顔が張り付いている。


(危険だな……)


 私は警戒心を強めた。

 腹に一物、背に荷物、全身に散々、いろんな物を隠しているような人物だ。

 中佐との駆け引きや舌戦は、遠慮願いたい。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」

「まあまあ、地獄のノトス海を生き残った者同士、積もる話もあるだろう」

「ないです。まさか世間話をするために呼んだわけではないでしょう」

「……世間話、嫌いかい?」


 シュンとする上司。かわいくない。

 人を油断させるためのポーズではないかと、変に勘ぐってしまう。


「私も暇ではありません」

「嫌われたものだ」

「好き嫌いの問題ではありません。仕事として必要なお話ならばご拝聴させて頂きます」


「ふむ……好悪こうおが表情に出ないな。感情の殺し方は満点だ。御父上によく似ている」

「父に会ったのですか? 最近は病気であまり表に顔を出していなかったはずですが……」

「デルマ子爵の事ではないよ。ティシポネ・ト・テロス・デルマイユ公爵閣下だ」

「何の話ですか? 私はリニ・デルマ子爵の息子、イリアス・デルマですが」

「そういうのはいいよ、事情はだいたい把握している」

「お言葉の意味をわかりかねます」

「徹底しているね。動揺も見られない。いいね、やはり君が適任だ」


 ペイン中佐が立ち上がる。

 その右手には、いつの間にか指揮刀が握られていた。


「“私たちに”協力してもらえないだろうか」

「先ほどから何を仰っているのですか?」


 言葉による揺さぶりに引っかからないように自然体を装いながら、気を張り詰めていた私は、その行動の意図が読めなかった。


「蒼い月光は今、偽名を使いリベラル・アーツ・スクールに通っている。彼と行動を共にし、うまくたらし込んでほしい」

「そんなところに何故、ブランドメイジが……そもそも私は男ですよ? からかわないでくださ――」


 一閃。

 白を切る私の皮膚の上すれすれを、縦にサーベルの切っ先が走っていき、軍服の前がはだけた。


「きゃあああああああああっ!!」

 

 きぬを裂くような素の(ひめい)が響き渡る。

 私は自分自身を両腕でかき抱き、座り込んだ。

 

「あ、あなたという人はっ! 信じられないっ!!」


 恥辱と怒りでまなじりをつり上げた私に対して、ペインは肩をすくめるだけだった。


「すまない。愚かな私には、話をスムーズに進める方法がこれくらいしか思い浮かばなくてね。ちゃんと弁償するよ」


 そう言いながら、ペインはかけてあったコートを差し出してきた。

 私は奪い取るようにコートを着て、前を閉じる。


「もう一度言うよ。君が適任だ、イリアス・ト・テロス・デルマイユ」

「本当にすべて知っているのですね……」

 

 私は観念して立ち上がった。

 

「さっきからそう言っている」

「……理由を説明してください。どうしてアマノ・カギリがユグランスに居て、彼をたら……籠絡ろうらくする必要があるのですか? しかも、なぜ私が――」


 そこまで言って私は、はたと気づく。


「そうか、私との関係性を深めさせて、彼の政治的中立を保とうと考えているのか……」

「ご明察。デルマ子爵は爵位こそ低いものの、革新党派閥に長年貢献してきた重鎮だ。そして君の本当の御父上は現保守党党首……君と一緒にいれば、アマノ・カギリはどっちつかずの存在でいられる。外野から余計な事をされて大事な戦略兵器を駄目にされたくない……あと、言葉通りの依頼でもあるよ? 彼のイーリスに対する帰属意識はそれほど高くない。生きる理由も死ぬ理由も、愛に勝るものは少ないだろ?」

「……カギリが非協力的なのは、そういったあなたの言動のせいではないですか?」

「痛いところを突くね君……まあ、私は必要悪の鞭さ。ほしいのはアメだ」


「それがデルマイユ公爵の考えですか?」

「……どうしてそう思う?」

「あなたは最初に“私たち”と言った。私の事情を知る人間は父とデルマ子爵の他にはいない。デルマ子爵は体調の問題で長く面会謝絶。残るのは父だ」

「…………」

「この案、蒼い月光の政治的中立を保つためと言いつつ、最初からあなたは保守党寄りの人間だ。ユグランスにカギリがいるのは、露骨になってきた蒼い月光の引き抜き工作から彼を守るためだと一瞬考えましたが、戦略兵器を他国へ送る外交リスクは派閥争いよりも危険だ……ユグランスにバレたら大事ですよ? こんなやり方、まるで……」

「帝国のようだと言いたいんだろうが、この采配は保守党だけでなく革新党からも認められた正式な秘密作戦だ。いずれその時が来れば、彼がユグランスに置かれた意味がわかるだろう。もっとも、その意味が最後までわからないままの方が、王国としては望ましいんだけどね。個人的にも、これ以上彼に嫌われるような命令はしたくない……」

「それでは判断できません。情報が足りない。訳を説明してください」

「まだ卓にプレイヤーは出揃っていないし、カードも配られていない。不確定要素ばかりの中で結論は言えないよ。どう転んでもいいように、イーリスはいくつもの腹案を刈取り作戦に並走させているが……この時代のうねりは大陸の地図を書き換えるかもしれないな」


 半ば独り言のようにつぶやかれた感情を感じられない怜悧な声に、私は思わず黙り込む。

 ペインのガラス玉のような瞳に光はない。


「歴史の分岐点で、王国は、アマノ・カギリは、何の役割を担うというのですか……」

「それを決めるのは自由(ユグランス)だよ。我々はただ、このまま何事もなくハーベスト・シーズンが終わる事を願うばかりさ……」


 人間離れした者が多い魔術士よりも、ペインは非人間的に感じられる。

 人と話している気がしなかった。 


「君にも選択の自由はある。協力するか、しないか。選んでくれ」

「断れば?」

「第二、第三候補に順番が回るだけさ」


 顔も知らない女に跪く友人が思い浮かぶ。

 彼が、その女の手の甲に口づけして、愛を囁く。

 そんな場面を想像したら、形容しがたい気持ちが湧き上がってきた。


「――お引き受けします」


 考えて答えを出すよりも早く、頷いていた。

 私は、勝手に言葉を紡いだ自分の唇に手を当てる。


(……状況をコントロールできる立場にいれば、カギリのために何かできるはずだ。彼は守らなければならないイーリスの宝で、私の友人……友人を助けるのは当たり前の事だし、自然だし、普通の事……だよね……そう、それだけ、それだけだ……)


 理由は後から付いてきた。

 まるでそう自分に言い聞かせるように、友人友人と反芻して、自らをそう定義する。

 それでも熱を帯びた唇は正直だった。

 どうしようもなく心が揺らめいている事を、否定できなかった。


「なら、近く君にもリベラル・アーツ・スクールに行ってもらう」

「しかし私は彼に男と思われています。まずこの認識を改めなければ、色々と支障はないですか?」

「そのあたりも考えてある。このマニュアルに目を通しておいてくれ」


 差し出された分厚いレポートに、これからの計画や行動内容、注意事項がびっしりと書かれていた。

 レポートの表題は『10代男性の感情を効果的に揺さぶり効率的に恋仲へと至るPDCAサイクル手法』。思わず頬が引きつった。


「……まあ、あれだ……君の不安もわかるが、障害があればあるほど恋は燃え上がると言うし、何とかなるだろう……たぶん」


 それまで流暢に話していた男の歯切れが急に悪くなった。

 私の不安は増大した。


「……これ、誰が作ったんですか?」

「ケイ・ルーデ技術少佐だ。頼んだら一日で仕上げてきてくれたよ」

(本当に大丈夫なのこれ……)


 本音を口にするのはギリギリで堪えた。

 ケイは知らない仲ではない。

 私も大人なので、彼女の名誉のために言葉を選んだ。


「引き受けるからには、微力を尽くします」

「よろしく頼むよ。この任務における諸般の事務処理は、全てこちらで済ませておく。軍務と掛け持ちにはなるが、心置きなくキャンパスライフを楽しんでくれ。あと、この話は超高位魔術師に関係する最重要軍事機密だ。くれぐれも他言はしないように」

「ここで起きた事は口外禁止、という事ですか?」

「そのとおりだ」

「…………わかりました、では――」


 私はすっとペインに歩み寄る。

 一蹴。

 回し蹴りが、ペインの顔面にめり込んだ。

 大の男が机に頭から突っ込む。


「恥をかかされたお礼です。軍規違反ですが、これも口外禁止という事で、よろしいですよね?」

「…………あぁ……もちろん」

「では、失礼します」


 そう言い残して、私は部屋を後にしようとする。


「私の人選は正しかったと、確信しているよ」


 扉が閉まる直前、ひらひらと舞い散る紙の中で、唇の端から血を流しながら、上司がそう言ってきた。

 こんなところに一秒でも長くいたくなかった私は、強めに扉を閉めて退室した。





 //





 カギリは顔を真っ赤にして部屋を出ていった。

 一人になった私は、椅子に腰掛け、自分の頬を撫でる。


「……思っている以上に、上手くいき過ぎてしまった……」


 薄く施したメイクに、カギリは気づいただろうか。

 同性が見たら一瞬で見抜かれる程度のメイク術だが、それなりに効果はあったと思いたい。

 服装もだいぶんボディーラインが強調される物をチョイスしている。かなり攻めたつもりだ。

 本当に女の子のように見えていたのなら、嬉しい。

 そっと付けていたネックレスを外す。

 胸のさらしの中に隠すように入れていたネックレスの先端には鍵がついている。

 それを机の引き出しの鍵穴に差し込み、鍵を開ける。

 私は引き出しの中から紐で括られたレポートを取り出した。

 めくると、いま繰り広げられていた光景そっくりのシチュエーションに至るまでの言動や、異性の目から見て魅力的に映るテクニックが書かれていた。

 男子を部屋に連れ込み、煽情的な恰好と仕草で迫るところまで、レポートのとおりだ。


「でもこんな雰囲気に……こんな気分になるなんて……聞いてない……」


 紙に書かれている事が全てではなかった。


「うぅ……うううぅああああああ――!!」


 私はレポートを投げ出し、大人げなくベッドにダイブする。

 シーツがぐしゃぐしゃになるのも構わずに、ベッドの上で転げ回った。

 あと少しカギリに上から抑えつけられていたら、恥ずかしさと驚きと変な高揚感で、思考がメチャクチャになるところだった。

 女優にはなれそうにない。 

 最後まで平静を保っていられたのは奇跡だ。

 それでもやり切らなければいけない。

 投げ出したレポートの偶然開いたページが目に留まる。


『十代の男性は性欲の塊と言えます。性欲と愛情の区別が付きづらい年頃です。相手が誠実であるのならば、性欲をうまく引き出して愛情と誤認させ、既成事実を作れば、恋仲と呼べる関係を築くのも難しくはないでしょう。特に自身の容姿で優れた点があるのならば、積極的に活用していくべきです。1、2度では理性が勝つかもしれませんが、回数を重ねればガードも下がり、必ず成果につながるでしょう』


 これが、私に課せられた本当の任務だ。

 男のイリアス・デルマではなく、女のイリアス・ト・テロス・デルマイユとして、アマノ・カギリと恋仲になる。

 嫌々、というわけではない。

 ゲート・ペインや父や国の思惑はどうあれ、それらを飲み込んで私はここに居る。

 カギリは友人であり、尊敬できる同僚だ。彼なら誰よりも高く、自由に空を飛べる。その綺羅星のような才能が、政治の道具にされて堕落するのは見過ごせない。

 カギリが三流貴族の三女あたりの手籠めにされると考えたら、不整脈になりかける。

 これがどのカテゴリーに入れるべき感情なのか、自分でもわからない。

 しかし誰かがやらなければならないのなら、私がやる。

 気持ちに答えを出すよりも先に、状況が動き始めたのだ。

 すでに賽は投げられている。

 だからカギリ、君には覚悟してもらう。


「私が月光を落とすよ……」


 超高位魔術師に魔術戦を挑むよりはマシな仕事だと、思いたかった。

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