Episode:026 何かと校舎裏に縁がある
午後の授業が終わり、放課後になった。
図書館で魔力乱流について書かれた本を借りた限は、ソータに教えてもらった校舎裏の近道を使い、寄宿舎に帰ろうとしていた。
その道中、言い争う声が耳に入ってきた。
「うざいのよ!」
「ほんと、いい加減にしてちょうだい!」
既視感に苛まれながら、校舎の角からそっと顔をのぞかせてみる。
身なりの良い女生徒たちに取り囲まれて、薄桃色の髪の少女が倒れ込んでいた。
倒れている少女は知らない顔だが、多勢の女生徒たちには見覚えがあった。特別クラス一の美女と言われるオフィーリア・ミレイと、その取り巻きたちだ。
ミレイたちは、倒れた少女を助け起こそうともしない。険悪な雰囲気が漂っている。
限は衝動的に飛び出しかけたが、自分で自分の頬を叩いて思いとどまる。
友人同士でふざけあっているだけ、という可能性も、なくはない。そうであってほしい。
「どうか話だけでも聞いてください。アラマズド様は私たちを救ってくださる唯一の尊いお方なのですよ?」
「アラマズドアラマズド、なんなのよ」
「ミレイさんも私たちも、興味ないって最初に言ったよね?」
ミレイ本人は無言だが、取り巻きが彼女の意志を代弁するように吐き捨てる。
「宗教なんかどうでもいいの!」
「必要ないって言ってるのにしつこくまとわりついてきて、迷惑だわ!」
「そんな……」
どうやら薄桃色の髪の少女は、布教活動を行っていたらしい。
ミレイたちは、そのしつこさに嫌気がさし、つい手を出してしまったのだろう。
更に殴る蹴るなどの行為に発展しないか、限はハラハラしながら見守っていたが、杞憂に終わる。
これ以上関わりあいになりたくないとでも言うように、ミレイたちは足早に去っていった。
それから少女は立ち上がり、倒れた拍子に散乱した筆記用具や教科書を拾いだした。
限も立ち去ろうとしたが、一人で落とし物を集める少女をほったらかしにして帰るのは、良心が咎めた。
「手伝う」
「え……?」
いきなり現れた限に少女は少しのあいだ固まったが、すぐにまた作業を再開した。
お互い黙ったまま散らばった物を拾い集める。
二人掛かりでやれば、さほど時間はかからなかった。
「はい」
限が集めた物を、持ち主に渡す。
「ありがとう、ございます」
「じゃ……」
「待ってください」
詰め寄ってきた少女に、限は気圧された。
目元まで伸ばされた野暮ったい前髪で気付きづらいが、近くで見るとまつげが長く、整った顔立ちをしていた。
「な、なに? あ、さっき見た事を言いふらすつもりはないから安心して」
同じような状況で同じような台詞を言った気がする。
以前は日本語で、今回はイーリス語だが。
「あなたは……」
「俺?」
「神の存在を信じていますか?」
「あー……なるほど……」
そう来たか、と舌を巻く。
よく見るとかわいい少女の言動は、しかし熱心な宗教家のそれだ。
お節介を焼いた結果、再び少女の中にある宗教家のスイッチが入ったらしい。
色々な意味で距離感が掴みづらい少女に対して、限は慎重に言葉を選んだ。
「俺は無宗教だから、わからないよ」
「では、争いが絶えないこの人界に、救いは必要ないとお考えですか?」
返答に窮する。考えた事もなかったからだ。もっと直截的に言うと、興味ない、となる。
神道と仏教が混在していた日本では、信者であるという自覚もないまま、仕来りや慣習に従って神社に参拝したり仏様を拝んだりしていた。信仰について真剣に考えた事はない。
日本で暮らしていた頃も今も、限は信仰心とは無縁だった。
その本心をすぐ口にしなかったのは、ヨアンナ・ハリカルの事が思い出されたからだ。
(信じる神を持たずとも、私たちの理性はいつでも救いを見つけられるわ……)
死者の声に導かれ、限は遠い空の下にある白い教会を脳裏に思い描く。
「宗教は、人生を歩きやすくする地図のようなもの……じゃないのか? 自分の信じたい道を探して、その行き先がアラマズドに近いならそれを信じて、違うなら別の道を探す……自由に道を選べる事、それ自体が救いだって、ある人が言っていたんだ」
「しかし、この世を真に救えるのは、アラマズド様だけです。私は良かれと思い皆さんにアラマズド様の教えを説いているのに……」
「信じるものは勧めるものじゃない、自分で選ぶものだろ?」
そう言うと、少女は黙り込んでしまった。
少し言い過ぎたかもしれない。聞きかじった知識で相手を論破したいわけではないのだ。
お互いに、何事もなく無事に帰路につければ、それでいい。
落し物はもうないはずだ。
「全部受け売りだから、あまり気にしないでよ。それより、もう大丈夫だよな?」
返答はない。嫌われて無視されたのかも、と思ったが様子が変だ。
興味深いものを観察するように、無言でジッと限を見つめてくる。かなり居心地が悪い。
それに、あまりゆっくりもしていられなかった。
夜半には軍務でペインたちと合流しなければならない。3日後締め切りのレポートも手付かずだ。イーリス語のライティングに手を焼かされている。どちらかというと、レポートの方が深刻だった。
「それじゃあ俺、帰るから……もうじき日が暮れるし、そっちも気を付けて帰りなよ」
そう言って踵を返した限の背中に、無言の視線はずっと刺さり続けていた。