表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
27/63

Episode:024 蒼い月光(後編)


 程なくして戦勝セレモニーは終わる。

 そのまま王城の大広間でダンスパーティが始まった。国王は気分が優れないと言って退室したが、他の出席者に動揺が見られない様子から、王の欠席は事前に決まっていたようだ。

 何もかも予定通りの中、ただ一人予定通りにいかなかった限は、怒りが収まった後、惚けていた。セレモニーで気持ちが上下しすぎて、急に疲れが出たのだ。

 ゲンナリした顔も仮面が隠してくれたが、そのせいで疲れている事を察してもらえず、ひっきりなしに声をかけられる。


〈カギリ様、どうかこの国を頼みますぞ〉

〈【蒼い月光】殿、“戦場の霧”と戦われた時のお話をきかせてください〉

〈一緒に踊りましょうよ、カギリ様!〉


 色々な事を言われたが、限の意識はずっとそぞろだった。

 イエスともノーともとれない微妙な受け答えに終始する。

 奇しくもそれがこの場でもっとも適切な対応となった。


 二大政党制のイーリス王国には、保守党、革新党、王家の三大派閥が存在する。

 王家を除き、政治を司る貴族パトリキたちは、保守党と革新党のどちらかに必ず属しており、思想とイデオロギーが乖離している両者は、より多くの権勢を振るうために絶えず競い合い、足を引っ張り合っていた。

 現在、二党に優劣はほぼない。

 そこに無所属の超高位魔術師が転がり込んできたのだ。

 王家派閥の【盾の王】には干渉しづらいが、蒼い月光は違う。彼を味方に引き込めれば、形勢が傾くかもしれない。そう考える貴族たちの静かな政争に、いつの間にか限は巻き込まれていた。


〈蒼い月光殿の武勇は盾の王殿に並びますわ。よろしければ、この後わたくしのお屋敷で、じっくり戦争のお話をきかせてもらえないでしょうか〉

〈それよりもカギリ様、魔術戦の講義を娘にしてやってもらえませんか? いや、娘は顔よし体つきよしの、なかなかの器量よしですが、どうにも魔術には疎くて、手取足取り教育してもらいたいのです〉

〈こらこら君たち、蒼い月光殿はお疲れだ。あちらの別室で少しお休みになられては如何でしょうか?〉


 貴族たちは語彙のかぎりを尽くして美辞麗句を並べ、限の歓心を買おうとした。

 それに限は「はぁ」とか「ええ」とか「そうかもしれません」などという言葉ばかりを返す。

 やがて貴族たちは、こう思い始める。


(この男は、風見鶏を決め込んで、より良い条件を出した方に付こうとしている)

 

 ただ、イーリス語力が貧弱すぎてあまり聞き取れていないのに加え、上の空のため、会話が成り立っていないだけなのだが、誰もそうは思わなかった。超高位魔術師という看板に目がくらんでいる。

 限のあずかり知らないところで、蒼い月光は食えない男だと、変に評価が上がり、二党の趨勢を決める戦いは次の機会に持ち越された。

 今後、限への引き抜き工作は、より大掛かりになっていく。

 本人にとって嬉しくない誤算は、増える一方だった。





 //





 夜も深まり、ダンスパーティも終盤に差し掛かった頃。

 周囲に纏わりついていた人いきれがけた隙に、一人で外の風に当たりたいと言って、限はバルコニーに脱出した。

 冷たい夜風が頬を打ち、少し冷静になる。

 

「敵と戦っている方がわかりやすい……“ああ、ごめんペトラ、怒らないでくれよ”」 


 プリムローズ・ミストレインに言われた事が、ようやく飲み込めてきた。

 自分は利用価値の高い道具と思われている。

「地球に戻りたい」などと安易に口にすれば、どうなるかわからない。

 道具が持ち主の意志に反する事を考えていたら、持ち主はどうするだろうか。

 王国は必ずその考えを矯正し、強制するだろう。

 無能を装うにも、手遅れだ。

 ノトス海の戦いは加減できるような状況ではなかった。そんな器用な事が出来るほど戦争にも異世界にも慣れていない。今後も、無能である事が許されるような生やさしい戦いが続くとは思えなかった。

 直属の上司であるゲート・ペインも信用できない。

 これからは、懐柔策や戦闘行為をできるかぎり回避しながら、生きて地球に戻る手段を模索する必要があった。国内では貴族などの理解者を得て地保を固め、万が一の時は、国外逃亡も検討しなければならないだろう。グリモアに何らかの細工をされる可能性もあるため、セレネのサポートに期待しすぎてはいけない。

 地球にいつ還れるのか、見当もつかなかった。

 それでも、やるしかない。

 元の世界に一人残してきた家族には、返し切れないくらいの大恩があるのだ。

 受けた恩は必ず返さなければならない。


〈お加減はいかがですか? 蒼い月光殿〉


 突然、背中から声をかけられた限は、またかと、心の中で嘆息した。


〈気分が優れないので一人にしてくれませんか?〉

「受けた恩を返してくれると言ったじゃあないか。会話くらいしてほしいな」


 聞き覚えのある帝国公用語にほんごに、限は思わず振り向く。


「デルマ少尉?!」


 限と同じ軍が支給している空色の男性用礼装に身を包んだ麗人が、そこに立っていた。


「ご機嫌麗しゅう、アマノ・カギリ特務少尉。やはり私は退散した方がいいかな?」

「からかわないでください。それで、どうしてここに?」

「デルマ家も子爵の位を持つ貴族なんだ。義父ちちは体調が悪いので、私はその名代みょうだいだよ」

「そうだったんですか……でも、声色を変えてイーリス語で話しかけるなんて、意地が悪いですよ」

「ふふっ、王国民全員を驚かせた君を、逆に驚かせてみたくてさ。どうやら成功したみたいだ」

「勘弁してくださいよ。それでなくても俺はややこしい立場なんですから」

「蒼い月光、か……大変な重荷を背負わされたな」

「ペイン中佐はそうなる事を教えてくれませんでした。絶対にワザとだ……あの人は、信用できません」

「ああ、血も涙もない人だと思うよ。私もヤニス大尉も、一年前に起きた反乱事件で君と同じように苦い経験をさせられた。だが、真の愛国者でもある」


 ヤニスをはじめ、戦死した魔術士は全員、二階級特進している。

 ヤニスの事を話題に上げたとき、イリアスの声色に少しだけ憂いが混じったのを、限は見逃さなかった。


「……国を守るためならどんな犠牲も厭わないって事ですか?」


 その犠牲が誰の事を指すかは、言わなかった。


「目的のためなら手段を選ばないだろう。ペイン中佐は徹底した合理主義者だよ。本心はわからないけどね」


 限は、さらに踏み込んで言葉を重ねるべきか、悩んだ。

 本心を打ち明けたら取り返しがつかない事になるかもしれない。

 イリアスが信用できるかも、わからない。

 魂が実在する世界ソサイエですら、人間同士が何もかも理解しあえるなんて夢物語だ。

 わからないから、理解できないから、やはり言葉を紡ぐしかない。


「正直に言います。ミストレインとの戦いは無我夢中で……勝てたのは運がよかっただけです。今度またイーリスのために命懸けで戦えと言われても、自信はありません。デルマ少尉は、国や理想とかいう漠然としたもののために、疑問を持たずに自分の全てを投げ打てますか? 俺は、できそうにない……」


 限の真剣な様子に、イリアスは居住まいを正した。

 言葉を正面から受け止めた中性的な美貌が、まっすぐに限を見返す。


「私の母と兄は魔術士“だった”……小さいころ二人から、グリモアで空を飛ぶ素晴らしさを、よく話してもらったんだ。それは、二人が幼かった私を傷つけないように、魔術士の奇麗な部分だけを継ぎ接ぎしてくれた、優しい作り話だった。君はもうよくわかっているとは思うが、現実の戦場は美しくも優しくもない。空と魔術士に憧れて軍に入った私は、その現実に打ちのめされたんだ……崇高な動機を抱いたまま戦い抜く方法があるのなら、逆に私がご教授願いたいよ」


 そう言ってイリアスは儚げに目を細めた。

 真摯に話しをしてくれた彼を、限は信用してみたいと思った。


「デルマ少尉……イリアス、俺――」 


 喉元まで出かかった言葉は、しかし、音にならなかった。

 さんざん戦争に加担し、褒美と栄誉を受け取っておきながら、今更故郷に帰りたいというのは、事情を知らない王国民からすれば、ひどい背信行為だろう。重責に耐えかねて逃げようとしていると思われても仕方がない。

 実際、心のどこかで逃げ出したいと叫ぶ弱い自分がいる。


「なんだい?」


 そんな本心を口にすれば、イリアスに失望されるかもしれない。


「――俺、国や理想のために戦えと言われてもピンときませんが、身近な誰かのためなら、デルマ少尉のような人たちのためなら、戦えるかもしれない……」


 気付けば、核心から外れた事を口走っていた。

 勇気が足りなかった。イリアスに失望される事が、怖かった。

 ただし、まるっきり嘘というわけでもなかった。

 葵には申し訳が立たないが、誰かのために戦って死ぬのなら、許されるかもしれない。

 それは、帰りたい、逃げたいという気持ちとは違うベクトルの、暗い願望だった。

 かぶりを振って、泥沼に沈んでいくような情動をかき消す。


「あと、もしいつか、全部片付いたら、俺の故郷をみんなに見せられたらいいなと、思います」

「たしか帝国領の北の果てにある島だったか?」


 そういう事になっているが、ソサイエからしたら異世界の国だ。

 地球に帰れるかどうかもわからない現状では、言った限自身も、叶えられる自信はなかった。

 だとしても、地球を、日本を、イリアスたちに見せたいと思うくらいは、自由だろう。


「日本といいます」

「二ホン……その二ホンからノトス海まで、いったいどうやれば魔力乱流で移動する事になるんだ?」

「それは、ペイン中佐から口止めされているので……すみません」


 限には話せない事が多すぎた。

 申し訳なさそうに俯く少年に対して、イリアスは気にするなと微笑んだ。


「無理には聞かない。事情があるんだろう? 二ホン……そうだな、私も、帝国より北の土地や空や海を、いつかこの目で見てみたいよ」

「色々問題もありますが、平和でいいところだと思いますよ」

「じゃあ心置きなく海外旅行するためにも、帝国と王国の間で結ばれた一時的な停戦協定を、恒常的な和平協定にしなければな」

「ええ、そうですね」


 そこで、ふいに沈黙が降り立つ。

 勢いに任せてイリアスの事をファーストネームで呼んだ上に、真剣に夢を語り合った事が、急に恥ずかしくなってきた。

 本題よりも言い辛い話をしてしまった気がする。

 一方のイリアスは、涼しい顔で気障ったらしい時間を堪能していた。

 さすが貴族の子弟だ。気取った会話にも慣れている。

 美形はこういうとき黙っていても絵になるからズルいと、限は心中で不平を漏らした。

 兎にも角にも、むずがゆい沈黙をどうにかしたかった。


「そういえば!」

「急に大きな声を出さないでくれよ。ビックリするじゃあないか」

「あ、すみません」

「で、どうしたんだ?」

「今日グリモアに乗ったら、セレネが変になってたんですよ。いきなり『人間になる』とか言い出して、デルマ少尉が乗っていた時にも、同じような事はありましたか?」

「いや、ないけど……戦闘補助精霊のバグか何かか?」

「そういう感じじゃなくて、冷静に変というか……でも、セレネ自身が言っていたんですよ? 『デルマ少尉から言われた事がようやく理解できた、私にも夢が出来ました』って」


 そう言うと、イリアスは目を見開いた。

 瑞々しい唇を震わせながら、少しだけ上ずった声で呟く。


「そうか……」


 夜空を振り仰いだイリアスは、泣くように笑った。


精霊かのじょが夢を見るのなら、私も諦めるわけにはいかないよ……」


 その美しい表情に、限は少なくない時間、見惚れていた。

 この時、麗人の魂は希望を感じていたのかもしれない。


「デルマ少尉?」

「イリアスだ。カギリ」

「え?」

「さっき一度、そう呼んでくれただろう? イリアスと、君には呼んでほしい。敬語も抜きにしよう。今日から私たちは友人だ」


 ストレートにそう言われた限に、断る理由はなかった。


「わかりまし……わかったよ、イリアス」

「君がセレネの魔術士で良かった、蒼い月光」

「……友人と認めてくれるなら言わせてもらうけど、蒼い月光はやめてほしい。それ、恥ずかしいんだよ」

「どうして? 格好いいじゃないか。仮面も似合っているよ」

「冗談だろ?」

「いや、本当に、心の底から、そう思っているよ」

「根本的に感性が違うのか……貴族は全員こうなのか……」

「フフッ、じゃあ私は、君をアマノって呼んだ方が良いのかな?」

「ああ、それね……俺、アマノの方が姓で、カギリの方が名だから」

「そういえば、帝国の母体になったワ国の古い名前の表記は、姓名の順だったか……ん、という事は、皆カギリをファーストネームで呼んでいる事になるじゃあないか。どうして訂正しなかったんだ?」

「イーリスに来てから目まぐるしくて、いちいち訂正するような余裕がなかったんだよ。それよりも――」


 そうやってダンスパーティが終わるまでイリアスと他愛のない話を続けた。

 この世界に来てはじめて、どうでもいい話を気兼ねなくできる友を得られた事が、純粋に嬉しかった。


 先の事はわからない。


 蒼い月光などという仰々しい名前を貰い、常に面倒は付いて回るだろう。再び戦場に立たなければならなくなる日はそう遠くないだろうし、地球帰還の目途も立っていない。

 いずれは、イリアスに本当の事を打ち明ける時がくるかもしれない。

 そのせいで友情に亀裂が入るとしても、必要ならば言わなければならないだろう。


 何もかも不透明で、問題は山積みだった。


 それでも、異世界ソサイエに来てから良い事なんてほとんどなかったが、悪い事ばかりでもない。


 失い続ける中で得たものも、確かにあったから。


 今は、蒼い月光でも魔術士でもなく、友人と過ごす普通の高校生のような時間を大事にしたいと、限は思った。


 彼らの頭上には、青ざめた月が輝いていた。





 ――第一章 了――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ