Episode:023 蒼い月光(前編)
魔克歴415年・第10月35日
イーリス王国の王都ラトレイア。
帝国首都グランベリウムと同じようにピラーが立ち並んでいるが、その外観は帝国よりも華やかだ。機能性を重視した無骨な黒一色の帝国産ピラーとは異なり、王国のピラーは、樹木や、グリモア、空想上の動物を模っており、見る者の目を楽しませた。
本来の魔術設備としての機能を損なわないように、魔術の専門家と建築家と芸術家が心血を注いだ結果、王国のピラーは公共設備以上の意味を持つに至った。
王都から地方都市まで、魔術と芸術を融合させた街を造り、常に『美』を追及するイーリスの文化は、イーリスの国民性を表していた。
それがどれほど内実の伴わない文化でも、歴史を積み重ねれば、後から価値は付いてくる。
『華都』と称される王都は、美しく華やかなイーリス王国の象徴といえる街だった。
今宵、青い月が輝くラトレイアの空に、いくつもの花火が打ちあがる。
都市北東の高台に建つ王城で、盛大な戦勝セレモニーが開催される日だった。
王城まで続く大通りには、巨大な騎士――グリモアたちが国旗を掲げて居並び、凱旋のための花道をつくっている。
勝利を祝う軍歌と音楽が響きわたる中、蒼い騎士が、国民の歓呼の声と紙吹雪が舞う王道を歩む。
『あまり嬉しくなさそうですね』
道すがら、セレネからそう問われる。
「こんなに歓迎されると、かえって空恐ろしくなるよ……」
本当にとんでもない事をしてしまったと、理解させられた。
葵がこの有様をみたら何と言うだろうかと、想像して暗い気持ちになる。
『【盾の王】でも実現できなかった“戦場の霧”の打倒を成し遂げたカギリ様は、イーリスでの身分と待遇を保証されたも同然です。何も恐れる事はありません』
逆にそれが頭痛の種だった。
クロノス・ミカニに居た時とは違い、本当に時の人になってしまったのだ。
一年間、無難に軍隊で働きながらソサイエという世界の常識を知り、退役してから帰還するために動きはじめる予定だったのに、大誤算だ。
四方八方から注目されたままでは、地球への帰還が難しくなる。
むしろ目的から遠ざかったようにすら感じられた。
「でもまあ、身分が高くなれば、調べられる事も多くなるか……」
『何か調べ物があるのなら、私に言ってください。私はカギリ様の戦闘補助精霊です。あなたの為なら何でもいたします』
「何でもって……まあ、セレネが協力してくれるのなら心強いよ」
『大いに頼って下さい、カギリ様』
「……ところでさ、セレネ、その……言いにくいんだけど、呼び方とか、口調とか……ちょっと会わない間に、なんか色々、変わった?」
『はい。以前、イリアス・デルマ少尉に言われた事が、ようやく理解できたのです。私にも夢が出来ました』
「それがどうして口調の変化につながるんだ?」
『私は、人間のようになりたいのです。まずは口調などの表面的な部分から、人間に近づけるように、随時更新しています』
「何でまたそんな事を……」
『カギリ様の行動を分析し、改めて人間は不完全で不合理な存在であると認識しました』
「なりたいと思う要素ゼロじゃ……」
『いいえ、違います。その不完全で不合理な人が、私の計算を上回ったのです。私よりも優れた可能性を、あなたという人間は持っている。それを私は羨ましいと思いました。そう“思った”のです。そして理解しました。“思う事ができる私自身”も、未熟ながら自我を有していると。人のような不完全性を内包した、無限の可能性を持つ自我に、戦闘補助精霊以上の存在に、私はなりたい。それが私の夢です』
「えっと、つまり……どういう事でしょうか……」
『わかりました、もう一度説明します』
「あー……聴きたいのは山々だけど、もうすぐ式典が始まるから、うん、本当に聴きたいんだけどね。俺の代わりにルーデ博士とか、整備班の人たちに話してあげなよ。きっと喜ぶぞ」
『私はカギリ様に聴いてほしいのですが』
「よし! 会場に着いた。降りるぞ、セレネ」
『……了解』
渋々といった感じでコックピットのハッチが開いた。
限は席を立ちながら、額に流れる冷や汗を袖で拭く。
復職したら同僚の様子が180度変わっていて、困惑していた。
前までAIと話しているようなものだったのに、今は人間と話しているようだった。
戦闘補助精霊無しだと半人前以下の限は、セレネと良好な関係を築いていきたいと思っているのだが、大胆にイメチェンした彼女と以前と同じようにやれるか、不安だ。
(まずカギリ様がむず痒い……普通に呼んでもらうように、今度お願いしよう)
そんな事を考えながら、ハッチを出る前に顔の上半分を隠す黒い仮面を被った。
仮面には蒼白い三日月のマークが刻まれている。
空色の礼装と黒い仮面はミスマッチで、かなり怪しい出で立ちだった。
その仮面姿でハッチから出ると、大きく立派な鉄門が眼前に聳え立つ。
鉄門に向かうと、2機のグリモアと4名の門番が待ち構えていた。
〈アマノ・カギリ様ですね、どうぞこちらへ〉
限の耳は何とかイーリス語を聞き取った。また様付だ。
ハロウィン崩れの格好をした少年に、大人たちが揃いも揃って慇懃に対応する姿は、どこか滑稽だった。はっきり言ってやりづらい。
辟易している限の内心は露知らず、門番の一人が手を挙げると、グリモアが鉄門を押し開いた。
その光景を見ても限は驚かない。
戦勝セレモニーの進行と、そこでの立ち居振る舞いは、事前にゲート・ペイン中佐と打ち合わせ済みだった。
すべて予定通りだからあまり緊張していないのだ。
仮面の着用もペインからの指示だった。理由は聞かされていないが、必ず身に着けるようにと厳命されていた。上司から渡された悪趣味な仮面を、不承不承、被っている。決して限の趣味ではない。
羞恥プレイに耐えながら、限は門をくぐった。
此処から先は、王が暮らしているイーリスの中枢だ。許可された者しか武器は持ち込めず、グリモアも近衛のものしか入れない。
背筋を伸ばして、顎を引き、まっすぐ前だけ見て、道に敷かれた長大な赤い絨毯の上を歩いていくと、細かい彫刻が施された純白の扉が見えてくる。
そこにも門番が立っていたが、今度は誰何されなかった。音もなく扉は開く。
限が入室すると、吹奏楽団が音楽を奏で、拍手喝采が巻き起こった。
煌びやかな衣服に身を包んだ群集が、少年に向けて手を叩き、感謝の言葉を叫んでいる。
王国の要人、貴族、軍関係者たちだ。
赤い絨毯の上を避けるように2つに割れたその人山を、限はなるべく見ないようにして進み、王座の前にたどり着いた。
〈国王陛下の御成ぁーりぃー!!〉
その言葉と同時に拍手とオーケストラの演奏が止まり、全員が頭を垂れた。
限も跪き、床を見つめる。
〈みな面をあげよ〉
許可が出てはじめて、視線が王座に集まった。
金や銀や宝石でつくられた椅子に腰掛け、冠を被った壮年の男性が、イーリス王国第23代国王アイオーン・プロトゲネイアその人だ。
茶髪交じりのプラチナブロンドを複雑に結い合わせて香油で塗り固め、幾本も深い皺が走った顔に輝く双眸は、視界にあるものを遺漏無く観察しつくしていた。その姿と振る舞いには、一部の隙も無い。
威厳が、圧力として感じられるようだった。
〈今日は佳き日だ、イーリスに生まれた新たな希望を祝う日だ。皆もそう思うだろう?〉
国王の発言に、同意を示す歓声が上がる。
プログラム通りに式は進んでいく。
〈アマノ・カギリ特務准尉、王国の宿願であった“戦場の霧”の打倒を果たし、国難を退けたノトス海の戦い、見事であった〉
〈はっ、ありがたき幸せ〉
セリフも台本通りのため、イーリス語に不慣れな限でも問題なく会話が成立している。
ただし、主演男優の演技はあまり褒められたものではなかった。
イーリス語のセリフに誤りはないが、ひどい棒読みだ。
幸運にも、会場の厳かな雰囲気が、限の大根役者っぷりを誤魔化してくれていた。
〈その献身に対して、国家功労勲賞・緑翼章を与える〉
緑翼章は、王国への卓越した功績のあった軍人や市民に与えられるイーリスの最高勲章だ。
限の活躍を考えれば妥当な恩賞だった。
〈身に余る光栄でございます〉
何食わぬ顔でそれを受け取る。
限はこの褒賞の意味をあまりわかっていなかった。
部活動の大会で貰える金メダル程度に思っていた。
セレモニーのプログラムと台本を覚えるのに必死だった限は、細かい点まで確認する余裕がなかったし、ペインも説明しなかった。
いま少年は、この国最高の栄誉を手にしたのだ。
そうとは知らず、つつがなく式が進んでいく事自体に、限はホッとしている。
〈また、本来、王国軍の内示で通達される事だが、軍の最高責任者である私から、卿の功績を讃える意味も込めて、特別にここで宣言しよう。今日から卿は、昇進して特務少尉となる〉
〈謹んで拝命いたします〉
栄誉や出世よりも、面倒事が終わりつつある事の方が、嬉しかった。
あとは元居た位置に戻り、セレモニーの終了を司会進行役の貴族が宣言して、国王が立ち去れば、ミッション完了だ。
反転し、その場を離れようとした限の肩を、国王がガッシと掴む。
〈そして皆よく聞け! 彼こそが、イーリス王国史上2人目の【超高位魔術師】――【蒼い月光】である!〉
「…………はっ?」
間の抜けた声は、今日一番の大歓声にかき消された。
(いま何て言った? ぶらんどめいじ? あおいげっこう?)
限には聞かされていない展開だった。
少年の顔は、国王が言った二つ名のとおりの色になっている。
幸いその顔色と歪んだ表情を、仮面が隠してくれていた。
何故、仮面が必要になるのか、ペインは限に“敢えて”説明しなかった。
存在そのものが戦略的に大きな意味を持つ超高位魔術師の詳細なプロフィールは、最重要軍事機密に指定されている。そのため超高位魔術師の素顔は、帝国を除く列強各国では公開されていない。
これから超高位魔術師になる人間の顔を、衆目に晒すわけにはいかなかった。
そうと知れば、セレモニーへの出席を限は拒否すると、ペインは読んでいた。協力的になったセレネを使い逃亡を企てる可能性すら考慮して、意図的に情報を伏せたのだ。
国王に肩を掴まれた限は、もう逃げる事ができなかった。
(――ゲート・ペインッ! あの野郎!! 俺を嵌めたのかッ!!)
国王の言葉を直観的に理解した限は激怒する。
今更“否”とは、言えなかった。
限の両拳は僅かに震えている。
怒り心頭に発した少年は、それから後の事をよく覚えていない。