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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
24/63

Episode:021 天野 限

 

 父と母は、天野アマノ カギリが幼い頃に交通事故で死んだ。

 家族3人で買い物に出かけた時、大型トラックの居眠り運転に巻き込まれたのだ。


 炎上する車内から幼い少年だけが助け出されたニュースは、「奇跡の生還」という見出しで、少しの間だけ世間をざわつかせた。

 そのざわつきは、一過性のものだった。

 日本全国の交通事故による死者数は、年間約4千人。限のようなケースは稀だが、交通事故での死亡事例は、決して珍しい事ではない。1億2396万人の日本人からすれば、ありふれたニュースだった。


 世間の関心が薄れたころ、ひっそりと退院した限は、天野 葵に引き取られた。

 引き取られた直後の限は、それまでのわんぱくな性格が鳴りを潜め、植物のように無口になってしまった。

 事故の事は、誰に聞かれても「すべて忘れた」と話した。

 

 正確には、自分を守るために、忘れたようにふるまった。


 思い出したくなかったのだ。

 思い出すと、自分の罪を、認めなければならなくなる。

 罪の重さに耐えきれなかった幼い少年は、トラウマとして記憶を封印した。

 それでも、記憶は決して消えたわけではない。

 ふとした時に、湧き出てくる。

 葵が倒れた時のように、ミストレインを倒した時のように、ひどく動揺し、精神が衰弱すると、自分自身が囁くのだ。


『父さんと母さんを殺したのは、俺だ』


 自我を保つために働いた本能のセーフティを無視して、限の姿をした何かが、限自身を冷たく暗い井戸イドの底に引きずり込む。


『お気に入りの怪獣の玩具を、買い物に持っていこうとして怒られた俺は、何とか隠して車に持ち込もうとした』

「わざとじゃない……」


『一番に先に家を出て、ここなら見つからないと思い、運転席のペダルの裏に、玩具を隠した。運転する父さんを少し驚かせて、怒られた仕返しをしたかったんだ』

「こんな事になるなんて、思ってなかったんだ……」


『父さんがちゃんとブレーキペダルを踏めていたら、みんな生き残れたかもしれない』

「父さん……母さん……俺は……」


『取り返しがつかない事をしてしまった』

「いつも、終わってから後悔する……」


『それもすべて俺が選び、俺がやった事……戦争も、最初は成り行きかもしれないが、戦闘が始まってからは自分の意志で率先して帝国の魔術士を殺した。あの可哀そうなミストレインを殺したのも……』

「そうだ、言い逃れはしない。できない。もうこれ以上、忘れたふりはできないんだ」

『挙句の果てに開き直るのか?』

「いいや、やってしまった事は消せない。今度こそ、はっきり自覚して人を殺したんだ。それを忘れるなんて許されない」

『そうだ。そして死んでいった皆のために、殺した人間のために、俺も罪を償い、死ぬべきだ』

「ああ……けど、すぐ命を絶つなんて安易な逃げ、それこそ許されない。後悔しながら、苦しみながら、それでも生きていくべきだろ。俺が関わった人が、せめて安らかに眠れるように、少しでも誰かのために生きて……それから死にたい……」


『奇麗事はやめろ。死人はもう還ってこない。“受けた恩を返す”とか、“誰かのために”とか、的外れで見苦しいだけだ……死も後悔もいとわずに、誰かを救う事で救われようとする魂は、ただただ歪で、罪深い限りだよ』


「魂が歪なんて、どうしてわかる?」


『わかるさ。俺が、魂が、これが、この世界ソサイエ法則ルールなのだから――』





 //





 いきなり黒から白に、世界が反転する。

 急に視界が開けた。


「……ここは……」


 限が見上げていたのは染み一つない白い天井で、見下ろしていたのはケイ・ルーデ技術少佐だった。


「カギリ! 起きたのね! 良かった!」


 そう言いながらベッドに身を乗り出してきたケイは、年相応の少女に見えた。

 無口というわけではないが、いつもクレバーであまり感情を表に出さないケイが、喜びながら安堵する様子が、起き抜けにはっきりと伝わってくる。


「ここは王国軍の病院よ。あなたは4週間も眠り続けていたの。深刻な魔力酔いだって、一時は本当に危なかったのよ? でもよかった……目が覚めて……」


 限は、ふと右手のぬくもりに気付き、視線を動かすと、ケイがものすごい勢いで身体を離した。

 彼女は視線をきょろきょろ彷徨わせながら、赤く染めた頬をかく。


「……うなされていたみたいだから、他意はないわよ?」

「何も聞いてないけど」

「うぬぬっ……そうね、確かに、そのとおり」


 変な唸り声を上げて固まったケイはすぐに再起動したが、丸椅子を回して限に背を向けてしまう。


〈どうして、いつもの調子が出ない……これじゃあ私の知的なイメージが台無し……いや、何カッコつけようとしてるのよ、カギリによく思われようとでもしてるの? 相手の功績によって態度を変えるような女だったの私は、違うでしょう? 確かに彼は凄い事を成し遂げたけど、それだけですぐにどうこうなったわけじゃないわ、ちゃんと……え、そういう事なの?〉


 イーリス語を使い、ブツブツと早口で独り言を並べている。

 言語に不慣れな限には当然わからない。


「ごめん、なんて言ったんだ?」

「非決定的多項式時間困難問題のため保留します」

「難しい事を言っているけど、不思議と頭が悪そうに聞こえる……」

「上官に向かって失礼ね!」

「すみませんでした。まだ少しぼんやりしてて……」

「あ、いや、こちらこそ、ごめんなさい。すぐにお医者さんを呼んでくるわ」


 部屋を出るケイの顔はリンゴみたいになっていた。

 初めて見る顔だ。

 ケイ・ルーデはこんな女性だっただろうか、と限は首を傾げる。

 寝起きのため記憶が霞みがかっていた。

 

 ケイが立ち去った後、少ししてから白髪の男性軍医がやってきた。

 軍医からケイが帰った事を伝えられる。

 仕事が大量にあるから今日はもう帰る、との事だった。


「忙しい忙しいと言いながら、毎日あなたのお見舞いに来ていたんですよ?」

「そう、なんですか……今度会ったらお礼を言わなきゃな」

 

 限は鼻の頭を掻きながらそう言った。

 

「ええ、そうしてあげてください」


 ほほえましい物を見るように目を細めながら、軍医はバーコードリーダーのような道具を、服の上から限にあてた。魔力の状態を検査する医療用器具と説明を受ける。

 その器具の示す結果を確認してから通常の触診と聴診を行った後、軍医は限の体調に太鼓判を押した。

 一部分だけ髪の色素が抜けて、若白髪がたくさんできていたが、放っておいても害はないらしい。気になるようなら染めるように勧められた。

 もう2、3日様子を見て問題なければ退院できるそうだ。


「それと、私はあなたにお礼を言わなければいけません。この国を守ってくれて、あの子の遺志を汲んでくれて、ありがとうございました」

 

 初老の男性は深々と頭を下げた。

 限は目に見えて恐縮した。お年寄りに畏まられると弱かった。

 それに加えて、疲労による眠気が徐々に顔を出しはじめている。

 まだ本調子ではなかった。


「そんな、色々と運が良かっただけなんです、本当に、頭をあげてください……えっと、あなたの名前は……?」

「リピ・サマラス、あなたの担当医です。魔術学の研究者もやっています」

「サマラス……どこかで……」

「……お気になさらず。死に囚われてはいけませんから」

「なぜですか?」

「戦場で、死者の声を聞きませんでしたか?」

「ええ、聞きました……」

「しばしば起こる事です。肉体の死によって解き放たれた魂は、時間や空間を越えて生者に語りかける……あの子は最期に、親よりも先に逝くことを謝り、あなた一人に重責を背負わせた事を悔いていました……あなたのように強い魔力を持っていると、そういった魂の声を拾いやすくなります。魔術士の魂の力――魔力は、死や絶望といった感情を吸って成長する事もありますが、それは健やかな魂の在り方ではない……」


 老医師は、半ば独白するように語る。


「どうか死に囚われないように気を付けてください。魔力は優れたエネルギーですが、“魔”と付くような力が、好ましい結果ばかりを産むわけがない。そうと知りながら、我々の文明はここまで来てしまった。もう後戻りはできない。やはりオオガネは大罪人ですよ……」


 夢現になりかけている限を横目でチラリと確認した彼は、小さく自嘲気味に笑った。


「長々とすみません、お疲れですよね。ではまた、良い夢を――」


 そう言い残して老人は部屋を出ていった。

 人がいなくなると、一気に眠気が押し寄せてきた。

 限は瞼を閉じる。あっけなく意識は遠のいた。

 今度は、夢は見なかった。


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