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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
23/63

Episode:XX2 ミストレイン


 荘園のベンチで美しい中央海を眺めながら、私は彼に話しかける。

 

「合同演習、最悪だったわ!」

「仕事から帰ってきた妻が不機嫌、これは悲劇だよ」

「ごめんなさい、でも聞いて? メサの箱入り娘と、マーシャフラッツのヘタレ三男坊、2対1で私に手も足も出ないなんて、同じ至尊の十冠として情けない。あれなら帝国三剣になったばかりの生意気そうな王子様の方が、まだ見込みがあるわよ」

「まあ落ち着いて、みんながみんな、君みたいにはなれないよ」


「至尊の十冠の質も落ちた……南方三州の立場は、ますます悪くなるわ。各州が反目し合っても、東部国境線がひどい状態でも、皇帝陛下はだんまりを決め込んで、何を考えているのか……ともかく、この不安定な国で生き残るためには、自分の足で立つ力が、ミストレインに必要なのよ、あなたもわかるでしょう?」

「その責任は、君だけが負うものじゃあない。少しばかり魔術士として優秀だからって、州の未来は、州長である僕と貴族をはじめ、州民全員で共有しなければいけない問題だ」

「だから、何かあった時に一番先に首を斬られるのはヒース、あなただわ!」


 私は夫に詰め寄った。

 短いブラウンの髪と眉はしっかり整えているのに無精ひげが目立つ。剃り方がへたくそなせいだ。そんな少し抜けているところも、彼の魅力の一つだ。

 現ミストレイン家当主、ヒース・ミストレイン公爵。

 私の夫は身の丈2メートルの大男だが、虫も殺せないような柔和な人だった。優しすぎるのが玉に瑕だが、そこも含めて愛している。


「それなら、君に先立たれる心配をしなくて助かるな」

「冗談じゃないわ! 私は、絶対にあなたとミストレインを守るわよ、どんな手を使ってでも!」

「僕の愛しいローズ、僕はただ、君と州民が幸せになってくれれば、それでいいんだけどね……」


「私はあなたと一緒になれてもう十分幸せよ。あとは、そうね、早く子供が欲しいくらいかしら? こればかりは、夜頑張るしかないわね」 

「本心を躊躇わず言うところは君の美点だと思うけれど、少し人目を憚ってくれると、更に素敵だよ?」





 //





 私は、自分の能力を正しく自己評価できる人間だと思っていた。

 ほんの一握りの魔術士を除けば、私に一対一で勝てる者はいないという自負はあった。

 帝国最高の魔術士の一人と評されもした。世界最強の軍事大国でそう言われるのなら、各国の超高位魔術師と並んでも引けは取らないと、信じて疑わなかった。


 それは事実だったが、事実の一側面に過ぎないと知った。

 魔術の深奥しんおうは、魔術学最先端の帝国で研鑽しても知り得ない、底無しの闇を孕んでいた。


 私は白い部屋で目を覚ます。

 消毒液の臭いが鼻につく場所だ。ここはどこだろう。

 もうろうとした視界であたりを見回し、記憶を反芻する。

 確か、ネイブル諸島周辺での戦闘に参加していたはずだ。

 当初有利に推移した侵攻戦は、たった一人の魔術士の登場で覆された。

 イーリスの超高位魔術師、【盾の王】。

 魔術戦なら負けはしない。

 同じ魔術士なら戦える。

 同じ人なら殺せるはずだ。

 

(ああ……私、負けたのね……)


 盾の王は、人間ではない。魔術士でもない。

 グリモアという機械に宿る何か。

 それは、ミストレイン州軍を撤退に追い込んだ。

 イーリス王国は“あんな悍ましい物を使ってでも勝ちたいらしい。”

 敵国の非情さに、私は、はじめて恐怖した。


 童女のように震える私の掌を、優しく握ってくれたのは、最愛の人だった。

 ヒースは、細心の注意を払うようにしながら私に語り掛けた。


「いいかい、気を確かに持って、聞いてほしい。まだ回復しきっていない君に言うかどうか、迷っている事がある……あとから知れば、君は大きな苦しみを感じるかもしれないし、今言っても君は絶望してしまうかもしれない。だから、君に選んでほしい。これをいま聞くか、あとから聞くか」


「……私はプリムローズ・ミストレイン、至尊の十冠にして、あなたの妻よ? 言って、お願い」


 そういう私に、ヒースはたっぷり3分ほど悩みに悩み抜いてから、言葉を紡いだ。


「君が、お腹に受けた傷は、深くて……何とか一命はとりとめたけど、もう――――」


 ヒースの言いたいことは、それだけで伝わった。

 自分の体の事だ。自分が一番よくわかっている。


 最後まで言えず、涙をこらえるように俯き、黙り込んでしまった愛しい人と繋いでいた手を離し、お腹の上に乗せた。


 手術の痕を布越しに感じる。

 傷は閉じているが、私のそこには、ぽっかりと穴が開いていた。


「…………そう……」


 奈落の底に沈むような感覚。

 私は大切なものを失った。

 とてもとても大切な、私を私たらしめていた重要な一部が、そこにない。


「……もうダメなのね……」


 涙は出なかった。

 何の感情もわいてこない。

 希望も絶望もなく、無だ。

 私の代わりに、ヒースが静かに涙を流した。


「泣かないで、愛しいあなた、私は大丈夫よ、ねえ、ヒース……泣かないで」





 //




 あれからどれくらい時間がたっただろうか。

 私は昼も夜もなく魔術士として軍務に従事した。


 失ったものを考えないようにする為に、魂と心を空っぽにし続けた。

 イーリスを憎める事が唯一の救いだった。

 使われない空の容器が風化せずに済む。


 私たち家族の幸せを奪った盾の王と、決着をつけなければならない。

 私のために、ヒースのために、ミストレインのために、戦争は必要だった。

 軍を私物化していると非難されようと、知った事ではない。


 怨恨に根差した闘争は、思いを成就しない限り永遠に続く。


 一枚岩になれない全州軍を引っ張り出すのは生中な事ではないが、戦う理由はいくらでもつくれた。

 南方三州の『魔石の鉱脈が欲しい』という悲願を引き合いに出し、ミストレイン州の独断で数度に渡り南進作戦を決行した。

 しかしいつもあと一歩のところで悲願はとん挫させられた。

 イーリスは盾の王が強いだけの国ではない。

 他の列強との関係強化や帝国内の内部工作といったありとあらゆる手段で私たちの攻撃を阻んだ。敵国も侵略者から国を守るために必死だった。


 幸か不幸か、激しい魔術戦の中で、私の“戦場の霧”はより洗練され、強大になっていった。

 

 最新の魔術学の研究では、『魂が常軌を逸するほどに魔力は増大する』とされている。

 私の魂は体同様に異常の烙印を押されたのだ。

 それなのに、まだ盾の王には勝てていない。

 怨恨を晴らすためには、更に多くの覚悟が必要だった。

 

 だから彼に言わなければならない。

 これは自惚れだが、彼は私を愛してるから、私から言う必要があった。

 絶対に彼が言わない言葉を。



「ヒース、別れましょう」



 己に対する罰の意味も込めて、彼にそう切り出した。


「…………聞き間違いかな? 別れましょうって聞こえたけれど」

 

 彼は垂れ下がった目じりを更に下げて、目をしばたたく。

 

「ええ、そう言ったのよ」

「どうしてだい? 僕に何か不満が? こう見えてなかなかの良夫だと思うけど」


「あなたは完璧なままよ、私が不釣合いになっただけ」

「……いくら温厚な僕でも、最愛の妻を貶められたら、怒らないわけにはいかない。それがたとえ、妻自身でも」


「魔術士として、女として、今でもあなたの最愛を受け取れる立場にいると思っているわ……けれどダメなのよ。一番大切な妻として、私はもうダメなの」


「……待ってくれ、君がこれから言おうとしている事、それだけは言わないでくれ、頼む。君に言わせたら僕は、僕を許せない」


「私は、もうあなたの子供を産めない」


「君は本当に、言葉を躊躇ってはくれないんだね……」


「別れましょう。私は、あなたが妾と子作りをする事が死ぬほど苦痛だし、その子供には絶対に愛情を注げないという自信がある。憎らしくて殺してしまうかもしれない。このまま籍を入れ続けるのは、お互いにとって不幸よ」


 これは半分嘘で半分本当。

 今のミストレイン家では水面下で後継者問題が激しくなっていた。

 ヒースもいい歳だ。

 後継ぎが決まらなければ、魔術士としてのミストレイン家の土台が揺らぐ。

 養子を迎えるという手もあるが、それは最終手段。家格とは連綿と続く血の繋がりそのものだ。格を下げないために、ミストレイン家は、魔術の才がある遠縁の親類を、ヒースの第二夫人に当てがおうとしていた。

 復讐戦に集中するために離縁を迫ったが、第二夫人を認められるほど物分かりのいい女でもないという自覚はあった。


「ミストレイン家は全会一致で君との離縁は却下するよ。もちろん、僕も反対だ。君を手放したくない。それは愛情を抜きにしても、だ。君はミストレイン州に必要な存在だ」


「離縁の理由は、私が用意するわ。私、浮気するから」


「……………………はっ?」


「名門貴族の箔に泥を塗りつけるような厄介者なら、追い出す口実になるでしょう? あと、あなたの愛想も尽きると思って」

「本気で言っているのかい?」

「本気よ。州軍ではちゃんと働き続けるから安心して。今までどおり、ミストレインを守る盾となり、敵を倒す矛となるわ」

「君は僕を試しているのか?」

「そんなつもりはないわ、口実を上手く使って、親戚連中を説得して、私との離縁を効率よく――」


「ローズッ!!」


 この人が激怒するところを、はじめて見た気がする。


「……私は離婚したいの。これ以上あなたを不幸にはできないわ」

「最愛の人に浮気を宣言されて、離縁を迫られている今まさに、不幸を感じているよ」

「名門貴族、魔術の大家ミストレインの当主が、子を残さないという選択肢はない。次代の望めない女は、正妻に相応しくないわ。あなたの妻でありながら、あなたの側で、あなたの一番に慣れない事に、私は耐えられない。これは私のわがままよ。どうか愛想をつかしてちょうだい」

「君と縁を切るくらいなら、家と縁を切る」

「だめよ。責任感の強いあなたは、私のためにミストレインを捨てた事を、絶対に後悔する」

「君と別れても後悔するさ」

「どちらでも後悔するなら、私はあなたと私のためになる方を選びたいの。あなたの名誉も、理想も、私の誇りよ。それを捨ててまで、自分に尽くしてほしいと思えるほど、私は傲慢じゃない」

「君はどこまでも自分勝手だ……」

「そんな私に惚れたんでしょう?」

「ああ……僕はイーリスが、盾の王が憎い……憎くてしょうがない……」


「安心して、私が滅ぼしてあげる……あなたとミストレインを不幸にする全てを」


 私があなたの不幸になるのなら、私自身すら。


「“戦場の霧”プリムローズ・ミストレインとして、何もかもすべて、霧に沈めてやりましょう……」


 妻として果たせなかった役目を、せめて魔術士としては果たしてみせる。

 必ずあなたの役に立ち、ミストレインが手に入れるはずだった未来を取り戻す。

 そのために、更に魂を汚す必要があるのなら、貞操でも命でもくれてやろう。

 

 死出の道行には、イーリスに付き合ってもらうつもりだ。


 だからどうか泣かないで、愛しい人。

 私は大丈夫だから。

 あなただけは、私の分まで幸せになって。


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