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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
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Episode:019 精霊の舞踏

 ミストレイン以上に、限は追い詰められていた。

 精魂尽きかけた状態で、更に魔力を抽出していく過程で、頭髪の一部が白くなり、手足の末端からは感覚がなくなっていった。

 廃人化の前兆だ。

 文字通り、魂を削りながら魔術を使っていた。

 これだけやっても、まだ勝率は1%以下だと、セレネは言う。


「魔術障壁で霧の領域を越えられなかったら負け、途中で魔力切れになったら負け、無防備になってる本体を攻撃されても負け……やっぱり無謀だったかな……」


 お道化どけようとしたが、笑う事に失敗した。

 とても眠かった。目を閉じたら二度と瞼を開けられなくなりそうな眠さだ。

 魔術は発生箇所が遠くなればなるほど、世界抵抗の影響で精度や速度が低下する。

 キュアレーヌス・セレネが魔術障壁を収縮する速度は、それほど速くない。

 その間、プリムローズ・ミストレインが大人しく待っていてくれるとは、とても思えなかった。

 せめて、できるだけ遠いところに居る事を願う。


『空気の振動を検知、本機直上、敵、近いです』

「楽はさせてもらえないか」


 転瞬、キュアレーヌス・セレネの頭上から霧の竜巻が大挙して降り注いだ。

 直撃すれば、残り少ない魔力を更に失う。

 戦場の霧を封じ込めておくためには、一撃も貰う事はできない。


『やはりお前は危険だ! 確実にここで仕留める!』


 竜巻と共に、ホロウ試作1号機が円月輪を投げる。敵も全力だ。


「頼むセレネ、助けてくれ!」

『了解。完全代行操縦、開始。最小リソース・最短経路で回避を実行』


 己の役割を果たすために、戦闘補助精霊が全能力を解放した。

 セレネ自身がグリモアを操り、押し寄せる霧の竜巻の中、僅かな活路を見出して、体を滑り込ませて走り抜ける。

 そのまま左右から狭まる竜巻を前転でかわし、斜めから飛んできた円月輪を側転で避け、竜巻の追撃を後方宙返りで飛び越えた。


「……セうわっ! ……セレネっがっ! ……ま……うっ! ……まだなのかっ!?」


 喋るたびに舌を噛みかけた。

 飛翔魔術を使わずに動くグリモアは、激しい加速度を乗り手に与える。

 限は心身共にボロボロだった。


『あと10分32秒。耐えてください』


 限は言葉を失った。拷問のような時間が永遠と続く。

 敵の攻撃は間断なく降り注ぎ、セレネはそれを紙一重で避けていく。

 人の関節の可動域を無視して四肢を畳み込み、どこにどう力を込めたらそうなるのか理解できない体勢から機体が飛び跳ねる。

 セレネは人間の想像力を超越して躍動した。

 人体にできない動きを魔術士はグリモアで再現できない。

 想像力に具体性が伴わない動きは、形にならないのだ。

 精霊はそれを可能にする。


『この、化け物めッ!』


 ミストレインが交信魔術越しに吐き捨てた。

 濃霧を正確にコントロールできる接近戦で決着をつける方が手っ取り早いはずだが、決して近寄ってはこない。シークレット・フォースが握り潰されるところを見た後では、安易に近寄れないのだろう。

 ミストレインの慎重さが、限に僅かな猶予を与えた。

 キュアレーヌス・セレネを細心の注意を払う必要がある敵と認め、全力で落とそうとしてくる。

 霧の竜巻は、数がわからなくなるくらい増え、空を覆いつくした。


「どっちが、化け物だよ……チクショウ……」


 度重なる攻撃でクロノス・ミカニの飛行甲板はゴミ山のようになっていた。

 最悪の足場で、前方1回ひねり、前方3回ひねりのあと、勢いのままムーンサルトを行い、セレネは攻撃をかわす、かわす、かわす。

 完璧な床運動を成功させ続けて、魔術に頼らずに攻撃を回避していく青い騎士の姿は、神々しく、芸術的だった。

 しかしキリがない。

“戦場の霧”はクロノス・ミカニを含めた全ての魔術的な事物から魔力を吸い取って強化されていく。相手の手数は無尽蔵に増えるのに、限たちは息も絶え絶えだった。

 やがてセレネでもどうしようもなくなる時が訪れる。


『すみません、どうやらここまでのようです』


 数百の濃霧の螺旋が、触手のようにうねり、クロノス・ミカニの上空に満ちる。

 轟々と、この世のものとは思えない大気の音が鳴っていた。


「……残り時間は?」

『3分31秒です』

「やるだけやったさ……みんな許してくれるだろ……セレネには悪い事をしたな、ごめん」

『謝らないでください、カギリ様。きっとこれが――』


 セレネが何か言い終わるよりも早く、霧の螺旋と円月輪が襲いかかってきた。


『霧に抱かれて果てなさい!』


 キュアレーヌス・セレネは“戦場の霧”の攻撃に呑み込まれた。


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