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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
17/63

Episode:015 戦場の霧

 

 青いキャンバスに白い絵具がたなびく。小鳥のさえずりが心地よい晴天の昼下がり。

 長閑な牧草地帯には、雲に負けないような純白の建物が、ポツンと建っている。

 私は彼と建物脇に置かれたベンチに座って議論を交わす。


「魂の実在が信じられるのなら、神の存在も疑うべきではない」

「そう? 魔術学で魂の存在は明らかにされているけれど、神の存在は未だに証明できていないじゃない?」


 天頂から降る陽光が、屋根に付けられた黄金のモニュメントの影を地面に刻む。

 人のように見えるそれに頭はなく、腕のある部分には一対の翼があり、足は一本しかない。それが天の使いを象っていると、皆は言う。

 この国のどこにでもある、ありふれた物。

 ただの物に過ぎないのに、人はこれに毎日感謝し、恭しく(こうべ)を垂れる。馬鹿げていると思う。


「そう思う君の魂と理性に、神は宿っているのさ」

「人の理性に神の存在が見えるのなら、大量殺人者に聞いてみたいわね。その行いは神が認めたのかって」


 私には縁のない場所だ。

 それでもこの白い建物に訪れるのは、彼がいるから。


「神は疑うものではない。信じるものだよ」

「信じられないから私は無宗教なのよ」


「無宗教も宗教だ。宗教は人生を少しだけ歩きやすくする地図のようなものさ。己の信じたい道を探して、その行き先がアラマズドの神に近いならそれを信じ、違うなら別の道を探す。自由に道を選べる事こそが救済。それは証明する必要もない確かな真実さ」


「……あなた、変わってるわ。みんなアラマズドを信じるべきだってうるさいのに」


「信じるものは勧めるものじゃない、自分で選ぶものだ。僕は僕の神を信じている。君は君の神を信じればいい」


「やっぱり変わってる」


 私をここにつなぎとめてくれる、ただ一人の人。

 国も宗教も関係ない。

 私には魔術の才能があるらしいが、それもどうでもいい事だった。

 彼と一緒にいて、言葉を交わす、それだけで私は満たされる。

 楽しいと感じる。


 そう思う理性が、私の神だというのなら、信じても良いかもしれない。





 //





 曇天。シトシトと雨が降る。

 長い葬送の列が、黒い川のように続いていた。

 その列には加わらず、いつもの格好で、遠くから川が流れていくのを見守る。

 私は彼らの様式の喪服を着れない。

 アラマズド教ではないから。

 その宗派のやり方で彼を見送ることが許されていない。


「神を信じていない私よりも、神を信じていたあなたの方が先なんて、笑えない喜劇よ」

 

 私は彼にそう呼びかける。

 もういつものような面白い答えは返ってこない。

 あの教会で、彼と議論することは金輪際ないのだと、ようやく実感が追いついてきた。


 雨が降る。


「……ねえ、私、この国を出るわ。あなたをすぐ呼びつけるような神は、やっぱり信じられないもの……」


 雨が降り続ける。


「さようなら、私の神様……」


 雨が降り続ける。





 //





 青い空と白い雲に彩られた眩い気持ちの後に見た、葬列と雨の中に消えた悲哀は、現実のように限の脳裏に広がり、まるで自分がその場にいるかのように感じられた。


 魔力は魂の力。

 魔術は魂の具現。


 それらは、ソサイエの物理法則の中に組み込まれた、人が知覚できる、形なき人の本質だ。


(何もできなくてごめんなさい。私の代わりに、みんなを守ってあげて……)


 幻想の後に真っ黒な海に落ちていくアエルルスを見た限は、ヨアンナ・ハリカルの優しい声を、確かに聴いた。

 物質的な生命活動の停止によって損なわれない精神、あるいは魂が、グリモアという機械を通して、限にその声を届けた。

 少年の膨大な魔力は、高感度のレシーバーのように、人の本質を拾ってしまう。


 望まぬ力は死者を慰め、生者を苦しめた。


 我に返った限は、死と思いをダイレクトに受け取った反動による吐き気と頭痛をこらえながら、青ざめた形相で敵をにらみつける。


『フフフフっ、心地よい魔力さついを感じるわ。いいわよ、霧の中で私を捕まえられたら、あなたに()られてあげる。でも、すぐに果てちゃあイヤよ?』


 細い体のラインを持つ薄紫色のグリモアは、まるで女性のようだった。乗っている魔術士も声からして女性だ。

 巨大な円月輪を手から背中に装着しなおし、精緻で美麗な術式が輝く起動陣の上に結跏趺坐の姿勢をとるグリモアは、後光のさす仏のように神々しく、威圧的だった。

 その見た目に反して、魔術センサが示す敵の魔力反応はあまりに微弱で、消える寸前の蝋燭のように頼りない。


 敵の異様さに二の足を踏んだ限は、最初の攻撃のタイミングを逃す。

 薄紫のグリモアが魔術障壁を展開した。すると、その姿が急速に霞みはじめる。

 灰色の布に覆われていくように、敵の姿が見えなくなっていった。

 濃霧が、薄紫のグリモアを取り囲んでいた。


「――っ、セレネ! AMF、モード・ランス、フルバースト!」

『了解、AMF、モード・ランス、フルバースト』


 復唱の後、渾身の投げ槍が放たれる。

 しかし槍は何もない空間をえぐり、夜霧に紛れてしまう。


「消えた?! 魔術センサは?」

『魔力反応消失。何らかの方法でこちらの索敵から逃れている模様です』


 セレネからの回答は不可解極まりない。

 魔力が用いられている物ならば、魔術センサはその存在を探り出せると聞いていたのに、話が違う。


「まさか、探知範囲から一瞬で逃げたのか?」

『それほど高速で移動できるグリモアは存在しません』


 エテリアの魔術はなんでもありのようでいて、しっかりと様々な制約を受ける。

 世界抵抗や技術的な制約から、光の速さで移動するような真似は、グリモアと言えど“まだ”できない。

 

 最新鋭のグリモアであるキュアレーヌス・セレネの魔術センサは最新式だ。それに戦闘補助精霊の補助の加わる事で誤認や見落としはほぼなくなる。

 

 あたりに広がる霧はいよいよ濃くなり、夜闇と合わさって視界を塞いだ。

 精霊の目から逃れているとしたら、イーリス王国の全軍が薄紫色のグリモアをセンサでは捕捉できないだろう。


「こちらが見失っている事に気付いていないのか、どうして攻撃してこない? それに目がかすむ……なにか変だ……」 


 まだ十分に魔力は残っているはずなのに、どんどん魔力がなくなっていくような倦怠感に苛まれる。


『解析完了。すでに攻撃は始まっています。先ほどから周囲に満ちる霧、これが敵の魔術攻撃です』

「この霧が、魔術だっていうのか?」


『領域下の魔術的事物から魔力を吸収する霧――過去のイーリス王国軍の戦闘記録から類似する状況、魔術、魔術士を照合――結果、97.2%の確率で、敵は超高位魔術師ブランドメイジ至尊インペリアル十冠・テン、“戦場の霧”プリムローズ・ミストレインと考えられます』


「例のやばい魔術士か……わかった、霧の中にいるのが危険なら、まずは外に出よう」

『【異相魔術】“戦場の霧”はミストレインの操るグリモアの周囲に広がり、その範囲は約180平方キロメートルに達します。魔術が霧のように見えているだけで実際の霧ではないため、海中にも発生するようです』


「メチャクチャ過ぎるだろ……」


 都市が丸々おさまるような範囲だ。魔術というよりも天災に近い。


『世界抵抗の影響を受けない、その魔術士だけが操れる唯一無二の魔術が、異相魔術です。それを操れるが故に、彼らは超高位魔術師ブランドメイジと呼ばれ、戦略兵器と恐れられています。霧の維持に必要な魔力は、霧が吸収した魔力が使われるため、我々が戦闘不能に陥るまで、この霧は晴れません。魔術センサを欺瞞されながら付かず離れずに霧を展開され続けたら、全滅は必至です』

「つまり、こっちが魔力切れになる前に、センサ無しで、この夜霧の中、敵を探し出して倒すしかない、というわけか……」


 砂嵐が吹き荒れる砂漠の中から米粒を探し出すような事をしなければならないらしい。

 しかもタイムリミット付だ。

 無理難題にも程がある。


『まさか、ミストレインの秘密兵器が出てくるとはなぁ。ブルー9、お前が敵を本気にさせたようだ』


 交信魔術で話しかけてきたのはブルー3、ヤニスのアエルルスだ。

 限の周囲にアエルルスが集まってくる。

 陽気な声音とは裏腹に、ヤニスのアエルルスはマナモーフ・ソードで周囲を威嚇するように見回していた。

 ヨアンナを撃墜された怒りが通信の声ににじんでいる。


『こちらブルー8、噂に違わない……っていうか、噂よりもやばくない?』


 ブルー8ーーペトラも努めて明るく振る舞っている様子だったが、声には若干の震えがある。


『“戦場の霧”は、【盾の王】と過去に何度か交戦している。王国軍は“戦場の霧”相手に大損害を出しつつも、辛うじて撃退に成功してきたが……記録では視界不良になっても魔術センサは機能していたそうだ……』


 セキヤは事務的に状況を整理しようとした。

 非常事態だからこそ、彼は冷静であろうとしてくれているのだ。

 感傷に浸っている場合ではないと、全員にわからせるために、自制心を総動員している。

 皆がそれを察し、ヨアンナの事には、あえて誰も触れなかった。


『おそらく新技術が使われた新兵器……クロノスが奇襲を受けたのも、そのせいだろう。しかも“戦場の霧”との相性は抜群だ。マズい状況だな』

『ブルー1、これほどの大魔術だ、連発はできないでしょう。海上でこれを使わせることができたのは不幸中の幸いですよ。イーリスは時間を手に入れられた筈です』


 ヤニスの言う通りだ。

 魔術文明は、魔術と魔力によって成り立つ。イーリス王国の都市機能も例外ではない。

 文明の利器はすべて魔術を必要としていた。


 そこに突然“戦場の霧”が現れたらどうなるのか。


 魔術士は魔力欠乏症で無力化されながら都市機能は麻痺。大惨事になるだろう。

 ケイ・ルーデ技術少佐が言った「大局を変え得る個人」、「異常な才能」という表現には、なんの誇張も入っていなかった。


 プリムローズ・ミストレインの魔術は、都市や要衝を一人で制圧、占拠できてしまう。

 ソサイエという世界では、しかるべきグリモアと魔術士が揃えば、それが可能なのだ。


『あー、こちらコマンダー1、みんな聞こえるか? 攻撃用の魔術を除いた上で、あと何時間飛べる? だいたいでいい、声には出さず、ブルー1に伝えろ。』


 ペインからの通信だ。


『私はこれだけだ』

 

 セキヤがグリモアの指で『3』と示した。セキヤ大尉は3時間飛べると言っていた。同様にヤニスは『4』、ペトラは『2』と示す。限は伝え方に苦心しながら、『21』と示した。おそらく21時間程度は戦えるはずだった。


『ふふっ、敵もやばいけど、ブルー9もたいがいだよ?』 

「誉め言葉と受け取っておくよ。だけど、アンリストレイントを使うと話は変わってくるから、あまり過信しないでくれ」

『ブルー8、9、くっちゃべってる暇はねぇぞ』

『その通りだブルー3、時間との勝負になるだろう。“一番継戦時間が短い者は艦の護衛に回せ”。ブルー1と残り2機は、散開して敵を捜索、撃破しろ。各個撃破される危険性はあるが、このままジリ貧で負けるくらいなら賭けに出るべきだ。いいか、絶対に敵を見つけ出して倒せ!』


 ペインの指示に全員が力強くうなづく。微かな希望でも信じて戦うしかない。


『ああ、それとブルー3、8、少しいいか?』


 セキヤが二人を呼んだ。


『何ですかブルー1?』

『はいはーい』

『いや、大したことじゃないんだがな――』


 そう言ったセキヤ大尉は、拡声器で声を届けられる距離までグリモアを近づけて、2人に何かを伝えているようだった。

 伝言はすぐに終わり、3機のグリモアが離れる。


『よし、ブルー2の仇討ちだ。やるぞ!』 

「『『了解ッ!』』」


 セキヤの号令に、一同は行動を開始した。

 しかし目の前に広がる霧は濃く、行く先は見通せない。

 これから先のことも、ここから生きて帰れるかも、すべて五里霧中だった。


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