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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
13/63

Episode:011 歓迎されざる者

 一進一退の攻防を続けていた2機だったが、やがて形勢は傾く。

 掴みかかろうとする限のキュアレーヌス・セレネを、ペトラのアエルルスは飛び越えて回避した。

 成形魔石繊維のバネだけを使った高いジャンプは、予備動作も起動陣もない。


 意表をつかれたが、元来の思い切りの良さですぐ思考を切り替えた限は、跳躍の方向からアエルルスが背後に着地すると予測した。

 着地点を狙うためにセレネを振り向かせる。


 予想に反して、正面を映すモニタには、何も映らなかった。


 慌てて空を見上げるのと同時に、起動陣の上に静止していたアエルルスが降ってきた。

 セレネの頭を両足で挟みこみ、落下するエネルギーと身体を旋回させる動きで投げ飛ばす。

 ヘッドシザーズ・ホイップと言われるプロレス技に酷似したグリモアの格闘技だった。

 甲板を勢い良く跳ねて転がったセレネは、あっけなくマウントを取られてしまう。


「飛ぶなんてズルいですよ!」

『ズルくないんだなーこれが。ちゃんと説明を聞いていなかった新人君が悪いんだよ~』


 セレネは、飛翔魔術を禁止とは言わなかった。聞き逃した限の落ち度だ。

 食堂でセキヤが飛翔魔術を操れるか聞いたのも、レクリエーションがアンフェアになりすぎないための事前確認だった。


 南エテリア大陸の民が熱狂するグリモアパンクラチオンは、巨大な人型兵器が取っ組み合う見た目の派手さが売りの競技だが、その中でも空中格闘戦はもっとも白熱する。


 飛翔魔術の入力、詠唱、キャンセルを細やかに連続させる動きは、実際の競技でも高等テクニックとされる。ペトラの技量のすさまじさを物語っていた。


 がっしりとアエルルスに組み敷かれたセレネには成す術がない。

 マウントポジションからの脱出方法を知らない限には想像のしようがない。少しも想像できなければ、セレネも助けようがなかった。


 あっているかわからないが、降参の合図として甲板をタップする。


『そこまで、勝者ペトラ!』


 セキヤの声を聴いたペトラは、すぐに拘束を緩めてくれた。

 意図が通じてくれてよかったと安堵する。


 キュアレーヌス・セレネを傷つけたらケイ・ルーデ技術少佐に死刑囚を見る目で睨まれるのだ。あの目は人を殺せる。


『思ったよりも時間がかかってしまったな。第1部はここまでか……』


 セキヤがそう呟く。

 まだセキヤとヨアンナは対戦していないが、すでに日は落ち切っていた。


 甲板上の誘導灯が描く軌跡が、第2飛行甲板と足場のない中空を描き分ける。

 月と星は、厚い雲が隠していた。

 飛んでいるクロノス・ミカニに波の揺れはない。

 生暖かい潮の香りと、茫漠と広がる黒い絨毯が、今いる場所を海上と思い出させてくれた。


『ペトラが苦戦したせいだな』

『負けたヤニスにだけは言われたくないってば!』

『俺が後輩の手の内を晒したから有利な戦術をたてられたんだろ。感謝しろよな』

『2人とも、その辺にしなさいよ』


 ヨアンナが呆れるようにため息を吐いた。


『傾注!』


 セキヤが号令を出すと、3人はすぐに言い合いを止めた。統率の取れた動きだ。


『これよりレクリエーション第2部を始める。各員ただちにグリモアから降機!』

『『『了解っ!』』』『り、了解っ!』


 一人だけ反応が遅れたのは誰か、言うまでもない。

 座らせたグリモアからはい降りた限を、4人の魔術士が出迎える。

 彼らは、部隊に任官したときの最初の挨拶で、ぼんやりと見覚えがあった。

 近寄ると、ショートボブの髪を緑に染めた少女が手を差し出してくる。


「私がさっき君に勝ったペトラ・ラリアよ。階級は准尉。大いに尊敬してくれて構わないからね、カギリ!」


 同年代くらいの少女だった。

 天真爛漫という言葉がぴったりな笑顔には、よほどひねくれた者でなければ悪い印象を抱けない。ほどよく引き締まったスレンダーな体型は、何かスポーツでもやっていそうだ。


「よ、よろしくお願いします、ラリア准尉」


 握手を交わすと、ペトラはその手をブンブン振る。


「ペトラでいいってば。敬語もいらない。同じ階級だし、これから苦楽を一緒にするんだからさ」


「はい、わかりました、ペトラ准尉」

「んー?」

「いや……よろしく、ペトラ……」

「よし合格、こちらこそよろしくね、カギリ!」


「なーに一人前に先輩ヅラしてるんだ。お前も配属1年目の新人だろうが」


 限とペトラのやり取りを腕を組んで聞いていた青年が、からかうようにそう言った。



「ああ、これがカギリにコテンパンに負けたヤニス・サマラス少尉。遺憾ながらうちのエース。大いに軽蔑していいからね」

「階級も年齢も俺のほうが上なのに、なんて口ききやがる。ぶん殴るぞ」


 そう言うヤニス・サマラスは20代前半くらいに見えた。


 茶髪交じりの金髪を短く刈り込んだかなりの美形だ。身長は180センチメートル以上あるだろうか。

 一見粗暴な発言は、初対面の限でも本気ではないとわかる。

 言葉の端々に、どこかペトラとのやり取りを楽しんでいる余裕のようなものが感じられた。


「ヤニス少尉こわーい、こんな可愛い女の子を殴るなんて鬼畜ー」

「いっこもかわいくねーわアホ娘」

「な! アホじゃないわよ! 士官学校スクールを出ていないこと馬鹿にしたらタダじゃおかないから!」

「アホだから被害妄想ばっかり膨らむんだぞー」

「また言ったなへっぽこエース!」

「んだとアホ娘ー!」

「2人とも仲が良いのはいいけど、カギリちゃんが置いてきぼりになってるじゃない」


「「仲良くない!」」


 息の合ったデコボココンビを、少し後ろに控えるように立っていた長身の女性が仲裁した。


(いきなり、ちゃん??)


 限は面食らう。距離の詰め方が尋常ではなかった。


「ヨアンナ・ハリカルよ。階級は中尉、よろしくね」


 豊かな後ろ髪を太い三つ編みにして垂らしている女性は、熟女のようにも少女のようにも見えた。嫋やかにほほ笑むさまは、貴族と言われても、下町に住む主婦と言われても信じられる。

 不思議な雰囲気をまとった人だ。一挙手一投足に底知れなさがうかがえた。


「聞いて驚け、こう見えて中尉の年齢は――」

「オラァッ!!」

「ぶべらっっっ!!」


 腰の入った重たい右拳が、ヤニスの脇腹をえぐる。

 空気を割き、内臓をえぐる音が聞こえた。


「やだわ、ヤニスったら、お腹を押さえてどうしたの? 悪いものでも食べたのかしら? まったくうちのエースにも困りものね、ふふふ」


 ヨアンナが、何事もなかったかのように、優雅な所作で口元に手を当てながら笑う。

 先ほどの底知れなさが、今は怖い。


「カギリちゃんも気を付けてね」

「は、はい! ハリカル中尉!」

「ヨアンナでいいわよ」

「はいっ! ヨアンナ中尉! よろしくお願いします!」


 とにもかくにも、ヨアンナの逆鱗には触れないように注意しようと、心に深く深く刻み込んだ。


「ぐぎぎっ………お、俺も、ヤニスでいいからな」


 ヨアンナの一撃からなんとか復活したヤニスがサムズアップする。


「ど、どうだ、感じは掴めたか? こういう隊だから、気楽にな」


 わざと、だったのだろう。

 帝国からの亡命者(という事になっている)の限の緊張や不安を取り除くために、あえて大げさにふるまってくれたのだ。たぶん。


「ありがとうございます、ヤニス少尉。少し気が楽になりました」

「いいって事よ。俺たちにとっても、いい憂さ晴らしになってる。これからヤバくなりそうだからな……」

「というと、帝国の件ですか? そんなに状況は良くないんですか?」

「良くないも何も――」

「ヤニス」


 何か言いかけたヤニスを、近寄ってきたセキヤ大尉が制止した。

 ヤニスは嘆息する。


「過保護はよくないと思いますがね……」

「せっかくの宴の場だ。カギリには、ペイン中佐が改めて説明の場を設ける。今はただ、楽しんでおけ。英気を養える時に養っておく事も、仕事の内だぞ」

「わかりましたよ大尉」

「はい大尉、了解です」


「堅苦しくなってしまったな……もうすぐ料理が届く。ペイン中佐、ルーデ技術少佐はじめ、整備班の皆で準備したものだ。期待してくれていいぞ」


 そんなことを佐官にやらせていいのか、と思わないでもない。


 無礼講というやつだろうか。

 髪型が自由だったり、言葉遣いが雑だったり、軍隊にしては規律が緩いように感じられる。実験部隊特有の気風かもしれない。


 ほどなくして、グリモア整備班の面々が料理や組み立て式のテーブルなどを持って現れる。

 彼らによって、準備がテキパキと進んでいった。

 相変わらず料理に何の材料が使われているのかわからなかったが、香ばしい匂いは空腹を刺激してくる。


「ごめんなさい、少し遅れたわ」


 ケイも合流する。ペインは会議で遅れていると、彼女が教えてくれた。


 ケイや整備班、そのほかの非番の人間が加わったレクリエーション第2部は、15名程度の小さなパーティになった。


 酒の肴はもちろん、噂の特務准尉――天野 限だ。


「魔力測定器を壊したって、本当か?」

「イーリス語を早く覚えろヨ。ワコク語は難しい」

「ルーデ姫を独占できるなんて羨ましい。死ね」

「帝国ってどんなところ? 摩天楼街には行った事ある?」

「あのじゃじゃ馬をよく操縦できるな。俺は5分が限界だったぞ」

「ぎゃくに、ていこくご、おしえて、くれ。おれ、にがて、なんだ」

「ケイちゃんは整備班の癒しなの。手を出したら許さないからね。あと死ね」

「今回の件、元帝国人の君としては、心中穏やかではないんじゃない?」

「私のセレネをじゃじゃ馬呼ばわりしたのは誰! 出てきなさい!」


 帝国公用語を話せる人間がいっせいに限に話しかけてきた。一部、呪詛が混じっているが、おおむね好意的だ。

 仲が悪い国からの亡命者という設定のため、きつい言葉を浴びせられると覚悟していた限は、肩透かしを食らう。


「嬉しそうね、カギリ」


 ケイが近寄ってきて、声をかけてくれた。割れた瓶を持っている理由は、深掘りしないでおく。


「そうだな……」

 

 限は、鼻の頭をかきながら、気持ちを整理する。

 ほぼ交流がない外国は、危険な相手であると同時に、興味の対象でもあったのだろう。

 これまでは、落ち着いてゆっくりと話す機会がなかったが、ちゃんと話し合えれば、わだかまりは大きくないとわかった。

 知り合いもいない異世界で、孤軍奮闘しなければいけないと思いつめていたが、何とかなるかもしれない。

 少なくともイーリス王国民全員が、統一グランベル帝国を恨んでいるわけではないのだ。


「嬉しいよ……」


 でも、という言葉は飲み込んだ。

 受け入れようとしてくれる人たちに対して、自分の素性を「統一グランベル帝国内の小さな島国出身で、帝国では田舎暮らしの世間知らず」と説明をしなければならない点は、少し心苦しかった。

「地球の日本出身」と話せば、面倒になる可能性が高いため、部隊配属前にペインと打ち合わせしたとおりに、架空の経歴で誤魔化していた。


 もともと島国の地方都市出身で、ソサイエをほとんど知らない限には当たらずとも遠からずな設定だったが、嘘をついている事に変わりはない。


「まあ慣れない土地でいろいろ大変だろうけど、これから楽しくやろうよ」

「ぶはっ!」


 飲み物を飲んでいるときに、ペトラに勢いよく背中を叩かれ、むせる。


「お、お手柔らかに……」

「アホは加減を知らないから困るよな。カギリはほどほどに力を抜いていけよ」

「アホ言うなへっぽこエース」

「へっぽこを枕詞にするんじゃねぇ」

「飽きないわね~。ま、一緒に頑張りましょうね、カギリちゃん」


 生きて日本に戻るために、異世界の軍隊で、他人に隙を見せないように、本当の自分を隠しながら生きていくしかないと、考えていた。


 彼らに暖かく歓迎されて、深刻になりすぎていたのかもしれないと、思い直す。

 この世界で生き残る希望が見えてきた。


「はい、ありがとうございま――」


 限の感謝の言葉は、最後まで続かなかった。

 地の底から湧き上がるような激しい振動が、限たちを襲ったからだ。


 激しい縦揺れは、甲板の上に立っていた人間たちをなぎ倒し、テーブルの上の物を根こそぎ振り落とす。


「な、なんだ!!」


 限はたまらず叫ぶ。

 クロノス・ミカニが大きく傾いだ。


 悲鳴がこだまする。その悲鳴よりも大きな爆発音と、立ち上る黒煙のむせかえるような臭いに、めまいを覚える。


 大きな揺れはすぐに収まったが、甲板は斜めになったまま、微震が続く。


「グリモア隊、全員無事か?!」


 いち早く立ち直っていたセキヤ大尉が、大声を上げた。


「問題ないですぜ大尉!」

「大丈夫よ」

「なにこれ、どういうことよ?」

「だ、大丈夫です」


 炎と煙の出どころはクロノス・ミカニ右翼、第1飛行甲板だ。


 煙に煽られるように、小さな点が動き回っている。甲板にいた人が避難と消火活動のために動き回っているのだ。


 火だるまになった人が甲板に転がり出るのを、限は見た。

 死が、すぐそばにある。


 無意識に拳が握りしめられていた。


 事故の可能性もあるが、風が、煙と一緒に不穏な気配を運んできた。


 肌がひりつき、喉はカラカラに渇く。


 先ほどまでのゆるい空気が嘘のように、今は重油の中にいるような息苦しさを感じる。


 傾いた飛行甲板の先に広がる暗い海には、何も見えない。


 近くの空だけが、血のような赤色に染まっていた。



 


 //





 クロノス・ミカニ第1区画4階、主艦橋。

 魔術が煌々と照らし出す室内に、ヌースが檄を飛ばす。


「総員、戦闘配置! 被害報告、索敵、急げ!」

「第3区画、火災発生中。船体の傾斜は5度で停止、飛翔魔術でなんとかもっています」

「死者6……訂正9! 重傷15、ほか軽傷者多数!」

「第3区画底部から飛行甲板まで、縦の貫通創を確認。事故ではありません、外からの魔術攻撃です!」


「よりによって第3……動力炉はどうか!?」


 ヌースは、これ以上被害を出さないためには、艦の全機能に直結するコロッサス式動力炉の健在を、第一に確かめる必要があった。


「無事です! 障壁の常時展開、正解でしたね」


 クロノス・ミカニでは2日前から常時魔術センサを使用して索敵を行う第1級警戒配置を敷いていた。

 それに加えて『最高出力の30%で魔術障壁を常時展開』とヌースは指示していた。警戒配置では異例の措置であり、高確率で戦闘に突入すると想定される第3級戦闘配置相当の体制だった。



「障壁、最大展開に切り替えろ、消火活動と並行して直進! 以後、交信魔術は傍受されていると考えろ。観測班、死ぬ気で敵を見つけろ! 見つけないと死ぬぞ!」



 警戒をしていなかったわけではない。

 アマノ・カギリの歓迎会に参加していたクルーはごく一部。ほとんどの人員が夜を徹して仕事にとりかかっている。


 二重三重の警戒網を敵は乗り越えてきた。しかも、敵を見つけない事には対抗策の立てようがない。ヌースは歯噛みする。


「障壁最大展開、完了しました」

「――艦底部観測班から報告! クロノス直下、海中にグリモアを確認!」


 待っていた報告は、しかし遅すぎた。


 すでに格闘戦の間合い。懐に入られた魔動空母の取れる手は限られてくる。


 僅差で魔術障壁最大出力の展開が間に合った点で、クロノスは九死に一生を得た。


「障壁最大展開を維持しろ。観測班、なぜ股座に潜り込まれるまで気付けなかった!」


「大型魔術センサは正常です。班員も不寝番を続けていました。ありえませんよ、こんな事!」


 クロノス・ミカニに搭載されている大型魔術センサは、球状に全方位を約10キロメートル探知できる。既存グリモアの歩行程度の小さな魔力反応も見逃さない。最新式には及ばないが、十分実戦で通用するものだった。


 機械に異常はなく、観測班に手抜かりも怠慢もない。敵が異常なのだ。


「敵の新兵器だとでもいうのか……」


 まず魔術を用いるかぎり魔術センサで感知できないことはない。

 何もかもが正しく働いた上で、接敵を許した。


「敵グリモア浮上! 数12! 障壁に取りつかれます」


 ヌースは低く唸った。機先を制されている。終始、主導権を握られていた。

 魔動空母の魔術障壁は、艦全体を覆うように展開されるが、その厚みは場所によってムラがある。巨大な艦体のすべてを均一に守れるような安定性が、魔術にはない。


 障壁の薄い場所を集中攻撃されれば、魔動空母の障壁は突破できる。


 対地砲も、障壁を伴って素早く動き回るグリモアに、どれほどの効果が見込めるか。


「銃砲、障壁が突破されるのと同時に全門一斉射、時間を稼げ! ペイン中佐、甲板に居るグリモア隊を指揮し、敵を撃退しろ、猶予はないぞ」


 海上でグリモアに対処できるのは、グリモアだけだ。


「了解、では」


「待て」


 主艦橋を出ていこうとしたペインをヌースが呼び止めた。


 部下の肩に手を置き、周りには聞こえない程度の声で確認する。


「この状況だ、新型にも出てもらうぞ。使えるんだろうな?」

「問題ありません。使えなければ、彼も我々も死ぬだけです。安いものでしょう」


 そう皮肉気に小声で言うペインに、ヌースは目を見開く。

 この緊急時に、部隊の最高責任者に戯言を吐く肝の据わった部下が、頼もしくもあり、憎らしくもあった。


「バカ者が……もういい、行け!」

「はっ!」




 

 //  





「ペイン中佐から交信魔術で指示があった、敵グリモアを迎撃する。全員グリモアに乗機!」


 指示を出しおえたセキヤ大尉は、自身のグリモアに向かった。


「三次会だ、気張れよ」

「これが本当のサプライズだねー」

「次はお別れ会、なんてことにならなければいいけど」


 ヤニス、ペトラ、ヨアンナが別れの挨拶もそこそこに走り去る。彼らの冗談は、限にはブラックすぎてぜんぜん笑えなかった。


 限以外、みんな戦うための教育を受けてきたちゃんとした軍人だ。

 長い訓練を経て、戦争のために身体と心を鍛えてある。

 平時には不謹慎ととられかねないユーモアも、戦場では余裕を手に入れるために必要な潤滑油だった。戦争に真面目に取り組む輩は、戦場に長くはいられない。


 一方の限は、走り出そうとしたところで転びそうになった。

 斜めになった甲板のせいではない。

 自分の身体が思うように動かせなかった。

 気付かない内に、足が震えていた。

 煙の臭いと、サイレンの音と、微震する船体が、嫌でも危機感を膨れ上がらせる。


 生と死の境界線が、すぐそばまで迫ってきていた。

 平和な現代に育った17歳の高校生が、いざその絶対的な境界線を目の前にしたらどうなるのか。

 まともな精神状態ではいられない。

 怖いのだ。

 死ぬことも、殺すことも、奪われることも、奪うことも、全てがたまらなく怖かった。


(――でも、何がなんでも生き延びる……そのためなら、やるしかない)


 天啓、開眼、円寂――そのどれでもあり、そのどれでもない直観に、限は従った。

 天野 限という少年が暴走するトリガーを引く。


 どれだけ傷つけられ、非難されようと、結果的にいつも限を生かしてきた感覚に、心身のコントロールを明け渡す。


 あるいはそれこそが、ソサイエで実在が確認されている『魂』の声なのかもしれない。


(やる……やれる……やるんだ……やるべきことを……)


 ルーティーンのように、自分自身に言い聞かせ、直観的に、やるべきことをクリアにする。

 いつの間にか、足の震えは治まっていた。

 急いで機体に向かう。


『カギリ特務准尉、敵は散開し、障壁の手薄な箇所を探しています。突破は時間の問題です』


 膝を折って座る蒼い騎士に飛び乗ると、精霊が迎えてくれた。


「艦も、俺自身も、あまり余裕がない。最初から全開で、やれる事を全部試す。魔力はもつか?」


 蒼い騎士が、四肢に魔力を漲らせながら立ち上がる。


『各モード、戦闘機動に支障はありません。ただ、アンリストレイントの最大出力は50分が限界です。敵の母艦が見つかっていない現状では、長期戦も見込まれます。使いどころを見誤らないようにしてください』

「十分だ。まずは目の前の敵を追っ払う……いや、また来られたら困る……今度は、ちゃんと殺そう、その方がいい」


 ふいに、最初の戦闘で人を殺したかもしれないという罪悪感がフラッシュバックしてくると同時に、操縦桿を握ろうとした右腕が、突然ひきつけを起こした。


 直観は、善悪を超越したところで稼働する機械のように、限の心を支配してくれるが、それはストレスや疲労、道徳観をなくしてくれるわけではない。心を完璧に操れる人間などいない。


 まるで、これからやろうとしている事を拒絶するように、右腕は不自然に動き回った。


 限は自身の一部を、操縦桿にたたきつける。


 何度も、何度も、たたきつける。


『カギリ特務准尉、何か問題ですか?』

「――いや、大した事じゃあない、気にするな」


 目的を果たすために必ず生き延びる。それ以外は余計。直観はそう告げている。

 平時に必要な常識は、戦時には邪魔なだけ。今はただ戦えればそれでいい。

 殴打され続けた右腕の痙攣は、やがて息絶える。


「敵はできるだけ減らす……そのためなら何でもやる、何にでもなってやる」

『ご用命とあらば、神にも悪魔にもなりましょう』


 夜空に、再び蒼い月が昇る。



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