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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
12/63

Episode:010 歓迎される者

 水平線に太陽が去りゆく。


 クロノス・ミカニの巨大な船体を、更に巨大な赤が包み込んでいた。

 この世に不変はない。昼間の紺碧は鳴りを潜め、穏やかな潮騒の音と共に、世界は黄昏れていく。


 キュアレーヌス・セレネは、第2飛行甲板に着艦した。

 つま先から徐々に力を入れていき、甲板に接触した衝撃を、足首から膝、股の関節で、順番に受け止めていく。

 人の筋肉を模倣して加工された魔石の一本一本が、魔力を帯びて伸び縮みし、操縦者のイメージを、機体に反映させていった。

 グリモアの四肢の動きは、魔術ではなく、魔力を伝達させる成形魔石繊維の機械的な運動にすぎない。

 圧力駆動する機械のように、魔力をエネルギーの伝達媒体とした駆動系が、巨人の手足を動かしているのだ。

 その機械運動は、電気や圧力を用いたシステムよりも、操作性の自由度が高い一方、正確性と安定性に欠けた。


 不正確で不安定な兵器、と言ってしまうとただの欠陥兵器なのだが、電気を用いた科学技術がまったく発達していないソサイエでは、魔力を可能なかぎり効果的に運用しようという試みが研鑽された結果、グリモアや魔動空母のような兵器体系が生まれたのだ。


 成形魔石繊維の律動を背中に感じながら、限は一息ついた。

 微小なタイムラグの後、セレネが方膝をついて中腰の姿勢になる。


 限は、ようやく立つ、座る、歩く、跳ぶというような基本動作をこなせるようになってきたところだ。


 重要なのは想像力。それも、具体的で、明確で、詳細な認識に基づく想像が求められる。


 人が意識しなくても歩けるのは、脳が膨大な情報処理を行っているからだ。人体の運動には様々な力学が働いている。常に全身には重力が作用するし、足裏で地面を踏み込んだ際には、地面から返される力を適切に前進へとつなげなければならない。


 ただ歩くだけでも、機械的に翻訳すると、非常に難解なプロセスを経る。

 グリモアは、“想像力という抽象的な概念で運動を具体化する”という矛盾をクリアしなければ、歩く事すらできなくなるのだ。

 まさか、どこの筋肉がどう動いているか意識しながら歩くことが、魔術士の第一歩になるとは思いもしなかった。

 それを平然とこなしている魔術士という人種は、どこか常人とは脳の構造が違うのかもしれない。

 凡人には困難を極める作業だ。セレネ様様と言えた。


 AMFを用いた空戦訓練が、限の身体に何とも言えない倦怠感を纏わりつかせている。


 一刻も早く帰って熱いシャワーを浴びて寝たい。

 のだが、今日はこれから限の歓迎会が控えていた。

 先輩たちがわざわざ開いてくれるという催しを無視すれば、関係に決定的な罅を入れてしまうかもしれない。


 最低1年は同じ職場で働くのだ。

 ただでさえ微妙な関係に、自分から終止符を打つ必要はない。

 少しの我慢を嫌がって後から少なくない我慢を強いられるよりいま我慢した方が特と、自分に言い聞かせる。


 あまり後先を考えない限でも、それくらいの計算はできた。


「どういう感じなんだろう……歓迎会。セレネは何か聞いてる?」

『知っていますが、言えません』

「な、なぜ?」

『ケイ・ルーデ少佐が、歓迎会の詳細をアマノ・カギリ特務准尉に漏洩しないように、訓練前に設定プロテクトしました』

「計器を弄ってた時か……」

『念には念を入れて、との事です』

「普通にやってほしいんだが」

『サプライズだそうです』


 大人の本気の悪ふざけほど質が悪いものはない。

 帰りたさが急上昇していく。そろそろストップ高だ。

 ふと、モニターに映る甲板に、複数の巨大な人影がさす。


『上空、グリモア4機を確認』


 キュアレーヌス・セレネからの報告は遅きに失した。おそらくわざとだろう。すでにサプライズは始まっているのだ。


 限が反応するよりも早く、空から降ってきた4機は、素早くセレネを取り囲む。


 薄緑色のカラーリングが特徴的な、アメフト選手を思わせる堅牢な鎧を着込む騎士に、限は見覚えがあった。イーリス王国軍の制式採用グリモア【アエルルス】だ。


 大きさはセレネよりも小さいが、肩幅は広く、全体的にがっちりした見た目のグリモアだった。腰の左右に、約2メートルの剣を帯び、背中にはホプロンと呼ばれる巨大な丸盾が備え付けられている。


 アエルルスの中の肩を赤く塗った1機から、交信魔術が入る。



『魔術兵器開発実験部隊グリモア隊へようこそ、アマノ・カギリ特務准尉、歓迎しよう』



 その声には聞き覚えがあった。


「せ、セキヤ大尉ですか?」


『昼ぶりだな。それじゃあ早速、グリモアパンクラチオンで親睦を深めようじゃあないか。まずはヤニス・サマラス少尉、いけるか?』


『もちろんです、大尉。先輩魔術士として、後輩を大歓迎してやりますよ!』


 限の後方にいる1機のアエルルスが進み出る。

 主役を置き去りにしたまま、どんどん話がまとまっていく。


「え、ちょ、ちょっと待ってください。歓迎会と聞いていましたが、どういう事ですか?」

『ふふふ、精霊に聞いたら教えてくれるわよ』


 別のアエルルスから女性と思しき魔術士が楽し気にそう言ってくる。


「セレネ、どういう事なんだよ」

『グリモアパンクラチオンは、グリモアを用いた格闘競技です。ルールは“魔術兵装、魔術障壁、遠距離攻撃の禁止”のみで、その他は何でもありとなっています。審判が止めに入るか、場外に出るか、片方が戦闘不能に陥れば、試合終了です』



「違う、そうじゃなく……えっ、格闘競技って言った今!?」



 食べ物や飲み物を片手に、会話に花を咲かせながら親交を深める会を想像していた。


 花は咲くが、真っ赤な血の花が咲く系の催しだった。


『ハンデとして、戦闘補助精霊の使用は認める。これで説明は十分だろ? 始めようぜ、帝国出!』


 ヤニス・サマラス少尉のアエルルスが、ファイティングポーズをとりながら、突進してきた。


「まったく説明が足りてませんが!」


 撃ち出された右ストレートを、限はとっさにしゃがんで躱す。

 限の操縦だけだったら、しゃがんだ瞬間の姿勢制御に失敗して転んでいる。

 セレネが助けてくれているからできる機敏な動作だった。


 その後もキックやパンチのコンビネーションが放たれ続けるが、何とか防ぎ続ける。

 その様子を見物していた3機の内、まだ発言していなかったアエルルスの乗り手が、交信魔術越しに口笛を吹く。


『へー、いい動きするじゃん。イリアスよりも余裕がある感じ……やっぱり魔力が多いからかな? どう思う、ヨアンナねぇ


『戦闘補助精霊のサポートに相当な魔力を抽出してるわね。使いこなせれば想像を越えた戦い方もできるってケイの話……眉唾だったけれど、あながち誇張でもないのかも……』


『ヤニス、負けちゃうかもねー』

『次、ペトラでしょう? 貴女もうかうかしていられないわよ?』

『おいこら、俺を応援しろよペトラ! 姐さんも、寝食を共にした仲間じゃないですか!』

『一緒に食事した事はあるけど、寝た事はないわね』

『ヤニスやーらしー、負けちゃえー』

『こなくそっ!』


 味方だと思っていた人間たちからからかわれたヤニスは、勝負を焦っているようだった。

 セレネの首を掴み、背を向けて、強引に投げようとしてくる。


 限はとっさに、アエルルスの腰に腕を回していた。

 考えがあってやったわけではない。


 ただ、投げられないように膝を曲げて踏ん張り、距離をあけようと思い、そのままヤニスのグリモアを抱き上げて、投げ飛ばそうとした。


『あら』

『わっ』


 ヨアンナとペトラがそれぞれ驚きの声を上げた。


 限は知る由もなかったが、そのセレネの動きは、柔道の移腰に近い技になっていた。

 限の意図は、投げ技を中断してもらい、ただ距離を取りたかっただけなのだが、その行為をセレネがより効果的な技に昇華したのだ。


『そこまでっ』


 アエルルスが背中から甲板に激突したところで、セキヤが止めに入る。


『嘘だろっ!』

『おっどろいた、本当に負けてやんのー』

『油断したわねヤニス。感情的になると動きが大雑把になるの、直した方がいいわよ? まあ、ちゃんと受け身を取ってグリモアを壊さなかった点は褒めてあげる。腐ってもエースね』

『えへへ、そうですかね』

『ヨアンナ姉は優しいなー、人間腐ったらおしまいだよ』

『おいこらペトラてめえ――』


 三者三葉に言い合う中、限は立ち尽くすしかない。


 少なくない時間、トリオ漫才をやりつくした後、ペトラのグリモアがセレネに向かってくる。


『次! 次は私ね!』


 新しいおもちゃを見つけた子供のような声色だった。


「えぇ……休ませてもらえないんですか? 俺だけ連戦なのは不公平じゃ……」


『戦術兵器で一番多く遊べるあなたが一番得してるんだから、むしろお礼を言ってほしいくらいだよ。こんな遊び、滅多に許されないんだから!』


 ペトラが謎の理論を掲げる。


『遊びじゃなくて、訓練兼レクリエーションよ……あとたぶん、4人いなくなった私たちチームの士気高揚が目的……ですよね、大尉?』

『ヨアンナ、興がそがれるだろ』

『はーい。大人しく順番を待ってまーす』

『さあやろうか、新人君! 私はヤニスと違って、一筋縄じゃあいかないよ!』


 殊更に明るく言い放ったペトラがアエルルスで準備体操を行う。


 屈伸し、飛び跳ね、手足をぐるぐる回し、腰を曲げ伸ばしさせる様子は、どこかラジオ体操に似ていた。

 何気なくやっているが、すさまじい技術だ。


 先ほどのヤニスの受け身といい、限が戦闘補助精霊の力でやっとできるような動きを、先輩魔術士たちはいとも簡単に実演していた。


「ってか、薄々気付いてたけど、訓練なんじゃん、さっきまで訓練してたのに俺、また訓練させられてるんじゃん……この時間、給料出ないの?」

『出るわけないでしょー』


 ペトラの呆れた声に、限はげんなりと肩を落とす。

 そもそも軍隊の俸給は、緊急性の高い仕事が発生する特性上、残業手当を最初から含んでおり、超過勤務手当は存在しない。イーリス王国軍も同様だ。


 それを知らない限は、いっそう地球へ帰るという思いを強くしたのだった。


『ほらほら、休んでる暇はないよ!』

「もう少し休ませてくだ――うわっ! 本当に来た、マジか! 容赦なっ!」


 第2ラウンドが開始された。





 //





 クロノス・ミカニ第1区画の作戦会議室には、ヌース艦長、ペイン中佐、副長、他数名の高級士官が顔を連ねていた。


 オナシス少将をはじめとした参謀本部の面々はいない。

「参謀将校のみで独自に対帝国の作戦立案を行うため」との事で、ここ数日はめっきり会議の出席率が下がっていた。

 この非常事態に何を考えているのかわからない。ヌースは嘆息する。


「本国から来た最後の伝令によれば、第9月24日にイーリス王国軍はオンパロス諸島から50キロメートル離れた地点の小島周辺に艦隊を集結予定。徹底抗戦の構えをとるそうです。一方の帝国軍は、動きなし。当初の情報どおり、魔動空母3隻を確認。メサとマーシャフラッツの混成師団の模様です」


 そう切り出したのは中肉中背の副長だ。

 年のころは50にちょうど差し掛かるくらい。坊主頭にいかめしい顔つきの彼は、クロノス・ミカニの事務方のとりまとめ役だ。参謀的な役割も担っており、頼れる存在だ。彼も、参謀本部の面々には苦々しい思いを抱いている人間の一人だった。


「帝国は、どうして攻めてこない?」


 頭痛をこらえるように眉間を揉みながら、ヌースはそう聞くと、副長がすぐに答えた。


「こちらは【盾の王】が出ています。“国内なら”盾の王は最強です。警戒しているのでは?」


 副長の声色には、心なしか「そうであってほしい」という願望がにじんでいた。

 ペインにもその気持ちはわかる。

 少しでも楽観的になれる材料が欲しいところだった。

 クロノス・ミカニの置かれた状況は、日々悪くなっている。


「攻め手が握った主導権を手放すか? 補給も不確実な敵地で、我々に時間を与える必要などないはずだ。やはり敵の内海侵出は、やり方に合理性が欠ける」


「本当に訓練なのではないでしょうか」


 別の佐官がそのような事を言ってくるか、ヌースは首を横に振った。


「戦力分散は愚の骨頂。帝国東部紛争地域の問題が解決していない中で、空母を3隻も引き連れて演習に出るほど、敵も馬鹿ではないだろう」


 帝国東部国境付近の緩衝地帯では、現地少数民族との紛争が激化の一途をたどっている。


 世界一の大国は間違いなくグランベルだが、エテリア大陸東部には列強国の一つ――神聖ガルテニア皇国が存在する。


 一つの宗教によって統治されているガルテニアが、“同一宗教を信仰する民への寄付”という名目で、少数民族に武器を供与しているという噂もあった。


 武力による支配領域の拡大を続けてきた必然だが、統一グランベル帝国の敵は多い。

 現状すでに、帝国は大陸東部と内海の二正面作戦を行おうとしているのだ。強大な国力を誇る超大国の成せる離れ技と言えた。それにしても多大なリスクを孕む。


 ヌースの予想は、その更に上をいく、より最悪なものだ。



「艦長は、我々がいま直面している状況が、敵作戦の一部と、お考えなのでしょう」



 ペイン中佐が核心に触れる。



「偵察に3名、伝令に1名やった結果、偵察のグリモアは、セキヤ大尉以外未帰還。伝令の方は、とっくに本国に到着し、戻ってきてもいいはずなのに、音沙汰無し……。これが大陸東部、中央海、ノトス海に渡った三正面作戦だとするならば、帝国は絶対的な勝利への道筋をすでに描ききっているはずです。そうでなければ、帝政が傾く」



 会議の参加者全員が、心中に抱きながら、そうであってほしくないと願い、口にしなかった悪夢を、ペインは代弁した。


「全面戦争になるかもしれません」



「であればこそ、だ。帝国軍のノトス海突破は、絶対に阻止しなければならない」



 それができなければ、南部に敵の橋頭保が築かれ、少なくない王国の国土が戦火に包まれるだろう。

 最終的には、中央海とノトス海の敵が呼応し、前後から挟まれる形で、イーリス王国は統一グランベル帝国との全面戦争へと突入する。


 ここ数日の会議の焦点は、帝国の次なる一手のシミュレーションと対抗策に尽きた。

 それも、敵の全容がつかめない現状では、雲をつかむような話だった。


 クロノス・ミカニの戦力は、キュアレーヌス・セレネを含めたグリモア6機のみ。

 当初は、最新鋭機の実用性実証試験と、ノトス海にある魔獣の巣付近のパトロールを行うための出動だった。


 戦争をする用意はできていない。

 追加の伝令を出したいのだが、それを各個撃破され、少ない戦力を更に削られるような事態は避けたかった。定期的に本国とクロノス・ミカニを往還していた伝令は3日前から途絶えている。明らかな異変を、本国が危険視してくれていればいいのだが、予断は許されないだろう。

 その他の連絡手段である交信魔術は、距離があるためまともに使用できない。


 つまるところ、孤立無援である。


 目下クロノス・ミカニは、可及的速やかにノトス海の北上し、本国と連携して南方の敵に備える必要があった。

 それも、未知の敵軍を引き連れたまま、というわけにはいかない。


 出来るかぎり敵情を収集し、敵戦力を削ぐことも視野に入れたかった。

 しかしながら、キュアレーヌス・セレネの一件以降、敵の姿は影も形もない。

 最悪中の最悪は、ノトス海に大量の敵軍が浸透しており、その中に本物の超高位魔術師が投入されていた時である。

 その場合は、死を覚悟しなければならないだろう。


 一人を除き、全将兵には、クロノス・ミカニの置かれた状況は共有してある。

 すでに戦時と同様の警戒配置を敷いている。


 例外はアマノ・カギリ特務准尉だけだ。

 新兵を変に委縮させたくないというペインの計らいだった。いま行われているレクリエーションも、最前線に立ってもらう戦争経験がない年若い魔術士のストレス発散を目的としている。それが吉と出るか凶と出るかは、未知数だった。


「この南の海、もはや楽園とは言えないか」


 ヌースのつぶやきに、一同の空気は重苦しくなる一方だった。

 夕陽は沈みゆき、徐々に闇が深まってくる。

 クロノス・ミカニの飛行甲板に灯が点っていく。

 ライトアップされた甲板の上で、キュアレーヌス・セレネが、アエルルスに組み敷かれ、もがいていた。

 グリモアパンクラチオンでは、最新鋭機を操る異才と言えど、正規の訓練を受けた魔術士の操るグリモアには手も足も出ないようだった。

 その様子を見たペインが一言ぼやく。


「縋りつこうとしているものが、藁でなければいいんですがね……」

次話 Episode:011 歓迎されざる者

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