Episode:009 魔術士に限り
ペインの悪辣な提案を呑んだ翌日から、限の生活は一変する。
限は『特務准尉』という不可思議な階級を授かり、『予備役の士官候補生』という過去に数例しかない軍属となった。
本来、特務准尉は、戦時特例の徴兵制度で、やむをえず戦闘地域で現地協力者を従軍させる際に、その協力者が高貴な立場の者であったり現地の有力者であった場合、失礼が無いように扱うための臨時の階級である。
グリモアの搭乗資格を有する者は、士官以上の階級と決まっている。士官教育を受けた優秀な魔術士でなければ、国防の要となる戦術兵器を任せられないというわけだが、ペインは、限を短期間でグリモアに乗せるために、無理矢理資格をでっち上げたのだ。
そのおかげで限には士官用の部屋が与えられた。10畳程度の広さの個室は快適そのもので、広い机とベッドが備え付けられ、その他にも収納棚、トイレ、バスルームも完備されている。
軟禁部屋からの開放は素直に喜ばしいが、いい事ばかりではない。
限は勉強漬けの日々を送っていた。
午前はイーリス語、イーリス王国史、基礎魔術論などの座学。午後は魔術とグリモアの実技演習。覚える事は多岐にわたり、専門性も非常に高い。
限の頭の出来はどちらかといえば良くない。毎日頭痛に悩まされていた。
しかし、犯罪者にされるよりはマシだ。
それに、ここで暮らす目的もはっきりしてきた。
“地球に戻る”。
午前の座学と、自らの経験から、『魔力乱流が地球とソサイエを繋ぐ出入り口なのではないか』という仮説を立てた。
もう一度魔力乱流に飛び込めば、地球に戻れるかもしれない。
推論の域を出ないが、試す価値はある。そのために、発生場所を事前に予測し、突入するための段取りを整える必要がある。軍隊は最新兵器や各国の趨勢などが集約される技術と情報の宝庫だ。その中で実績を積めば、様々な権限を得られるはずだ。
なし崩しとはいえ、身分も保証されたイーリス王国軍内は、地球帰還の手段を模索するのにうってつけの場所に思えた。
ストレスや疲労はあるが、暗闇の中をもがくような苦しさはもうない。
目の前の課題を一つ一つクリアしていけば、少しずつでも状況が改善されていくはずだ。
いつまでも大人たちの掌の上で踊るつもりはない。
「前進あるのみ、だ」
通路を歩きながら、決意がこぼれる。
直近の目標は、午後のグリモアの実機演習に望むために、昼食をしっかり食べる。
一路、食堂に向かう限。その足取りは活力に満ちていた。
いま限が歩いている通路は、クロノス・ミカニの右翼――グリモアや各種兵装を収める格納庫、副艦橋、第2飛行甲板などがある第2区画の2階だ。
一度出航したら数ヶ月は母港に還らない長期任務もざらな魔動空母には、食堂、洗濯室、大浴場、図書室など、人が暮らすために必要な施設が一通りそろっていた。
艦内各施設で使われている水や光源の確保、魔術障壁、飛翔魔術、各種兵装の動力源は、第3区画の大部分を占めるコロッサス式動力炉で賄われている。
限の行動範囲は第2区画で完結している。一つの区画が小さな街のようになっているため、艦内をくまなく覚えなくても生活に支障はなかった。
第2区画2階の食堂は、すでに大勢の人でにぎわっていた。
魔動空母の通路は大人3人が並んで歩いてもまだ余裕があるくらい広いが、食堂はそれ以上に大きい。学校の教室3つ分くらいの広さがある。
食事はバイキング形式で、上級将校以外の乗組員全員が一緒に食べるのだから、それくらいの広さが必要なのだろう。
そこに限が入室すると、少しだけ空気が変わった。
限は現在進行形で、クロノスの時の人(腫物とも言う)になっていた。
所属はグリモア部隊だが、まだグリモア部隊のチームには最初の挨拶をしたきりで、軍務は完全に一人で行っている。同じチームなのに交流はほぼなく、同僚たちの顔も名前もほとんど覚えていなかった。
王国は敵性国家である統一グランベル帝国公用語の習得を下士官以上には義務付けているため、日本語と酷似している帝国公用語ならコミュニケーションできるのだが、敵国の言語でフレンドリーに話しかけても溝が深まると考えた限は、会話を必要最低限にとどめていた。つまり、少年の人となりを、大半の人間が知らないのだ。
補充兵として突如現れた新任下士官。
新型のキュアレーヌス・セレネの専属魔術士。
統一グランベル帝国からの亡命者。
「普通じゃない」と書かれたラベルが大量に張られたよくわからないやつ――それが、天野限の客観的な評価だった。
おかげで限は好奇の視線にさらされながら一人でご飯を食べている。
今日も同じようになると思いながら席についたら、頭上に影が差した。
「よお、帝国出」
そう帝国公用語で話しかけられた。
トレーから顔を上げると、黒髪を綺麗にオールバックにした男性が立っていた。軍服の襟にある階級章は大尉、つまり上官だ。
『こんにちは、大尉殿』
立ち上がり、イーリス語を用いながら敬礼する。イーリス王国軍の敬礼は、両足の踵を引っ付けて直立不動、左手は気を付けの姿勢、右手のひらを開き横隔膜の上部に当てる形だ。昔、魔術の根源となる魔力の核、精神の座が、体の中心に在ると、イーリスでは信じられていた事が、このポーズの由来だそうだ。限が軍属になって真っ先に覚えさせられたのは、そういった礼儀作法だが、まだぎこちなさは抜けていない。
大尉は軽く返礼して、食事中に堅苦しいのは抜きだ、と限に着席を促した。
「イーリス語はまともに話せないんだろう? 帝国語でいいぞ」
そう言って値踏みするように限を見てきた。
変に取り繕ってもボロが出るだけなので、限は素直に首肯する。
「では、遠慮なくそうさせてもらいます、大尉殿」
「ふっ、思い切りがいいな。セキヤだ。マサオミ・セキヤ。貴様と同じ、元帝国人だ」
手を差し出された。
公に出回っている限のプロフィールは帝国からの亡命者である。
事実は異なるのだが、当たり障りなく握り返しておく。
「大尉殿ご自身が、王国に帰化されたのですか?」
「いや、父の代でだよ。オレは二世だ」
「なるほど、帝国語がご堪能なので驚きました。私の方が下手糞ですね」
「謙遜はよせ。帝国でも未だに帝国公用語を話せないやつはいる。まあ、あえて話さないだけだがな。お国柄、いや、州柄か」
「恐縮です。ところで、私に何かご用でしょうか?」
「なに、貴様が任官の挨拶に来たとき、私は偵察任務で留守にしていたので、顔見せがてら、軽く話そうと思ってな」
隊員との顔見せの場では、ペイン中佐から、任務で3人欠席していると教えられていた。その内の一人が彼なのだろう。もう一人は、自分が送り届けた怪我人に違いない。
「それは、こちらから挨拶に行くべきところを、恐れ入ります」
先ほどから慣れない敬語を使うのに少なくない労力を使っている。
言葉遣いがあっているかも自信がない。
上下関係の厳しい職場は苦労する。
地球に戻ったときは、なるべくアットホームな職場を選ぶようにしようと、限は心に決めた。
「長距離偵察任務で、帰ってきたのは昨日の深夜だ。貴様に落ち度はない」
「そう言ってもらえると助かります」
「ところで貴様、例のじゃじゃ馬の専属らしいな。あんな大食らいを、まともに扱えるのか?」
グリモア隊の面々から『じゃじゃ馬』とか『大食い姫』とか、最新鋭機は散々な言われようである。キュアレーヌス・セレネの開発責任者は、甚だ不本意だとぼやいていたが、実際、限の乗るグリモアは、それらの異名に釣り合う性能の機体だ。
「まともに、とは言えないですね。ようやく飛翔魔術を操れるようになった程度なので」
「なるほど、少なくとも飛べる、ということか」
「そうですが……それが何か?」
「何でもない、気にするな。それはそうと、今日午後の演習プログラムの後、一七○○から貴様の歓迎会を開く。じゃじゃ馬に乗って、第2飛行甲板に来い。こちらが本題だ。補足しておくと、ペイン中佐も了承済みの企画だからな。隊の連中には貴様が帝国語の方が話せる事も伝えてあるから、心置きなく参加してくれ」
心底、断りたい。
が、厚意を無下にして余計な波風を立てたくもない。
限は努力して口角を引き上げた。
「ありがとうございます。ぜひ参加させてもらいます」
「よろしい。ではな」
セキヤ大尉は話しながらもう食べ終えていた。
軍人の食事は早い。
限にはまだ出来ない事が多すぎた。
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魔術士とは、魔石、術式、詠唱を用いて、世界の法則を改変する技能を持つ職業に就く人間の総称である。
地球で言うところの魔術は、宗教的な意味合いで使われたり、科学が発達しきっていない頃に自然現象の理屈付けを行うために用いられた概念であり、その物理的な権能は、創作物の中でのみ発揮され、21世紀の地球においては、たいていの魔術はフィクションとして認知されている。
この世界――ソサイエでは、意志の力、魂の座、精神の形が、世界を構成する法則として、確かに存在する。
ワイバーンは何故飛べるのか、シーサーペントは深海の水圧にどう耐えているのか、人の中に極少数いる『魔法使い』と呼ばれる者たちが操る超常現象の仕組みは何なのか、古来よりソサイエでは真面目に研究されてきた。
結果、人類は魔力という不可視のエネルギーを発見し、魔力を全ての人類が平等に扱えるように体系化した知識と技術が、魔術である。
今日のソサイエの魔術文明は、グリモアや魔動空母といった兵器を生み出すに至った。
悲しいかな、技術革新がもたらすのは、まず戦場の変化だ。
地球でもソサイエでも、それは変わらない。
「グリモアは戦場の支配者だけど、セレネは戦争の支配者になれるわ」
コックピットに座る限の横で、白衣を着た少女が、そう豪語する。
限にもわかるように帝国公用語で話してくれていた。
『女神計画』と呼ばれる次世代グリモア開発計画を一任された開発主任、ケイ・ルーデ技術少佐、その人である。
セレネの生みの親であり、本実用性実証試験任務における最重要人物でもある。
戦闘補助精霊、AMF(Active Magic Field)、全てルーデの発案で、彼女の主導でこの計画は進んできた。
「大食い姫」などというセレネの不名誉な別称は、開発コードの由来となった月の女神セレネと、ルーデのお姫様のような容姿と、その機体性能に着想を得ている。
セレネという名の月の女神や帝国公用語と日本語の一致など、ソサイエの文化や風俗は地球と瓜二つだ。魔動空母クロノス・ミカニのクロノスも、時の神の名らしい。逆に、地球の寓話や神話にワイバーンやシーサーペントなどが登場するのは、ソサイエの魔物が地球に来たからかもしれない。
二つの世界の関係性は、限の体験した一度かぎりの偶然ではなく、連綿と続いている現象と考えられた。
「完璧に操れれば、だけどね」
そう付け足しながら、ごそごそと計器をいじり、バインダーに止めた紙のデータと見比べている。
無防備にコックピットを跨いだり、身を乗り出したりする彼女に、限は赤面する事しきりだ。
「そんな大それたこと、凡人にはできないぞ、ルーデ博士」
彼女からは、初対面で「ルーデ博士と呼んでちょうだい」と言われ、同時に仕事を効率的に進めるために敬語抜きでどんどん思った事をしらせてほしいとも依頼された。
今年で18になるルーデは、限の一つ年上だ。
パッと見た外見は、腰まで届くロングストレートの赤髪と、くりっとした瞳が愛らしい童顔の少女だった。一方で、その体つきは非常に女性らしく、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。
背丈と顔立ちは小さな子供と同じくらいなのにとても女性らしく、年齢と階級は上なのに気安く接してくる彼女は、限にとって距離感を掴みかねる存在だった。
そもそも、20歳前で技術少佐の地位にいるルーデは、紛れも無い天才である。普通の高校生が普通に暮らしていたら一生縁がないような人種だった。
「そのためのセレネよ」
ここで言うセレネとはグリモアの事ではなく、機体に備わっている戦闘補助精霊の事を指している。
「セレネ、魔力抽出機関のメインパスにバイパスを併設して、以前までの2.5倍の魔力を伝送するようにしたわ。余剰魔力で戦闘補助シークエンスの運動介助に使う演算能力を向上させたけど、戦闘機動での効率化がどの程度見込めるか、シミュレーションしてもらえる?」
『了解しました』
「また魔力を使う量が増えるのか……正直、かなりしんどいんだけど……」
大量に魔力を消費すると、精神的な疲労が激しくなる。魔力酔い――正確には『魔力欠乏症』――という状態だ。魔力とは魂の力だ。それを消費するという事は、文字通り魂を削る行為と言える。
魂を消耗すると、気力が失われ、神経衰弱や抑うつ状態に陥る。2、3日休めば、自然と回復するらしいが、魔力酔いのまま更に魔力を消費し続けていくと、最悪廃人になる事もあるらしい。笑えない。
セレネを限界まで操縦したあと、いつも何日か徹夜したようなひどい倦怠感に苛まれていた。どうしてもぼやきたくなる。
「セレネに頑張ってもらうために必要な改良なの。これで難しい事は全部セレネがやってくれるようになって、どんな人間でもグリモアを一端に操縦できるようになるわ。それで、他に何か言う事は?」
「感激の至りです、ルーデ少佐殿」
「それを言うなら、“感激の極み”もしくは“感謝の至り”よ。慣れない事をしようとするんだから、こういう事になるの」
ぐうの音も出ない。
ルーデの指摘通り、限は軍の仕事にまったく慣れていない素人中の素人である。配属10日目でグリモアを操縦している魔術士というのは、イーリス王国軍の歴史上類を見ない。その限の魔術――――グリモアの操縦技能は、言葉遣いや教養同様、半人前にすら届いていない。
地球の戦闘機乗りでも、一人前になるには最低でも5年以上かかる。昨日今日、魔術士になったばかりの少年にはどうしようもなく知識が、経験が、時間が足りていない。
それでも何とかなっているのは、セレネという掟やぶりな存在のおかげだった。
限が手も足も出ない魔術の神髄をセレネが肩代わりして初めてキュアレーヌス・セレネは及第点の兵器になる。
「問題ないわよ、カギリのお化け魔力なら」
それが恐らく、司法取引を持ち掛けられた理由なのだろう、と限も察していた。
キュアレーヌス・セレネは最新技術の塊であり、他のグリモアに比べて非常に燃費が悪い。乗り込む魔術士には、膨大な魔力が求められる。限はその要件を完璧に満たしていた。
「一流の魔術士と呼ばれる人でさえ、1500デプスくらいなのに、限は10万……計測器が測定上限を越えて壊れちゃったから正確な値はわからないけれど、おそらく超高位魔術師にもいない保有魔力量よ」
「ふーん」
「この有用性がまったく伝わっていない……もどかしいわ……」
「実感がないんだ……二週間前はただの高校生だった自分が、ロボットに乗って、戦争する事になって……しかも魔力とかいうよくわからない力をたくさん持ってるなんてさ、自分の話じゃないみたいだ。そもそも、超高位魔術師ってのと比較されても、その凄さもあまりよくわかっていない」
「各国の軍事戦略の支柱よ? 世界の軍事力のバランスを保ち大局を変え得る個人、凄いなんてものじゃない、異常な才能よ」
自分の事を棚上げして、天才少女が熱弁を振るう。
「帝国は10の州で構成された連邦国家よ。各国の超高位魔術師を秘匿する消極的な運用ではなく、積極的戦争利用を実践し、領土を拡大し続けている超大国のイデオロギーを支えているのが、各州に1人ずついる超高位魔術師、至尊の十冠と、皇帝の懐刀、帝国三剣……計13人の戦略兵器と、大量の魔術士と魔術兵器を保有し、魔術関連研究開発の最先端を行く帝国は、間違いなく世界最強の軍事大国よ」
ただし、とルーデは付け加えた。
「帝国は多民族・多人種国家なの。公用語としてワコク語が定められているものの、他にもイード、トリアといった主要言語があって、各言語圏ごとに文化や風習も大きく異なる。言語の違う州同士の連帯感は薄いし、小競り合いが頻発していたくらいなの」
「座学で習ったよ。統一グランベル帝国の実態は、内戦や内紛の一歩手前だって」
「そのとおり。イーリスにちょっかいをかけてくるのは、南進論を唱えている帝国南方のミストレイン、メサ、マーシャフラッツ……三州だけだったから、イーリスと帝国はこれまで全面戦争には至らなかった」
「今回はどうなんだ?」
「帝国三剣の影響力は、外だけでなく、内に対しても大きいの。内政がどれだけ乱れても、分離独立運動に拍車が掛からなかったのは、代替わりしながら皇帝を守護してきた帝国三剣の勲功よ。その一人が外征に出てきたのが事実なら厄介極まりない」
「首輪をつける必要がなくなるくらい全部の州が一致団結したのなら、確かにヤバそうだ」
「それか、全ての問題を外に向ける他にないくらい、帝政が窮乏したか……」
「敵が勝手に自滅してくれるのなら、イーリスは好都合だろ?」
「程度によるわ。適度に疲弊してくれるのはいいけど、心底追い詰められていたら話は変わる。講和には、お互いの国がテーブルにつく余裕がある事が大前提なんだけど……餓死寸前の人間に合理と平和を説いても襲い掛かってくるだけよ。帝国が本当に死に体だったら悪夢だわ」
「最初から平和的に解決する選択肢はないんだな」
「禍根がありすぎるわ……帝国も、イーリスも。魔術が進歩する中で、己の魂の実在を知り、その崇高さが証明されても、人は感情に支配された動物のまま停滞している。だから、私は――」
そうルーデは独り言ちる。
神妙になりかけたコックピットの空気を、精霊が一蹴する。
『ルーデ技術少佐、シミュレーションが終わりました』
「――わかったわ……うん、問題なさそうね。じゃあ早速、やってみましょうか」
ルーデは立ち上がると、コックピットのハッチによじ登っていく。
彼女は運動神経があまりよくないらしく、タイトなスカートで不格好に動き回るから、限は頭上を見ないように注意する。
「セレネ、あとを頼むわね。カギリも幸運を」
ハッチの外からルーデが軽く手を振る。
限が頷いて返すと、セレネが背部ハッチを閉じた。
『魔力抽出機関を始動。成形魔石繊維へ魔力を浸透開始。メインパス、バイパス、共に正常。準備はいいですか、アマノ・カギリ特務准尉』
モニタや計器類に光が灯り、機体に火が入っていく。
「ああ、今日もよろしく、セレネ」