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天の限りに昇る月  作者: 喜由
第一章 ノトス海戦編
10/63

Episode:008 少年の戦い

 魔克歴415年第9月9日。



〈くっ……! 相手が何であれ、ここで捕まるわけにはいかない!〉


 目を覚まして最初に聞いたのは、ソプラノボイスだった。せっかくの美声も、焦りの色で陰りがみえる。

 こっそり視線を動かすと、声の主と思われる人物の足が見えた。


〈残り魔力は攻撃魔術換算で何発分だ?〉


 誰に対して問われたのかと考える前に、答えが頭の中に提示される。


『最小出力で3発です』


 限は静かにうろたえた。

 鼓膜を震わせて伝わる音の情報ではなく、脳内に直接、意味が浮かび上がる。今まで使った事のない筋肉を使うような、奇妙な感覚だった。念話テレパシーというものが実在するのなら、それはこんな感じなのかもしれない。


 頭の中に響く声は女性の物ようだが、AIが喋る音声のような無機質な印象もあった。


〈1発で良い、それであとどれくらい飛べる?〉

『4分で継戦不能になります』

〈くそっ……!〉


 何かと、戦っているようだ。

 少し首を動かして、自分の今いる場所を探る。


 戦闘機のコックピットのようだが、少し前に映画で見た物よりもずっと広い。限が寝そべるスペースがある事からも、かなり余裕のある設計になっている。ロボットや戦闘機を操るアーケードゲームの筐体に近い作りだった。


 続いて、上体をずらし、それを操作している人物は盗み見る。

 彼、ないし彼女は、性別が判然としない中性的な容姿をしていた。オールインワンのレオタードに似た紺色のパイロットスーツを着用している。一応、胸元や股間など、要所要所が分厚い生地に覆われているため、より性別をわかりづらくしている。


(なんだこれ、本格的なコスプレゲーマーのなりきりプレイに巻き込まれてる? でも何で? 確か気絶する前は神社にいたような……どうやって運ばれたんだ?)


 そんな事を考えていると、体が大きく前後する。

 寝そべった状態で肘や頭を操縦席のそこかしこにぶつけた。

 痛みで声を出してしまわないように歯を食いしばる。


 まだ状況を理解できていない限は、自分が目覚めた事を相手に知られて良いかの悪いのか、判断しかねていた。それに、本物のパイロットになりきって必死に操縦している彼(ないし彼女)の邪魔をするのは気が引けた。


(それにしても、最近のゲームはリアルだなぁ。空に海の映像は本物と区別がつかない。飛んでくる氷は……敵の攻撃、かな? STGシューティングゲームってやつか……筐体の揺れもすごいし、臨場感あるなぁ)


 頭の中に声が直接響くという現象はゲームでは説明できないのだが、限は幻聴の類と思い込んでいた。


『危険です。この魔術は捕縛用ではありません』


 それにしても、やけによく聞こえる幻聴である。

 しかもその内容がいちいち物騒だ。


『直撃します』


 残機が少なくなり、ゲームオーバーが近いのだろう、と限は推察した。


 一段落したら起き上がって事情を聞こうと決心した矢先に体が宙に浮く。

 今までの揺れとは比較にならないほど大きな衝撃が、コックピットを襲ったのだ。


 正面に1つ、側面に2つ取り付けられたモニターの内、側面の2つが割れ、操縦席付近の部品が、散弾のように飛び散った。それらと小さな火花と稲妻のようなきらめきが、限とパイロットを襲う。


「あっっつ!!」 


 痛覚に逆らえなくなり、悲鳴が漏れた。


『搭乗者の心肺機能低下。少尉、大丈夫ですか?』


 その声に驚き、限は立ち上がる。


「なあ、おい、ゲームにしてはたちが悪すぎ――」


 そんな事をボヤキながら操縦席に目を向けると、血まみれのパイロットが操縦席に浅く腰掛けていた。

 限の楽観的な考えが一瞬で吹き飛ばされる。


「う、嘘だろ! おい! しっかり! おいっ?!」


 顔面をぶん殴られたような気持ちだった。

 慌ててパイロットの肩に触れて呼びかける。

 返答はない。


「駄目だ、意識がない……っ!」


『警告。本機は間も無く墜落します。衝撃に備えて下さい。繰り返します。本機は間も無く墜落します。衝撃に備えて下さい』


 漂う血臭。

 流れ落ちる暖かい液体。


「夢……ゲーム……? ウソ……?」


 自分の汗と息遣い。

 消えようとしている誰かの命の音。


「違う……違うだろっコレ! くそっ!!」


 機内の警告は止まない。

 生き残ったメインモニターに映る水平線が、徐々に画面上部にスライドしていく。

 本当に、落ちているのだ。

 頭の中に響く声が告げたとおりに、何もしなければ墜落する。

 全ての疑念を置き去りにして、時折現れる激情に似た直観に従い、限は叫んだ。


「誰か教えてくれ! どうすればいい!?」


 誰だって良い、何だって構わない。

 何が最善か、何が最悪か、教えてほしかった。

 すると警告が鳴り止む。

 一瞬の沈黙の後、精霊は厳かに告げた。


『貴方とイリアス・デルマ少尉が生還するためには、本機に攻撃を加えてきた二機の敵を退ける必要があります』


 その声が何かなのか、限は深く考えず、モニターを睨みつける。


「だから! どうすればいいんだよ!?」


『メインパイロットのデルマ少尉は意識不明、魔力残量0。貴方が本機を操作し、敵を撃退する他に、手はありま――』


 頭の中の声が急に言葉を止めた。

 訳のわからない事ばかりの中で、次に聞いた言葉は、驚くほどすんなり脳が理解した。



『敵、魔力反応増大。攻撃、回避不能』



 それ即ち死である、と。

 考えている余裕はなかった。

 直観が、限を突き動かした。


 パイロットの腕と腰に手を回して抱え上げ、座席に自分の体を滑り込ませる。

 血液のぬめりを感じながら、イリアスの見よう見まねで、操縦桿と思しき球形のボールマウスのような部品に触れ、勘でペダルを踏み込む。


 魔術は奇跡ではない。

 ソサイエの法則であり、人間が扱える現象の一つだ。

 物理法則と同じく、原因と結果が存在し、どちらが欠けても成立しない。


 いま、ここに因果は揃った。


 魔術士とグリモア。


 魔力と魔術。


 精霊は、用意されたパズルのピースを繋ぎ合わせる。


『戦闘補助シークエンス、緊急時完全代行操縦フルオートコントロール、開始。AMF、モード・アンリストレイント、フルバースト』


 カン高い金属音が鳴り響く。

 魔術障壁が相手の攻撃の相殺に成功したのだ。


「助かった……のか?」

『まだです、敵機健在。一旦距離を取ります』


 甲高い音が消え、海面の景色がすごい勢いで遠ざかり、遥か上空で急停止する。


 相当な重力加速度が掛かる空間機動のはずだが、搭乗者に影響は現れない。飛翔魔術によって力学が制御されているのだ。限はその原理不明なテクノロジーにひたすら困惑していた。


『緊急時完全代行操縦、終了。私の仕様上、自動操縦はこれ以上不可能です。ここから先は、貴方が操縦して下さい』


 神の救いは一時的なものらしい。


「まさか……俺が?」


 機体が下降し始める。


『操縦桿とペダルで飛翔魔術だけを操って下さい。攻撃、防御などの細かな操縦は私が補助します。貴方の魔力量なら、右のペダルは底まで踏み抜いたままで構いません』

「操縦って言われても、素人だぞこっちは!?」

『求めて下さい、自分が飛ぶ姿を。望んで下さい、自由に空を駆ける様を。全て、私が叶えます』

「っ……あーもう! やるさ! やらないとヤバイんだろ!!」


 言われたとおりにする以外に方法がない。


 やけくそ気味に頭の中の声に従う。


(飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ、飛べ――)


 頭の中で必死に繰り返す。

 しかし飛翔魔術は起動しない。


 なんら想像に具体性が伴っていないのだ。

 落下による加速度が限たちを包み込む。


「……お、落ちてるっ……!?」

『もっと強く、具体的に、飛ぶ姿を想像してください』


 集中する他に手はないという事だろう。

 自分だけではなく、パイロットの命も掛かっている。


 何か、切欠、コツ、テンプレート的な物がほしい。


 限は必死に自分の記憶の引き出しを漁った。

 あるいは、その記憶の反芻は、走馬灯と呼ばれる物だったのかもしれない。


 一分とも一秒とも感じられる時間の中で、限は小さな時に好きだったヒーローアニメを思い出す。

 普段は冴えない男が、ピンチの時に変身し、空を自由に飛び周り、悪を懲らしめる。

 小さな限は、空を飛ぶ人間なんて非現実的な存在を、当たり前のように受け入れて、同じようになりたいと夢見ていた。


 それしかないと思った。


『飛翔魔術、起動を確認』


 瞬間、座席に腰がストンと落ちる。抱きかかえていたパイロットを落とさないように気を付ける必要があった。

 飛翔魔術が起動した証だ。


 次に、敵を排除しなければならない。

 限は落下しかけていた機体をそのまま敵機へぶつけようと考えた。

 攻撃と防御は頭の中の声がやってくれると言っていた。


 どうせ詳しい操縦方法はわからないし、たとえ教えられても付け焼刃では成功しそうにない。ならば相手に近づくことだけに専念しようと思った。


 2機の内どちらかに全力で接敵すれば、後は頭の中の声が何とかしてくれるだろう。

 その狙いは、予想以上の成果を出した。

 限がやった事は、ただの突進だ。


 その形振なりふり構わない攻撃は、予想以上の速度を叩き出した。


「こっちは余裕ないんだ! もうどっか行ってくれっ!!」


 叫びながら、敵機を押し込もうとする。

 同時に頭の中の声の人が、攻撃を開始した。

 人間の腕のような力場を作り出して殴っている。

 しかし敵機はそれをかわし、いなし、防ぎきる。


『眼前敵機の脅威判定:高。攻撃対象の変更を提案します』


 目の前の敵が思った以上に強くて苦戦しそうだから別の奴を選べ、と言っているらしい。

 限は現状を打開するために、頭の中の声に命運を預けた。


「真っ直ぐ飛んでぶつかればいいんだろ! 今だってやれたんだ、やれるさ!」


 自分に言い聞かせるようにして、強く念じる。

 眼前の敵機を無視して、反転し、一直線に二機目に突っ込むイメージ。

 単純。故に、具体的な想像は容易だった。

 最初の敵が限の意図を察したのか、背後から妨害してきたが、気にせず突き進む。


 間をおかず限の機体はもう一機の敵に激突した。

 ぶつかるだけで相手はバラバラなった。

 今度の相手は一機目と違いそれほど強くなかったようだ。腕を出して殴るまでもなかった。


「人が乗っていた、んだよな、あれ……」


 一機目の方が壊れた僚機の胴体部分を回収しつつ、けん制攻撃をしかけてきたが、限は茫然自失となっていた。

 今倒した敵が有人兵器ではないかと思い、背筋に冷たい汗が伝う。

 少し遅れて、自分の指先が震えている事に気付いた。

 敵機から通信が入り、知らない言語で語りかけられたが、意味はわからなかったし、わかったとしても、この時の限には、気にしている余裕がなかった。


「深く考えるな……必死だったんだ……攻撃してくる相手の命を気遣う余裕なんて……無理だ…………」


 ぶつぶつと独り言をこねくり回す。


(人を殺したかもしれない……)


 そう考えると、茫漠とした不安が押し寄せてくる。


『デルマ少尉は危険な状態にあります。すぐにでも治療が必要です』


 それまで黙っていた頭の中の声が、依然として状況が切迫している事を伝えてくる。


「そうだ……この人を助けないと……まずは、そうだろ……」


 震える指先に力を込めて握り締める。

 限は一回深呼吸をして、あふれ出しそうになる気持ちを無理やり飲み込んだ。


「頼ってばかりで悪いけど……どこへ向かえばこの人を救えるか、教えてほしい。その道中でいいから、君とこの人と、俺の置かれた状況について、説明して、くれないか……」 


 すると、頭の中の声は、医療施設のある母艦と合流するために、南東へ向かって直進してほしいと言ってきた。

 道すがら、頭の中の声――戦闘補助精霊からソサイエという世界について教えられた。

 エテリア大陸、イーリス王国、統一グランベル帝国、魔術、そしてグリモア。簡単にまとめられたそれらの情報だけで、目を回しそうになった。

 最新鋭のグリモアであるキュアレーヌス・セレネの実用性実証試験に登用されたイリアス・デルマ少尉は、帰還時に高高度に発生した魔力乱流を目撃した。

 その中から現れた限を救出するために余力を失ったイリアスは、敵軍に奇襲を受け、重傷を負ったらしい。


「そう、か……先に助けられたのは、俺の方か……」


 イリアスの腹部に計器のパーツの破片が突き刺さっている。

 先ほどよりも流血は少なくなっていた。

 破片が臓器に達していなければ助かるかもしれないが、一刻を争う重体であることに変わりはない。

 イリアスは、意識がもうろうとしているのか、モニターに向かい弱々しく手を伸ばそうとしていた。

 限には何の意味があるのかわからなかったが、彼にとっては、何か理由のある行為なのかもしれない。


「聞こえていないと思うけど、礼を言うよ。ありがとう。助けてくれて」


 傷に障らないように気を付けながら安楽な姿勢にするため、その手を取り彼の胸におくと、イリアスが少しだけ微笑んだような気がした。


 キュアレーヌス・セレネのモニターに映る雲は、目まぐるしいスピードで後ろに流れていく。

 変わっていく景色とは裏腹に、限の気持ちは、未だに整理がついていなかった。

 いつものように直観に従ってわき目も振らず前進しているような気がする。


「葵さん……とんでもない事になった……とんでもない事をしちゃったよ……俺……」


 地球ではない世界に迷い込み、いきなり軍隊同士の戦いに巻き込まれ、その片棒を担いでしまった。

 しかも、不可抗力とはいえ、黒いグリモアのパイロットを、殺してしまったかもしれない。


 夢じゃない。いま抱えている人の命の重みが、そう告げている。


 せめてイリアスには助かってほしいと思った。

 そうなって貰わなければ、自分の行為から、正しさが失われてしまう。

 限は、自己を正当化するために、人助けをしたという形で逃げ道を作り、状況に押しつぶされそうになる心を、必死で奮い立たせていた。


 恥も外聞もない本音は、すぐにでも逃げ出したい。だが逃げても、行く当てなどなかった。


 辛うじて映るモニターの中に、巨大な蜥蜴に羽をつけたような奇怪な生物が空を飛んでいるのが見えた。

 戦闘補助精霊からワイバーンという名称の竜種だと説明を受ける。

 アニメや漫画の中で見かける生物が存在している世界なのだ、ここは。


「とにかく……受けた恩は返すよ」





 //





 魔克歴415年第9月14日。



 地球の科学技術に慣れ親しんだ限からすると信じがたい船にイリアスを届けてから、5日経った。そのあいだ限は客室に軟禁されていた。


 幸い、生活に不便さは感じていない。

 部屋には生活に必要なものが一通り揃っていたし、朝昼晩にちゃんとした食事も出てくる。

 その食事で、異世界に来たことを改めて痛感していた。

 

 パンや米といった食べ慣れた物も出てくるのだが、逆に見慣れない物もあった。蜥蜴の尻尾のような形の何かを揚げた唐揚げや、餅のような食感のブロッコリーに似た野菜っぽい何かは、材料が気になって仕方なかった。基本的に質問しても憲兵は何も応えてくれない。それらを初めて口にする時は抵抗感があったが、食べると案外美味しかった。


 しかし、娯楽がまったくない部屋に5日も閉じ込められていると、流石に気が滅入る。

 部屋から出られるのは取調室で事情聴取を受ける時だけだ。年齢、出身、家族構成とった自分の事や、グリモアに乗り込む経緯や敵との戦闘経過等を、根掘り葉掘り聞かれた。


 意外にも、その取調べは紳士的だった。厳しい取調べを受けると身構えていたが、少し拍子抜けした。

 ただし、申告に虚偽があれば立場が悪くなると事前に念押しされたので、限は真実のみを話すように細心の注意をはらった。


 推論や仮定を事実として話してしまわないように気をつけながら、現実に起こった事だけ忠実に話すのは、思った以上に記憶力と集中力が試された。いくら対応が丁寧でも、大人たちからの長時間に渡る質問攻めは、精神的に疲弊した。


 5日目の今日、限は見慣れた取調室の前まで連れて来られた。

 正直かなりうんざりしている。

 今すぐ逃げ出したいが、背中には憲兵が二人いる。

 逃亡の隙は無い。


(仮に今、逃げられたとしても、この船は空を飛んでるみたいだし……あのグリモアに乗れれば可能性はあるけど、頭の中の声が、俺の言う事を聞いてくれる保証もない、か……)


 そもそも逃走経路がわからないければ袋の鼠だ。

 逃亡計画は非現実的だった。

 今は、従順に必要な情報を出し尽くし、早めに用済みになるほかないだろう。

 ため息を吐きたくなるような気持ちをかみ殺しながら、限は取調室の扉をくぐった。


「やあカギリ君、いらっしゃい」


 日本語だ。正確には、この世界における帝国公用語という言語らしい。

 話しかけてきたのは、30代前半くらいの男性だった。肩甲骨あたりまで伸ばした白髪交じりの長い黒髪を首元でまとめている容姿は目立つので、記憶に残っていた。目尻の下がった温和そうな顔つきは、軍人というよりも学者といった風情である。

 これまでの取調べでの彼は、実験動物を観察するように限を黙視してくるだけだったが、今日は少し、趣が異なっていた。


「さぁどうぞ、座って座って」

「は、はぁ……」


 軍人らしくないくだけた口調に戸惑い、気のない返事をしてしまう。


 黙っている時と、話している時でイメージが異なる人物は間々いる。彼の場合は、思った以上に陽気だった。あるいは意図的に明るい声色を作り出しているのかもしれない。


 ひとまず促されたとおりに限は着席した。


「さて、早速だが、これまでの聴取で我々も事情はだいたい把握できてきた。今日は、君の今後の処遇について話し合いたいと思っている。あ、そこの君、コーヒーを入れてきてくれないか? ミルクと砂糖たっぷりで頼むよ」


 憲兵を顎で使える男は、かなり高位の軍人らしい。


 限は、そんな偉い人と今後の処遇を話し合う事に期待と不安を感じた。希望が持てるような建設的な話し合いになれば良いが、理不尽な通達を一方的に宣言されるだけかもしれない。


「はっ、了解しました、中佐殿」


 本来の業務ではない仕事を命令されたにも関わらず、憲兵は規律正しく答礼する。


 中佐――軍隊の階級については詳しくはない限でも、偉い立場の人間だとすぐに理解できた。


「ああ、少し待ってくれ、カギリ君もどうだい?」


 出て行こうとしていた憲兵を呼び止め、限に話をふってきた。


「えっ、あ、はい」


 5日間の取調べでコーヒーが出された事は一度もない。今までとは段違いの待遇だった。

 それとは別にこの世界にもコーヒーがある事に驚いた。地球のものと同じか少し疑問に思いつつ、驚くあまり反射的に頷いてしまっていた。

 長髪の軍人はその答えに満足したように、鷹揚に首肯する。


「ブラックでいいかい?」


 本当は砂糖を入れてほしかったが、何か要求すると対価を求められるのではないか、と思い、言われるがまま首を縦にふる。うまい話には裏があるものだ。疑心が限を慎重にさせた。

 長髪の軍人が再度憲兵に目配せすると、今度こそ憲兵は去っていった。



「――さて、これで少しは緊張が解けたかい?」


 どうやらコーヒーは相席している憲兵を外させるための口実だったらしい。


「コーヒーが来るまでの短い時間も有効活用しようじゃないか。人生は有限だ。一時も無駄にはできない」

「聞かれたらまずい話でもするんですか?」

「少々厄介なお客さんがこの船に乗り込んでいてね。まあカギリ君は気にしないでくれ」


 それよりも、と軍人が話を始めた。


「自己紹介がまだだったな。私はペイン、ゲート・ペイン中佐。魔術兵器開発実験部隊所属グリモア隊指揮官だ。よろしく、アマノ・カギリ君」


 軍人――ペインが手を差し出してくる。

 イーリス王国でも握手する文化があるらしい。

 限はその手をおっかなびっくり握り返した。


「天野 限です……って知ってますよね。よろしくお願いします」

「早速だが、カギリ君の今後について相談させてほしい」

「相談って……俺に選択権があるんですか?」


 遠まわしに、何を言っても軍の強権に従わされるのでは、という嫌味を言ったつもりだ。


「カギリ君には二つの選択肢が用意されている。それを言う前に、改めて君の置かれた状況を伝えておくよ」


 ペインの話では、限は外患罪の容疑で拘束されているらしかった。

 外患罪とは、他国と通謀し軍事上自国が不利になるような行為を働いた際に適用される犯罪である。限は新型グリモアの情報等を探ると共にそれを故意に破壊するために潜り込んだ敵国の間諜と疑われていた。


 限と敵機の出現が同タイミングだった等の状況証拠もあるが、それ以上に限の操る言語が一番の問題だった。

 限は知る由も無かったが、偶然にも日本語は統一グランベル帝国の公用語に酷似していた。当然、日本語しか喋れない限が帝国との関係を否定しても、信じられるわけがない。

 そして、外患罪はイーリス王国の法律上で最も重たい罪の一つである。


「選択肢の一つ目は、イーリス王国本国で軍事裁判に出廷するというものだ。スパイの容疑を晴らせれば自由の身だが、公判は相当な長期間に及ぶだろうし、有罪が確定すれば最低でも無期懲役だ」


 それを聞いた限は頭を抱え込む。

 とんでもない選択肢だ。


 スパイ容疑を晴らせれば、と言うが、知識も後ろ盾もない異世界の国で、法律の専門家でもない限が出廷しても、結果は見えている。そんな不合理な選択をするほど限は馬鹿ではない。相手もそれはわかっている。

 つまり、この一つ目の選択肢はあってないようなものなのだ。


「……一応、もう一つの選択肢も聞かせてもらえますか?」


 高校生でも理解できるわかりやすい展開だ。

 何が選択肢が用意されているだ、と心の中で毒づく。


「もう一つは、こちらの提示する司法取引に応じ、恩赦を得る選択肢だよ」


 確かに選択権は限にあったが、自殺志願者でもないかぎり、生きるか死ぬか選べと言われて、死を選ぶ人間はいない。


 ペインの本命は、後者。

 司法取引の内容の説明も受けた。罪を解消する代わりに、軍属の魔術士として魔術兵器開発実験部隊の軍務に1年間従事する契約をしろ、というものである。

 契約にあたり身分と給与は軍から与えられ、それにより限はイーリス王国の国籍を得る事になる。軍務は、クロノス・ミカニのグリモア隊で、新型グリモアの試験及び開発の補佐を行うと説明された。


 一見、破格の待遇に見える。

 しかし、契約に同意すれば明日から軍属となり、命令に従う義務が発生する。今度は罪状ではなく、軍務によって自由を失うのだ。そうなれば遅かれ早かれ再び生死の境に立つ日がやって来るだろう。


 犯罪者か、軍人か。

 今から死ぬか、後から死ぬか。

 二者択一だった。


「あいにく君の答えを長く待つ時間は無いんだ。今ここで、決めてくれ。もしこの提案を拒否するのであれば、明日にでも本国に移動してもらう事になる。同意するのなら、ここにサインを」


 決断の猶予も与えられないらしい。

 差し出された契約書は、限の知らない言語で細かな規約などが書かれているようだった。

 サインする以外に道はないが、その契約書を読む事すらできない不平等さに、辟易する。


 ペインは確信犯だ。


 限が契約書を読めず、サイン後に限の扱いで不当な点があったとしても、契約書を盾にする算段を立てているに違いない。

 怒りが湧き上がってくるが、グッとこらえた。


 ここで感情的になっても状況は好転しない。

 葵の諫言を思い出し、冷静さを取り戻した。


 ちょうど扉から声がして、憲兵が入室してきた。

 憲兵は持っていたトレーに載るコーヒーを、ペインと限の前に置くと、再び取調室の出入り口前の定位置に戻った。


「うん、美味しい」


 ミルクと砂糖が大量に入ったコーヒーに舌鼓を打ちながら憲兵に礼を告げるペインと違い、限はそういった気遣いを見せる気力がなかった。

 しかし喉は渇いていたので、出されたコーヒーを一口啜る。

 結論はすでに出ていた。


「……………………苦い」

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