海物語
夏の間に投稿したかった作品です。
長いです。
ぎらぎらと照りつける太陽。
雲ひとつない真っ青な空。
原色の色合いの濃い夏の花々。
そう、ザラート王国に夏が来た。
「あづい」
ユーリは大きな木の下の木陰で座り込んでうちわをあおぐ。
ザラート王国の南に位置するチューリにあるセフィールド学術院の夏は暑い。
ザラート王国の西側の比較的山の多い田舎で夏は涼しく快適に暮らしていたユーリにはいまだにチューリのこの暑さは慣れない。
「あつい。………ホントに暑い」
「ユーリ、あなたさっきからそれしか言っていませんわ」
ユーリと同じく木陰に座っているアリナが呆れたように苦笑する。
言いながらも彼女も暑いのか、優雅な扇子で自身をあおいでいた。
同じく木陰にいるミーシャもフィーナもユーリのだれっぷりに苦笑気味だ。
「あ、そうだ。それなら海に行かないか?」
「海?」
ユーリがピクリと僅かに反応する。
「まぁ。それはいい考えですわ。ちょうど明日はお休みですし」
「あ、みんなが行くならあたしも行く。ユーリは?確か結構泳ぎ上手いよね?」
フィーナの問いにユーリは頷く。
「明日はバイト休みだから、行く!!海に!!」
(そして、ちょっとでも避暑を!!)
ぐっと両腕を握ったユーリを見、アリナが優しく微笑む。
「では、水着を買いに行きませんと」
「え?」
「ユーリ、もしかして初等部の時に着てた学校指定の水着着るつもりじゃないでしょうね?」
「いや、それはさすがに入らないと思うから、着ないけど……」
実家に帰った時に川で着ているのと同じシャツと短パンでいいかと思っていたユーリには、アリナの発言は寝耳に水だ。
「じゃあ、放課後、またここに集合だな」
「パティーベティー服飾店に行かない?可愛い水着置いてるって聞いたことある」
「では、そこで。ユーリもいいですわね?」
「うん」
(ま、いっか)
にこにこ頷いたユーリは明日の海に心を躍らせた。
放課後。
(ライフは、ゼロです)
お店で買ってきた水着を抱えながら、ユーリは帰宅の途についていた。
水着を買いに行った店で、現実をまざまざと見せつけられて傷心中だ。
(いいんだ。いいんだ。いつかおかーさんになったら、おっきくなるんだから。別にいま小さくったって、使い勝手がないんだから邪魔になるだけだし、エリアーゼ館長だって)
「私がどうかしました?ユーリさん」
「うわぁっ!!館長!!」
目の前からいきなり話しかけられたユーリは飛び上がった。
「いっ、いつのまに!!」
「いつのま、といわれましても、ユーリさんの方が私達に歩み寄ってきたというか…ねぇ」
「ねー」
困ったように首を傾げたエリアーゼは隣できょとんと目を丸くしていた息子に同意を求めるように微笑みかけた。
エリアーゼが押している乳母車の中から小さな歓声も聞えた。
「あ、アルウィス君とリーシェちゃんのお迎えの時間だったんですね」
「ええ。明日はお休みですし、お仕事が思ったより早く片付きましたから、今日は早くお迎えが出来たんです」
「へ~、良かったね。アル君」
「えへへ~」
嬉しそうにエリアーゼに纏わりつくアルウィスにユーリも思わず微笑む。
「ところで、ユーリさんはどこかに行っていたんですか?」
「あ、明日は海に行くんで、水着を買いに行ってました」
「うみ?」
ユーリの海という発言に喰いついたのはアルウィスだ。
その瞬間、エリアーゼの表情がぴくっと緊張する。
「そうだよ。明日あたしは友達と海に行くの。アル君は海に行ったことある?」
「ない」
ふるふると首を振ったアルウィスはついっと母親のスカートの裾を引っ張った。
一瞬、エリアーゼがげっと顔を引き攣らせたのをユーリは垣間見た。
(あ、ヤバ!!)
「かあさま、うみいきたい!!」
うみーうみーっとエリアーゼのスカートを引っ張りながらねだるアルウィスに、エリアーゼは困った顔で唸る。
「あ、じゃあ、あたしはこれで……」
踵を返そうとしたユーリの肩が、誰かの手でがしっと掴まれた。
白魚のような指の先にはにっこりと微笑んだエリアーゼがいた。
「か、館長……」
「お仕事以外でしたら、エリアーゼさんで、構いませんわ~」
にっこり微笑みながら、ユーリの動きを完全に止めているエリアーゼは彼女を逃がす気がない。
「まだ満足に歩けない子供とやたら動き回りたがる子供を連れての海水浴は手間がかかるんです」
「はぁ」
「近頃、この子達にあんまり構ってあげていませんでしたから、無下にお願いを却下したくはありません」
「え?あの、かん……エリアーゼさん?」
ずいっと迫ってきたエリアーゼにユーリは一歩後ずさる。
「海水浴に嬉しい、冷たい飲み物やお菓子を提供してあげますから」
「その、かわりに?」
冷たい飲み物、にユーリはぐらっと心を傾かせた。
「子守り補助、してくださいね?」
にこっと微笑んだエリアーゼの手をユーリは掴んだ。
ここに、ひとつの契約が締結された。
と、言う訳で。
『学院』の南門前でミーシャ、アリナ、フィーナは彼女達と出会った。
「エリアーゼさんとその息子のアルウィス君、で、女の子の方がリシェーナちゃん」
「こんにちは」
「こにちはー」
エリアーゼの隣でアルウィス君もぺこりとお辞儀をした。
「えーと、ミーシャ・ヴェルデです」
「お久しぶりですわ、館長。アリナ・ユニ=セイス・ヴィ・エリメルバですわ」
「こんにちは。フィーナ・キャラウェイです」
にっこりとエリアーゼは微笑んで三人を見回す。
「ふふ、よく聞く名前だから、なんだか初対面って感じがしませんわぁ」
「え?」
「三人ともとても読書家ですもの。よく本を借りに来る生徒の名前は知っていますし、アリナさんは以前ちょっとお会いしましたもの」
ちらっと視線を向けられたアリナはびくっと肩を震わせた。
「あ、その節は本当に申し訳ありませんでした」
「良いのですよ。でも、魔導師を志すものなら、きちんと自分の力量を知り、それに応じた魔導書を求めないといけませんわよぉ?」
「はい」
ほほほほと上品に笑うエリアーゼの前でアリナは固い笑みを浮かべる。
「ユーリ」
「あ、いきなりでごめんね。でも、アルウィス君が海行きたいって騒いだもんだから」
話しかけて来たミーシャに小声で返す。
「いや、それはいい」
「うん。あたしも別に良いけど、何?ユーリ、図書館長さんと知り合いなの?」
「うん。まぁ、知り合い」
(実際は上司兼大家です)
とは言えないので、笑って誤魔化す。
釈然としないながらも、ミーシャ達は引きさがってくれるつもりらしい。
「じゃあ、せっかくだし、行こうか」
「海で遊ぼっか、アル君」
「おー」
ユーリ達が遊びに来たのはセフィールド学術院が所有している敷地内にある浜辺。
生徒や学校職員のために解放されているそこは基本的に『学院』の自治下にある。
「てな訳で、パラソルはタダだけど、使い終わったら必ずここに持って来てくれよ。後、壊したら弁償だからな」
「何で君がいる、イオン・ガスパール」
浜辺にほど近い、材木を簡単に繋ぎ合せて作ったような簡易の小屋に立ち寄ったユーリ達を派手な金髪の少年が出迎えた。
「日雇いバイト」
「あれ?クエルボ商会でもバイトしてなかったっけ」
「あっちは、今日は休み。今年の夏は王都に行くからそのための費用を稼ぐためにいろいろ掛け持ちしてんの」
言いながら、イオンは数本のパラソルを持ってくる。
「で、どれがいい?まだ時間早いから選べるぞ?」
鮮やかな色で染められたパラソルにアルウィスは目を輝かせた。
「あお」
「よっしゃ、これがいいか?なんだったら、設置するけど、どうする?」
「あ、お願いします」
「じゃあ、500ソール頂きます」
エリアーゼからお金を受け取ったイオンはにこにこ笑いながらパラソルや荷物を運ぶ。
「設置は有料なんだ」
「バイトだからな」
「じゃあ、パラソルは彼に任せて、わたしたちは着替えようか」
ザクザクとイオンはシャベル片手に砂を掘り、慣れた手つきでパラソルを広げて立てる。
「うッし、こんなもんか」
パラソルの固定を確認したイオンは首にかけたタオルで汗を拭う。
「イオン?イオン・ガスパール?」
「ん?あ、あんたは…、ゼクス……え~と……」
「ゼクスで良い」
セフィールド学術院騎士科のエンブレムのついた白いシャツにひざ丈のズボンを纏う鉄色の髪の少年を見、イオンは首を傾ける。
「そのカッコ、浜辺の見回りか?」
「ああ、君は?」
「バイト」
「こんな所でか?」
ゼクスは柳眉を寄せて顔を顰める。
「こんな所って……どした?不機嫌?」
「不機嫌にもなる!!見ろ、うちの女生徒達のふしだらな格好を!!」
びしっと彼が指差した方向にはいま流行りのビキニタイプの布面積が少ない水着を着た少女達が波打ち際で、ゴムボールで遊んでいる。
「ふしだらって、ビキニタイプの水着はいまの流行じゃん別におかしいこと無いだろ?」
「アレはどう見ても下着だろうが!!まったく、あんなものが流行るなんてどうにかしている!!」
意外と潔癖らしいゼクスの顔は真っ赤だ。
一方、イオンはカラッカラと浜辺を照り付ける太陽より明るく笑う。
「いや~、俺にとっては目の保養だけどな。白い砂浜、青い海と空、無邪気に遊ぶ水着女子…っで!!」
イオンの後頭部にゴムボールが当たって跳ね返った。
「変態!」
振り向いた先にはゴムボールをしっかり受け取ったミーシャの姿。
顔を赤くしているミーシャを余所にイオンはへらっとしまりなく笑う。
「あ、着替えて来たのか。似合ってんじゃん」
亜麻色の髪を高い位置で一本に結っているミーシャは若草のような緑色のビキニ、アリナは金髪をお団子にして纏め、冴えるような赤いビキニを纏い、パレオを腰に巻いている。フィーナはいつも一本に結っている赤髪を蝶のように頭の高い位置で二つに結い、オレンジ色のビキニを纏い、日焼け予防のためか薄手の上着を羽織っている。
ユーリはというと、紺色のビキニを着ている。……が。
(ううっ、フィーナもミーシャも何でそんなに発育が良いわけ?)
二人の友人の胸元を見、自分の胸元を見て激しく落ち込んでいた。
「そこの二人はともかく!!せめて何か上に羽織れ!!ミーシャ・ヴェルデ!!」
ゼクスが一番目に毒な人物を指差して叫んだ。
「ともかくってどういう事ですの!?」
ユーリとミーシャはゼクスにとって許容範囲の見た目らしい。
「そりゃあ、胸が……ッだ!!いでっ!!」
失言をかましたイオンの脇腹をユーリが力いっぱいつねる。
「騎士科の見回りさーん、痴漢発言者を捕まえましたよ~。ひっ捕らえてくださ~い」
「いだだだっ!!やめろ!!バイト代が飛ぶだろ!?……あの、マジ痛いです。ごめんなさい。もう言いません」
きゃんきゃんイオンが吠えながら、ユーリから距離をとろうと足掻く。
それをさっさと手放したユーリのイオンを見る目は氷点下以下だ。
「あら?みなさん、もう遊んでいるんですか?」
「別に遊んでいるわけじゃ……」
エリアーゼの声に振り返ったユーリは一瞬で後悔した。
目が焼けるような真っ白なビキニ、それに包まれた大人の女性の豊満な肢体。
完璧なプロポーションの下、惜しげもなくその白い肌をさらして微笑む金髪美女を見た。
(神は、何故富める者と貧しき者を作ったのでしょうか……)
「おーい。どうした、ユーリ?」
「何でもない」
声もなくその場に崩れ落ちたユーリを見、イオンが首を傾げる。
「じゃあ、俺は行くぞ。あ、これはサービスの浮き輪。この前科学科で作った試作品。帰る前に『海小屋』に返しに来てくれ」
「これ、ゴムの浮き輪と違って軽いし、薄いな?素材が違うの?」
「ああ、ビニルっていう新素材を使ってるんだ」
「へぇ~」
ミーシャが浮き輪を興味深そうに回す、一方。
「あの、エリアーゼ館長。王立学院図書館館長という貴い職を持ち、二児の母であるあなたがそのようなふしだらな格好を衆目にさらすのは如何なものかと」
「あら~、ですが、水着を買いに行くとこんな水着しか無くて、仕方なく」
あまりに似合いすぎであるエリアーゼの水着にゼクスが苦言を呈していた。
「若さまってほんと頭が固いねぇ」
「お前も何だ、その格好は!!おやじさんが泣くぞ!!」
びしっと指差されたフィーナはころころと余裕で笑う。
「まぁまぁ、落ち着いて。エリアーゼ館長。その格好だと日焼けが酷くなりますよ。この上着、予備があるんで着てください」
「あら、ありがとうございます」
にこにこ微笑むエリアーゼがそれを受け取ったのを見届けた後、ゼクスは去って行った。
「あ、アルウィス。動かないで、日焼け止めクリームを塗ってから遊びなさい」
「いやあ、かあさま。うみいくの~」
「ほら、ユーリ。交代、塗ってあげる」
「ありがと、ミーシャ」
ミーシャの前に座ったユーリはふと、アルウィスを抱き抱えるように日焼け止めクリームを塗っているエリアーゼを見た。
「あ、エリアーゼさんも日焼け止めクリーム塗ります?上着、海の中じゃ着れないし」
「ええ、じゃあ、背中をお願いします」
「じゃあ……」
エリアーゼから日焼け止めクリームを受け取る……受け取ろうとしたクリームの容器が一瞬で消えた。
首を傾げる暇もなく、側に佇む人影に気づいた。
「クリームなら、私が塗るよ。エリアーゼ」
濃い鳶色の髪に翡翠のような碧の瞳の背の高い男性がそこにいた。
「え?」
「きゃああっ!?」
「誰っ!?」
突然降って湧いたかのような男性の出現にミーシャとアリナ、フィーナは悲鳴をあげてパラソルから飛び出た。
「あ、3人とも、落ち着いて!!大丈夫、怪しい人じゃないから。…多分!!」
ユーリのいまいち信用の出来ない言葉にアリナが「騎士科の見回りを!!」と叫ぶ。
そのパニック状態を制したのは溜息をついたエリアーゼだった。
「わたしの夫です」
「え?」
キョトンとするアリナ達を余所に、エリアーゼは男を振り返る。
「あなた、いつ来たんです?それ以前に、わたし達が海に来ていると誰から?」
「親切な人が教えてくれてね。私も海に来たかったし」
「あ、とうさまだ~」
アルウィスが彼に抱きつく姿を見て一応認めたのか、ミーシャは手に持っていた鞄を下ろして安堵の息をつく。
「おーい、そこの人~っ!!水着、あと、おつりーっ!!」
「イオン君?」
白い砂浜を走りにくそうに駆けてくるのは『海小屋』に戻ったはずのイオンだ。
「何だよ、あの人、この浜辺でおかしいくらい足速かったぞ」
ユーリ達のパラソルまで走ってきたらしいイオンは息切れ、汗だくなのに対して、ラズクラフトは汗ひとつかかずにエリアーゼに日焼け止めクリームを塗っている。
「これ、その人に渡してくれ。あと、おつり」
「あ、どうも」
嬉しそうにエリアーゼにクリームを塗るラズクラフトの代わりにユーリがイオンから受け取った。
「おい!!何事だ!?」
「あ、ゼクス先輩」
「悲鳴を聞いて来てみれば!!……誰だ?」
アルウィスと戯れている見慣れない男性にゼクスが眉を顰める。
「エリアーゼ館長の旦那さんのラズクラフトさん」
「そうなのか?」
「その人、館長と結婚したのかよ。勇者だなぁ」
イオンはユーリの言葉に目を丸くして頷く。
「怒られますわよ。エリアーゼさんに」
呆れたようなアリナの言葉を聞かず、イオンは真面目な顔でユーリ達に向き直った。
「……一応忠告しとく。この浜辺にどっかの貴族だか商人だかのバカ息子とその取り巻きズが来てる」
「なに、それ?」
「その発言だけで大体の予測はつくけど、まぁ、続けてくれ」
ユーリが半眼で問い、ミーシャはイオンに先を促す。
「まぁ、大体予想つくだろうけど、バカ息子とその取り巻きズ共はここを自分のプライベートビーチだと思い込んでいるらしくてな。女の子達にちょっかいかけるわ、いろんな人達に迷惑行為するわ」
「騎士科は何やっていますの!?」
「いままでの騎士科の学生はバカ息子ズの親の権力の前に尻尾丸めて逃げ出したよ」
勢いよく怒りをみせたアリナにイオンは溜息をつく。
「ようは、見て見ぬふりってわけね」
嫌そうにフィーナが呟き、ちらりとゼクスを見る。
彼はムッとしたように顔を顰めて頷く。
「そいつらうちの学校の生徒なの?そんな人、聞いたこと無いんだけど」
「いや、他校の学生らしいけど、取り巻きの一人の兄貴だか姉貴だかがうちの学生の生徒だったらしくてな、そいつからここの事聞いて、不法侵入ってわけだよ」
「うわ、迷惑」
「だから、近づくなよ。なるべく、勇者の側にいろ」
「ここによく来るのか?その馬鹿息子どもは」
「ああ。備品壊すわ、営業妨害するわでムカつく」
ミーシャが言うとイオンが怒りをこめたように拳を握った。
どうやら、彼も怒り心頭らしい。
「俺達も見回っているから、何かあったら叫べ。あと、これをエリアーゼ館長の旦那さんに」
丈夫そうな黒い組みひもと小さな木のプレートで出来た腕輪をゼクスはフィーナに渡す。
「何これ?」
「入場許可証だ。身につけておくように言っといてくれ」
そう言うとゼクスは足早に仲間の見回り生徒の元へ行き、イオンも同じく『海小屋』に帰って行った。
そして、少女達四人はちらりとイオン曰くの勇者もといエリアーゼ館長の旦那のラズクラフトを見る。
にこにこと嬉しそうにエリアーゼ館長の身体にクリームを塗っているラズクラフト。
(あてにならなそう)
四人全員一致で判断したユーリ達はお互いに目配せし合い、単独行動を自粛する事に決めた。
真っ青な空、世界を焼く太陽が照りつけるが、海の水は冷たくて心地いいせいで特に苦にならない。
「あ~、気持ちいい」
潮の匂いと緩やかな波にぷかぷかと揺られながら、ユーリはのんびりと海に浮かぶ。
波打ち際ではアリナとエリアーゼ一家が砂遊びや浅瀬で遊んでいる。
「ユーリ、そろそろ浜辺にあがって休もう。お腹もすいたし」
「ん、ミーシャは?」
「先に戻ってるよ」
泳ぎの上手いユーリやフィーナ、ミーシャ達は優雅に泳いで海を堪能していた。
それを眺める、男子数名。
「あ~、いいねぇ。海で遊ぶ水着少女」
「………義弟と同じこと言ってるぞ。ランク」
騎士科の見回り生徒、ランクとゼクスである。
「気を引き締めろ。『海小屋』の報告だと、要注意人物達を見かけたとか」
「は~っ、余計な仕事させんなって話だよな~。このくそ暑い中、おかげで俺らは貴重な夏の休日をむさ苦しい男共と浜辺を歩きまわることになるんだからよぅ」
実に面倒臭そうにシャツを脱いで肩にかけながら歩くランクの隣でゼクスが顔を顰める。
「それはこっちのセリフだ!!シャツ着ろ!!騎士科の風紀が問われる!!」
「なぁ、昼休憩になったらかき氷買っていい?もう、のどからから……」
「好きにしろ!!」
ざくざくと砂を蹴立てて歩くゼクスをでろっとしたランクが追う。
何だかんだ言いつつ、職務は全うする真面目さはあるようだ。
「そーれっ!!」
ユーリの掛け声と同時に鮮やかな色のボールが青い空に舞う。
「はい!!」
アリナが落ちて来たボールを打ち返し、
「ほっっと」
「よしっ」
「はい」
フィーナ、ミーシャ、エリアーゼもそれに倣う。
一方唯一の男性であるラズクラフトはパラソルの日陰の下、すやすやとお昼寝をしている息子と娘の子守りと荷物番をしている。
きゃあきゃあと波打ち際で戯れる水着姿の妙齢の女性と可愛らしい少女達。
「うん、眼福眼福」
のほほ~んとパラソルの下でラズクラフトは呟きつつ、息子と娘をうちわであおいで風を送る。
「なにおっさんじみた事を言っているのですか。我が君」
「……声に出していたかな?」
「はっきりと」
パラソルの側に一人の男性が佇んだ。
青いパラソルの後ろ、前を向いたままのラズクラフトからは彼の顔が見えない。
しかし、ラズクラフトは振り返らずとも彼が誰なのかわかっている。
「王都にいるはずのあなたが、こんな所で女学生の水着姿見てにやにやしていたなんてリッジウェイ様が知ったら何と言うか」
「お願いです。黙っていてください」
溜息が混じる言葉にラズクラフトは冷や汗をかきながら懇願する。
「ならば、早くお」
「あっ!!」
背後の男性の言葉は走りだしたラズクラフトによって遮られた。
「我が君!!」
彼の向かう先、波打ち際には四人の少女と彼女達に絡む青年達の姿があった。
「あッ」
ミーシャから返ってきたボールが予期せぬ風に流されてフィーナの背後に落ちる。
てんてんと砂浜に落ちたボールをフィーナが追う。
そのボールに黒い影が落ち、ひょいっと宙に浮く。
「あ、ありが……」
拾ってもらえたと、反射的に礼を言いかけたフィーナは拾った人の顔を見て表情を硬くする。
数人の青年達を引き連れた、外見も中身も軽そうな青年がニヤニヤしながらボールを弄んでいた。
嫌な予感がしつつも、一縷の望みをかけて声をかける。
「あの、そのボール返してもらえませんか?」
「君が俺達の相手をしてくれたら、返してやるよ」
舐めるような視線と共ににやにやと笑いながら聞かされた言葉に寒気を感じながら、フィーナは自分の予想が外れなかった事に落胆した。
「フィーナ!!」
なかなか戻って来ないフィーナを心配したユーリは駆け寄った途端、げんなりと顔を顰めた。
数人の青年たちと彼らの前に佇むフィーナ、そして彼らがもっているボール。
加えて、青年達の嫌な笑みと彼らの海に来ているにしてはしっかりした格好、無意味に肌蹴たシャツの隙間からちゃらちゃらと見えている金のネックレス。
(いかにも、だよねぇ)
同じく顔を引き攣らせているミーシャと目を合わせたユーリは小さく頷く。
振り返ったフィーナ、後ろからやってきたアリナは嫌そうに顔を顰めている。
「そのボールは私たちが『海小屋』から借りた物なんだ。返してもらえないだろうか?」
ミーシャが雄々しく声をかけると彼らが囃すように口笛を吹きながらニヤニヤ笑ってボールを弄び始める。
「じゃあ、一緒に遊ぼうぜ。お嬢さん?」
「断固としてお断りしますわ」
「ボール返して!!」
アリナがキッと睨み据え、ユーリが前に進み出る。
「おっかねーな。いいじゃん。俺達も一緒に遊びたいんだしさぁ」
へらへらと嗤いながら馴れ馴れしくフィーナの腕を掴んだ青年にユーリは虫唾が走るのを感じた。
「放して!!」
一瞬で腕に鳥肌を立てたフィーナが悲鳴のような声をあげて後ずさる。
フィーナを庇うようにミーシャが彼女の前に進み出る。
ユーリの側に来たミーシャがぽそぽそと小声で話しかけてきた。
『どうやら、残念なことにイオンの言うバカ息子ズに絡まれてしまったようだな』
『どうしよっか?』
『ボールを見捨てて逃げましょう。ボールは弁償が利きますけど、私達の身は弁償が利きませんわ』
『パラソルのトコ?ダメだよ!あそこにはアル君とリーシェちゃんが寝てるんだよ?』
逃げを提案したアリナをフィーナが却下する。
確かに、こんな常識のなさそうな奴らを純真無垢な幼子に近づけていいわけがない。
「ねぇねぇ、何話し合ってんのかなぁ?俺らも混ぜてくんない?」
馴れ馴れしく話しかけて来た青年達を見てゲッとユーリは顔を引き攣らせる。
『マズイ、囲まれる!!』
ミーシャの言うとおり、いつの間にか背後に二人の青年たちがいた。
警戒するように両隣に視線を移すとニヤニヤ笑う青年達がユーリ達を囲もうとしている。
『冗談!!』
彼らの中心だろう青年をユーリは睨みつける。
『皆、叫べる?騎士科の生徒を呼ぼう』
ユーリが四人に目配せすると、彼女達は決意を秘めた目で頷いた。
「ユーリさん?皆さんどうしたんです?」
すっと息を吸ったユーリは聞こえて来た声に息をつまらせた。
「エリアーゼさん!!」
「来ちゃダメです!!」
ユーリ達が声をあげるよりも、青年達がエリアーゼを見る方が早かった。
彼らはエリアーゼの美貌とナイスプロポーションに口笛を吹き、ニヤニヤと嗤う。
「どうしたんです?」
「いや、こちらのお嬢さんたちと一緒に遊ぶ事になったんですよ。俺達は」
「冗談はよせ!!わたしたちがいつ了承した!?」
ミーシャの激昂を見、エリアーゼは大体の状況を把握したらしい。
「ボールを返して下さいな。それはこの子達が借り受けた物です。遊びたいなら自分たちで借りて来なさい。坊やたち?」
困った顔、だが、声音は氷点下。
標的になったわけでもないのに、ユーリの背筋がピンッと伸びた。
「んな、お固いこと言わないでさぁ。ちょっとくらい一緒に遊ぼうぜ」
馴れ馴れしく肩に置かれた手をエリアーゼは振り払う。
「馴れ馴れしく触らないで下さいな。私に触っていいのは私の旦那様と子供たちのみです」
パンッと高い音共に腕を振り払われた青年は顔を赤く染めてボールを放り投げた。
「てめぇ!!このアマ共!!下手に出てりゃ良い気になりやがって!!」
「あっ!!」
「ボールが……」
「お前らは大人しく俺らと一緒に来ればいいんだよ!!」
「きゃあっ!!」
「アリナ!!」
腕を思い切り引かれて悲鳴をあげたアリナ、彼女に駆け寄ろうとしたユーリは、にやついた顔の青年の後ろに背の高い男の姿を見て立ち止まった。
「失礼。私の妻とその友人達に何を?」
冷やかな声で一切を威圧しつつ、アリナを解放したのはラズクラフトだった。
「何だ、てめぇ」
「怪我したくなかったら、どっか行きな」
「断る。そろそろ子供達が起きそうなのだ。母親がいないとあの子たちはぐずるからな」
しれっとした顔で佇むラズクラフトに、アリナの腕を掴んでいた青年が掴みかかった。
「ふざけんなっ!!てめぇ!!」
飛びかかってきた青年を軽く横に避けつつ、足をかけて転がしたラズクラフトに次々に青年が飛びかかる。
それを軽々避けて行くラズクラフトを見つつ、ユーリは戦略的撤退を試みる。
「エリアーゼさん!!逃げて!!」
ミーシャ、アリナ、フィーナを走らせたユーリはエリアーゼの背中に一人の青年が張り付いたのを見た。
「エリアーゼさん!!」
一瞬、ぴたりと動きを止めたラズクラフトにエリアーゼの腕を掴んだ青年がいやらしく嗤った。
「おい!!この女……っぶ!!」
どこからともなく飛んできたゴムボールがエリアーゼの後ろにいた青年の顔面に当たってどこかに飛んで行った。
「エリアーゼさん!!早く!!いまのうちに!!」
「フィーナ、ミーシャ!!騎士科の生徒を呼びますよ!!」
「「いやあああっ!!助けてーっ!!」」
フィーナとミーシャが高らかに上げた悲鳴が功を奏したのか、ゼクスがこちらに走ってきた。
「何をしている!!貴様ら!!」
「うるせぇ!!俺達を誰だと思ってんだ!!俺達の邪魔をするんじゃねぇ!!」
威圧感たっぷりに叱責したゼクスに青年達は喚く。
「いきなりあたしたちに襲いかかってきたのよ!!こいつら」
フィーナがビッと指差した途端、ゼクスの顔つきが変わる。
「知るか、小物が!!」
問答無用でゼクスは近くにいた青年を蹴り飛ばして海に落とした。
「なっ!!お前、あいつはシュノール伯爵の跡取りだぞ!!そんな事していいと思ってるのか!!」
「良いに決まってるだろうが!!この不法入場者があああっ!!」
後からゼクスについて来たらしい、ランクがラズクラフトの背後から襲いかかろうとした青年に飛び蹴りを喰らわせて叫んだ。
「余計な仕事増やすなよ。ただでさえ暑いのに」
「ランク。どこで何してた?」
「水分補給」
ゼクスに言いつつ、ランクは赤いシロップが掛かったかき氷を掲げ見せる。
(サボってたな)
とは、思ってもみな口にしない。
「で?大人しく集団暴行未遂罪で自警団のお世話になるか、うちんとこの教官長に説教されるのと、どっちがいい?あんたら、あれだ。うちんとこの教官長の孫を泣かせただろ?おかげで俺らはこの暑い中見回りなんぞさせられてんだよ!!」
ランクはミーシャにかき氷を預けると、キッと眦を釣り上げて青年達を睨んだ。
「くそっ、覚えてろよ!!」
小悪党風の捨て台詞と共に走り出した青年達をランクは問答無用で追いかける。
「逃がすか!!アホたれ!!」
「応援要請!!」
ピーッ!!と高くゼクスが笛を吹きつつ、ランクと共に駆けてゆく。
わらわらと集まってきた見回り担当の騎士科の生徒達と青年達の追いかけっこをユーリ達は見送った。
「あの、このかき氷はどうしろと」
「………食べちゃえば?」
「イオン君のお兄さんだそうだから、渡しとけば?」
戸惑うミーシャに無責任に言うのはフィーナ、妥協案を出したのはユーリである。
「ラズクラフトさん。ありがとうございました」
「いやいや。みんな、無事でよかったよ」
深々と頭を下げたアリナにラズクラフトは微笑んだ。
そのラズクラフトの腕をそっとエリアーゼが触れて、問う。
「ねぇ、あなた。アルウィスとリーシェは?」
「あっ!!」
「え゛っ!?」
大慌てで駆けてゆく夫婦をユーリ達もあたふたと追いかけた
「あの~。さすがに子守りは業務範囲外なんすけど」
「イオン君」
「何で、君が」
パラソルの下ではイオンにかき氷を食べさせてもらっている子供たちがいた。
「ランク兄ちゃんが、子供だけが寝てるパラソルがあるって通報受けて、パラソルを設置した俺が呼びだされて、誰が借りたものか訊かれたわけ」
その後、悲鳴を聞きつけたランクが飛び出して行き、イオンは子守りを押しつけられたという。
「海辺で子供を放置しないで下さい。危険ですから」
「「はい。すいません」」
忠告したイオンにエリアーゼ夫婦がそろって頭を下げた。
「そういえば、お前ら。ボールは?」
「「「あ」」」
バカ息子ズに放り投げられて、海を流れていってしまいました。
オレンジ色に世界を染めつつ、海に沈んでゆく夕陽を鑑賞しつつ、ユーリ達は海を後にする。
どうせなら一緒に晩御飯を食べようとフィーナが言い出し、ユーリ達は近くの食堂に入った。
エリアーゼとラズクラフトはリーシェとアルウィスがいる為、自宅に帰ったが。
「そういえば、あのバカ息子一号が、シュノール伯爵がどーたらこーたらいってたけど、大丈夫かな?」
「大丈夫でしょう。ゼクス先輩はエイガット侯爵家の子息、シュノール伯爵程度にどうにかできる相手ではございませんわ」
「ほぉ~ん」
ふと、思い出した事を言ってみるが、まったく問題はないらしい。
「あのバカ息子ズ達はどうなったかな?」
「自警団の厄介になっているか、うちの騎士科教官長の説教喰らっているか、どっちかじゃないか?」
フィーナの問いにミーシャが投げやりに応える。
「どっちも暑苦しくてしんどそうだね」
だらだらと喋りつつ、途中で別れたエリアーゼの家族の事を思う。
(ラズクラフトさんって何者なんだろう?)
複数の青年達に囲まれても平然として彼らの攻撃を避けつつ彼らを転がしていたし、浜辺を汗ひとつかかずに走り回るわ、いきなり湧き出てくるわ。
ぼんやりしていると、店員が具がたっぷり入った大皿のオムレツとフライドポテトやサラダを持ってきた。
近くのテーブルでは海辺帰りの似たような学生達ががやがやと騒ぎつつ、料理をむさぼっている。
その中に「ボールが二つも海に流されて行方不明」だと愚痴を言いつつ炭酸水を飲む金髪少年や「教官長の説教、今日は気合入ってたな」「あれ、教官長の恨み節も入ってただろ、あれ」「私怨か、私怨なんだな!?」とか言いつつ大食い大会をしているかのような少年達の団体もある。
何となく日常的な夏のチューリの名物をだらだらと楽しみつつ、ユーリはオレンジ色の夕陽を見る。
「来年もまた来ようか。海に」
「ええ、その時はまたエリアーゼさんも誘いましょうか?」
微笑むアリナと頷くフィーナとミーシャと笑いあいつつ、まだ見ぬ夏を思う。
あと三日で夏季休暇が始まり、それぞれが地元に帰って行く。
「また、来年に!!」
四人の少女はグラスをぶつけ合って笑いあった。