夏の風物詩
―――……ジーワジーワジーワッ
みーん、みーんみんみんみーんっ……
雲ひとつない突き抜けるような青空が世界中に広がっている。
青の中にひとつだけ浮かぶ太陽はぎらぎらとどこか攻撃的に地上を焼く。
魔導と学問の街チューリにあるセフィールド学術院。そこの敷地内にある王立学院図書館も等しく、世界を焼く太陽の光線を受けていた。
「あ~、つ~、い~っ」
王立学院図書館・最上階の植物園。
夏に咲く花々が太陽に負けじと鮮やかな艶姿を見せ、青々とした緑でもって、太陽の光と熱を打ち返す木々が木陰を作り、癒しの空間を演出している。
そんな中、噴水が汲み上げた水で出来た水路に足を突っ込んでいる、何ともだらしない格好の少女が一人。
水路に足を突っ込んで、木陰に寝転がっている少女の名は、ユーリ・トレス・マルグリット。
セフィールド学術院の生徒であり、王立学院図書館に住み込みで働く司書見習いである。
(ダメだ。 暑い)
『学院』内で最高の高さを誇る建物の最上階にある植物園は太陽が近くて、地上より暑い気がする。
ユーリは起き上がると、サンダルを履き、芝生庭園を突っ切って階下に繋がる階段を下りた。
行き先は……。
「い~き~か~え~る~ぅ」
<何じゃ、若人が。 だらだらしおってからに>
「いいじゃん。 なんだかんだいってここが図書館で一番涼しいんだもん」
ユーリが避暑のために逃げ込んだのは、『禁制魔導書』階。
王立学院図書館は蔵書の保存のために館内の温度を一定に保つよう魔導が施されている上に、夏の強すぎる日光を遮るために窓には麻で出来た紗のカーテンが掛けられていて、外よりはるかに涼しい。
特に『禁制魔導書』階は利用者がほとんどいないせいで他の階より涼しさは二割増(ユーリの体感温度参照)だ。
ソファに寝転がったユーリを『禁制魔導書』達は<だらしない><慎みがない>など称するが、外の暑さを我慢するよりマシだ。
<まったく、ここをどこだと思っているんだか>
<ここは避暑地じゃないんだぞ>
<不届きな奴が多い事>
<まったくだ>
「不届きな奴って、夏恒例の例のアレ?」
ざわざわ騒ぐ『禁制魔導書』達の声に反応してユーリがむくりと起き上る。
<そう、例のアレだ>
魔導書達の声にユーリが顔を顰める。
「アレは迷惑なんだよねぇ。備品、壊されるし」
<本を納めている『階』に入る奴はいないのは幸いだがな>
<しかし、毎夜毎夜五月蠅い>
<あれはもはや遊びの一種になっておるな。同じ奴らを見かける事が多い>
<学期末の夜が一番多いな>
<それに、年々増えてるし>
『禁制魔導書』達も「例のアレ」が気に入らないらしい。
<だが、犯罪者でもない、図書館に害なしたわけでもない奴らをいたぶるわけにはいかんしなあ>
<新学期が始まったらぴたりと止むからねえ>
<それに、我々が手を下して下手にここの評判を落とすわけにもいかんだろう>
「あれって立派な不法侵入なのに」
魔導書達とユーリがそろって溜息をつく。
すると、扉の方で小さなもの音がした。
「あら? ユーリさん。来ていたんですねぇ」
<エリアーゼ>
「館長!!」
涼しげなワンピースを纏った妙齢の金髪の美女が『禁制魔導書』階の扉を開いた。
金髪を高い位置で結いあげ、少し目尻が下がったエメラルドのような瞳を優しい聖母のように緩ませた美女は王立学院図書館の館長。ユーリの上司である。
館長であるエリアーゼはユーリにここを任せて以来、あまりここに来ていない。
そのためか、魔導書達はいっせいにエリアーゼに注目した。
<どうした? エリアーゼ>
<図書館内に新しい魔導でも展開させるのか?>
<新しい魔導書でも入荷したのか?>
「いいえ、残念ながら違いますわぁ」
魔導書達の質問にエリアーゼはにこりと微笑んでかえす。
<ならば、何故ここに?>
<ユーリの首でも切りに来たか?>
「失礼な事言うな!!」
クビになるような決定的なミスはしていない……はず。
<でも、ちょっと不安だったり?>
「るっさい!!」
くわっと吼えたユーリにくすくすと鈴を鳴らすような声が聞こえる。
「館長……」
「いえ、ごめんなさい。 ユーリさん、すっかりここに馴染んでるから、つい」
優美な仕草で楽しそうに美女に笑われていると、恥ずかしいやらなんやらでユーリはそっぽを向く。
「ユーリさんの働きに問題はありません。……しかし、近年問題視している事が少し大きくなってきたようですから」
この時期に問題になる、少々コトが大きくなり出したモノ。
<例のアレか?>
「夏恒例のアレですか?」
魔導書達とユーリはすぐに合点がいったらしい。
そして、エリアーゼは聡い彼らの前に何やら焼け焦げた角灯を差し出す。
「ええ、夏恒例の『肝試し』ですよ」
にっこり笑ったエリアーゼの手の中で、角灯の持ち手がひしゃげた。
王立学院図書館にはやたらと奇っ怪な噂話が多い。集めれば一冊どころか数冊の本になるほど。
一応『王立』の建物である図書館に配慮して『奇っ怪な噂話』という婉曲な表現がされているが、直訳すればただの『怪談』である。
そんな噂話の原因となる場所は大体、好奇心旺盛な若人たちの度胸試しの舞台になる。
今宵も、命知らずな少年少女が王立学院図書館に集まった。
夜の図書館の一室で数名の人間が動く気配がする。
暗い中、ごそごそと動く気配は意外と多く、十人ほど。
どこかの物置から出てきた少年少女達はある部屋の中に集まる。
「ねえ、やめようよう」
気弱そうな、少年の声がぽつりとこぼれる。
「おいおい、萎えるような事言うなよ」
少年少女の先頭を歩いていた背の高い少年が肩をすくめて呆れたように溜息をつく。
「そうよ。 タックは意気地無しなんだから」
勝気そうな少女の声に周りの少年少女達がくすくす笑う。
「もしかして、図書館の怪談を間に受けてるんじゃないだろうな?」
「お化けなんかいないって」
わははっと騒がしく笑う少年少女達はそれぞれ角灯に灯りをともす。
「大体、お前もショウと同じ魔導科の生徒なんだろ?なのにその怖がりは問題なんじゃないか?」
「僕は怖いんじゃなくて!! 『王立』の建物にいたずら半分で不法侵入することに反対してるんだ!!」
からかう様に肩を叩かれたタックという少年が肩を叩いた手を振り払いながら怒鳴った。
「大丈夫だって。ここは、こんなだだっ広いんだぜ。 警備のおっさんも気づかないって」
「そーいうとこを気にするから、意気地なしって言うのよ」
ツンッと澄ましたように少女が言う。
彼女の声に賛同するように数人の少女が「ねぇ」と頷き合う。
「で? お前、参加するの?しないの?」
「するよ。キーツ」
少年少女達のリーダー格らしい背の高い少年にタックは応え、離れる。
「じゃあ、昼に話した通りだが、俺が先に行って一般図書階の二階と三階の『猫・兎・鳩・鷲』の自習室にこのスタンプを置いていく。お前達に渡したカードにそれぞれ四つのスタンプを押してここに戻ってくればゲーム終了」
キーツは言いながら、ころころと四つのスタンプを見せる。
「じゃあ、俺は先に行ってスタンプを置いてくるから、俺が戻って来るまでにくじ引いておけよ」
キーツは角灯を持って部屋から出ていく。
少年少女達への指示といい、手慣れた彼の様子から、相当ここでこういう事を繰り返していることが分かる。
「じゃあ、くじを引いていくか」
小さな箱に十二本の棒が刺さっている。
その箱が十一人の少年少女の間で回され……。
「あれ?」
棒が一人分足りなくなった。
「おかしいな。キーツの奴が入れ忘れたのかな?」
「タックが帰ると思って入れてなかったんじゃない?」
「マーリ!!いい加減にしろよ!!」
タックはさっきから『意気地がない』と馬鹿にしてくる澄ました少女を睨みつける。
一方、くじを引いた少年少女達はくじをお互いに見せ合っている。
しかし……。
「ねえ、ショウ。 このくじおかしいわよ」
くじを回した魔導科の少年に少女達が集まる。
「ええ、全部数字がバラバラよ?」
「あ、ほんとだ」
「そんなバカな!! そのくじはここで肝試しをやるようになってからずっと使ってるやつなんだぞ?いまさら数字がおかしいなんて……」
九人が差し出す九本の棒の数字は全てバラバラで、何のシャレなのか『666』や『013』など無意味な数字が書かれた棒もある。
「どう、なっているんだ?」
呆然とショウが呟く。
しんっと静まった部屋に、カタンッと何かを置く音がする。
少女達が小さく悲鳴を上げる中、数人の少年が音のした廊下の方に向かった。
「何だ!?」
彼らが廊下に出ると、廊下の角を曲って走っていく足音がした。
「キーツ?」
キーツが持っていた角灯が廊下にぽつりと置かれている。
「おい!!キーツ!! キーツなんだろう!?」
ショウの声がわんっと闇一色の廊下に響く。
しかし、暗い廊下からは何の応えもない。
それを確認したショウは皆が待つ部屋に戻る。
「キーツの悪ふざけだ」
ショウが苦々しげに言うと、マーリがくじを差し出す。
「え? じゃあ、このくじも?」
「ああ、キーツの奴が俺達を怖がらせようとしているみたいだ」
「ええ~っ」
「何考えてんの? あいつ」
口々に騒ぐ彼らを諌め、ショウはくじを集めた。
「とにかく、早いとこ二人組になって『肝試し』を始めよう。 ゲームが終わったらあいつも出てくるだろうし」
ショウは新しくくじに数字を振り、箱に入れる。
くじが振られ、二人組に少年少女達が別れる。
「じゃあ、十分ごとに一グループずつ出発する」
そして、一番初めのグループが不安げに角灯を持って部屋から出て行った。
王立学院図書館一階、狐をモチーフにした装飾が施されている通称『狐の部屋』と呼ばれる談話室から一組の少年と少女が出ていく。
そのさまをじっと見つめる瞳があった。
「ねえ、知ってる?一般図書階二階の階段の話」
「ん? 『夕暮れ時に髪の長い女が鏡に映る』って噂?」
「そっちじゃなくて、『夜になると階段が一段増える』って話」
「それ、学校にありがちの話じゃん。ここじゃなくてもよく聞く話だし……」
言いながら、二人は階段を見上げる。
「そうだけど……」
口籠った少女に少年がにやりと笑う。
「何?怖いの?」
「別に、怖くなんかっ!!」
――コンッ……ココンッ……
「ひっ!?」
「きゃあっ!?」
高い音を立てて、何かが落ちてくる音に二人は身を寄せ合って震える。
コンッ、コンッっと落ちてきたものが角灯の光に照らされ。
「何だ?これ?」
「ボタン?」
セフィールド学術院の制服のボタンが彼らの足下に転がった。
「どこから落ちてきたんだ?」
「上、だよね?」
真っ暗な、闇一色に染まった階段上を見上げた二人は息を飲む。
「行くぞ!! どーせ、キーツのいたずらだろう!!」
「あ、待ってよ!!」
『夜になると階段が一段増える』
(嘘に決ってる!!)
だが、そう思っていても、つい気になってしまう。
(一、二、三、……)
「っと!! 十五」
最後の段に足をかけた二人は溜息をつく。
「何だ。増えてなんかないじゃないか」
ほっと息をついた少年はふと、前を見上げる。
「あれ? ここに絵なんか掛けてあったっけ?」
「え?絵なんか……」
二人が見上げたそこに、四角い額縁の中で微笑む少女の姿がある。
金色の髪をなびかせ、椅子に座った少女は角灯の光を受けてにこりと笑った。
「ひっ!!」
――ぎゃあああああああっ!! きゃあああああああっ
悲鳴を上げて階段を駆け上がる少年と少女。
「まず、ふたり」
四角い額縁の中、金髪を揺らした少女がくすりと笑った。