学園外周路
どこの時代の戦争でも存在する兵科は歩兵だ。
鷹放学園はさまざまな兵科の兵士や研究員を育成しているが重要なのは歩兵任務も出来る事である。
つまり工兵だろうが砲兵だろうが基本的な戦闘ぐらい出来るようになっとけと、言うのが学園の方針だったりする。
そして歩兵の基本的な行動とは、長距離を移動する事である。
模擬戦から四日後、二二組は学園外周十キロのコースを走っていた。
ちなみに、これほどクラスが多いのは帝国時代の陸軍と海軍の中の悪さを引き継がないように三軍
合同教育にしたせいである。
「あつー」
白西の口からそんな言葉が零れた。
走り出してから大体二十分。スタート地点から現在地まで約五キロ。今は丁度折り返し地点を通り過ぎた辺りだ。
右手には山の清らかな水が美しい川となってざあざあと水面に小さな波を作りながら流れている。
森のどこからかホーホケキョとうぐいすの鳴き声が聞こえ、青々とした枝葉の間から五月の柔らかな日の光が差し込んでいる。
都会の喧騒とは違い静かな森の木々が擦れる音を聞きながら、新緑の森の中を朝の心地よい風を受けながらクラス一同は走っていた。
傍から見ればこれほど朝のランニングに向いている所はあるだろうか思うくらい長閑な自然溢れる場所だが、さすがに十キロ走れと言われたらどんな景色だろうとマラソンが特別好きじゃない限り気が滅入る。
「はぁ、疲れた……」
白西がぼそっと呟くと列の随所から同意の声が上がる。
「全く……大体五十分で十キロ走とか軍隊かよ」
「いやここ軍隊」
クラスメイトのよく分からんコントに見向きもせずに、白西は疲れを紛らわすために空を見上げる。
五月の透き通るよな水色の空と白い綿雲が浮かんでいた。
しばらく見ていたが変化の無い空に飽き、視線を前に戻して森の方を向く、なんかリスくらいいねーかなーと木の枝などを注視していく。
一本ずつ吟味していくとある木の枝に一匹の鳥が羽を休めていた。
大きさはスズメと同じくらいの茶褐色の色をした背中、白いお腹の鳥だ。
「おい」
白西は自分の前を走る伊村に声を掛ける。
「ん。なに?」
伊村は首をくるりと捻る。
「あれなんて鳥か分かるか?」
白西は人差し指で鳥がいる木を指差す。伊村は眼鏡のレンズをハンカチで拭った後木を見据える。
「ああ、あれはオオルリの雌だよ」
「へえーよく分かるな」
「まー生態とかは、知らないけど」
「別に生態まで知りたいとは思わないし。さんきゅ」
一言礼を言うと伊村はくるりと首を戻した。
白西は額の汗を拭った。
オオルリから目を離し前に戻して「あ゛~」と、情けない声を上げた。
目の前には、スキー場の初心者コースくらいの緩やかな傾斜が見た所五十メートルくらい続いていた。 坂の途中にカーブがあるので実質百メートルくらいだろうか。すでに五キロは走ってる足に百メートルの坂はかなりの負担だ。
それこそ、ランナーズハイにでもならない限り残りの五キロを走り抜くのはキツイ。
入学してから学園のランニングコース五一の内一四を走ってきたクラス一同だが、経験した中で一番長い坂だ。
白西は辺りを見回す。男子、女子ともに同じノルマを課せられているのだが文化系組は顔を真っ青にしている。
屋内業務を希望しているような物には地獄だろう。
大きく上下する肺に森の清涼な空気を送りこみ息を整えて、緩やかな勾配を上がって行く。
アスファルトを蹴る足はずきずきと痛み、動悸が激しくなる。
みんなはどうなんだろうと、気になり見回すと至って平気な顔をして走ってるグループと地獄行きが宣告されたような顔をしているグループ、白西と同じくらいの疲れが表れているグループと分類出来た。
所属してた部活の差か?と思いつつネガティブ思考になって余計疲れないようにするため道路横の森に視線を送る。
山の傾斜には針葉樹の代表であるヒノキが乱立し、根元にはシダ植物と背丈が低い草花が繁茂し緑色の苔が幹の一部を覆っていた。
道路と側溝の間にはオオバコと、どこでも見る事が出来るタンポポが黄色い花を咲かせ頭上ではシナノキの葉を透過した光が緑色のトンネルを幻想的に照らす。
時々吹くひんやりとした心地よい風が火照った体を冷まし、木々を揺らし葉の間から差し込む光が点滅しキラキラと輝き、森特有の土の匂いと木の葉や幹から出る香りが鼻孔をくすぐった。
地面にしみ込んだ水が集まって作り出す川のせせらぎや様々な鳥が織りなす美しいさえずりが白西の耳朶を打つ。
普段何気に生活していると気付かないような自然の芸術がそこにはあった。
疲れているせいか、妙な感覚が白西の中を走る。
自然に包まれているようなおかしな感覚だ。
白西は一瞬ランナーズハイにでもなったかと思ったがすぐに気付いた。
疲れが取れるなんて事はないが、すこしゆったりとした安心するような気持ち、癒しやリラックスだ。
森林浴はリラックス効果があるのは知られているがこうも分かりやすく実感するのは初めてだった。
これが森のリラックス効果かと、白西は驚愕する。
森の秘められた力にそそられつつ坂を登る。
坂の中盤にカーブに差し掛かり後ろを見ると大きく隊列が乱れていた。
なにしろ五十メートルの匍匐前進二往復|(男子だけ)をやらされた後の十キロ走だ。
文化系組は隊列から大きく外れもう歩いた方が早いんじゃね、という速さまでスピードダウンしている。
あれは待った方がいいんじゃないかと思っていると、隊列に「停まって」と先頭を走る日直が隊列に号令を掛けた。残り三分の一のところで『ピリーリー、ポィヒーリー』と、オオルリが鳴いてる初夏の森の中クラス全員が道路に腰を落とす。もう汚いよりも休みたいの方が欲求がみんな高かった。
白西は空を仰いだ。葉と葉の間から零れる眩しい日の光を目に受け目を細める。
(はやく水飲みてー)
予想以上に喉が渇き今度からは飲み物を持って走ろうと思ったが、一番最初のランニングで走ってる最中に水を飲んで物凄い腹痛に襲われたのを思い出しどうしようか迷っていると、クラスの男子一人が「もう隊列崩して自由に走った方がいいと思う」と、言い出した。
それに男子、女子ともに賛同する。日直は思案顔になった。誰か時間内に完走しなかったらそのクラスは二キロ追加になるのでそこも考慮しければならない。
しばし考えた後日直は「民主主義的に多数決で。じぁ賛成派は挙手」と、言って挙がった手の数を目で数える。
「満場一致って事でこっから自由走」
「満場一致じゃねーよ。後ろ」
そう言って一人の男子が列のずっと後ろを走ってると言うより歩いてる数人を親指で指し示す。
「ああそうだった。どおりで少ないはずだな」
と、言ってから声を大にして徒歩組に伝える。
「こっから自由走になるけどいいよな? あと歩くな!」
徒歩組は何回か頷き、少し早足で隊列へ向かう。
「じゃ全員揃った所で、隊列解除」
日直が告げるよそれぞれ個人のペースで走り始め隊列は崩れた。白西は取りあえずペースを保ちつつ坂を駆け上がり、ようやく坂を登り終え膝に手をついてふぅと一息吐いた後くにゃくにゃと蛇行した道を走る。
「よっ」
声が聞こえたと同時に右肩を叩かれた。
白西は声がした方を見ると淡島が額に汗を浮かべながら爽やかな笑顔を浮かべる。
「おう。あれ、お前先頭の方で走ってなかったか?」
「ああ、疲れたからペース落とした。別に競ってるわけじゃないし」
「俺はこれでも結構きついぞ……」
「まあ頑張れ」
励ましよりお前の体力をくれと内心そう思いながら、別の話題を振る。
「それより聞いたか。ただでさえ薄給の俺たちの俸給がまた減らせれるらしいな」
「まじかよ。バイト解禁してもらわなけりゃ月一で外食すら出来なくなる」
「早いとこ仕送りの量増やしてもらわないと、レニングラード包囲戦みたいに悲惨な状態になる……」
「いやいや。さすがにそこまでひどくはならんだろ」
「んー。じゃあABCD包囲網で囲まれた日本か」
「訳わかんね」
「取りあえず切り詰めだな」
「そうだな」
お互いの意見がまとまり頷き合う。
「あ、あとこれも知ってるか」
淡島の発言に白西は耳を傾ける。
「ん? 何」
「いや。話たまたま聞いただけなんだけど。化学んところの保管室からなんかの薬品がなくったらしい」
「おいおいそれって結構やばくないか。もし毒とかだったら」
「毒じゃないらしいが、なんかの治療薬とかだったような……」
「治療薬だけ盗んでも意味無いだろ」
「そうだよな…………」
二人ともしばし黙り込んだあと白西から沈黙を破った。
「この前の新宿の自爆テロと関係があったりして」
何気ない調子で言ったのだが淡島が真面目な表情に、緊張が高まる世の中でこの言葉は禁句だったと、言葉の選択に失敗した事を後悔する。
「……さすがにそれは無いと思う」
「……まっ。そうだよな。なんったて此処は軍の管理区。侵入しようとしても何重にも施されたセキュリティーに捕まって追い返されるしな。セキュリティーなら刑務所以上とか聞いたことあるし」
淡島の否定に白西は同意する。
さすがにこんな身近にテロリストが居るなんて考えただけでもぞっとする。
十代で死去なんて冗談でも笑えない。 絶対寿命まで生きてやると、白西は心に誓う。
「大体、新宿で自爆テロ起こした人共会? だっけか? どういう団体なんだ?」
淡島の問いかけに「さあ、テロリスト?」と、白西はそっけなく返す。
「テロリストでも色々あるだろ? 過激派とかなんたら主義だの何とか原理だの」
「悩んでも仕方ないだろ。ここは詳しそうなのに聞くか、後でネットで調べるしかないだろ」
「詳しいって、伊村か?」
「いやいや、伊村は雑学担当だから。政治とか詳しそうな……」
白西は辺りを見回し、的確かつ分かりやすく説明してくれそう人物を探す。
「ここはやっぱあの人か」
白西の独り言に淡島は首を傾げる。
***
「ん、人共会?」
鈴のように澄んだ声が白西の耳朶を打つ。
黒真珠のような綺麗な光沢を放つ黒髪が特徴的な、スラリと背の高い和風美人な神成榎美は白西の問いに少し思案した後、口を開いた。
「えっと。早い話、アナキストの集まりだったと……思う」
「まずアナキストって?」
白西が聞き慣れない単語に小首を傾げる。淡島も同じように疑義を抱く。
「んーと、無政府主義者の事だったかな」
「無政府主義って、法が乱れて政府が機能していないような状況の事か?」
淡島が頭に浮かんだ疑問を問う。白西もそこに新たなる疑問が浮かんだので、聞き逃すまいと耳をすませる。
「いや、そう言うのじゃなくて……何て言えばいいのかな……」
と。暫し沈思黙考し後を続けた。
「じゃあ例えで、私たちって基本的に私たちって統率を取るため何かしら支配されてるじゃない。法律とか……でも実際法律なんてほとんど知らないし普通に生活していれば不便になる事なんてそんなにない……と思うの。そうすると『政府は国民を法律と言う名の理不尽な鎖で結びつけている』と、結論付けてもあながち間違えじゃない。そういう風に考えると『政府の存在が個人に絶対必要と言う訳じゃない。むしろ邪魔な存在』と言い出す人たちも出てくる訳。そういう思想や主義を掲げる人たちが無政府主義者、アナキストって言うの。実際無政府主義の中にも色々あるらしいけど」
「「ふんー」」
白西と淡島は揃って頷く。
ただのニュースで見る『テロリスト』という単語だけでは曖昧な輪郭から説明を聞いてくっきりとした
組織の目的が浮かび上がる。
彼らが掲げる思想には共感しかねるが、無差別殺人鬼の集まりのような組織じゃなくて良かったと少し安堵する。
「ありがとう。お陰で勉強になったよ」
白西が礼を告げると榎美は「どういたしまして」と、言って白西達から離れる。
「……まぁ、そう言う事らしい」
「お前が言うなお前が」
白西の発言に淡島がつっこみを入れる。
結局のところ日本は外と国内の両方の敵と戦わなければならないのだ。
外は、アメリカや中国を代表とする連合国。国内では人協会などの政治犯。日本はここ数十年他国の戦争に介入し、一度隣国と戦争している。
そして、今年の四月に絶対に避けなければならないアメリカと中国、ロシアを中心とした連合国と日本を中心とした協携国との戦争の火蓋が落された。
今も遠く離れた中国大陸では銃弾が飛び交ってるかもしれないが、学園内はそんな事を感じさせないくらい長閑な風景が広がっている。
白西は腕に付いたSDカードくらいのサイズの携帯端末に視線を落とした。
CPSと時計が内蔵された小さなデバイスは現在時刻とその下に残り時間、走行距離が百分の一メートル単位で表示されている。
「残り三,五キロか……」
表示された距離に一憂しつつももうひと踏ん張りと疲労が溜まった足で大地を蹴る。