学生寮2
白西はまな板の前で慣れているとは言い難い、危なっかしい手つきで包丁で野菜を切っていた。
学校の授業でしか料理をしていなければこんなもんだろう。
ルーの箱に表示されている通り、ニンジン、タマネギ、ジャガイモを小ぶりに切り、サラダ油を引いた鍋にこれらの食材と豚肉を入れ炒め木ベらかき回し水を入れ弱火にし蓋を被せると、一歩横にずれ今度は流し台の前に立った。
食材を切るのに使った包丁やまな板を洗い水切りかごに置き手に付いた水滴を払う。
「はぁー終わった……」
そう呟くとベットに歩み寄りバタッと倒れこんだ。
「なんか面白いのやってんのか?」
首をひねり、ベットを背もたれにして座っている美乃に尋ねる。
すると胸を反らして頭を逆さにして美乃は白西の顔へ視線を移し
「さっきねー、動物園の特集やってたよ」
と、言ってテレビへ視線を戻した。
「ふーん……戦争中なのにテレビは呑気だな」
淡泊な感想を述べテレビへ視線を向ける。
画面には、ほのぼのした動物たちでは無く綺麗なニュースキャスターが
今日の出来事を次々と伝えていく。
殺人事件もあれば、交通事故、有名人の熱愛などジャンルは問わず様々な出来事を伝えている。
白西は涅槃仏の様に右腕を枕代わりにし、テレビを眺める。
スポーツや町中のおいしいレストランの特集を眺め美乃が「食べてみたい」や「ここ実家から近いよね?」などの他愛のない雑談を聞きながらそろそろルー入れるかと、起き上がろうとした時、目を惹くある特集が組まれていた。
白西は涅槃仏からベッドに腰掛けまじまじとテレビを見る。
画面下のテロップには『平和を知らない子供たち」と、表示され画面の端から教育評論家と言う肩書きの男性が現れ中央に用意されているイスに腰掛ける。
そして今の教育の現状などと言って話し始めた。
時々その男性の口から戦争世代などの言葉が飛び出す。
そのたびに眉を顰めた。
戦争世代とは平和な時期を知らない子供たちの事だ。
日本は戦争とは無縁の生活を送って来た。
影響は受けても物理的被害は皆無。戦争は歴史上の出来事か対岸の火事で少々熱い風を浴びるくらいの事しか考えていなかった。
そんな中、平和憲法の元平和主義的な教育を施していた日本は一世紀近く戦争をしてこなかった。
日本に戦争を仕掛ける事はアメリカと戦争をする事でありなんの利益もないからである。
そんな安全神話はアメリカの力が弱まるにつれて崩れ始め、中国の経済疲弊により完全に崩壊した。
その後日本は第二次大戦のアメリカのように軍事大国化し始めた。
アメリカが二年かけて行った軍事力強化を一年で完了し、その軍事力は他国に脅威を与える程にまで成長した。
戦争世代とはちょうどその時期に生まれた子供の事だ。
今の十代から二十代がそれに当たるだろう。
男性は戦争が人格形成に影響を与えるなどの主張を具体例に例えた後現在の教育と三十年前の戦争教育の違いなどをプレゼンしたあと、どこかの小学校の歴史の授業を撮影した映像に切り替わった。
授業内容は第二次世界大戦。
見た所変わった所は無く、自分が習ったのと同じだなーと思って見ていると画面下にテロップが現れナレーターが内容の違いなどを言う。
そして画面が切り替わり男性が映し出され、結論として戦争教育に齟齬があると言って席を立った。
白西は、はぁーとため息を吐いた。
尻目で美乃の様子をちらりと窺う。
さぞかし、つまらなそうな顔をしているかと思ったが予想に反し真剣な表情で見ている。
こいつこんな顔出来るんだなと普段見せない表情に少し驚きつつ白西は立ち上がった。
美乃はテレビから視線を外し立ち上がった白西を上目使いに見る。
「ねえカレーまだ?」
いつもの笑顔で尋ねた。
「もう少し」
白西はそう言うとキッチンの方へ向かった。
***
周りの大人は「君たちが生まれる前は平和だった」が、口癖だった。
ニュースで侵攻や応戦などの単語が出てくるたびにそう言っていた。
そうやって同情の念を送ってくる大人は平和のために抗議する訳でもなくニュースや新聞で侵攻、
陥落、応戦、撤退などの単語を見つけるたびにそう言っていた。
そう言う大人よりかはさっきの人の方がましだろうと白西は思った。
主張の中にかなり婉曲的な表現で反戦の意があったからだ。
明日からあのワイドショー無くなってるなと、適当に予想しつつ目の前のカレーを口に運ぶ。
不味くは無いが上手くもない普通な味だった。
白西はさっきのチャンネルのまま夕飯を食べるのも居心地が悪いので芸人がバカ笑いしているようなチャンネルに変えた。
リモコンをテーブルの真ん中に置きテレビの向かい側のポジションを譲らなかった美乃に感想を尋ねる。
「美味いか?」
「そんなに美味しくない」
間髪入れずに即答だった。
「そこは、嘘でも美味しいくらいは言って欲しかった」
「だって、あまりにも普通でさー」
「確かに普通だなって思ったけど!」
「なら良いじゃん。素直で」
美乃は軽い調子で言うとカレーを一口、口に運び咀嚼する。
「ところで、夕食ってどうしてたんだ?」
白西はふと疑問に浮かんだ事を聞いた。
どうせ毎日外食だろうと思っていると予想外の答えが返って来た。
「自炊してるよ」
「えっ?」
「なんで、『えっ』なの!」
仏頂面で美乃は聞き返す。
「なんでっ。て、じゃあなんで五百円になるんだよ」
「それは……」
美乃は俯き指を弄り始めた。
「………………冷凍食品が……」
聞き取れないくらい小細い声で呟いた。
「ん、今なんて?」
白西が聞き返すと少しの間呻ってバッと顔を上げて声を張り上げて言った。
「だから、冷凍食品が高くて!」
「ああ……なるほどな」
白西はスーパーに陳列さてた冷凍食品を思い出して頷く。
ここで売ってる冷凍食品は基本的に主菜と副菜のセットで売られている事が多い。
学園は自炊を推薦しているため、基本的に野菜や肉、調味料は安いが冷凍食品や惣菜は高いのだ。
理由としては山奥にあるため、商品の搬入が制限されているからだろう。
早い話、定価より高く売っても商品数は限られているため売れるのだ。
「つまり自炊じゃなく、冷凍食品買い溜めしてたと言う訳か」
「……はい」
美乃は申し訳なさそうに頷いた。
「それに加えて帰り道で買い食いと?」
「……はい」
「それは、五百円にもなるな」
白西は当たり前だろと言うかのような口調で言う。
「大体あれだけお店があるのにバイト出来ないのがおかしいんだよ!」
「俺に言うなよ。それに全部一から作れば結構手元に残るぞ」
「一からって?」
「材料切る所から」
「一回それやってみたけど、鍋に炭が出来たよ」
「焦がし過ぎだ!」
「結局買った方が楽なんだよね」
美乃は結論付けるとスプーンを置いて付け合わせのサラダに手を伸ばす。
フォークでレタスを刺し瑞々しい音を鳴らせた後口に運び、白西はコップの水を一杯飲みに含んでカレーをほおばる。
テレビからは芸人やタレントが出題された問題に答える雑学系クイズ番組が放送されている。
何と無く白西がテレビを一瞥しカレーに視線を戻そうとした瞬間画面が臨時ニュースに切り替わった。 二人とも何事かと思いテレビへ目を向ける。
男のニュースキャスター『番組の途中ですがニュースをお伝えします』と、言って時々目線を手元の原稿に落しながら読んでいく。
白西と美乃はじっとテレビを見つめ、耳を澄ます。
後退か前進か、その二つの単語が白西の頭を駆け巡った。
『現地時刻午後五時三五分。日本陸軍からの報告によると中華人民共和国の首都北京を占領との情報が入りました――』
アナウンサーが繰り返し同じ事を言って、そろそろさっきのクイズ番組に戻るかと思っていたところバタバタと騒がしい音がテレビのスピーカーから聞こえた後またさっきのアナウンサーが血相を変えて、新しく受け取った原稿を読み始める。
『先ほど新宿駅で大きな爆発のような物が確認されました。爆発の原因はまだ不明で、無数の市民が巻き込まれたと思われます』
映像が間に合っていないのか、アナウンサーはカメラ目線ではなく画面の横からちょこちょこと現れるヘッドセットを付けた男性の方へ顔を向ける。
「物騒だな」
白西は思わず呟いた。
美乃もその言葉に「そうだね」と返す。
テーブルの中央に置いたリモコンを取り白西はチャンネルを回していく。
どれも同じような事をやっていた。
そして唯一バラエティ番組をやっていたチャンネルを見つけリモコンをテーブルの中央に置いた。
画面の上部に事件の事を伝える文章が流れるが番組は変わらず通常通りに放送している。
呑気なテレビ局だなっと、思いつつ白西はカレーを口に含む。
暫し無言で二人はカレーを食べた後、美乃がかたっと音を鳴らしてスプーンを置いた。
白西はその音に反応し食器に向いていた顔を上げた。
そして空になった食器へ視線を落とした後、美乃の顔を見る。
「食うの早いな」
「お腹減ってたしね。あーなんか辛い物食べたから甘いもの食べたいなー」
美乃は白西の顔を物欲しそうな目で見つめる。
白西はダメと視線で返した。
「やった」
なぜか悦ぶ美乃を白西は怪訝そうな目で見る。
「なんで、『やった』何だよ」
「だってこれから買ってきますって返事でしょ」
「んな訳ねーだろ!」
語気を強くして白西は言った。
「えー買って、買って、買ってー」
駄々を捏ねる美乃に呆れて声も出ない白西に美乃は方針を変えて新しい案を出す。
「ねえじゃあトランプで決めようよ」
「なぜ、トランプ?」
頭にクエッションを浮かべる白西に構わず、美乃はベッド下の収納スペースからトランプを取り出す。
「おい、なんでトランプの場所知ってんだよ」
なんの迷いもなく的確にトランプを取り出した事に白西は驚愕を露わにした。
美乃はさも当然のように「だって、実家でもここに仕舞ってあったじゃん」と、言って親指で小さな収納スペースを指し示す。
「お前はどこまで俺の部屋を把握してるんだよ」
「ほとんど」
美乃は一拍の間も無く即答する。
白西は背筋を寒気を感じつつ残ったカレーを口の中にかっこんだ。
もぐもぐと口を動かしゴクッと飲み込みコップの水を飲み干す。
美乃はトランプをシャッフルしながら「なにする」と、やる気満々だ。
「だから、俺は……あー分かった。だがやる前に食器を片付けろ」
白西はすこし語気を強めて命令口調で言うと、美乃はトランプをテーブルの隅にトランプを置いて食器を積み重ね流し台に置いた。
白西も後を追う様に使った食器を積み重ね流し台に置く。
そして二人揃って、さっきと同じ場所に座ると美乃はトランプを持ちこれでもかとシャッフルする。
「取りあえず条件を決めよう。俺が勝ったらデザート無し、と言うか早く帰ってくれ。そして美乃が勝ったら、コンビニまでパシリしてやる。これでいいな?」
「うん。じゃあ何する?」
「セブンブリッジ」
「なにそれ、スピードでいいよね」
「それはお前が無双で瞬殺されるから無理」
「えーじゃあ、神経衰弱でいいよね」
そう言って美乃はテーブルに裏返しでぐちゃぐちゃに並べる。
「それでいい」
一五分後
白西は寮の自動ドアをくぐり外に出た。
冷たい風が頬を撫でる。
風が木々を揺らし一斉にザーっと、音を立てた。
暗闇にぼんやりと浮かぶ森は昼間とは違い不気味な感じがする。
神経衰弱はぼろ負けだった。
模擬戦で運を使い果たしたんだなと、白西は思う。
自分が捲って外れたな数字を次の番で美乃が別の絵柄で、
同じ数字を引き当てる事を十回近くあった。
もはやついてるついてないの次元ではなく、運の神様が完全に美乃の味方をしているようにしか見えなかった。
白西は空を仰ぎ「おぉ」と、思わず声を上げた。
都会のように邪魔する光が少ないため、黒い大地に何百粒ものダイヤモンドを散りばめたかのように無数の星が輝いていた。
手が届きそうな星空に感動しつつ、白西は寮の敷地を出て左に曲がり数十メートル進み大通りに出て右折、通りを南下し街にもう一つあるスーパーを尻目に歩みを進める。
程なくして窓から煌々と光が漏れる目的地のコンビニに辿り着いた。
コンビニの周りには誘蛾灯のように光につられて虫が飛び回っている。
白西は自動ドアをくぐり、コンビニに入る。中には数人の男女が店内を物色していた。
向かい側の冷蔵庫の方へ向かい頼まれていたプリンを手に取り、ついでに飲み物の補充と1.5リットルの炭酸飲料のペットボトルを持って会計を済ましてコンビニを出る。
と、そこで白西は足を止めた。
「神成さん?」
白西の声に榎美はそちらを向く。
「あっ白西君。買い物?」
榎美は白西の手元のレジ袋を一瞥してからそう言う。
「神成さんも買い物ですか?」
何と無く尋ねた。
「いいえ私は買い物じゃなくて……小坂さん知らない?」
「えっ? 美乃がどうかした?」
白西は一瞬迷ったが適当にぼかす。
「えっと実は、小坂さん宛ての宅配便、留守だったから代理で受けとってるんだけど。時々ガサガサと動くし何かと思って探してるんだけど……」
「がさがさ?」
白西は訝しげな顔で聞き返した。
「うん」
榎美はゆっくりと頷く。
「…………うん、分かった。見つけたら言っとくよ。おそらくあと少しで帰ってくるだろうし」
白西は少し逡巡して妥当な言葉を返す。
「うん……」
白西の言葉に半信半疑ながら頷き踵を返す。
その後ろ姿を見届け見えなくなった所で、ぼそっと「何が送られたんだ」と、呟いた。
来た道を辿り、白西は自室に戻る。
「宅配便届いてるらしいぞ」
白西はレジ袋を机に置いて榎美から聞いた事を美乃に伝える。
ふーんと頷き立ち上がろうとした所に着信を伝える音が携帯電話から鳴った。
美乃はスカートのポケットをまさぐり携帯電話を耳に当てる。
うんうんと頷いた後、「やった」と、声を上げた。
「どうしたんだ」
疑問に思い尋ねた。
美乃は携帯電話を仕舞い立ち上がる。
「なんかね、野菜とか乾緬とか生きた蟹とか送ってくれたみたい。たぶん宅急便の中身はそれだと思う」
「蟹?」
驚愕の中身に仰天している白西を尻目に 嬉々満面で袋の中のプリンを取ると玄関の方へ
向かって行った。
白西はフリーズ状態から戻り絶対寮内で見つかるなよと、声を掛けるとうんと美乃が返事をする。
美乃はガタガタと騒がしい音を立てて部屋を飛び出す。
白西はその後ろ姿を見届けた後ベッドに倒れこんだ。
テーブルに手を伸ばしリモコンを操作しテレビの電源を切る。
そして頭を枕に乗せようとした瞬間、後頭部に硬いものが当たった。
自分の後頭部辺りを弄り硬い物体を目の上にかざす。
大きさは九センチくらい 赤いその物体はアーミーナイフだ。
ナイフやはさみが出てたらと、想像すると背筋に背向けが走る。
白西はアーミーナイフを制服の胸ポケットに入れ。目を瞑った。
すこし横になってるつもりだったが、色々あって疲れたせいかすぐに眠気が襲ってくる。
「食器洗わないと……」
そこまで言って白西の意識の糸はぷつりと切れた。