学生寮
寮と言っても外見はマンションと言った感じだ。
五階建ての横に驚くほど長い寮は、特に豪勢でもなければ質素でもない。直方体の学生寮は正角形のパネルを組み合わせた様な模様で、外から見える廊下は一定の間隔で壁が設けられ巨大なオセロボードのようだ。
白西と美乃は寮のエントランス前の駐輪場の生垣に身を潜めていた。
「ちょっとここチクチクして痛い」
白西は人差し指を立て口の前まで持ってきて静かにするようジェスチャーで伝え、プラスチック製の壁と地面の隙間から辺りを伺う。
寮に入ろうとしたら人が来たので慌てて美乃の手を握り生垣に飛び込んだのだが、タイミング悪く引っ切り無しに他の男子生徒が出入りしている。
おそらく買い物だろう。
人が途絶える様子は無く手ぶらの生徒が寮から出て、買い物袋やレジ袋を持った生徒が寮へ入っている。
面倒な時間帯にぶつかったなと、苦虫を噛み潰したような顔をする。
辺りは薄暗く風は冷たかった。
白西は美乃の方を向く。
薄暗い中ちょっとしたスパイ気分とでも思っているのだろう。
分からなくもないが、こっちはそれどころではない。
「なんか、かくれんぼしてるみたい……小学校思い出すな……」
「かくれんぼならその場に留まってればいいけど、こっちは見付からないようにエントランス入って五十メートル見付からないように走って、誰にも見付からないようにエレベーターに飛び乗らないといけないから結構難しいぞ、これ」
「あー寒い。早く入ろ」
そう言って美乃は肩を抱く。
「自由だなお前」
白西は再度、壁と地面の隙間から周囲の様子を伺う。
足音は無く人の姿もいない。
飛び出すべきかと頭を抱えた。
エントランス入口は誰もいない。だが門はどうだろう、丁度ここからはコンクリート製の門が邪魔で見えない。
エントランスと門の両方に視線を走らせる。
数秒の葛藤の後、白西は「いくぞ」と、声を掛け美乃の手を握り生垣を飛び出した。
門の方を一瞥し、奇跡的にも人がいない事を確認しそのままエントランスの自動ドアをくぐりエントランスへ入る。
大きめのソファーとパーテーションで仕切られた荷物置き場を尻目に見ながら、
エレベーターへ猛ダッシュする。
と、そこへエレベーターの扉が開き中から四、五人ぞろぞろ出てくる。
やべっと、丁度横にあった階段の方へ飛ぶ。
急に方向を変えたのと美乃を連れていたせいか足がもつれ白西は床を派手に転がる
その上に美乃が圧し掛かかりプロレス技のように白西を完全にノックダウンさせた。
ぐはっと肺から残らず空気を吐き出した。
「痛ったー。全く、急に方向変えないでよ」
そう言って白西の腹の上で起き上がる。
またぐ様な形ではなく、ベンチに腰掛けるような感じだ。
「うっ……」
美乃は頭を白西の顔の方へ向けた。
「あっ! 死んだらダメだよ。そしたら、十日間何を食べて生きていけば――あっでもお葬式で何か食べられるかも! あーでもなー……」
「なんで迷ってんだよ!」
「あっ起きた」
「……早く退いてくれ」
白西がそう言うと美乃は、すっと立ち上がった。
腹からの圧迫から解放され、むくりと立ち上がり手に付いた埃や砂を叩いた
はた
。
「全く、勝手に殺しやがって」
「悪いのはそっちじゃん」
「本をただせばお前が――」
と、言いかけて白西は口を閉じた。
今はこんな所で言い争いしている場合ではない。
下手したら見つかって学園の指導室で何時間にも及ぶ生活指導と言う名の尋問を受ける事になってしまう。
「冤罪だ」と、言っても男子寮に女子を連れて来たのは事実。
放っておくと勝手に寮を歩き回って、見つかったら俺の名前を出して巻き添えを喰らうと思い、見つからないよう一緒に行動していたのだが結局断った方が良い選択だったのかもしれない。断っても付いてくる確率は大だったが……。
結局後者が一番の選択か……と、適当に結論付け白西は美乃の手を引き、足音を立てないようにゆっくりと、階段を一段ずつ上る。
一階、二階と、なんとか誰にも見付からず三階まで上る事が出来た白西達は三階から四階に続く階段の壁に身を隠す。
三階の廊下からは見えないが、もし四階から下りてくる人がいれば(よほどの事が無い限りあり得ないが)怪しまれるので、廊下と階段の両方を気にしつつ、白西は壁から頭だけ出す。
同じ形のドアが立ち並ぶ廊下には、奥の方に同じ制服を着た生徒が五~六人が談笑に浸っている。
白西はゆっくりと頭を引っ込めた。
すると一段上がった所に居た美乃が内緒話をするかのような小さな声で言った。
「ねえ何で、なんでそんなこそこそ行くの?」
「説明会寝てたのか? 男子寮は女子禁制。女子寮も男子禁制だろ」
「あー……そう言えば言ってた気がする……」
「メモする癖付けとけよ。お前はすぐ忘れるから」
「そうかな……」
「そうそう、明日になればこの会話も忘れてるだろうから」
「そんな事無いって!」
美乃がすこし声を大きくして言った。
白西は慌てて右手の人差指を立て口元に寄せ静かにするようジェスチャーで伝える。
恐る恐る壁から顔を覗かせ、誰も階段の方を見ていない事を確認すると白西は、
ほっと胸を撫で下ろす。
美乃は怪訝そうに白西を見た。
「何してんの?」
「人がいんだよ」
「どれどれ」
美乃は壁から顔を出し廊下覗く。
「あっほんとだ」
「だろ?」
美乃の言葉に相槌を打った。
「でも、あの距離なら分からないんじゃない?」
「万が一もあるだろ」
「でも……たぶんもう少し、したら余計に出にくくなると思うよ」
「お前の勘は当たるから怖いんだよ」
美乃は頭を引っ込めた。
「今行った方が楽だと思うけど」
「そう思うか?」
「そう思う!」
美乃の進言に白西はズボンのポケットから、図書カードくらいの大きさのカードーキーを取り出す。
「見つかって状況を説明するのめんどいから、俺の後ろに隠れてろ」
美乃はコクリと頷いた。
「よし」と、いつもより少し早めに歩を進める。
いくつも並んだドアを尻目に見ながら、早足で目的のドアまで向かう。
四十メートル程早足で歩き白西は一つのドアの前で立ち止まった。
急に立ち止まったせいで美乃は背中にぶつかる。
白西は少しよろめいたがすぐに態勢を立て直し、談笑に興じている男子生徒達に背を向け美乃が見えないようにし、カードキーを読み取り口に差し込む。
読み取り口の上部に付いたランプが赤から青に変わり、カードキーを引き出しドアノブを勢いよく捻りドアを開ける。
特殊部隊が秘密裏に人質を救出するかのように足音、物音一つ立てずに白西達は部屋に足を踏み入れドアを閉める。
白西はドアに寄り掛かり、美乃は壁に寄り掛かった。
「はぁー」
「ふぅー」
「大丈夫……だよな?」
「たぶん……」
「…………」
学生寮の一室の玄関が沈黙に包まれる。
一秒くらいの無言な時間が続いた後白西は口を開けた。
「ばれてたら、二人揃って対尋問訓練受けるか」
落胆した様子で言うと、
「え゛」
美乃は眉を曇らした。
対尋問訓練がどれだけ厳しいか、聞いたことがあるからだろう。
尋問官に心の隙を突かれないように沈黙を続け、秘密を吐かせる為に暴力が振るわれたら大袈裟に痛がり、時には気絶した振りをし体力を温存する。
暴力ならまだいいが、俗に悪魔の部屋と呼ばれる尋問は単純な暴力より過酷だ。
暗い部屋に閉じ込められると簡単な物だが、一日も経てば閉じ込められたら精神は錯乱し最終的には発狂するらしい。
さすがに訓練なので、一時間で終わるようだがそんな事聞かされてやりたいと思うのはその手の趣味の人だけだろう。
美乃はぶるっと体を震わせた。
「一人で受けて来てよ」
「生活指導受ける前に尋問訓練受けといた方がいいだろ。どうせある事無い事自白させられるのなら、それに抵抗する手段としてさ」
「でも……さすがに……」
厳しい様子で言う。
「まあ、ばれたらの話だから。取りあえず上がれよ」
美乃はその言葉に従い靴を脱ぎ部屋に上がり、その後に続いて白西も靴を脱ぎ自分の部屋へ上がる。
「あれ? めずらしいな」
「えっなんで?」
白西は狭い正方形の廊下の奥、玄関の真正面にある扉の前で立ち止まっている美乃に違和感を覚え声を掛ける。
「いつもは勝手に上がってるから……」
「いやーここは、ちょっと待っててくれって言われるかもと思ってさ」
「別にそんな気遣い要らないから」
「そう、じゃーどんな部屋かご拝見ー」
妙なテンションで美乃はガチャっとドアを開ける。
「えっ?」
きょとん、とした様子でその場に固まっている。
行き場を失ったさっきのテンションが空回りしたかのように困惑な顔をしている。
白西はその反応を怪訝に思いながら自分の部屋を覗く。
フローリングの床にはテレビとその横にゲーム筺体、それの向かいにノートパソコンが上に載った折りたたみベッドがありその間に木製のテーブルが置かれている。
首を左に回せば、一人暮らしには十分なキッチンがあり作業台の下の一部の空間は洗濯機が填まっている。
見た所どこにも異常はない。
疑問に思い白西は尋ねた。
「なんだ?」
白西が聞くと美乃は人差し指を立て部屋をビシッと指差すと驚愕な表情で言う。
「変わってないじゃん」
言葉の真意が分からず、訝しげな様子で白西は聞き返した。
「だから、なにが?」
「部屋だよ、部屋! 家具の配置が伊吹ん家の部屋とほとんど変わって無い!」
「ああー」
と、白西は頷いた。
「なんか、家具の配置変わると眠れなくてさー」
白西は笑いながら背中を掻きながら言った。
「つまんない。ここは、新しい生活で心機一転とかでちょっとこだわってみたとかやってよ!」 美乃は口を尖らせて言う。
「なんで、そんな事しなくちゃいけないんだよ」
「そうしないと面白くないから」
「なんで部屋の家具の配置変えると面白くなんだよ」
「それは、その……」
美乃は言い淀み辺りをキョロキョロと見回す。
「なんで面白くなるんだ」
追い打ちを掛けるように、白西は不敵な笑顔を浮かべる。
スーパーの前では色々してくれたからなーと、さらなる追い打ちを掛けようと口を開こうとした瞬間。
美乃は首の動きを止め俯いて唸るとバッと顔を上げ
「んー……あーもう、ともかく面白くないの!」
二回地団太を踏んでそう言い放ちベッドにダイブ、布団が乗ってるだけなので布団では衝撃は吸収しきれずゴツンと鈍い音が白西の耳に届く。
白西は理不尽な言い分に眉を顰めたがその音を聞いて一瞬骨組みが折れたんじゃないかと心配になり慌ててベットに駆け寄る。
「痛ったー。クッション性全然ないじゃんこれ」
美乃はベッドに腰掛け涙目になりながらぶつけたおでこを右手で押さえ、
左手でばしばしとベッドを叩く。
「訳の分からない言い訳して、飛び込んだからだろ」
と、言って白西はカバンと買い物袋を机に置きベッドの表面を撫でる。
骨組みは折れていない事を確認し、後でめくって確かめた方がいいなと心の隅に書き留めた。
「それは伊吹が責めるから……」
うるうると目に涙を溜め上目遣いで白西を見つめる。
「別に俺は、責めたつもりじゃ無いんだけど」
「…………ドS」
美乃は視線を逸らし、小声でぼそっと呟いた。
「なあ、うやむやにしようとしてるだろ」
真顔で抑揚なく白西は美乃に言う。
美乃は少しの沈黙の後おちゃらけた笑顔で返した。
「……ばれた?」
そして愛らしく首を傾げる。
「ばれたって……何年顔合わせてると思ってんだよ」
白西はその様子を見て呆れ顔で言う。
「うんー、効かないか……。今度からは違う手を使うよ」
「使わんでいい」
「えー」
美乃は不満そうに頬を膨らました。
「大体中学の数学で懲りたんじゃないのかよ」
「えーっと、んーとー、ああーあれね」
美乃は視線を天井のあっちこっちに移しながら唸った後頷いた。
「あの時は大変だったなー。分かんないのに指されて、うやむやにしようと時事問題聞いたら誤魔化すなって怒られて、クラス全員宿題三倍になったんだっけ? 結局クラス全員出さなかったんだけど」
「そのせいでテスト範囲が二倍になったのは覚えてないのかよ」
「そうだっけ?」
美乃はにこやかに微笑んだ。
「そこが一番迷惑くらったんだよ」
白西はテーブルの片隅に置かれたデジタル時計を一瞥し「そろそろ夕飯作らないと」と言って買い物袋を持ちキッチンへ向かった。