↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

国立たぬき案内(平成版)

作者: 茶ヤマ
掲載日:2026/10/10

国立へ行ったことがないけれど、国立市観光オフィシャルサイトを見て、その場を歩いた気になって、平成の頃にさかのぼった気分になり、空想で書いたものです。

しかも、たぬき目線です。

国立(くにたち)には、たぬきが多い。

そう言うと、たいていの人は笑う。


「国立? あの大学のある国立?」


そう、その国立である。


中央線の電車が、立川と西国分寺のあいだを走っている。

新宿からなら三十分ほどだ。

立川にも行ける。

西国分寺にも行ける。

その先には、さらにたくさんの町がある。


つまり、東京を旅したいなら、国立はなかなかいい場所なのだ。

ただし、たぬきが電車に乗るには、人間に化けなければならない。


人間に化けるのは、そんなに難しくない。

一番難しいのは尻尾を隠すこと。


電車では、とにかく座らないほうがいい。

尻尾を座席の下から出してしまったら、旅の初日からたいへんなことになる。



*


一、国立駅


国立駅に着いたら、まず駅舎を見るといい。

三角屋根の、ちょっと変わった駅である。


人間は、写真を撮る。

たぬきは、屋根の下を確認する。


国立に来たばかりのたぬきは、ここを覚えておくこと。

夜の駅前ロータリーは、たぬき同士の待ち合わせ場所の定番だ。


「どこにいる?」

「駅前」

「駅前のどこ?」

「三角屋根のところ」


これでだいたい通じる。



*


二、大学通り


駅を出たら、大学通りを歩く。

ここは人間のみなさんにもおすすめである。

とにかくまっすぐな道である。


たぬきにとって、これはありがたい。

化けたばかりのたぬきは、まっすぐ歩くのが苦手だからだ。


四つ足なら、どこへ行くにも迷わない。

二足になると、急に難しくなる。


大学通りを歩きながら、二足歩行の練習をする。

右、左、右、左。


人間のみなさんには、散歩に見えるだろう。

たぬきにとっては訓練である。


また、この場所は季節によって景色が変わる。

桜の季節は、とくに人間が増えるため、たぬきにとっては、少々歩きにくい。

だから、桜を見るなら早朝か夜にする。


人間は上を向き、桜を見るからだ。

たぬきは下を見る。

人間が落としたものや、猫の通った跡や、道の端の匂いを見るからだ。


大学通りの途中には、一橋大学がある。

人間のみなさんにとっては、大学である。

たぬきにとっても、だいたい大学である。


ただし、兼松講堂の裏手にある鬱蒼とした森は、少し意味が違う。

ここでは、時々たぬきが集まって、どんぐりの出来について議論している。


「今年は小さい」

「いや、去年より甘い」

「そもそも去年の記録が間違っている」


たぬきというのは、どんぐりのことになると意外とうるさい。


*


三、谷保天満宮


大学通りを南へ歩いていくと、谷保のほうへ出る。

たぬきにとって、ここで忘れてはいけない場所がある。


谷保天満宮である。


人間のみなさんは、学問の神様にお参りするといい。

受験のお願いをするのもいい。


たぬきは、裏手に用事がある。

境内の裏手には、ニワトリやガチョウがいる。

これが、たいへん重要なのだ。

たぬきが一匹増えたところで、たぶん誰も気にしない。


植え込みもある。

ちょっと休むのにちょうどいい。

人間に追いかけられた場合には、緊急避難所として利用できる。


ただし、ニワトリやガチョウには近づきすぎないこと。

彼らはたぬきより、ずっと人間の近くで暮らしている。

たぬきが人間に化けているときより、人間らしい顔をしていることすらある。


なお、神社なので、騒がないこと。

たぬきにも礼儀は必要である。

お参りをしてから休む。これが正しい。


*


四、矢川緑地


国立を「大学の町」だと思っている人間には、ぜひ南のほうまで歩いてもらいたい。

町の景色が変わってくる。

緑が増える。

水が近くなる。


たぬきは、こういうところが好きである。

矢川緑地。

ここは水場として覚えておく。


人間のみなさんは、緑を楽しむ。

たぬきは、水を見る。


水があるということは、そこに生き物がいるということである。

そして、ザリガニがいる。

サワガニ、小魚もいる。

こういう水辺は、たぬきにとって重要である。

「たぬき食堂」が大っぴらに開いているようなものだ。

この一帯は、素のたぬきの姿で走り回ってもいい。


*


五、ママ下湧水


水が好きなたぬきには、もうひとつおすすめがある。

ママ下湧水。


「ママ」というのは、お母さんのことではない。

このあたりでいう「ハケ」のような、崖になった地形を指す言葉である。


たぬきは、こういう地形が好きだ。

人間が歩く道から少し外れている。

水が湧いている。

草が生えている。

水のそばにいると、町の時間が少し遅くなる。


たぬきには、こういう場所が大切なのだ。



*


六、ロージナ茶房――化けるのが下手なたぬきへ


国立で休憩するなら、ロージナ茶房がいい。

人間のみなさんにも有名な喫茶店なので、食事やコーヒーについては、人間向けの案内を読んでもらいたい。

たぬきにとって大事なのは、何階へ行くかである。


まず一階。

ここは、隠れ家のような雰囲気がある。

化けるのが下手なたぬきには、ここをおすすめする。


たぬきというのは、誰もが上手に人間に化けられるわけではない。

耳が少し残るたぬきもいる。

手が妙に毛深いたぬきもいる。

どういうわけか、尻尾だけ消えきらないたぬきもいる。


そういうたぬきは、明るいところへ行ってはいけない。

人間は、明るいところでは人間の顔をよく見る。

隠れ家のような一階なら、多少の失敗はごまかせる。

尻尾が出そうになったら、座り方を変える。

耳が戻りそうになったら、髪の毛をいじるふりをする。

化けるのが下手でも、落ち着いていればなんとかなる。


二階は、少し事情が違う。

窓越しに外の光が入って、気持ちがいい。

人間のみなさんには、こちらがおすすめだろう。

たぬきにも、化けるのが上手な者ならおすすめする。

人間の姿を保つのに自信があるなら、明るい席でゆっくりしてもいい。

たぬきだって、たまには日なたでコーヒーを飲みたい。


また、こういう店では、急いではいけない。

コーヒーを飲む。

窓の外を見る。

人間を眺める。

そう、喫茶店は「人間観察所」でもある。


人間というのは不思議な生き物である。


人間は、たぬきよりずっとよく喋る。

電話もする。

本も読む。

ときどき、誰もいないところを見ながら笑う。

見ていておもしろい。


ただし、長居しすぎると危険だ。

尻尾が疲れる。

人間の姿を保つのも、なかなか体力がいるのである。


だから、コーヒーを一杯飲んだら帰る。

これくらいがちょうどいい。



そして地下。

ここは、個室のように使えるので、仲間と集まるときにいい。

人間ならグループで食事をする場所だろう。

たぬきなら、寄り合いに使える。

国立のたぬきは、地下で何を話しているのか。

それは秘密である。

人間のみなさんには、聞こえないほうがいい話もある。


ただ、ひとつだけ言っておく。

ロージナ茶房へ行くたぬきは、階段を上り下りするとき、尻尾に気をつけること。

人間に化けるのは難しくない。

尻尾を隠すのが難しい。

それが、たぬきの東京暮らしである。



*


七、国立の歩き方


国立をたぬきとして歩くなら、順番が大事である。


まず駅。

次に大学通り。

人間が多ければ、道の端へ。

疲れたら谷保天満宮の裏手。

水が欲しくなったら矢川緑地。

もう少し静かなところへ行きたければ、ママ下湧水。

そして、日が暮れたら、もう一度駅へ戻る。


これで一周である。


人間のみなさんには、少し歩きすぎかもしれない。

たぬきでも歩き過ぎな気がする。


疲れる。

そうしたら、休めばいい。


国立には、派手な観光地がいくつもあるわけではない。

だからこそ、たぬきにはちょうどいい。


大学通りの桜だけを見て帰るのは、少しもったいない。

その脇にある植え込み。

町の外れにある水。

誰も見ていない時間の道。


そういうのを見て回るのだって観光だ。


また、たぬきは、人間のみなさんとちょっと違う地図を持つ。


水のある場所。

隠れられる場所。

猫の少ない場所。

人間がいなくなる時間。


そういうものが書き込まれていくのだ。


*


帰りは国立駅から、尻尾を隠して中央線の電車に乗る。

さっきまで歩いていた町が、窓の外へ流れていき、少しずつ遠ざかっていく。


国立には、たぬきが多い。

人間には、あまり見えない。

でも、いないわけではない。


国立で、少しだけ道の端を見てほしい。

植え込みの奥を見てほしい。

水の音を聞いてほしい。

夜の大学通りを歩いてみてほしい。


もしかすると、たぬきの観光客とすれ違うかもしれない。

そのときは、声をかけないでほしい。

たぬきにも、旅の途中というものがある。


東京にはまだ、たぬきが歩ける道が残っている。

国立は、そのひとつである。





――平成十年

田貫(たぬき)某(なにがし) 記

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。