卒業式で第二王子から身に覚えのない婚約破棄を言い渡されましたが、地味なクラスメイトのジミー君がすべてを論破してくれました。――って、彼の正体、第一王子殿下だったんですか!?
それは、厳かな空気の中で行われていた卒業式の最中の出来事だった。
名前を呼ばれた私は、公爵令嬢として完璧な淑女の礼を取り、壇上へと上がる。
学園長から厳かに卒業証書を受け取った、その時だった。
舞台の裾から、ジャラジャラと華美な装飾をつけた男――この国の第二王子であり、私の婚約者でもあるリチャードが、不遜な足取りで姿を現したのだ。
「え……? リチャード? なぜここに……?」
今は卒業式の真っただ中だ。私の戸惑いを無視し、リチャードは勝ち誇ったような笑みを浮かべて、私にパッと指を突き付けた。
助けを求めて学園長の方を見たが、学園長は困惑した表情のまま、王族の威光に気圧されたようにその場から退いてしまう。
瞬く間に、舞台の上は私とリチャードだけになった。
体育館にいる卒業生も、在校生も、保護者たちも、何事かと息を呑んで壇上の私たちに注目している。
静寂の中、リチャードは朗々と声を張り上げた。
「オリビア・アルカディア公爵令嬢! お前との婚約を、今この場をもって破棄する!」
「……っ!? な、何を仰るのですか、リチャード殿下! 今、それをここで言う必要がどこにありますの!?」
「しらばっくれても無駄だ。お前が下級生のエリザベスに、嫉妬から悪質極まりないいじめをしていたことは、すでに調べがついている!」
リチャードの言葉に応じるように、在校生席から一人の可憐な少女が立ち上がり、涙を流しながら舞台へ上がってきた。
男爵令嬢、エリザベス。リチャードが最近、熱心に後ろに付き従わせていたお気に入りの令嬢だ。
エリザベスはリチャードの腕に縋り付き、悲劇のヒロインさながらに肩を震わせる。
「私、このオリビア様から、毎日毎日、陰湿ないじめを受けていましたの……っ。ストレスで胃に穴が開き、毎日吐血するほど追い詰められておりましたわ!」
「俺の前では虫も殺さないような聖女の顔をしておきながら、裏ではエリザベスを自殺寸前まで追い込んでいたのだろう! お前のような冷酷で醜悪な女を、我が国の王妃に迎えるわけにはいかない。よって、婚約破棄と同時に、お前を国外追放処分とする!」
「そんな……っ! 濡れ衣です! 私はエリザベス様をいじめてなどおりません! お話ししたことすら数回しか……!」
いくら訴えても、周囲の目は冷たかった。
「あの公爵令嬢が……」「なんて恐ろしい女だ」という根も葉もない囁きが痛いほど突き刺さる。
握りしめた卒業証書が、悔しさで小さく震えた。
リチャードとエリザベスは、完全に勝利を確信した歪んだ笑顔を浮かべている。
このまま理不尽に罪を被せられ、破滅させられるのか――そう絶望に目を見開いた、その時だった。
「ちょっと待ちたまえ」
低く、どこか通る声が体育館に響いた。
見れば、客席から一人の男子生徒がゆっくりと立ち上がり、壇上へ上がってくる。
牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡をかけ、髪をぼさぼさに伸ばした、クラスで一番目立たない地味な男子――ジミー君だった。
「ジ、ジミー君……?」
「なんだ貴様は。今は罪人の処断中だぞ」
リチャードが不快そうにジミー君を睨みつける。
ジミー君はいつも勉強ばかりしていて、他の生徒と会話しているところを見たことがない、いわゆる学園の『空気』のような存在だったはずだ。
「僕はジミー。オリビア君のクラスメイトだ。……リチャード殿下、黙って見過ごすには、あまりにもあなたの頭脳が可哀想なことになっていたのでね。助言に上がったのさ」
「なんだと……!? 俺は第二王子だぞ! 不敬罪で死刑になりたいのか!」
「おや、王族の権力を笠に着て脅迫かい? 見苦しいね。あなたが『オリビア君がいじめをした証拠』だと言っているものは、すべてそのエリザベスという女の虚言だ」
「私は嘘なんてついていませんわ!」
エリザベスが金切り声を上げた。
「い、いいえ! 証拠ならありますわ! これを見てください!」
エリザベスは突然、自らのドレスの肩を大きくはだけさせた。周囲から悲鳴のようなどよめきが上がる。
露わになった彼女の白い肌には、痛々しい火傷の痕や、棒で殴られたような赤黒い痣が、無数に浮かび上がっていた。
「私は毎日毎日、オリビア様に煙草の火を押し付けられたり、激しい暴行を受けていたのです! この傷跡こそが、何よりの証拠ですわ!」
「ほら見ろ! エリザベスの体に刻まれたこの傷を見ても、まだオリビアが白だと言い張るつもりか!」
リチャードは勝ち誇り、周囲の貴族たちも「確たる証拠だ」と頷き合う。
私はあまりの恐怖に血の気が引いた。そんな傷、私は絶対に付けていない。けれど、これだけの怪我を見せつけられては、私の無実を証明する術がない。
しかし、ジミー君だけは、眉一つ動かさずにふっと鼻で笑った。
「なるほど、それは痛々しい。……ちょっと失礼」
「な、何よ、いやらしい目で見ないで……ひゃっ!?」
ジミー君は躊躇なくエリザベスに近づくと、あろうことか、自らの指先にたっぷりと『唾』をつけ、その指でエリザベスの肩の傷を力任せにゴシゴシと擦ったのだ。
「ば、ばっちいですわ! 何をしますの、このセクハラ男!」
「貴様、狂ったか! エリザベスに触れるな!」
「やれやれ、やっぱり思った通りだ」
ジミー君は、怪訝な顔をする私に、くいっと眼鏡を押し上げながら自分の指先を見せてくれた。
「見てごらん、オリビア君。僕の指に色鮮やかな絵の具がついている。……エリザベス嬢、水彩絵の具で描いた傷モドキを証拠と言い張る趣味は、少々悪趣味が過ぎるんじゃないかな? 毎日吐血している割には、随分と肌の血色も良いようだ」
ジミー君の言葉に、周囲の貴族たちがハッと息を呑む。
リチャードが慌ててエリザベスの肩を見ると、確かにジミー君が擦った部分だけ、綺麗な白い肌が露出していた。
「な……ッ!? エリザベス、これは……!?」
「あ、あら……? これは、その……お肌の、美容のための泥パックが残ってしまって……」
エリザベスはみるみる青ざめ、ガタガタと震えだした。
自作自演の狂言。それが、衆人環視の卒業式で完全に暴かれたのだ。
「うぐぐぐ……! お、おのれぇ……!」
言い逃れができないほど追い詰められたリチャードは、真っ赤に顔を火照らせ、逆上して腰の剣を引き抜いた。
「うるさいうるさい、うるさい! たかが一介の生徒の分際で、王子である俺の顔に泥を塗りやがって! 即刻その首を撥ねてくれる! おい、衛兵! この不敬者を捕らえ、その場で処刑しろ!」
リチャードの怒号に応じ、体育館の周囲を固めていた衛兵たちが一斉に舞台へと駆け上がってくる。
私は恐怖で悲鳴を上げそうになったが、ジミー君は逃げようともせず、ただ冷ややかにリチャードを見つめていた。
そして――集まった衛兵たちは、ジミー君ではなく、一斉にリチャードを取り囲み、その首元に容赦なく剣を突き付けた。
「な……っ!? お前たち、とち狂ったか! 剣を向ける相手が違う! 俺は第二王子リチャードだぞ! 俺の命令が聞けないのか!」
リチャードが地団太を踏んで叫ぶが、衛兵たちは微動だにせず、冷徹な視線をリチャードに注いでいる。
王族の命令は絶対のはず。それなのに、なぜ衛兵たちは、地味な一人生徒であるジミー君を守るように動いているのか。
「いい加減に見苦しい真似はやめろ、リチャード」
ジミー君は、深いため息をつきながら、自らの顔を覆っていた分厚い眼鏡をゆっくりと外した。
前髪をかき上げたその素顔が露わになった瞬間、体育館中に、今日一番の悲鳴のような驚愕の声が響き渡った。
眼鏡の奥から現れたのは、息を呑むほどに美しく、気品に満ちた、深いサファイアブルーの瞳。
それは、この国の正統なる王位継承者――。
「お、お前は……お兄様……!? なぜ、王都の離宮で療養されているはずの第一王子が、こんなところに……っ!?」
リチャードはあまりの衝撃に腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「僕は身分を隠し、一人の生徒『ジミー』としてこの学園に通い、貴族子弟たちの実態を調査していたのだ。リチャード、お前の愚行の数々は、すべて僕の耳に、そして父上(国王陛下)の元に届いている」
第一王子セドリック殿下――それが、ジミー君の本当のお名前だった。
セドリック殿下は、床にへたり込むリチャードを冷たく見下ろす。
「公爵令嬢オリビアは、常に周囲の手本となる、優しく気高い女性だ。いじめなどという卑劣な行為とは無縁であることは、同じクラスでずっと彼女を見てきた僕が何よりの証拠として保証する。……対してリチャード、お前は己の愛欲のために無実の令嬢を陥れ、王家の威信を著しく失墜させた」
「あ、あ、ああ……」
「リチャード。お前を本日付で王位継承権剥奪、および爵位剥奪の上、北方の極寒の鉱山へ終身刑に処す。……連れて行け」
「嫌だ! 嫌だぁぁぁ! 俺は王子だ、王子なんだぁぁ!」
醜く叫ぶリチャードは、衛兵たちによってゴミ袋のように引きずられていった。二度と日の目を見ることはないだろう。
残されたエリザベスもまた、あまりの恐怖と恥ずかしさに発狂したような悲鳴を上げ、自ら高速で回転しながら体育館を飛び出していった。彼女の生家である男爵家も、即座に取り潰しが決定したそうだ。
静まり返る体育館の中、セドリック殿下は私の方へと振り返った。
その瞳には、先ほどまでの冷徹さは微塵もなく、蕩けるような甘い光が宿っている。
殿下は私に近づくと、その場に美しく跪き、私の手を取ってその甲に優しく唇を寄せた。
「驚かせてしまってすまない、オリビア。……僕は、地味な生徒として過ごす日々の中で、君の凛とした美しさと優しさに、ずっと心を奪われていた。婚約破棄という、理不尽な傷を負わせてしまった私を、どうか許してほしい。そして――」
セドリック殿下は、私の目を真っ直ぐに見つめ、甘く囁いた。
「今度は、第一王子である僕の唯一の婚約者として、僕の隣にいてはくれないだろうか。生涯をかけて、君を愛し、守ると誓う」
その瞬間、体育館中から、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
あまりの怒涛の展開に私の頭は追いついていなかったけれど、目の前の『ジミー君』の誠実な眼差しが本物であることだけは、はっきりと分かった。
「……はい、喜んで。セドリック殿下」
私が微笑んで答えると、殿下は嬉しそうに私の身を抱きすくめた。
理不尽な婚約破棄から始まった私の卒業式は、これ以上ない、最高のハッピーエンドで幕を閉じたのだった。
(終)
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