第9話 悪役令嬢と追放系主人公
川沿いを下る方へ、弱い風が吹いているのを感じた。
3点固定式コンロの上では、新たにセットされた水が、またぽこぽこと小さく泡立ちの気配を見せ始めていた。
アンタには信じられないかもしれないけど、と前置きし姉は言った。
「……アタシは自分の年齢を7歳だと思ってたの」
何度か口を開こうとしては閉じ、また開いては閉じを繰り返した果てに、姉の口からでた言葉がそれだった。
「……うん、そうなんだね」
体つきを見ればもちろんそれは分かるけど、今更マナ姉がそんな表面的なことを言うとは思えない。
身も心も、7歳だった、そう言いたいんだろう。
確かに、そうだと言われたら納得できる、幼い子特有の反応みたいなものはあった気がする。
ただ、それだけでは説明できないようなこともあったと思う。高校の友達のユーコさんの話とかもそうだし、危なそうなものの判断力とか、正直素の7歳としては頼りになりすぎる場面もあったと思う。
「この世界でアタシが目を覚ましたときね、まず自分は相田マナ、そして7歳なんだって自覚があったの。今のここはよくわからないけど、昨日は普通に小学校に行ってたな、とか思ったし。でもすぐ――」
マナ姉はそこでいったん言葉を切った。そして俺の顔色をうかがうように目を合わせてきた。
ここが大事なんだろう、そう思い、俺は小さくコクリと頷いた。
「頭の中に、大量の記憶がワァっと降ってきたの。まったく体験したことがないはずの、10年分くらいの記憶よ」
少し言葉探すように瞳を上に泳がせ、姉は続ける。
「まるで、漫画の転生した『悪役令嬢』みたいな気分だった。実感の無い約10年分の、それこそ他人としか思えないような未来の記憶がいきなり頭の中にドバーンって入ってくるイメージよ。分かるかな」
「イメージは分かるよ、なんとなくは分かるけど、ちょっと悪役令嬢ドバーンになんかほっこりした」
なによ、とマナ姉の眉毛がすこし動く。
「アタシはついこの間小学校に入ったばかりのはずだったのに。通ったことのない高校の風景、元気だったはずのお母ちゃんのお葬式……とか思い出せちゃって……」
……そこまで言うと、マナ姉はわずかにまぶたを下げたように見えた。
その眼差しは、夢で見たマナ姉に似ていて、なんだか痛みを我慢しているようだった。
眼の前のマナ姉の自意識みたいなものは7歳……つまり10年前のままで、お母ちゃんは生きて昨日まで会っていた感覚。だけど、知識としては、それより未来でお母ちゃんは死んでいることを知ってる、そういうことなんだろう。
一拍、大きなため息をつくマナ姉。
「いろいろ言っちゃったアンタに、今さら言っても詮無いことなんだけど、その……気を悪くしないでね」
姉は目を両手の平で覆った。
なんだか、そのしぐさが照れ隠しなのか、バツが悪いのか、はたまた両方に取れてなんだか可愛らしい。
「7歳の頃のアタシって、正直アンタのこと好きになれなかった。アンタと仲良く、なんなら何かと気を遣って世話している記憶に自己嫌悪するくらいに。だから、こんなの理由にならないんだけど、ちょっとしたことでアンタに我慢できなくてムカついちゃってた。」
だから、と姉は眼の前で力いっぱい両手のひらを合わせた。
「ごめんね。もっと協力してあげなきゃいけないところとかいっぱいあったのに、アタシの感情を優先したりしてた。ホントごめん!」
俺は、わざとらしくこほんと咳をして、
「いいさ、気にしないで」
まっさらな本心を告げた。
確かに、姉の行動や反応の変わりようにはショックを受けたし戸惑いもした。
けど、今の告白にショックなんて無かった。なんとなく姉の俺に対する感情の在り処に、遠い記憶から予感めいたものを持っていた。
今さらだし、気にすらしたことなかった話ではあるが、お父ちゃんが、「昔のマナは俺への当たりがきつかった」などとたまに言っていた気もする。末っ子の俺が生まれてからはお母ちゃんを独占してた、なんて話もついでに思い出してしまった。その2つの意味するところはきっと……。
ちらりと、姉の座る横のビニル袋に視線を送る。若干ここまでの道中でくたびれてしまった百合の花が顔を覗かせている。
決して確信めいたものがあったわけじゃないけれど、そのくらい自分と姉の気持ちが離れたと思えたからこそ、今朝、一世一代の大勝負にでたとも言える。
ただ、これだけは確認する必要がある。
「じゃぁ、今もやっぱり俺のこと、その……」
「……それは違うわ、アンタはアタシの大事な、大事な弟だもの」
嫌っているのか? その問いは、もとから生き残る術など無かったかのように、きっぱりと否定された。
今のマナ姉の態度は、正直昨日よりずいぶん柔かく感じられる。
やはりいつまでも幼いままではいられない、ということなのだろうか。なんかどこかの歌の歌詞みたいな言い回しだが。
「いろんなきっかけがあって、記憶に実感や自覚を持つことができるようになってきたの。少しずつなんだけど」
――だから、今朝のアレは、いろんな記憶を実感できる、いいきっかけだった。そういうことらしい。
……ああ、よかった。
それを言ってもらえて、安心した。どうやら今朝の俺の『恥ずか死』した死体は、無事骨を拾ってもらえたようだ。
「だからアタシはあんたの姉よ、大変うれしいことに、ね」
マナ姉の眉がにこりと曲がる。
その一言はよけいだ、姉よ。
「そういうのを恥ずかしげもなく言って俺の反応を楽しむところとか、確かにマナ姉だよね」
さっきの沸騰水、KDコーヒー残ってたかな。
なんか口の中がやけに甘いんですけど。
「べ、別に、何かと気を使って世話をしてくれなくてもいいんだからね、勘違いしないでよね、マナ姉さま」
俺は、ぼこぼこと泡立つ缶を手にとり、ズズズっと白湯をすすった。
7歳というよりも、やや17歳よりの姉は、ハイハイと、肯定2割、受け流し8割の相槌を打った。
「……さて、そろそろ歩こっか」
このまま川下に向かえば、森を抜け、川沿いの街とか人に出会える場所にたどり着くかもしれない。
そう助言すると、マナ姉は立ち上がり、パンツについた小石をパンパンと払った。
俺も立ち上がり、空になったKDコーヒー缶を袋にしまう。
座っていた世界が、少し視野高く動き出す。
コンロの火は、山火事につながると嫌なので念を入れて水をかけておいた。
前を見ると、延々と、けれどもけっして真っ直ぐではない川原と木々が続いている。
川沿いの道は、森とは違った意味で危なそうだ。凹凸が多く、滑ることもあるかもしれない。
「マナ姉、手繋ごっか」
差し出した手のひらに、
「そうね、お願い」
マナ姉は俺の親指だけを掴んだ。
「マナ姉、その掴み方は?」
「アンタとアタシくらいの手のサイズ差があるとね、こっちの掴み方の方がお互い力が入るらしいわよ」
「ふーん」
お父ちゃんやお母ちゃんも、そんな掴み方をしていたんだろうか。今となっては昔過ぎて思い出すこともできない。
だが確かにマナ姉の手は、少し強いかなと思うくらいに、しっかりと力をこめられているようだ。
危なげなく、俺達は歩き出した。
「それにしても、姉ちゃんほんと悪役令嬢モノ好きだよな。深刻な話かと思いきや例え方まで悪役令嬢とか」
悪役令嬢を例に取ってくるあたりが、とてもマナ姉らしい。思い出すと、マナ姉の本棚の4割くらいは悪役令嬢モノの本が占めていた。
さきほどの、記憶が降ってくるというのは、『異世界転生モノ』や『ループもの』の悪役令嬢の典型パターンだろう。物語の冒頭で、そのままいけば破滅を迎えるはずだった悪役令嬢が、異世界の前世の自分だったり、未来で破滅した自分だったりの記憶を思い出すのだ。普通の物語ではいわゆる悪者扱いのお嬢様が、人が変わったように主人公として生き生きと立ち回るギャップが面白いと思う。
「いいじゃない、アタシは準備した人が報われるお話が好きなのよ」
なるほどさすがは『備えあれば憂いなし』がモットーの姉だ。たしかに、悪役令嬢は前世知識や未来の知識をフル活用して準備し、破滅の未来を退けていく。この人好みの展開なのかもしれない。
「何よ、ニヤニヤしちゃて。ミナトだって追放系主人公の漫画とか好きじゃない」
なんだ、やる気なのか?追放系は人類が生み出した至高の漫画だぞ?
追放系主人公の物語は、文字通り、何らかの理由で主人公が仲間から追放されて始まる物語だ。
「追放後に主人公の陰ながらの努力が花咲くのがいいんじゃないか。自分には無いものに憧れるじゃん。」
「そうねあんた甘えん坊だし。」
「う、姉ちゃんまだ7歳の感覚残ってない?」
いきなり刺してくる姉。同じような界隈のジャンルだろ? 他宗派ファンに厳しくないか。
しかし、追放系の面白いところは、甘えん坊だろうとなんだろうと強ければよかろうな世界なのだ。追放されても1人でやっていけるくらい強いのなら、ガキンチョだろうが飴を舐めてようが成立するのだ。
「でも、いつか自分も追放されるくらいに強くなってみたいもんだな」
隣でマナ姉が吹き出した。
「……あんた、追放系の解釈間違えてない?」
「え、どういう意味?」
「あれは主人公が強いことが本当の意味で理解されないから追放されるんでしょ。強いの分かってたら追放されないわ。せいぜい弱くて追放されないように恐れなさい」
マナ姉は上目遣いに、フンスッと鼻から息を出した。
んー、確かにそういう作品が多いかもしれないけど。
俺は首をかしげつつ、
「……でも、そういうシチュエーション、憧れるんだよ。弱くても、なんとなくやってたことが助走として積み重なって、追放でもなんでも、何かをきっかけに高く空に飛び立つっていうか」
「ふぅん、……そう」
不意に、それまで少し痛いかなと思うくらいだった、マナ姉の親指を掴む力が、わずかに緩むのを感じた。
手汗をかいてしまったからだろうか。それとも、また? とも思う。
マナ姉は繋いだ手を不意に緩めることがたまにある。理由は分からないことが多いが。
「マナ姉、どうかした? 疲れたなら1回休む?」
「……ううん、もう少し行こう。出口は近いよ、きっと」
気にしすぎだったかな。
目をあわせてしっかりと返事が返ってきた。確かに疲れはなさそうだ。
相変わらず川は続き、森もまた前に続いている。だが、なんとなく前に進んでる予感はある。
向かう遥か先には鹿が2頭、仲良さそうに水を飲んでいるのが見えた。




