第5話 ふたりぼっちの焚火
森に夜が訪れた。
俺たちは焚き火を囲んでいた。
火の周りには青バナナに枝を刺して立てている。
ふと俺は既視感に襲われて口に出す。
「これ、縁日のチョコバナナみたい」
……対面から返事は返ってこない。
ふわりと、甘い匂いが辺りいっぱいにたちこめる。
バナナがいい具合に焼けた気がする。
火傷しないよう恐る恐る皮を剥ぐ。
実の中にごろごろと黒い点が並んでいた。
え、なんだろこれ。
初めは虫かと思ったが、規則正しく並ぶ様子から種だとわかる。
種多すぎ……。これだから異世界は……。
マナ姉は火を挟んで対面に座っている。
小さな口でバナナにふーふーと大げさに息を吹くさまは、可愛らしかった。
俺はバナナを口に運びながら言う。
「バナナうまっ」
果物というよりは、ふかしたじゃがいもに近いかもしれない。
続けて俺は、
「これバナナってよりジャガイモだよね」
もう一口かじりつこうとする。
「……」
マナ姉と目が合った。
姉はそのまま軽くフンと鼻息を吹くと、横をむいた。
横顔に焚き火のめらめらとした赤が映り揺れる。
なんでこんなに全部うまくいかないんだ。
あまりにもやることなすことがマナ姉と噛み合わなすぎた。
このままじゃ森なんか抜けられないんじゃないか。
それどころか一生マナ姉に嫌われたままなんじゃないか......?
――ろく。
耳に残る数字が、ぶるりと背中を震わせた。
確かに赤い実とか座る場所とかの件は、俺も悪かったと思う。
けど、それにしてもちょっと当たりがきつすぎる。
それにこのまま無言で食べ続けるのはさすがに嫌だ。
「なあ、姉ちゃん」
開いた口がわずかに渇くのはバナナのせいなのか。
「なんであんなに森の気をつけ方とか知ってるの? 学校で習うわけじゃないだろ」
会話のとっかかりは質問から。こういうご機嫌伺いは何度もやってきた。
それに実は、ちょっと不思議だった。
自慢じゃないが、マナ姉の見てるテレビ番組はだいたい俺も横で履修してる。
履修科目の中にはサバイバルの知識なんてそう無かった気がする。
全然自慢じゃないな。
……実は台所を守る主婦さんとかには必須の知識なのだろうか。
しぶしぶ、といった顔でマナ姉は口を開く。
「……たぶん、たまたま友達から聞かされてたからよ。あんたも知ってるでしょ、ユーコ」
ユーコさんか。
マナ姉から高校の友達の名前が出たのはちょっと驚いた。
今日のマナ姉は、俺のよく知るマナ姉とは別人のように感じられることもあったから。
ユーコさんなら俺も知っている。たまにウチに遊びに来てた。
「あの子ソロキャンプが好きらしいのよ。……だから山や森を歩くときのタブ―とか、いろいろね」
「ふーん、ユーコさん、アウトドア派なんだな」
ショートカットでやや浅黒い、ユーコさんの姿を思い出す。
ウチに来た時は、マナ姉とおしゃべりか勉強してたくらいだから、そんなイメージ無かったな。
「あとは――、アタシ、YouTubeで食べれる雑草とか調べたことがあったみたい」
「みたいって、なんでさ」
顎に手を当てるマナ姉。
なぜかよくわからないが、自信なさげだった。
「ん~、ウチが路頭に迷ったときの、ために?」
なんだそりゃ。
ウチのキッチン隊長はそんな心配までしていたのか。
いや逆にマナ姉は父ちゃんの仕事をあんまり信頼してないのか?
「いいなー、俺もユーコさんみたいな友達いたら、変なとこ座らなくて済んだかも」
赤い指のような毒々しいキノコが記憶に蘇る。
「アンタは少しは思いとどまりなさいよっ」
返す言葉もない。
そこで焚き火が軽く爆ぜ、パチリと大きく鳴った。
――虫の音が、止んだ。
……なんだ?
突然の違和感。
周囲は相変わらずの闇だが、空気が変わった気がする。
火から熱が感じられない。
背中からどっと汗が噴き出す。
マナ姉の目が大きくなる。
「……こっちに回った方がいいかも」
――ッ。
声を聞くが早いか、姉の側に回った。
暗闇の奥を見やる。
木々の隙間、火の光が届かないほどの先に、小さな輝点が2つ。その輝点が、暗闇の中で氷点下の冷酷さを放つ塊に見えた。
とたんに胸の鼓動が聞こえだした。
動物の目だろうか。それにしては、片方の輝点がもう一方より気持ち大きいような気がする。
動いている様子はない。
ただじっと、こちらを見ているようだった。
「姉ちゃん、……あれ、もしかしてクマ?」
肩越しに尋ねる。
猫とかの小動物にしては、輝点の位置が高い気がする。
マナ姉は首を横に振った。
「……分かんない、ここ異世界だし」
そりゃそうだよな。
なんならクマどころか、よく分からないモンスターなんてのもあるかも。
「多くの野生動物は、本能的に火を恐れるって聞いたことがあるわ」
その声は、7歳とは思えないほどの落ち着きがあった。
これも姉ちゃんならではの知識か?
さらに落ち着いた声は続く。
「ヒグマとかは……火を恐れないとも聞いたことがあるわ」
……………………。
…………。
「だめじゃん!」
せめていつ飛び込んでこられてもいいように、2つの輝点を見据える。
心臓がうるさい。
もし来たら、マナ姉をひっつかんででも逃げよう。
今は火を恐れてくれることを祈るのみ。
輝点がフッと動いた、かと思うと、暗闇の中に消える。
ザッザッザと、かすかに遠のいていく足音が聞こえた。
……行ってくれたんだろうか。
汗が冷えてるのを感じた。
身体に熱が戻った気がする。
マナ姉が振り返る。
ほっと息をついたのが顔に出ていた。
しかし俺を見るとすぐさま目はジトっとしたものに変わる。
「……あんた、恥ずかしくないの?」
――しまった、俺7歳児の背中に隠れてた。
「ご、ごめん」
いくら姉だからとはいえ、これは情けない。
「……もぅ、なんなのよぉ」
全面的に俺が悪い。
責められても文句言えない。
「もう、こんなところ……嫌」
姉の嘆きは、俺というよりもこの環境に対してのようだった。
目は少し潤んでいるだろうか。
今にも泣きだしそうな気配が伝わった。
「……お母ちゃん」
ぽつりとでた言の葉。
ぽろりと落ちた雫。
流れ始めたら、もう止まらなかった。
7歳の静かなすすり泣きが、森の虫の音に加わった。
こういう姉ちゃんも、初めて見た気がする。
姉が弱気になる場面はいくらでも見たことはあるが、そういう時に母ちゃんの名を出すのは珍しかった。
何か言ってやりたかった。
けど何も言葉が見つからない。
俺には、母ちゃんとマナ姉のやりとりはほとんど記憶にない。何を言ってもマナ姉を傷つける気がした。
今の俺が7歳のマナ姉にできること。
おそるおそる、震えるマナ姉の背中を撫でる。
俺の手が触れた瞬間、マナ姉の肩がびくっとする。
一瞬、拒否されるのを覚悟したが、不思議と手を払う様子はない。
なので、そのままゆっくりと撫で続けた。
ぱちりと火が弾ける。
俺たちの焚き火はそう大きくないが、勢いが衰える様子もなく、温かく森を照らし続けていた。




