第3話 姉ちゃんと呼ぶには小さすぎて
――端的に言って17歳の姉が見た目小学生になった件。
目の前には、『俺の姉』と推定される女の子がいた。
パーカーにしましまのシャツ、そしてピンクのパンツ。マナ姉のいつもの買い物ルックだった。
だが今のそれは服に着られていると言った方が正しい。
パーカーは肩が片方ずり落ち、裾はひざしたまでずるずる。しまシャツは首元がゆるゆるで、中で体が泳いでいる。
ピンクのパンツは腰から落ちかけ、かろうじて膝で踏みとどまっているだけだ。
どの服も、「この子、持ち主じゃないよ」と全力で訴えている。
なんならパンツが脱げて、パンツがちょっと覗けていた。
ややこしいなパンツ。
持ち主はというと、膝をついてこちらをじっと見つめていた。
意思の強そうな切れ長のきりっとした眉毛に、相反するようなころんとしたまんまるの瞳。
その視線は渇いていて、目薬をさしてあげたいほどのドライアイだった。
ああ、間違いなくマナ姉だ。マナ姉なんだけど……。
状況から、俺は1つの推理を呟く。
「マナ姉、小っちゃくなっちゃった?」
「失礼ね、ミナトが大きくなったんじゃない?」
えええ、なんでさ。
言われて俺は自分の視線の高さを確認した。
特に違和感を感じない。
しかし目の前のマナ姉(断定)は、17歳のはずだが、記憶の中でもダントツで古代の、幼い頃の背丈だった。
いや、なんならアルバムの中でしか見たことないかもしれない。
「やっぱり小っちゃいのはマナ姉の方じゃん、服のサイズあってないし……なんなら可愛いくらい」
「かわっ、ちょっと前までこ~んな小さかったミナトに言われたくないんですけど」
こ~んな、とお胸のあたりに手のひらを持ってくるマナ姉。
そう言われて、マナ姉に手を引かれて保育所から帰っていた頃を思い出した。
あのころは、俺はこんな身長だったのだろうか。
俺がマナ姉を見下ろすの初めてだし、ちょっと新鮮かも。
「ちょっとは遠慮しなさい。アンタはずっとちびのままでいいのよ」
ふんっと息を吐き、マナ姉は胸を張る。
ああ、マナ姉だ。このやりとり。小さくなっても、この子はマナ姉なんだ。
俺は、少し前までぽっかりと空いていた胸の隙間が、ゆっくりと埋まっていくのを感じた。
ちょっとだけ余裕ができた俺は、ついいつもの軽口をたたく。
「その、いつまでも弟を手元にとどめておきたいムーブはいいかげん思春期に効くのでお薬を処方してほしい」
両手で頭を抱えるマナ姉。
小さいからだが極限まで縮こまってしまった。
「うちの弟がつける薬のない何者かに育った件……」
ぶつぶつと聞き捨てならないことをいう。俺を育ててくれたのは半分はマナ姉みたいなものなんだから。
なんにせよ、マナ姉が元気そうで安心した。身長以外は。
事故の直前まで、こんなふうにくだらないことを言い合っていた気がする。
それがたまらなくうれしかった。
やっぱり、異世界転生してすぐ会えるってサイコーだよな、女神様サイコー。
漫画の異世界転生とかでは、離れ離れになった人を探すところからスタートみたいな展開多いもんな。
その点では、運が良かったと思う。
俺は、この世界に来るまでの、セレンデという女神とのやり取りを思い出した。
――互換性の関係から、元の体の情報がエラーで一部再現されないことがあったりするんです。
――年齢とか性別とか些細なデータですから。
そして目の前にいるのは、17歳の姉だったものとおぼしき幼女。
やっぱ女神様サイテーだよ。
俺の尊厳は守れたけど、姉の身長は守れなかったということか。
「やっぱり、転生バグってことなのかな? マナ姉の体」
「転生の……バグ?なにそれ」
女神から聞いていないのだろうか。俺との時みたいに説明すっとばされたのか?
首をかしげる姉、幼女風味。顎には人差し指を添えて。
妹ってこんな感じなんだろうか。
「あっちの世界から、こっちの世界に来るときに、たまに持ってこれない情報があるんだってさ」
「それが身長ってこと?」
身長というか、
「年齢とかって、聞いた」
「それって、ミナトが年を取るとか?」
「いやいや俺の方じゃなくって。データ壊れたのはマナ姉の方でしょ、どう見ても」
う~、とマナ姉はうなる。
なんだろう、理解はできても納得できないってことなんだろうか。
「あと、性別も、って言ってた」
「ねんれい……せいべつ……」
言いながらみるみる青くなるマナ姉。
そしてぺたんと胸に手をやる。手のひらはわなわなと震えていた。
あ~、わかる。俺もさっき経験したから。
跳ねるように身を持ち上げ、マナ姉は向こうを向く。
そして背中越しに目だけにらみつけるように言った。
「ちょ、ちょっと、ミナトあっち向いてて!」
「……はいはい」
パンツのおパンツを確認するのだろう。
マナ姉には悪いと思ったが、小さなマナ姉を見てるとちょっとだけからかいたくなってしまう。
「いいけどそのパンツもう脱げてるだろ」
「えっ、ちょ、いやパンツまだ脱げてない!」
「いや、ズボンの方」
「ややこしいわっ」
まったくその通り、さすが血を分けた姉弟。
さっきは俺の尊厳を不用意に見せつけてしまったが、俺は紳士。決してこんなときに平等など謳いはしない。
後ろを振り向くと、繁々と生い茂った木々が俺を迎える。目に優しい。
日差しは柔らかい。季節は春? それとも秋なのだろうか。
かすかに甘い匂いがする。マナ姉と再会できたというだけで、この森が好きになれそうだった。
「どうだった、マナ兄? あった?」
紳士の時間は終わった。これからは現実と向き合う時間なのだ。
さぁ小さな秋を見つけよう。
「うっさいうっさい、ばかばかばかばか‼」
「そうはいっても、これからお姉ちゃんと呼べばいいのか、お兄ちゃんと呼べばいいのかははっきりしてほしい」
もしかしたらこれが初の兄弟ケンカになるのかもしれないし。
いや、ケンカする気はないが。
「……アタシは、アンタの、お姉ちゃんよ。腹立たしいことにね……」
大変不服なことに、大変不服そうに姉は言った。
姉だろうと兄だろうと、俺は一生アンタの弟でいる気まんまんなのに。
「な、尊厳の確認は大事だろ? 姉ちゃん」
「尊厳って……。あ~、さっきのアンタ……そういうこと……」
ご理解いただけたようでよかった。
だが、罪人を見るような目を弟に向けるのはやめていただきたい。
あれは罪ではなく事故なのだ。わいせつ物陳列事故。
――ぐぅぅうううううう
俺の腹が鳴った。
「……っ」
……たぶんマナ姉のも。
◇◇◇◇
「カレールー2箱に、にんじんは2本だね」
お腹の音を合図に、マナ姉の指示のもと、俺は荷物のチェックを始めた。
元の世界の買い物の袋をそのまま持ってこれたのはうれしい偶然だった。スマホは事故のせいか画面がバキバキで見れたもんじゃなかったが……。
「にんじんはかじってもそのまま食べれるし、日持ちもいいから安心ね」
一本を握りしめてみる。……固い。できれば火を通すなりして食べたいが。
これからきっと森の中を歩き回ることになる。その意味で貴重な携帯食になるかもしれない。
「たまねぎが、2個あるね」
ビニル袋を再び見やる。
――アンタまた玉ねぎ泣きながら切る役~。
ふと、転生する直前の姉の言葉を思い出した。
姉はいつも俺に玉ねぎを切らせようとする。
「もう切る役はごめんだからね」
だから、いつものやり取りを始めようとした。
「べつに玉ねぎ切るのにあんたの手は借りないわよ、てかそもそも切る道具ないでしょ」
ん? 若干欲しい反応じゃなかった。
いつものマナ姉ならここで「だまって切る、だまって泣きなさい」とか無茶を言ってくる。
「そうだね、生でかじるしかないよな」
ボケて返してみる。
「辛いの我慢できるなら勝手にすれば? それで泣けばいいわ」
気のせいだっただろうか?
こちとら生粋の甘党だ。まっぴらごめんである。
俺は舌を出して抗戦を訴える。
姉はじとっとした目つきで応戦した。
「あとは、KDコーヒーあるよ」
俺は見慣れた黄色い缶を取り出す。
角砂糖をドンッと入れたコーヒーでおなじみの、俺御用達の激甘缶コーヒーだ。
「これは水……の代わりにはならないわね、さすがに」
さすがに水ではない、KDコーヒーはKDコーヒーなのだ。
「はやいとこ水も探さないとかなぁ」
唯一の飲み物を前に、他にも飲料を買っていなかったことを後悔した。
だが、以前友達からの「無人島に何を持っていく?」という質問に、俺は迷いなく「KDコーヒー」と答えた男なのだ。後悔もほどほどにしておいた。
KDコーヒーは頼りになる完全栄養食なのだ、命の水と言っても過言ではないかもしれない。
俺は缶を指をはじいてコンコンと鳴らした。
このよくわからない森の中にあって、一番文明を感じさせる音だった。
……マナ姉がいなかったら寂しすぎたな、これ。
考えてみたら、このKDコーヒーは命の水というよりは、命の岐路だったかもしれない。
あの日、マナ姉に飲み物をおごると言われてホイホイついて行った俺。
誘われていなければ、マナ姉だけが事故に遭っていた可能性もあるのだろうか。
「ある意味、これに釣られてなければ俺は今頃まだあっちの世界だったのか」
「なによ、アタシが悪いっていうの?」
「いやべつにそうは言ってない、むしろ……」
マナ姉に付いてくることができてよかったと思ってるよ、とは言えなかった。
若干の気恥ずかしさに横に目をそらす。
ふと、ビニル袋の横に転がった花束に目がいった。
「食べれるっけ? ユリ」
「毒よ、バカね! 農薬モリモリよ」
間髪入れずにツッコミが入った。
さすが姉、博識である。
だとすると、いくらお母ちゃんの花とはいえ、持っていくのは大変そうだ。
マナ姉小さいし、荷物は軽い方がいいんじゃないかな。
「んじゃ置いて行こっか、さすがに」
――言った瞬間、後悔した。
「は、何言ってんの? お母ちゃんの花でしょ」
ピリリっと、背中の体温が下がるのを感じた。
止せばいいのに、軽い動悸に驚いて続きの言葉が口からあふれてしまう。
「いやその、その花がお母ちゃんってわけじゃないし。それにたぶん何の役にも立たないよ」
マナ姉の目は、ありえない、と語っていた。
不穏な空気を感じ、ビニル袋に目を戻す。
ビニル袋の底に入っていたソレが目に入った。
「あ、ああ、……けっこう役に立ちそうなのあったよ」
ライターだ。
ちょうど仏壇用のを切らしていたんだった。仏壇用とはいえ、夏の花火から誕生日ケーキのロウソクまで活躍シーンは多い。
まさか異世界でも活躍が期待できる日が来ようとは微塵も思わなかったが。
「野宿になっても、少しはマシかも」
俺たちが目を覚ました場所は、ちょっとした広場のような広さはあるが、見渡す限り四方森に囲まれている。
食料だけでなく、いざ本格的なサバイバルとなったときに火の源があるのはありがたいかも。
街など人の住んでいる場所に行くには、どうしたって森を抜ける必要が……。
「――アンタにお母ちゃんを想えってのが間違ってたのかもね……」
それまでしばらく黙っていた姉が、ぽつりと言った。そして花束を袋に詰めつつ、立ち上がると、マナ姉は歩き出した。
追いかけようと立ち上がる。
そこへ、ざぁ、っと風が横に流れた。
風の強さを言い訳に立ち止まる俺。
先を行くマナ姉の後ろ髪がばたばたと跳ねる。
ちょっと俺が無神経だったかもしれない。
ごめん、と言いつつ、先を行く姉を追いかけた。




