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第22話 確かなともしび

 部屋の窓からは、明かりが見えない。

 マナ姉はまだ帰っていないのだろうか。外はもう真っ暗なのに、どこに行ったというのだろうか。

 扉に手をかける。鍵が開いている?

 ギィィィィっと、扉の蝶番が悲鳴を上げる。冬を越してから、この扉はいやにうるさくなった。


「……マナ姉、帰ってるの?」

 

 返事は何も返ってこなかった。

 部屋は灯の一つすら無い。窓から差し込む月明りのみが、わずかなみちしるべのように部屋を照らしている。


 その部屋の中央、静寂をまとったほの灯りが、わずかに姉なるものの輪郭のみを縁どっていた。

 その顔は見えない。

 

「姉ちゃん、いるじゃん」

 

 やはり返事は無かった。

 この沈黙に、何から触れていいのか分からなくなる。

 だから、他愛もないほどどうでもいい、自分のことから投げかけることにした。

 

「俺が13歳じゃなくて、本当は14歳だったってこと、マナ姉は、いつ気づいてた?」

 

 ユウリさんは過去の討伐戦の大事なときに、前世の記憶が蘇ってきてしまったと言った。

 その話で気づいた。記憶は何も、転生した瞬間だけに降ってくるわけじゃないんだってこと。

 

「最近時々、知るはずのない未来の1年後のことを思い出すようになってた」

 

 初めはレンタル移籍で森を進んでいる最中だったか、それともギルド前の広場でサッカーをしたときのことだったか。

 一度記憶が降ってくれば、その風景が記憶だと自覚できれば、過去あったことの体験として実感するのにそれほど時間はかからなかった。

 マナ姉が記憶の実感に時間を要したのは、体の年齢と心の年齢が10年も乖離していたからだろう、と今なら分かる。

 

「中2の俺ってさ、中1の頃と全然違ってて。サッカーが楽しくて……夏の大会だって、レギュラーにあと一歩まで近づいてて」

 

 言ってて目頭が熱くなってくる。

 振り返るととてもキラキラしていた。憧れていた姿そのものだった中2の自分。

 

「冬の大会だって、目前だったのに。俺、なんであんな時期に死んじゃって……正直……悔しい」

 

 もしも、と俺はもう取り戻せない、IFの話を続けた。

 

「あの一年をちゃんと生きてたら、今みたいに迷いながらじゃなくて、もっと自信を持って姉ちゃんの前を歩けた気がするんだ」

 

 目に溜まった熱い液体が重たくなり、俺は顔を伏せた。それは暗い床へと零れ落ち、もう戻ってくることは無かった。

 

「そっか、……思い出しちゃったか」

 

 ぽつりと、ただ柔らかく、姉ちゃんは反応してくれた。

 

「姉ちゃん?」

 

 俺は顔を上げた。

 

「そう、アンタはやればできる子だったのよ。言ったじゃない、アンタがこっちの世界でもサッカーをやっていないのが不思議だったって」

 

 ああ、あれはそういう……。

 俺はいつかの、サッカーを勧めてくる姉を思い出した。それに対する俺の回答は、結果として二重生活という最悪なものだったが。

 あれは本当の俺を知る姉ちゃんの、ただの感想だったのか。

 

「アンタは我慢して頑張った分、ちゃんと結果が出た子だったんだよ」

 

 少しトーンを落として、姉は続ける。

 

「たった1年で男の子ってグンと変わるんだね。アタシが認めなくても、ホントは皆から認められた子だったんだよ」


 撫でるように、中2の俺のことを姉は語ってくれた。

 姉ちゃんが俺を認めてくれる。それは中1の俺が何よりも欲しくて、聞きたかった言葉だった。

 姉の顔は相変わらずよく見えない。ただ、俺を真っ直ぐ見てくれていることだけは分かった。

 

「中1の頃に戻ったかのようなアンタが、アタシを頼ってくれるのを見てちょっとホッとしちゃってた。まだまだ、手を離したりしない子だって」

 

 姉はここまで話して、息をはぁと吐いた。

 

「ごめんね、アンタに教えてあげられなくて。アタシのモラトリアムはここでおしまい」


 左足をかばいながら俺は歩く。さすがに松葉づえも何もない状態は歩きにくい。

 ふらつきながらなんとか部屋の隅にたどりつき、ランプをつけようとライターに手を伸ばす。

 

「つけないで!」

「わっ」

 

 突然の制止に、掴んだライターを取り落とす。

 

「でも、真っ暗じゃん。なにやってんのさ」


 「このままがいい。こうしてると、なんの形も見えない。みんな無い。ミナトの体も、……アタシの体も」

 

 自暴自棄、そんな言葉が浮かんだ。

 

「なにいってんのさ。姉ちゃんはこれからだろ」

 

「アンタこそ、何言ってるの。……アタシにはこれまでしかないのよ」

 

 その声は、小さな体とともに消えてしまいそうなほどか細かった。

 けれどそれは、きっと今だけだ。

 

「ほら、体が大きくなれば、もっと好きなことだって、いろんな役割だって担えるように……」

 

「うるさい」

 

 小さな部屋に、姉の声がやけに響いた。

 

「アタシの役割を、アンタが勝手に決めないで。……大きくなったら? アンタは待ってくれるの?」

 

「待ってる。俺がマナ姉のぶんまで頑張るから。マナ姉は、もう頑張らなくても大丈夫だよ」

 

 頑張らなくていい……後で思えば、それが決定的だった。

 

 俺は足を前に出して姉に一歩ずつ歩み寄る。

 そうして次第に、輪郭だけではない姉の姿が見えてきた。

 

 姉は、椅子に座りうつむいていた。

 

「――アタシだって、……冒険、したかった」

 

 ぽつりぽつりと呟く。その後は止まらなかった。

 

「なんでアタシは7歳なの……いつまでも採取や街仕事ばっかりで……」

 

 ぽろ、と膝に雫が落ちる。

 小さな指が、ぎゅっと服の裾を握った。

 

「いつもアタシだけ我慢して……ミナトや、お父ちゃんを支えるって決め……てから」

 

 ひとつ、はぁと息を吐く。

 そしてこれまでに溜めていたものを吐き出すかのように、姉は強く叫んだ。

 

「辛いことを我慢したら、その先に幸せがあったっていいでしょう? 我慢した先に辛いことしかなかったら、そんなのウソじゃない!」

 

 姉は、備えあれば憂いなし、なんて強気によく言っていた。

 でも本当は、準備していたら憂いなんてあってほしくなかっただけなのかもしれない。

 

「ごめん、違う、そうじゃない。アンタやお父ちゃんがキライなわけじゃない」

 

 ハッとした様子ですぐに否定する。

 

「頑張らなくていい、なんて寂しいこと言わないで。アタシにアンタを守らせてよ。……勝手に、置いて行かないで」

 

 これは、昨夜のブレイジャの前での姉のセリフの続きだ。

 守れないと、置いて行かれると寂しい。ようやく姉の本音を聞けた気がした。

 

「なんでアタシはミナトについていけないの。なんでミナトを守れないの。

 あの鉄骨事故のときも、そう。結局ミナトを死なせてしまった……だから、今度こそミナトを守ろうって。この世界でも、アタシは頼れるお姉ちゃんなんだって」

 

 そんなこと、気にしなくてもいいのに……。

 あれは単なる事故だった。俺だって悔しい、悔しいけど、もうそれでいいじゃないか。


「けど、この世界に来てから、歩くのはミナトの後ろばかり。なんで、ただ、見えるところにいてくれないの?」

 

 小っちゃくなっても、相変わらずこの人は俺を見てくれてる。

 自分自身のことよりも結局、俺を近くで見守ることができない体になったことを悔いてる。

 

「なんでアタシばっかり、こんな想い……」

 

 声が急に、弱くなった。


「ごめん、軽蔑したよね……こんな姉」

 

 ただ黙って聞くべきだと思ってた、けど、これだけは聞き流しちゃいけない。

 そんなこと、ない、俺は――。

 

「好きだよ」


 ぎゅってした。抱きしめた。

 

「え、ちょっ」

「好きだよ、姉ちゃんのこと、俺は」


 俺の顔のすぐ近くで、くるりんぱがしっちゃかめっちゃかに「わああ」と跳ねる。

 狼狽する姉に構わず、俺は続けた。

 

「いつも自分そっちのけで俺の歩く先を見てくれるところ。

 いつも落ち着いて、優しく手を取ってくれるところ。

 昔、泣いていた俺を一番に見つけてくれたところ」

 

 そこまで言って、俺は一息ついた。

 

「いっつも俺に玉ねぎばっか切らせてくるところ」

 

「バカ」

 

 姉はいつも通り、突っ込んでくれた。

 そして、姉は俺の肩を持ち、顔を離した。

 目と鼻の先にマナ姉の瞳があった。

 そして姉はぽしょりと言う。

 

「アンタが笑って涙溜めてるところ、アタシも好きだよ」

 

 ふふっ、あはは。

 お互い顔が緩む。

 

 姉の視線が俺を真っ直ぐ見つめる。

 別に頑張らなくても、この人はいつも俺を見てくれている。

 ただそんな事実を伝えたくなった。

 

「姉ちゃん、レンタル移籍のこと覚えてる?」

 

 うん?と首をかしげるマナ姉。

 

「俺、まだまだあの人たちの中ではヒヨっ子だけどさ、褒められることけっこうあったんだ」

 

 ユウリさんたちと、何度か行った狩りを思い出す。

 

「集合場所には誰よりも早く行ってたし、道具の準備は欠かさない、地味だけど、そういうところ見てもらえたんだと思う」

 

 ユウリさんに言われて気づいたこと。

 俺の中で当たり前になっていたことが、一人になって初めて気づけたこと。

 

「これってさ……俺の中にいるんだよ。頭の中の、『イマジナリー姉ちゃん』が」

 

「なにそれ」

 

「遅刻するなって怒る声とか。

 愛想よくしなさいとか、いつも聞こえてた。

 だから……ずっとそばにいたんだよ」

 

 だから、ともう一度俺は続ける。

 

「もう守らなくていい。隣にいてよ、マナ姉」


 しばらくの沈黙の後、


「――マナでいいわ」

 

 目の前の彼女は、少し寂しいような、でも覚悟を決めたような、そんな顔をしていた。


「お姉ちゃんは卒業、アンタもいつの間にか大きくなったし」


「大きくなった、ってそっちが勝手に小さくなったんだろ」

 

「あっはっは、ミナト()ぃ、言うじゃない」

 

 ……寒気がきた。ぞわっと。

 

「兄ぃはやめてお願い、何でもしますから」

 

 それだけはやめてほしい。

 目の前で手を合わせ、心から懇願した。


「ふふ、今、何でもって言った?」

 

「……はい」

 

「じゃぁ、今夜で最後にするから、もう少しだけアンタのお姉ちゃんでいさせて」

 

 マナ姉はそう言うと、俺の頭をそっと抱きしめてくれた。

 いつか姉がマナ姉になった夢の国を思い出す。


 ここは異世界、2つの河が静かに合流する街、セレンデ。

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