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第19話 臆病な賢人

「みんなよく聞け! 今からゼブラワイズマンの討伐ルールを確認するぞ」

 

 副ギルドマスターのアレイさんのよく通る声が響く。

 俺たち討伐メンバーはアレイさんを含め10人。最後に縞ゴリラが目撃された森の前に来ていた。俺とマナ姉が転生して初めて降り立った、『女神の森』だった。


「まず優先すべきは足だ。奴はとにかく逃げ足が速い。発見したら弓手が先制して足を叩け。その後は……」

 

 アレイさんは続けてルールを説明していく。足を潰せたら笛でギルドメンバーに報せることや、不測の襲撃を受けたら退避を優先することなどだ。

 

「最後に、作戦はツーマンセルで行く。奴は3人以上を相手にするとまず逃げを優先するからだ。ペアを発表するぞ」

 

 次々とペアが発表され、返事をしていく。

 

「5ペア目だ、ユウリ、ミナト! 以上」

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

 精一杯(のど)から声を出す。

 

 ユウリさんとのペアは事前に聞かされていたから驚きはない。だが俺の名前を呼ばれたとたん、体の芯がぶるりと震えた。

 ギルドメンバーのみんなは、つぎつぎと言葉を交わし、突き出したこぶしとこぶしを合わせていく。

 討伐依頼のお決まりのしぐさなのだろうか。

 

「ミナト、ちょっといいか」

 

 アレイさんが俺を呼ぶ。

 

「お前はこの中では一番経験が浅い。ユウリの推薦から同行を許可はしたが、ユウリの指示には絶対に従うんだぞ」

 

 言って、アレイさんはこぶしを前に突き出す。

 俺もこぶしを合わせ、次いで頭を下げた。たぶん、俺が姉ちゃんならこうする。

 

「はい、参加を認めていただき、ありがとうございます」

 

 本来なら俺のランクでこの討伐依頼の応募は推奨されない。

 俺が(しま)ゴリラと対峙し生き延びた経験があるということでユウリさんが推薦し、ようやくアレイさんに認めてもらえた形だった。


「固くならずにいこう、ミナト君」

 

 おじぎから起き上がった肩をポンと叩かれる。ユウリさんだった。

 

「はい、お願いします!」

 

 少し上ずってしまった俺の声をごまかすように、俺はこぶしを突き出した。

 ユウリさんは「ふふっ」と笑みをこぼしながら、柔らかい眼差しでコツンとこぶしを合わせてくれた。

 

「……行こう」

 

 そして、こぶしを下げた次の瞬間には、その瞳は底冷えしそうなほど落ち着いた色を示していた。


 ◇◇◇◇


 森へ入って15分くらい経っただろうか。

 半年前の森は、鬱陶しいくらいに木々や足の長い草が行く手を遮っていた。

 だが冬を超えたばかりだからだろうか。森は、半年前に踏み入れたときと異なり、いくぶん視界が開けていた。

 

 ユウリさんは、ときおり短剣で邪魔な枝を折りながら、方位磁石を片手にサクサクと足を進めていく。俺はそれについていくだけだった。

 

「あらかじめ進むルートは決められているんですね」

 

「持ち場順守だからね。今回の作戦は弓のファーストアタックが前提だから、特にメンバー同士の誤射の危険がないように厳格に決められているんだ」

 

 首を左右に頻繁に向けながら返事をするユウリさん。背中の短弓を揺らしながらも、枝に引っ掛けないのはさすがだった。

 

 俺は素人だから分からないが、この討伐ルールはかなり安全が徹底されていると思う。ファーストアタックが失敗したら、交戦せずに退避しろともアレイさんは言っていた。そのくらい縞ゴリラがやっかいな足を持っているということなんだろうけども。

 逆にファーストアタックで足を潰すことに成功したら、仲間を呼ぶための笛を吹くことになっている。

 

 ところで、とユウリさんは俺の方を振り返る。

 

「私は知っての通り弓手だから、職業柄ある程度目は遠くまで見通せる。けれどこの狭い森だと十分とは言えない。キミも気になることや、音とかを聞いたら遠慮せず言ってくれ」

 

 そう聞いて、俺は耳を澄ませてみた。

 

 2人の枝と草を踏みこむ音にまぎれ、木々が風に揺れてざわめく音、鳥がばたばたと羽ばたいている音が聞こえる。

 転生したばかりのときに、森でこうして音を頼りに歩いて川を見つけたことを思い出した。

 俺が先にかすかな音を感じ、マナ姉が川かもしれないって教えてくれた。俺が動いて、マナ姉が指示する、今思えば良い連携だったと思う、あの後も。

 

「今日の森は静かだね」

 

 ぽつりとユウリさんが言う。

 そうなのだろうか。確かに、そう言われてみると、前に立ち入ったときよりもいくぶん音がおとなしい気がする。この森は厳しい冬から立ち直ったばかりで、これから賑やかさを増していくのかもしれない。

 はい、と言おうとしたその矢先、前方の色に違和感があった。

 

 10メートルほど先、赤い光が4つ。

 春の森の新緑に対し、強いコントラストを放つそれは、明らかにこちらに敵意をむき出した眼差しだった。

 ぱっと見のシルエットは2匹の野犬か狼のようだった。

 ただ、その体色は良く知るもののどれとも似つかない、縞模様だった。

 

 この世界は、以前いた世界とよく似ている。食べ物、動物、街に住む人々。よく知る五感と変わらず安心する。だが縞模様だけは、この世界の悪意を身にまとったような、そんな姿に感じた。

 その2つの赤い瞳は、あの縞ゴリラを連想させた。

 1匹が前方にいたユウリさんに向かってとびかかる。

 

「うっ」

 

 ユウリさんはそれを、左の籠手で受け止め、押し返した。同時に、腰の短剣を手に取った。

 地面に弾き落とされた狼たち。再び立ち上がってグゥンと喉を鳴らす。

 そのときだった。

 

 ――ぁぁぁぁ!


 まぎれそうな音たちの中に、かすかに聞こえる声。

 ざわりと、寒気がした。

 今のは、男の声じゃない、高い声だった。

 

「ユウリさん! あっちで気になる声が」

 

 ユウリさんは振り返らずに声だけで応える。

 

「行って! やつが視認できただけなら戻って! ここはどうにかなるから」

 

 一瞬足が止まる、が、俺は後ろに向かって走り出した。

 背中越しにユウリさんの気配を感じながら、前だけを見る。

 駆けながら腰の短剣に手を伸ばす。たどり着いたときに止まる時間などないかもしれない。


 少し駆けただけで見えてきた。木と木の隙間からでも分かる、白と黒の縞模様。

 できるだけ枝を踏まないよう小走りで距離を詰める。

 10メートル以内に近づいただろうか。

 

 縞ゴリラは――よかった、こちらには気づいていない。

 

 その横顔が隠れて臨める位置に、俺はつくことができた。

 縞ゴリラは右腕を顔もとに上げて、顔を覆うようにしていた。

 

 その腕に時折パシャリと砂のようなものが何かがかかる。

 誰かが縞ゴリラに投げてる? そんなもので縞ゴリラを止められるのか?

 投げる元をたどると、見慣れた7歳の少女がそこにいた。

 縞ゴリラと1つ木を挟んで、じりじりと後退しながら泥のかたまりのようなものを投げつけていた。


 ――なんで、姉ちゃんここにいるんだよ!

 

 今朝は俺が家を出るとき、まだ寝ていたはずだ。

 いや、ありえるのか。 思い返せば……マナ姉は俺が狩りに行くときには、いつも途中の森で見かけた。

 俺の狩りに合わせて、当てつけのように採取依頼をこなしてたのかと思ってたけど。もしかして、隠れてついてきていた?

 頭を抱えたくなるが、そんなことする余裕もない。

 

 ユウリさんを呼びに戻るか?それなら3人になるから縞ゴリラも逃げ出す、かもしれない。

 いや……、その間にマナ姉がどうなるかも分からない。そもそも縞ゴリラが逃げ出す保障もない。

 これはもう視認どころじゃない、交戦状態だ。

 

 今なら死角からゆっくり近寄って、縞ゴリラに短剣の一撃を食らわせることもできるかもしれない。

 縞ゴリラの脚の支点に短剣を突き立てる。足さえつぶせば動きが鈍くなり、駆けつけてくれたユウリさんたちがどうにかしてくれるはず。

 それはたぶん、1つの正解の行動だ。

 けど、その間にマナ姉に飛びつかれたら……。

 

 俺はマナ姉の方を見やる。

 泥の塊は、……もしかして手作りの嗅玉か? しかし止んでいる。もう出し尽くしてしまったのだろうか。

 

 一瞬、マナ姉と目が合った、気がした。

 

 ここからでは距離があってマナ姉の表情なんか見えない。けど固く口を結び、不敵に笑ってると確信できた。

 俺の一撃を待ってるのか? もしかしたら、きっと縞ゴリラにその顔が潰される瞬間まで……。

 俺は両手でぱちんと顔を叩いた。

 

「うおおおおおお!」

 

 雄たけびをあげ、俺は駆け出した。敢えての声出しだ。

 俺にとって正しい選択なんて、一択しかなかった。

 一気に距離を詰め、木々を駆け抜ける。このまま突っ切れば縞ゴリラの右側面に出るはずだ。

 縞ゴリラは振り返る。俺の姿を認識したようだ。膝をかがめる。後退するのか、だが遅い!

 

 一閃!

 

 縞ゴリラの右ひざめがけて短剣を振った。

 後ろに飛び下がる縞ゴリラ。

 手ごたえはあったが浅かったかもしれない。けど、こんな一撃なんか別に外れたっていい。

 注目がマナ姉から逸れれば、それでいい。

 大事なのは俺がマナ姉と縞ゴリラの間に入ったこと。

 マナ姉の傷つく可能性が1パーセントでもある作戦なんか、初めから無いに等しい。

 

「ミナトぉ……」

 

 後ろからマナ姉の声。ちょっとか細くて上ずった、そのトーンは知ってる。

 ごめんってこと。ちょっとホッとしてるってこと。たぶん、ホントは怖いってことも。


 こっちから1秒で縞ゴリラに飛びつける間合い。それは縞ゴリラも同じだ。

 初めて縞ゴリラに遭遇したときと同じ。奴は様子を窺うように止まっているが、特に向こうから逃げるそぶりはない。

 ユウリさんの言った通りだ。こいつは2人相手なら、油断してくる。

 

 前回と同じなら、次に来るのは威嚇(いかく)の腕振り。

 そう思った矢先、縞ゴリラが両手を天に突き上げた。

 ここだ!ここしかない!

 短剣を両手で持ち、駆ける!

 空いた下半身を狙って突きたてるべく、刃先を真っ直ぐに押し当てる。

 

 ガイン!と鈍い音を立て、短剣が弾き飛ばされる。

 

 骨の固いところに当たってしまったのだろうか。

 ウソ……だろ。

 体勢を崩し、尻もちをつく俺。

 

 ――ウォォォオオ!

 

 見上げた視界いっぱいに、縞模様が飛び込んでくる。

 白と黒の縦線が、ミクロとマクロの不揃いな幅で細かくびっしりと敷き詰められていた。

 それは何かのバグではないかと思うほど、ひどく冷たく、無機質に感じられた。

 

 縞ゴリラの振り上げた巨大な手が、ゆっくりと下りてくる。

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 いつか見た、鉄骨が落ちてくるときの、スローモーションのような光景を思い出す。

 

 ああ、これは……分かってる。

 分かっていて避けられない、瞬間がある。

 禍々しく光り、こちらを見据える紅い目。


 ばしゃりと、紅い目が何かに覆われた。泥のような、砂のような。

 一瞬で広がる、よく知る匂い。……玉ねぎだった。

 

 姉ちゃん!

 

 弾切れは……ブラフかよ!

 俺は腰に手をやる。ユウリさんから借りた短剣はもう無い。

 あるのは、短剣よりも手になじんでしまったもう1つの刃物だ。

 かしゃしゃんっという小気味良い音とともにソレを掴み抜き、俺は縞ゴリラの脚に飛びつき突き刺した。


 ――あ。

 

 瞬間、落ちるような感覚と同時に、全身にばらばらと記憶が降ってくる。

 目の前の景色が反転する。

 13歳の俺ではない、14歳の俺の記憶。

 

 グラウンドのサイドラインを走り切った俺は、上げたクロスの行先を見守る。

 

 下手でも走ることだけはやめなかった。

 その結果、最後まで走っても守備とクロスだけは落ちなくなった。

 だから俺は、ユニフォームを着て、この場所に立っている。


 ボールは仲間へ託した。

 

 だから、ここで決めてくれ!


 景色が戻る。

 縞ゴリラは、膝に刺さったナイフにまだ悶絶したままだ。

 ナイフを刺した勢いが余って、俺は縞ゴリラの右側面に倒れこみそうになる。

 まだ、たぶん浅い!だから……。

 

 ――これで通れえええ。


 「わ・か・っ・た・よ・ぉ!」

 

 14歳の俺に、13歳の俺が信頼で答える。

 投げ出しそうな体を右足でこらえつつ、左足で渾身のボレーを、突き刺さった『採取用ナイフ』の柄にくれてやった。

 グシャリという嫌な音とともに、今度こそ深々と刺さるナイフ。地面に倒れこみながらも、俺は十分な衝撃を感じてそれを確信していた。

 

 悶絶しながら後ずさる縞ゴリラ。

 その動きにはもうかつての俊敏さはない。

 そこに、ヒュゴッっと音が立った。

 見ると左膝に2本の矢が立っていた。

 

 ピイイイイイっと笛が鳴り響く。

 

 ユウリさんだろう。森に散らばった仲間への合図だ。

 俺には、それがまるで試合終了の笛に聞こえていた。

 縞ゴリラは、上半身こそ元気に腕を振って暴れていたが、下半身はもはや一歩も動けない様子だった。

 

 あとは、一方的だった。

 つぎつぎと縞ゴリラに集まって群がる冒険者の仲間たち。

 繰り返し吹かれた笛の音が森に溶け込んで消えていき、ようやく、終わったのだと実感した。

 俺はと言うと、今になって痛み出した左足の甲に、少し涙しながら、状況を見守っていた。

 これもしかしたら、折れてるかもしれない……。


 後ろをちらりと見ると、マナ姉もへたり込んでいた。無傷で何よりだ。

 

「ミナトくん、キミってやつは、なんて無茶を」

 

 マナ姉とは反対側から聞こえる声。ユウリさんだった。

 その目は少し赤く見えた。

 あの夕日の映える日、ユウリさんは縞ゴリラとの過去に囚われている、と言っていた。少しでも、その思いは救われたんだろうか。

 

「へへへ、……んっ、やってやりましたよ」

 

 ずきりと痛みが大きくなるが、少し強がりをこめて言う。

 バレたらすぐ後ろのマナ姉、心配しちゃうだろうからな。

 

 ユウリさんはしゃがみ込み、足を投げ出して座る俺と同じ目線の高さになった。

 

「がんばって持ちこたえてくれて、ありがとう」

 

 そう言って手を広げ、ゆっくりとユウリさんは抱きついてきた。

 初めはやわらかく、それがだんだんと力強いものに変わっていく。

 

「本当にありがとう、よくやってくれたよ」

 

 目の前がユウリさんでいっぱいになってしまう。

 ちょっと締め付けの力が強いかも、息が苦しい。

 

 しかし、苦しいのは束の間だった。

 すぐにユウリさんの腕の力が緩む。

 ユウリさん、俺の後ろを見てる?


 ――ふ、ぐっ……、ぎっ……。


 すぐ後ろから、押し殺したような声が聞こえた。

 

「うえぇえ、うわあああああああああん」

 

 それは瞬く間に、悲壮な慟哭へと変わった。俺のよく知るはずのマナ姉の、知らない泣き声だった。

 

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