第17話 しじまを切り裂く縞の影
「別に怖かったら、降りてもいいんだぞ、姉ちゃん。」
強気に姉に言い放つ俺。
「アンタこそ、そんな虚勢張ってんじゃないわよ?」
テーブルを挟んで正面に座る姉は、額に紙きれを押し付け、こちらに見せつけている。
7歳の小さなおててが持つ紙切れには、『リーア通りのどぶさらい』と書かれていた。
昨日に解決した依頼書だ。春のどぶさらいは冬よりも楽だが、暖かくなったせいか泥の臭さが尋常ではなかった。
「じゃあいくわよ」
「ばっちこい」
姉は額の紙きれを手前に下ろした。
それに合わせて俺も自分の額に当てていた紙きれを下ろす。さて俺の手札は……。
『発明家おじいちゃんの杖探し』
「ま~た転生者オチかよ!」
この依頼は散々だった。
じいさんの失くした杖を追って街で聞き込みしていた俺たちは、途中で妙な少女に出会った。杖は彼女の手に渡っていたらしい。
だが話を聞くと、その杖は異世界への門を開く鍵で、彼女が元いた世界に帰るために必要なのだという。さらに追うと、杖は裏市場を巡り、最後には領主様の手に渡っていた。
領主様はその力で世界の危機を乗り越えようとしていた。
つまり、『少女を帰すか』『世界を救うか』の二択だった。
――なんで杖探しの依頼が、世界の命運と女の子の人生を天秤にかける話になってんだよ。
「結局おじいさんがどちらも選ばない選択をしたのよね。なんかラノベの主人公みたい」
「結局何者なんだよ、あのじいさん」
さすが転生者、ということなのだろうか。
それよりも、とマナ姉は続けた。
「勝負はアンタの負けね」
マナ姉はにやりと目を細める。
そうなのだ。ギルド依頼書のインディアンポーカーは、4K(きつい、きたない、くさい、こわい)のKの数が少ない方が負け。
どぶさらい仕事は3Kもあるが、じいさん仕事はせいぜい、いろいろあってきつかったのと、領主様が怖かったのとで2Kだろう。
負けた方がギルドに依頼結果の報告と換金に行く役目だ。
「しゃーない、ギルドに行きますか」
俺は切り替えてテーブルに散らかした依頼書をまとめ始めた。
窓の外からは暖かい日の光が差し込んでいる。お昼を少し下ったくらいだろうか。
「姉ちゃん、午後はどうすんの」
振り返って姉に聞く。姉は陽気に少し眠気を覚えたのか、体を天に向けて伸ばしていた。
「そうね、気分転換に近くの森にハーブでも摘みに行ってみようかしら」
「依頼じゃないのに摘みに行くの?」
「いいじゃない、いくらあっても困るもんじゃないし……」
そこまで言って、姉は腰を手で押さえた。
「やっぱ今日はやめとく。昨日のどぶさらいが腰にきちゃってるかも。無理してケガしても癪だしね」
「姉ちゃんももう年か~」
「あ? 不本意ながらピッチピチの7歳ですけど?」
姉は立ち上がり、むやみやたらとない胸を張ってみせる。
本当に悲しいほどに若々しいポーズだ。
「はいはい」
よく分からない説得力に負けてとりあえずイエスマンになる俺。
姉は、はぁっと口から息を吐く。
姉も自分でポーズしていて空しくなったのかもしれない。
「あんたも疲れてるんだから、今日はサッカーとかせずに帰ってきなさいよ。最近ちょっと無茶してるでしょ」
「ん、そうする」
すこし胸がうずいた。
嘘をつくのにも、だいぶ慣れてしまった。姉にはサッカーのことだけしか話していないからだ。
◇◇◇◇
ギルドに着いたころには、日が傾き夕方に差し掛かっていた。
近くの広場ではいつも見る同い年くらいの奴らがサッカーをしている。
後でちょっとだけ合流してもいいかもしれない。やるなと言われたらやりたくなるのが人間というもの。今日はユウリさんとの約束は無いし。
ギルドの扉に手をかけようとすると、中からざわざわと喧騒が聞こえた。
なぜだろうか、仕事終わりの人が増えるには、まだいつもより早い気がする。
「こんにちは~、依頼報告に……なんです?」
俺はおっかなびっくりに、情けない声を出してしまう。
ギルド内には思ったよりも人が集まり、人垣ができていた。その人たちが一斉にこちらを見たからだった。
その一人に金髪の女性の姿も見えた。ユウリさんだ。
ユウリさんはこいこいと、俺に手招きをした。その面持ちは少し硬い気がした。
俺を見ていたギルドの人たちはまた興味を失くしたように、人垣の中央に向いた。
「――続けるが、これは討伐依頼だ。奴については、これまでギルドでは何度も仕留め損ねて来た。今回はギルドから特別報酬を出す!」
大声でアレイさんが依頼の説明をしていた。人垣の注目はそこに集まっているようだ。
ギルドからの特別報酬の言葉に、人垣が熱を増すようにうなる。
「どうしたんです?ユウリさん」
少し間を空けて、ユウリさんは口を開いた。
「ゼブラ・ワイズマンがこの近辺に現れた」
――俺の首筋がぴぃんと張るのがわかった。縞ゴリラのことだ。
「街の……近くですか?」
自分の声がうわずっているのがわかる。
ユウリさんはこくんとうなずいた。
「南の森で採取をしていた女性1人が、奴に襲われたらしいんだ」
採取と聞いて真っ先にマナ姉が頭に浮かぶ。
姉ちゃん今日は森に行くって……いや、結局休むって言ってたな。
縞ゴリラの生息地は、主に俺たちが転生してきた『女神の森』だ。いつもは『女神の森』かその付近の草原までしか現れないという。
それがなぜか、街近くの南の森にまで来ていたらしい。
かつて俺とマナ姉はアイツに襲われた。その理由は、俺たちが『女神の森』から持って行ったバナナにアイツが執着したからだと聞いた。
「ユウリさん、アイツが執着するようなもの、街の周りにあるんですか?」
ユウリさんは緊張した面持ちで、首を横に振った。
「分からない。少なくとも私は聞いたことが無いよ。……だから皆、気味悪がっているんだ」
アレイさんは説明を続ける。
「4日後に『女神の森』を探索するから人数が欲しい。討伐資格のある奴10人だ。徒党でもシングルでもかまわん」
10人、その人数に少し驚く。
大きな討伐依頼はこの半年で何度か騒ぎになることがあったが、少なくともこの人数に覚えはなかった。
「10人って、あんまり聞いたことない討伐ですね」
ここ何回かのユウリさんとの練習でわかったことがある。
あまり人数をかけても射線が遮られたり、同士討ちの可能性が高まる。単純な包囲をするにも森だと障害が多くて勝手が悪そうだ。
「そうだね、アイツはちょっと特殊でね。……包囲網と戦力の両方が必要なんだ」
ユウリさんは少し言葉を詰まらせながらも説明してくれた。
「やっぱり、それだけの脅威ってことなんですね」
俺たちが縞ゴリラと遭遇したのは見通しの良い草原だったが、それでも次に何をしてくるのか分からない、とにかく得体が知れなかった。
「怖いかい、ミナト君。それは正常な反応だ。キミは一度対峙して生き延びたとはいえ、アイツは一筋縄でいくような奴じゃない」
けど、とユウリさんは続けた。
「待っていて。私は今度こそ、アイツを討伐する」
ユウリさんは軽く自分の胸をトンっと打つ。そこにあるのは凛々しい金髪のおねいさんの姿だった。
討伐依頼を受ける資格はDランクの俺にもあるが、さすがに出る幕ではなさそうだ。
説明が一巡したのだろうか。いつの間にかアレイさんの話は止まり、代わりに冒険者たちの話す声が大きくなっていた。
「おう、ミナト、念のため言っとくが、ギルド発の仕事とはいえ、これはいつもの押し付け仕事じゃないぞ」
俺と目が合うと、先ほどとは打って変わって抑えたトーンで話し始めるアレイさん。
「資格があるからって、お前さんは無理に出なくていいからな」
にかりと笑うアレイさんに、苦笑いで返す俺。
さすがに身の程はわきまえてるつもりだ。
周りを見ると、ギルド内はさっきよりも人が増えていた。仕事を終えた人たちが戻ってきたようだ。
もう一度説明を始めるのだろう、アレイさんは再び部屋の中央に立ち、口を開いた。
「後から来た奴に向けてもう一度最初から言うから聞いてくれ。……ウチのギルド所属のミリダが、ゼブラ・ワイズマンに襲われた」
――刹那、息が止まる。
ミリダ。その名に覚えがあった。
とたんに、肩にずしりとのしかかるのを感じた。『身近な現実』という名のおもりが。
冒険者たちのざわついた声がやけに大きく聞こえる。
「重傷らしいぞ。命はとりとめたが、まだ意識は戻っていないって」
「ミリダちゃん、モンスター用の対策とか何も持ってなかったのか」
「まさか? 持ってたから重傷までですんだんだろ」
「対策っつっても、アイツ相手じゃなぁ……」
ミリダさんの事は心配だ。
だが、彼女には悪いが、俺にとってはもっと最悪のイメージをしてしまう。
森の茂みから出てきた縞ゴリラ。ミリダさんが追われ、抵抗しつつも縞ゴリラに蹂躙される、そんなイメージがよぎる。
そしてその姿が……マナに重なってしまった。
怖い? 資格があっても出なくていい?
「……ミナトくん?」
動きを止めた俺を気にしてくれたのか、ユウリさんが声をかけてくれた。
ごめん、ちょっと今は黙っていてほしい。
『マナちゃんって採取の効率高いよね。今度一緒に他の森にも行きましょ』
いつかの日のミリダさんの話が蘇る。
薬草採取をしていて襲われたミリダさん。薬草採取をしていて襲われるマナ姉。
森で襲われたのは、ミリダさんだった。それは今回、『たまたま』だ。縞ゴリラだろうと他のモンスターだろうと、この先そんな『たまたま』はきっといくらでもある。
俺は心のどこかで安心していた。『女神の森』を離れたから、もう縞ゴリラに遭遇することはないのだろうと。
けれど、違った。この世界はどこに行ってもそうなんだ。俺たちは結局、どこまでいっても最初の森から抜け出せていないんだ。
ユウリさんは、俺に縞ゴリラが怖いかと聞いた。アレイさんは資格があっても出なくていいと言ってくれた。
怖い。今でもあの歪に並ぶ赤い目は悪夢に出てきそうだ。資格があったってアイツの前になんか立ちたくはない。
けど、俺が本当に恐れているのは、マナ姉が襲われること。嫌なのは、俺にマナ姉を守る資格がないこと。
そして、次に襲われるのが、マナ姉かもしれないのに、何もできない自分でいること。
――それだけは、何よりもいやだった。
気が付いたら、俺は口を開いていた。
「アレイさん、俺、やります」
ぶわっと、皆の視線が俺に集まるのを感じた。
生まれて初めての決断に、胸が押しつぶれそうになる。ここに姉はいない。
俺は見えないように脚の付け根をギュっとつねる。上げる手まで震わせるわけにはいかなかったから。




