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第16話 夕暮れのレンジャー

 ティーカップを机に置く。

 ハーブティの湯気がゆっくりと細くなるのを待ち、俺は朝の話題を1つ切り出した。

 

「ギルド前の広場、たまにサッカーやってるっぽいよ」

 

 この間、依頼の完了報告に立ち寄ったときだ。広場がやけに騒がしいと思ったら、足元に見慣れたボールが転がってきた。

 このあまりにもアットホームな文化に、ときどき俺はここが異世界だということを忘れそうになる。


「そうそう。アタシもいきなりボール来たから、びっくりしちゃってさ」

 

 マナ姉は軽く足を上げて笑う。たぶん、反射で蹴り返したんだと思う。


「やってるとこ見てると、ちょっと俺も混ざってみよっかな、とか思うけど、……まぁ、うん」

 

 言いながら、これまで人生の数々の珍プレー集が頭の中で流れ出す。

 小3から中1までの4年間、結局上手くならなかったな。

 サッカーは観るのもやるのも好きなのだが、結局好きなだけだったのかもしれない。


「え、なんで混ざらないの? むしろもう混ざってるもんだと思ってたよ?」

 

 その一瞬。

 俺の中で、何かが音を立てずに崩れていった。


「え?」


「え?」


 流れる静寂(せいじゃく)の間。

 マナ姉の中では、下手でも俺はサッカーをやって当たり前の奴、なのか。


 ……ああ、まただ。採取ナイフの時と同じ。

 俺が勝手に作った『俺はこうあるべき』っていう壁を、この姉はなんでもないことのように……。


「……今度、混ざってみる」


 マナ姉は「ふーん」と笑って、カップを手に取る。

 俺が上手いとか下手とかで立ち止まっていたなんて、最初から考えてもいない顔。


 ◇◇◇◇


 その気になれば、あっという間だった。

 夕方俺はギルド前の広場に行った。そしてサッカーをしている集団に話しかけると、すんなりと俺を受け入れてもらえた。

 世界中どこにいってもボール1つで仲良くなれる。そんな漫画を昔読んだ気がするが、本当だったみたいだ。

 その集団は、普段は孤児院にいるという男子たちだった。

 

「ミナトくん、うまいね」

 

 俺からのショートパスを受けながら、リーダー格のローイくんが言う。

 

 やってみて思ったのは、自分が『思ったよりも動ける』ことだった。

 体が軽いというよりは、次にやるべき動きを体が覚えている、そんな感じ。


 ――ボールを預けたら、ここは対角線に走る。

 

 首を振って視界を貪欲に取り入れると、体が(ささや)くように次の動きにいざなう。俺はそれに抗わず、気持ちのいい方に走る。

 そうしてふと、元の世界でボールに触れていたときの記憶が頭に降ってきた。

 

 思い出すのは、風を切りがむしゃらに走る自分。それが味方のパスを誘い、ときには囮になり、味方のスペースを、時間を作る。

 味方に頼り、頼られるを精度よくこなし、役割を気持ちよく全うする。

 それが認められるのはいつの頃だろう、認められたのはいつの頃だろう。

 

 グラウンドで風切る俺の二の腕に見えるのは、いつの間にか通すことを許された誇らしい夕日色の袖。

 あれ? ベンチ外のはずの俺がなんでユニフォーム着てる……?

 

 日差しが真っ直ぐに目に入ってくる。

 

 「……っ」

 

 閉じた瞳を開くと、ローイくんがゴールを決めて、俺の前に駆け寄ってきたところだった。

 軽くハイタッチをし、焼けた視界をぼーっと見つめた。

 

 欠けた視界の隅っこで、夕焼け色の髪をした女性が、ギルドから出てくるのが見えた。

 

 「あ……」

 

 俺は、ローイくんたちにお礼を言い、またやろうと告げた。

 またね、と返ってくる。

 

 名残惜しさを背に感じながら、俺はユウリさんの方に走った。

 近づくと、ユウリさんもこちらに気づいたのか手を軽く振ってくれた。

 

 「や、もう元気になったんだね」

 

 ユウリさんは、良かったと、心底ほっとしたように言ってくれる。

 俺は立ち止まり、ふかぶかと頭を下げた。

 

 「その節は、ご心配をおかけしました!」

 

 そういえば、ベッドから起きられるようになってから、ユウリさんに会うのはこれが初めてだった。

 ユウリさんも、あれから俺たちの家には顔を出さなくなっていた。

 

 「サッカー、めちゃくちゃ走り回れるくらい回復したみたいで、安心したよ」

 

 「あはは、見てたんですか」

 

 走り回っているのを見られるのは、ちょっと恥ずかしい。

 

 「うん、見えてたよ。目立ってたねミナト君」

 

 「ホントに一応ですけど、サッカー部だったんで」

 

 他愛のない会話。いまにも、それじゃぁって感じで、夕日とともにフェードアウトしてもおかしくない。

 

 「ユウリさんは何か部活とかやってたんですか」

 

 細くたなびいた雲のような手がかりを探して、俺は話を引っ張り続けていく。

 自分でもどうしてそれを手繰(たぐ)るのか、まだよくわからなかった。

 

 「大学までアーチェリーやってたよ」

 

 「すごい、実用的」

 

 そりゃかっこいいわけだ。

 ユウリさんは、実際にはそう上手くはいかないと言う。

 だが、元の世界での特技がそのまま異世界の冒険者の活動に活かせるのは正直うらやましい。

 

 「俺、狩りや討伐みたいなのに活かせるような特技とかないんで、やっぱ羨ましいです」

 

 ここまで口にしたところで、俺は俺のやりたいことがようやく分かった。

 ……なら後は、俺の十八番(おはこ)に持ち込むしかない。

 

 「ミナト君も、さっきの体力があれば十分に活躍できると思うよ、赤札(あかふだ)依頼でも」


 ここだと思った。

 ここしかないと思った。

 俺は、地面に突き刺すような勢いで頭を下げて右手を差し出した。

 

 「なら、もっと俺に教えてもらえませんか!」


 「……え」

 

 頭上から、間の抜けたような声がする。

 

 「俺、もっと知りたいんです!」

 

 モンスターや獣を相手にした動き方、皆と一緒に狩りをするときの立ち回り方とか、武器の使い方。

 俺にはまだ知らなきゃいけないことがたくさんある。

 

 レンタル移籍をしてから、俺は変わってしまったのかもしれない。

 集団で連携して獲物と言うゴールに向かう楽しさを知ってしまった。


 それにいつか、姉に守られるだけじゃなくて、守れる側になりたい。

 そのために、足りないものを全部、教えてほしい。

 本気なことを分かってもらいたくて、それらを洗いざらい吐露した。

 

「……お願い、します」

 

 俺はいつまでも右手を差し出すつもりだった。ユウリさんが立ち去らないのであれば、1時間でも1日でも。

 そうして永遠に続くかと思った十数秒ののち、右手がそっと柔らかく包まれる感触を感じた。

 

「……いいけど」

 

 俺は顔を上げる。

 ユウリさんは、少し困ったように笑ってから言った。

 

 「キミにケガをさせた立場上、私が断りにくいのを知ってて頼みごとをするのは、ちょっとずるいよ」

 

 目の前にあるのは、夕日に映える髪色のレンジャーの、夕焼け色に頬を膨らませた顔だった。


 「わああ、そんなつもりじゃ」

 

 俺は再び、丁重に頭を下げたのだった。

 

◇◇◇◇

 

「このへんで休憩しよう」

 

 ユウリさんの一言で俺は動きを止めた。

 その辺の木をモンスターに見立てて、後方の援護の射線を意識した接近の仕方などを一通り試したところだった。

 

「サッカーやった後なのに、かなり動けるね」

 

「いや、それほどでも」

 ある。なぜだか今日は体が妙に軽い。

 

 少し間をおいて、ユウリさんは話し始めた。

 

「その、マナちゃんの方は、部活とか何やってたの」

 

 その話し方はどこかぎこちない。

 マナ姉とちょっと気まずい別れ方をした手前、ユウリさんはマナ姉のことは尋ねにくいのかもしれない。

 

「帰宅部です。あ、でも遊んでるとかじゃなくて、ウチは父子家庭で、姉は家事をやってくれてました」

 

「そうなんだ」

 

 ユウリさんは相槌をうち、何かを察したように黙る。

 まぁ、シングル家庭なんて、どこでも似たような事情はあるとは思う。

 正直、これまでの人生でこんな場面はもう慣れっこだ。

 少しの沈黙が流れた。

 

「マナちゃん、ホントは歳いくつなんだっけ。ミナトくんはけっこう歳離れてたの?」

 

 ぽつりとユウリさんは言った。

 ユウリさんなりに踏み込む覚悟がついたのだろう。

 

「俺は13歳で、姉は17歳ですね、ホントは」

 

 ユウリさんは一拍空けて「ふぅん」と言い、続ける。

 

「じゃあマナちゃん、記憶の揺り戻しとか、ガツンとあったでしょ」

 

「そうみたいです。本人は、まるで悪役令嬢が前世の記憶を一気に取り戻したみたい~、なんて言ってました。あ、転生した悪役令嬢の漫画って知ってます?」

 

 ユウリさんは、何が面白いのか、『転生した悪役令嬢』といったところでくすくす笑いだした。

 

「知ってる知ってる。流行ってたよね!」

 

 そこからは、悪役令嬢あるあるの話に花を咲かせた。ユウリさんはどちらかというと小説派のようだったが、お互いうなずきながら笑い合った。

 ひとしきり笑った後、ユウリさんは落ち着いた声で言う。

 

「悪役令嬢ってさ、みんな何かを背負っているよね。死亡フラグだったり、ループ前の悪行の後悔だったり。ちょっと難しい言葉だと、原罪っていうのかな。でもマナちゃんには、さすがにそういうのは無いんじゃないかな」

 

「ユウリさん?」

 

 ユウリさんの目線は、どこか少し遠くを見るようだった。

 

「キミたちが森から街に来るときに遭遇したモンスター、覚えてるよね?」

 

 忘れもしない、2つの歪な赤目が印象的な、あいつだ。

 

縞々(しましま)のゴリラですね、もちろん忘れませんよ。とんでもない奴だったですし」

 

「私、アイツとはちょっと因縁があってね。最初に仕留め損ねちゃって、もう7年くらいの付き合いになるのかな。なんというか、アイツが私の原罪ってところになるのかな」

 

 そこでユウリさんは空を見上げた。

 かつてあった綺麗な夕焼けは、大地と空の境目に、かろうじて赤いもやがかった筋が残る程度だった。

 

「なんか話してたら日が落ちちゃったね。やっぱり今日のところはここまでにしよう」

 

 『今日のところは』というキーワードに嬉しくなる。この先もあるということだ。


「ありがとうございました!また是非よろしくお願いします」

 

 俺はふかぶかと頭を下げた。

 頭上から、「これはウチの徒党連中も言ってたことなんだけど」、とユウリさん。

 

「なんかさ、ミナトくんていつも大げさなくらい礼儀正しいよね」

 

 そしてユウリさんはくすくすと笑う。

 

「そんな自覚は無いんですけど」

 

「しっかり頭を下げたり、あいさつを欠かさなかったり、遅刻しなかったり。そういうわりと誰もができそうでも面倒くさがることを、しっかりできるのはキミのいいところだと思うよ、私は」

 

 思いもよらないことを言われた。

 どちらかというと、そういうのは、マナ姉のイメージだったからだ。頭の中で、社交性があり、TPOをわきまえてそうな7歳のくるりんぱが跳ねる。

 

「あんまり、そうは思わないんですけど」

 

 ユウリさんは「ふーん」と言いながら俺を見てくる。その視線の動きが下から上まで値踏みするようで、なんだか気恥ずかしくなる。

 

「ミナトくんてさ、他の人から甘えんぼとか言われたりしない?」

 

 ドキっとした。

 

「いや、そんなことは……ない、かも?」

 

「マナちゃんと一緒のときは、逆に(しか)られながら頭下げてるイメージだもん。もしかして叱られ待ち?」

 

 ちょっといじわるそうな笑みを浮かべるユウリさん。

 うーん、そんなつもりはないんだけど。

 

 ちゃんとしないと、隣にいるマナ姉が蹴とばしてくる。

 それが、最近は一人でいてもふくらはぎを蹴とばされた感覚になることがある。

 

「どちらかというと、一人のときは頼るものがない分、身が入るのかもしれないですね」

 

 そんなものかもね、とユウリさんは言った。


「そういえば、マナちゃんにはいいの? こうして練習とはいえ狩りの準備してても」

 

 言われて、まどろみの中の、ユウリさんとマナ姉の真剣な言い合いを思い出した。あんな状況にはもうなってほしくない。

 その一方で、次に思い出したのは、ベッドで目を覚ました俺に抱き着いてきたマナ姉。その顔を守りたい俺がいる。

 

「実際に危険なことをするわけじゃないし、納得してくれます」

 

 そう?とだけユウリさんは言い、それ以上は追及してこなかった。


◇◇◇◇


 充実した気分で俺は家の扉を開ける。

 おかえりと、マナ姉が迎えてくれた。

 

「遅かったわね、どうだった? サッカー」

 

「うん、久々で楽しかった」

 

 俺がマナ姉にした説明はそれがすべてだった。

 なぜかユウリさんのことは言えなかった。

 危険なことはしていない、けどなぜかがっかりさせてしまいそうな気がしたから。

 

 この日、俺は初めて、マナ姉に明かせない嘘をついた。


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