第15話 赤札と白札のあいだで
まどろみの中、複数の人の声が聞こえる。
ごめんなさい、だとか、指示が聞こえなかったのか間に合わなかった、だとか。しなやかで少し低い、けれどとても申し訳なさそうなか弱い声。
だからアタシは反対だったとか、もうこの話は終わりにしてだとか、気の強い、けれど悲しそうな声。
俺は、どちらの声にも応えることができずに申し訳なく思い、またまどろみの奥へと意識を埋めていった。
瞼をあげると、そこは輪郭の無い世界だった。
乱暴にぬりたくったバターのように境界のはっきりしない視界は、しかし瞬きをするたびにだんだんと結像されていく。そしてついには、見慣れた天井を形成した。
朝か?それにしてはなんだか暗すぎるような。
起き上がろうと腕を動かそうとし、肘がわずかに外に開いたところであえなく止まる。
腕が、動かない?足も上がらない?
ありとあらゆる関節が重く動かなかった。
俺、何してたっけ。
あ、狩りだ。
目を閉じると、映像が紙芝居のようにパラパラとめくれ落ちていく。
迫りくる熊、しだいに距離が詰められ、盾を構えた瞬間に、記憶は途切れていた。
熊が接近する直前、なぜか俺は森ではなく違った景色に気を取られていたような、そんな気がする。だから熊の接近に気づくのが遅れたのかもしれない。
だから、記憶はあやふやだけど、今こうして体が動かないのはユウリさんのせいじゃない、と思いたい。
一方で俺は、狩猟依頼をまともにこなせなかった。その事実が胸にくる。
ユウリさんたちの役に、結局立てなかった。
……いや、いつものことだ。
思い出すのは、これまでのサッカーの部活。
どれだけ練習しても、試合ではベンチの外。結果を出そうにも、出し方が分からない。出せた記憶もない。
姉はいつか言っていた。弱い奴は、いつか追放されるって。
でも俺は、ただ弱いから切られるんじゃなくて、チームに価値を残して送り出されるような、そんな強さに憧れていた。
ユウリさんは、まさにそうだ。
ただ強いだけじゃない、人を救える強さ。
マナ姉を守れるくらい強くなりたいのに……、俺は、また何もできなかった。
再び目を開ける。
どたどたという足音。しばらくして、毛布ごしに小学生くらいの体重がかけられた。
「よかった、意識あるね!アタシのこと分かる?」
「……マナ、姉ちゃん」
姉の瞳は少し涙ぐんでいた。
「良かった。ミナト、丸1日寝てたんだよ」
丸1日も寝てた?俺が?
ピリリと体が痛む。痛いのは体の表面ではなく内側だが、場所はどこかよく分からなかった。
「動いちゃダメ、傷はふさがってるけど、代わりに消耗が激しいでしょ。教会の助祭様がね、回復の魔法をかけてくれたの」
傷、回復、そう聞いて、俺は狩りの記憶が本当であることを自覚した。
「……俺、狩りで事故っちゃったのか」
マナ姉はその問いには直接応えず、代わりの言葉を発した。
「ミナト、もうユウリさんたちと狩りには行っちゃだめよ」
言い放った後、姉は二言はないかのように唇を固く閉じて震わせる。
そして姉は顔を両手で覆った。
「ごめんね……こんなことになるなら、行かせなきゃよかった」
なんで姉ちゃんが謝るんだ。そう言おうとも思ったが、今は何を言っても姉の顔を覆う両手を開かせることはできそうにない気もした。
ただ「俺こそごめん」と返すのが精いっぱいだった。
◇◇◇◇
少し日差しの強い、陽気な朝。
俺とマナ姉は街外の南の森の方に向かって歩いていた。
ケガした日から2週間が経っていた。
俺の体は完全に動けるまでに復調した。ようやく今日からの仕事再開だった。
しばらくは体の負担の少ない薬草の採取を中心にして、ときどき街の仕事を請け負うと姉は言う。
ユウリさんには、ケガをしてからは会えていなかった。
「ステーキ、また食べたいよね」
ユウリさんから奢ってもらった二流亭の肉を思い出し、俺はぽつりと言った。
レンタル移籍で狩りをした日は、ステーキとまではいわないがお土産のお肉を食べることができた。
赤札依頼に憧れがあったとはいえ、レンタル移籍は元々は姉にお肉を食べさせたくもあり引き受けたものだ。
お土産のお肉に目を輝かす姉。そんな日が、もう遠い過去のように思える。
姉は少し息を吐いてから応える。
「真面目に採取をしていればまた食べられるわよ」
真面目に、ね。
今日の採取仕事は負担が少ないから引き受けている。が、やはり実入りは美味しいとは言えない。
平均値の高さからすれば、街の力仕事なり探し物とかの方が報酬は良かったりする。
それでも時々、採取仕事に思いがけない収入があることもあるらしい。
「とりあえず、最初のスポットはここね」
ほどなくして狙いの採取場所にたどり着いた。姉はハーブの群生地でしゃがみこみ、丁寧に葉を摘んでいく。
「これってレアで高価なハーブだったりしないのかな」
俺は足元に群生する花々を指さして言う。
姉はポケットの植物図鑑を取り出すまでもなく、首を振って否定する。
「そうそうレアな植物には当たらないわよ。千里の道も一歩からってね」
「一寸先は闇ともいうよ」
なんとなく逆らってみる俺。
「一寸なら一歩の方が大きいわ、飛び越えられるわよ」
「……一寸先の闇が一寸しかない解釈、強気すぎる」
姉も俺も、他愛ないやりとりができる程度には、ケガも関係も回復した、と思う。
ただ、ユウリさんの話題はあれからほとんどしていない。お互い意識的に話題を避けている気がする。
「しかし、ちょっと摘むのゆっくりすぎない?」
俺の声に姉は葉を摘む手を止めず返答する。
「ミナト、効率の良い採取っていうのは『手早くやること』じゃないわ。『手を止めないこと』なのよ。いかに負担を少なく採取行動の持続可能性を最大化するか。そのための準備としての採取ポイントの決定とルート確保をしてる。結局トータルで勝つのは安定した手数なのよ」
ここまで息継ぎせず早口だった。効率化!合理化!なんてのは姉の常套句だが、こんな姉は珍しい。
ひょっとして俺の体を気遣ってくれているのだろうか。
いつかの、両手で顔を覆うマナ姉を思い出す。
……いや、気遣ってないはずがないよな。
「あら、マナちゃん、こんにちは!」
不意に後ろから話しかけられる。
「あ、ミリダさん、こんにちは」
姉は振り返り挨拶を返す。
「ふふ、今日もそのくるりんぱかわいいね」
「ありがと!」
遅ればせながら俺も立ち上がって振り返る。俺とそれほど背丈の変わらない女子がそこにいた。
黒い髪を後ろで2つに結っている。白い皮のエプロンに厚手の手袋。いわゆる一般的な動きやすい採取ルックだった。
「かわいい」と笑う顔には小さなそばかすがちらりと浮かんでいる。
ついでに言えば俺の知らない人だった。
俺はマナ姉に目配せする。その意図を受け取ったのだろうか姉は紹介し始めた。
「ミリダさん、この子は前に話してたウチのミナト」
ぱちんとふくらはぎに衝撃を受ける。姉が叩いたのだ。
叩かなくてもちゃんと挨拶くらいするよ。
「こ、こんにちは、ミナトです。初めまして、姉がお世話になってます」
ミリダさんは、
「初めまし、え、弟さん? 確かに弟さんって聞いてたけど、お兄さんじゃなくて?」
「「弟です」」
期せずしてハモってしまうマナミナ。
「?!?!」
そして困惑するミリダさん。この異世界に来て、わりとよくある光景だった。
ミリダさんは、12歳だという。
俺の1個下だったのか。
もう間もなくすれば、赤札依頼を受けられるようになる年齢だ。
「そうそう、私もうすぐ誕生日なんだ。やっと、ギルドカードの『※白札限定』が外れるよ~」
「羨ましい! こっちはまだあと5年。早く誰かさんみたいに短剣ぶんぶんしてみたいわ」
こっちをみて姉はふんすっと鼻息を荒くする。
「千里の道も一歩からじゃなかったのかよ」
「幼児化という一寸先の闇につまずいちゃったのよ」
「それ俺のやつ……」
ふと、ミリダさんの腰に網の小袋が見え、しゃべるのを止めた。
網袋の中にはいくつか団子のようなものが見える。
「ミリダさんそれ、なんですか?。それも採取の道具なんですか?」
今ならきび団子と言われても納得できそう。
「これですか?護身用の嗅玉です。最近暖かくなってきたし、怖そうな獣が出たら、これをぶつけて怯んだ隙に逃げ出せるように」
確かに季節は冬から春になったばかりだ。
レンタル移籍のときだって、冬眠から覚めてまだ間もない熊がターゲットだったし。森の獣はこれから活発になるのかもしれない。
ミリダさんは網の中身を見せてくれた。
どれも茶色い土のようなもので握り固めたような代物だった。
「へぇ、激烈な臭いとか、涙が出る効果とかとかあるんですか?」
そんな感じ、とミリダさんは手に取らせてくれた。
触ってみるとごつごつした玉や、つるりとした質感の玉など、いろいろあった。
「でも、お高いんじゃないですか?」
「そりゃあ、買うと多少は高くつくけど、冒険者たるもの、生還第一、品質第二、完遂第三がモットーですから。金は必要なところには惜しまない、ね!」
ミリダさんは人差し指を立てて、ちょっと決め台詞のように話す。
姉はどこかしたり顔でうなずいていた。
「どう、ミナト。これがミリダさんよ。転ばぬ先の杖ってやっぱ大事よね」
なぜか姉が自慢げに言う。
「でも、マナちゃんの採取だって、とっても効率的だよね。事前の下調べがいいのかな。私この間感心しちゃった」
「そそ、準備こそが効率を生むのよ、異論は認めるわ」
「そうね、準備こそが命を繋ぐの、もちろん異論は認める」
仲いいな、おい。
――なんだろう、この2人すごく似てる。
効率のマナ姉、安全のミリダさん。方向性は少し違うがその根本のところは同じ気がする。
「良かったら、嗅玉、手作りもできるから今度教えるよマナちゃん」
本当?と目を輝かせるウチの7歳。
あとは、お互いを褒め合う女子二人。
そうしてしばらくの談笑のあと、また今度一緒に森の奥にも行こうと約束し、ミリダさんとは別れた。
◇◇◇◇
午後からは森の奥の方に探索に行きましょ。姉はそう言った。
一足先に森から出てきたミリダさん情報だった。少し前の雨が効いて、今日はいわゆる「刈りどき」らしい。
姉は勘が働くのか、何かに吸い寄せられるように森の奥へ奥へと足を踏み入れていく。
ときおり鳥か獣と思われる鳴き声が聞こえる。
セレンデの街の南に位置する森は、街に近いからか危険なモンスターは現れないらしい。森の治安維持のための見回り依頼なども赤札の掲示板で定期的に募集されているようだ。
そういうことからギルド推奨の採取ゾーンと聞いているが、さすがに獣はいると思う。
――白札仕事は、完遂に武器の使用は必要ないが、護身用の武器携帯を禁止することを意味するわけではない。
ギルド受付のリンカさんの説明を思い出す。
何か不審な鳴き声が聞こえるたびに、短剣の柄に手を当てる。短剣はユウリさんから借りたまま、返しそびれていた。
かれこれ20分は歩いただろうか。
俺たちが転生して最初に降り立った『女神の森』ほどではないが、進むたびに木々の隙間は狭くなっていき、歩きづらくなっていた。
「姉ちゃん、ホントにこっちの方でいいのか?」
「わかんないわよ」
「じゃなんでスイスイ進んでるのさ」
「見た目誰も足で踏んでなさそうなところを選んでるの」
「俺がレンタル移籍してた間、こんな奥まできてたの?」
「いいえ、初めてよ。ただいつまでも皆が知ってるところにいても、採取できる量は限られてるわ。奥にでも行かないと新たな発見はないでしょ」
そう言うと姉は前を向く。
「それに、植生も毎年ちょっとずつ変わっていくでしょうし。ときには決められたルートから外れて冒険することも大事よ」
冒険、そう聞いてまっさきにユウリさんたちとの狩りが思い浮かぶ。
「じゃぁまたたまにレンタル移籍とか行ってもいい?」
「それとこれとは話が別!」
姉は首を何度も振る。その動きに合わせ、頭のくるりんぱがぶんぶんと激しく踊っている。
そうして二度三度踊ったところで、姉のくるりんぱが動きを止めた。
「あ、これシルク・カモミールかしら」
姉はポケットから小さな植物図鑑を取り出す。
間違いなく、依頼品の一種のシルク・カモミールだった。
普通のカモミールの花は、ぷっくりとした黄色い花弁に、白い花びらをしている。
だが、目の前に群生しているのはカモミールに形こそ似ているが、色は全く違っていた。
その花びらは、紫だったり青みがかったりと、見る角度によって色が変化するようだった。
俺はその真珠のような見事な色合いをもっと見ようと、花に近づいた。
「……っ」
そこで、目の端に入った別の花に、寒気とともに意識を持っていかれた。
「マナ姉、これって……」
「縞々模様の、カモミール……かしら?」
シルクカモミールの豪華な色合いにまぎれ、姿を現したカモミールは、その花びらに黒い縦筋がいくつも入っていた。
――それは毒々しくすら感じる縞模様だった。
俺は顔に強張りを覚えつつ、『女神の森』のそばで遭遇した縞ゴリラを思い出す。
見るとマナ姉も神妙な顔つきをしていた。同じものを想像したのだろう。
森の中には草や花で色とりどりあるが、その中でこの白と黒の縞模様だけは浮いていた。
この世界は元の世界と似ていると感じるものが多いが、大きく違うものもある。中でも印象深いのは、縞模様の生物は絶大な生命力だったり、魔力だったりを有しているということだった。
「ゼブラ・カモミールとでも言うのかしらね。でも図鑑には載っていなかったわ」
マナ姉はしばらく迷いがちに花を見つめていたが、意を決したように指先を動かした。
おそるおそるといった手つきで、慎重にゼブラカモミールの根本を掘っていく。
直接手に触れないよう布越しに持ち上げると、その1株を俺に見せて来た。
「これ。依頼品ではないけど、いくらか採っていこっか」
「大丈夫かな……」
俺は腰の採取用ナイフを抜いた。
かしゃしゃん、と場違いに軽い音が森に響き、俺の肩がぴくんと跳ねた。
ゼブラカモミールは一種ゾクゾクするほどの異様な雰囲気をまとっている。
まさか花弁から赤い目が生えたりはしないだろうが、それを冗談にさせないような残酷な鮮明さが白と黒のコントラストには感じられた。
「案外けっこうな回復薬の元になったりしてね」
姉の顔色からはいつの間にか恐れの色は消えていた。
「もし、世紀の発見だったら、お肉どころじゃないわよ」
むしろ、わくわくしてないか? 恐怖が新発見の興奮をもって換金されたのだろうか。効率、効率と言いつつも、姉ちゃんも案外冒険家なんだな。
カモミールの群生地に後日戻れるように念入りにマーキングを確認し、俺たちは南の森を抜けた。
「知らないところに行って、ちょっとはドキドキした?」
マナ姉は俺の手をとり、上目遣いに見てくる。
その握る手の感触は相変わらず、あまり力が入っていないのか柔らかかった。
「赤札依頼ほどじゃないかもしれないけど、スリルはあったでしょ」
「ん、そうだね」
俺は姉の顔を見ずにそう答えた。
姉は、俺が白札依頼にもう満足できないことなど見透かしているのだろう。
確かにこの森にもスリルはあった。
だが、なぜだろうか。
疲労を蓄えた体には、ずしりと重く感じる腰の短剣。それが、ここはお前の居場所ではない、そう言っている気がした。




