第1話 事故死した俺は天界の実験室でいびられたんだが
目の前には、俺をかばって死んだはずの姉がいた。
異世界に転生した直後の森の中で、俺は硬直していた。
いきなり知らない森に放り出され、サバイバルを強いられそうな状況だからではない。
ましてや、たまたま下半身を露出している現場を、運悪く姉に目撃されたからでもない。姉はジト目だけど。
これだけなら、俺が生命的にも社会的にも死の危険に瀕しているというだけだ。
最大の問題は、高校生だったはずの姉が、なぜか七歳くらいに小っちゃくなった姿でそこに立っていることだ。
ことの経緯は少し前にさかのぼる。
◇◇◇◇
気が付いたら、俺は学校の理科室のような場所に立っていた。
「ようこそ!天界の実験室へ、相田ミナトさん。あなたはさきほど、不幸にも亡くなりました。短い人生の旅路となってしまいましたー」
いや待て死んだ? 俺死んだ?
目の前の女は、えらく物騒なことを告げた。
「あなたのチャレンジはここで終わりでーす」
なにこれ、え、ドッキリ?
怖いんですけど。
事態がよく呑み込めない。とりあえず後ろを見るが、当然のように種明かしの看板などない。
「終わりでーす」
いや分かったから。2回言うな。サービスなのか嫌味なのか。
……焦げ臭い。
慣れない匂いが部屋中に充満している気がして落ち着かない。
さきほど言われた言葉を反芻した。
天界?……実験室って言った?
死んだのか俺は。なんで死後の世界が実験室なのさ。
分からないことが多すぎて、俺は教室の扉を見る。
「もう大丈夫、私が来た!」とか言いながら俺の味方みたいな人が入ってきて、納得のいく説明をしてくれることを望んだ。
だがいくら待っても誰も来ない。死後の現実は非情だ。
実験室だという部屋の中には、黒い長机と丸椅子がいくつも並んでいる。
俺の人生の終了を告げた女は、丸椅子に膝を交差しながら座っていた。
綺麗系のおねーさんだなこの人。
真っ白な白衣がやけにまぶしい。目がつぶれそう。
ボサボサの黒髪に、くいっと銀縁眼鏡を押し上げるしぐさ。理科の先生というより、徹夜明けの研究者っぽい。
眼鏡の黒い瞳。その瞳が、まっすぐ俺を見据えていた。
正直、怖いんですけど。
思わず目をそらす。
不意に、右手にひっかかりを覚える。
ビニル袋が指にかかっていた。袋の口からはユリの花がだらしなく飛び出ており、その隙間からカレーライスのルーと思しき箱も見える。
あ、俺、買い物……してたっけ?
「あなたがなぜここに来たのか、覚えてる?」
俺は声に振り返る。
女の赤い唇がにぃっと広がっていた。
「……なぜ……って……」
その言葉に誘われるように、記憶が逆流した。
◇◇◇◇
もうすっかり寒くなった。俺はマナ姉と一緒に外出をしていた。
マナ姉は4歳離れた俺の姉だ。今日は母ちゃんの命日なので、仏壇に供える花を買いに出かけたのだ。
めんどくさがりの俺は、本当は家でこたつに沈んで、サッカー観ながらラノベ読んでたい休日だったんだけど。
しかし、姉がジュースをおごってくれるというので、ニオンスーパーまでホイホイついてきてしまった。
飲み物につられてついてきてしまうあたり、俺もまだガキだ。
「甘口の缶コーヒー1本で釣れるとは、まだまだちょろいねキミ」
「……KDコーヒー缶には勝てなかったよ」
く、悔しい……。
見透かされたようで、恥ずかしさに俺はごまかすように返すしかできなかった。
俺のざーこざーこ。
「花だけじゃなかったのかよ......野菜が重いんですけどー」
ユリの花もカレーの材料もすべて姉が選んだ。俺には運びながら文句言う係くらいしか残っていなかった。
「もー、文句いわないの。お母ちゃんの命日なんだから、いいでしょ」
いやいやいや、理由になってないって。
決め台詞を言ったかのように、姉はさっさと先を行く。俺はついていくしかない。
「帰ったらすぐカレー作るからね。あんた、また玉ねぎ泣きながら切る役~」
にひひっと笑う姉。
その顔は反則だろ。
こんなでも3人一家の台所を支えているのだから、この人にはかなわないのだ。
姉は昔から家事も全部こなしていた。
父ちゃんが再婚を考えた時も、「お母ちゃんは一人だけ」と言い切って家を支えた人だ。
機械音と鉄のこすれる音が聞こえる。
砂ぼこりが横風に舞い、俺は目を細めた。
工事囲いの上から、巨大なクレーンに吊り上げられた鉄骨の束が、強風に揺れているのが見える。
このあたりは住宅街に近いとはいえ、再開発が進んでいて、そこら中で工事をしていた。
「このあたり、なんか怖いね……歩道狭いし、道路に出ないようにね」
おい、その手はなんだ。
振り返って手を繋ごうとするマナ姉。
ったく、いいかげん弟離れしなよ。
迎えに来てもらってた保育園児の頃じゃないんだから。
「手まで繋がなくても……大丈夫だよ」
けど本気で心配されているのが分かるから、そんなに嫌じゃなかった。
だから抵抗せず、手を繋ぎ返す。
握る手の温かさは、あの頃のままだった。
なんだかんだ俺も姉離れできていないのかもしれない。
いつからだろう。
姉ちゃんの手は、俺を引っぱるためじゃなくて、確かめるようにそっと包むだけになった。
離れていく俺を、つなぎ止めるみたいに。
――不意に、つないだ手がぎゅっと強く握られた。
「え」
なんでマナ姉怒ってんの?
……いや違う、なんだこれ。
風がやんだ気がした。
マナ姉が空を見上げる。
つられて俺も見上げた。
冬の真っ青な空に、逆光となった影が、ゆっくり落ちてきていた。
ゆっくり......のはずなのに、何かが違う。
頭の中に、もう遅い、まだ動けるといった言語化できない言葉が浮かぶ。
刻、一刻と、手を広げるかのように影が広がる。
それは空の影なんかじゃなくて、ぶっとい鉄骨の束だった。
クレーンのワイヤーが悲鳴を上げ、束ねられていた鉄骨が崩れ落ちてくる。
――マジかよ。
ようやく頭だけが理解した。
足がすくむ。動けばいいのか、止まればいいのか、それすらも分からなかった。
足の裏が地面に張り付いたみたいに動かない。
……マナ姉、俺どうすれば。
「ミナトッ!!」
刹那、姉ちゃんに引っ張られて体が倒される。俺に覆いかぶさる躰。
抱きしめるように胸元を押し付けて、全身で俺を守るように伏せる。
視界がマナ姉でいっぱいになる。
風が巻き上がる音。
耳鳴り。
光が一瞬だけ白くはじけて──
そこから先の記憶は、よく分からない。
ただ一人じゃない、そんな温もりだけを感じていた。
◇◇◇◇
「おかえりなさい、思い出しましたか」
うわぁ、顔が近い近い。
目を開けると、銀色の眼鏡。おねーさんの瞳の中に俺がこんにちはしていた。
速攻で後ずさる。
それにしても近すぎ、俺の吐息吸われちゃう。中学生男子にそれ猛毒。
いや、どういう理屈だよ。相手に吐息を吸わせて自分に毒が回るって。
「改めまして、ミナトくん。私はセレンデ。縁の女神、セレンデよ」
白衣を着た綺麗系のおねーさんは、わずかに首を傾け、にこりと顔をくずした。
女神……、いやそれ無理がないか?
こういう女神様とかが着てるのは眩いばかりの羽衣とかじゃないのか。
たしかに、おねーさんの白衣は眩しいくらい白いけど……コレジャナイ感がすごい。
――『女神です』
「うわあああ」
突然頭の中で声が響く。
『お判りいただけましたか? 今、あなたの頭に直接語りかけています。』
目の前のおねーさん、いや女神様は、先ほどと変わらずにこりと笑みをたたえたままだった。
俺はこくこくとうなずくしかなかった。
「あなたがいるここは、正確には天界統治支局、ソウルリサイクルセンターの開発棟、循環プロセス課です」
なにひとつ聞いたことのない言葉が並んだ。韓国っぽい名前もあるけど、そのソウルじゃないらしい。
「このセンターでは、人の輪廻転生――つまり魂の生まれ変わりを扱っています」
生まれ変わり。やはりそうか、俺は……。
「はい、あなたの人生は終わりました」
改めて聞くとひどい話だ。
そして、と女神は続ける。
「あなたの姉、マナさんの人生も終わりを告げました」
――なっ、ちょっ、え……。
胸の奥がきゅっと痛む。
言葉がうまく出ない――。
姉ちゃんが、死ん……。
「ミナトさん、泣くのは後で。説明を続けます。時間が無いので」
「いや待って⁉ 感情の整理ってやつを‼」
「残業が協定時間を越えそうなんです!」
ぴしゃりと言う。
その取り付く島の無さに、次の言葉を失ってしまった。
いや、何この女神さん。
……なんだよ、協定時間って。
「いいですか、よく聞いてください。これからあなたに選択してもらうことがあります」
女神は事務的に、淡々と語りだした。
「えっと、……天国にいくか、輪廻転生するか、とかですか?」
思わず口を挟む。
小さい頃からおとぎ話で聞いてきた、死んだらあの世で暮らすか、生まれ変わるか。
アニメや漫画とかだと、異世界に行く話もあるけど。
女神はため息をつき、指を1本立てた。
「まず、異世界に転生してもらいます、ここは一択です」
ほう、実際には異世界転生の一択なんだ。なんだかラノベみたいだな。
――異世界⁉
「え、ええっと……輪廻転生とかないんですか」
おとぎ話全否定かよ。
女神ははぁ、と肩を落とす。
「本来は、一時的に天界で暮らすか、元いた世界で輪廻転生するかの二択なんですけどね」
人が一生を終えたら普通は同じ世界の中で生まれ変わる――つまり輪廻転生を繰り返すのだという。
ところが、今の世界の輪廻転生を司るシステムが古くなり、バージョンアップ予定だそうだ。
バージョンアップのためには、世界の魂の数を一度減らす必要があるという。
「で、その間、あなたたちの魂を一時的に別の世界に移す規則になっているんです。天界に置くにも限りがありますし」
女神の説明を聞いて、ようやく合点がいった。なるほど、今は異世界転生しか選択肢がないのか。
「異世界への魂の移し替えなんて非定常な業務、いいことないんですよ……。資格を持った神でないと対応できないし、完全自動化されてないからニンゲン相手だと一人ずつ手作業だし、手順書があるからってワンオペにされるし、ぶつぶつ……」
「……明らかに、俺じゃなくて明後日に向かって話してますよね?」
でも、なんか聞いているだけで面白い。非定常、専門資格、手順書……頭が情報で溢れて混乱しているけど、なぜかワクワクする。
女神は俺に視線を戻し、小さく舌を出した。
「あ、心配しなくても、あなたの理解度は充分です。大事なのは私が手順通りやること、ですよ」
あきらかに疲れてるなー。逆に手順が守れるのか心配になってしまう。
そんなことより、気になることができた。
「あの、姉はもうここに来たんですか?」
女神は口の笑みを戻し、こちらに向き直る。
その眼差しはちょっと優しい。
なんだろう、姉ちゃんと同じような、ちょっと見透かされてる感。
「そうね、貴方の前に来ました。私が対応したの。そして、新しい世界に送ったわ」
――そっか。もう先に行っちゃったのか。
すとん、と俺は丸椅子に座った。
そんな気がしてた。
記憶の最後にある、温もりが蘇る。
――もう頼れないのが、寂しい。
真っ先にそんな情けない言葉が浮かぶ。
俺は首を振り、守ってくれてありがとう、死んじゃってごめん、そんな月並みな言葉を頭に並べた。
「じゃぁ、姉の魂は、……きっと今頃はどこかのお母さんのお腹の中なんですね」
「それははずれ。あなたも、あなたのお姉さんも、新しい世界では、ほぼ元のままの体でスタートよ」
へ?そうなの?
転生っていうからてっきりゼロからのスタートだと思ってた。
「違う世界から来た魂は、そのまま生まれ変わらせると世界への負荷が大きいの」
女神は続けて、魂のリサイクル炉が、とか、大量処理型と高速処理型の違いなど説明を並べる。
すみません……もう正直理解できなくても、いいよね。
「だから、新しい世界で自然に天寿を全うしてもらう間に、あななたちの魂を世界になじませてもらうことが大事なの」
だから今度はできるだけ長生きしてね、と女神は片目を閉じた。
そこだけは理解できた気がする。
そう、だな、俺は十数年しか生きられなかったんだ。
今度は長生きしたい。俺も、そして姉さんにも長生きしてほしいな。
「覚悟は決まったようね。それじゃ、選択肢です。どんな世界に行きたい?いろいろ選べますよ」
言って女神は指折り数えて説明し出した。
科学文明がとっても進んだ世界、ドラゴンやモンスターが跋扈するファンタジーな世界、元居た日常に近い世界など。
本来、世界はいくつもあるらしく、行先の方は選択肢がたくさんあるらしい。
だが、どれも選べない。
「おすすめはありますか?」
女神はわずかに息を吐く。
「自分で選びなさいな」
女神がわずかに首を傾けると、光の反射がレンズの奥を隠す。
俺が次の言葉を決めるまで、奥の瞳が現れない気がした。
しかたなく、俺は視界から女神を外して言う。
「じゃぁ……姉はどの世界に行ったんですか?」
くすりと笑う女神。
「主体性がないわねぇ……」
耳が急速にぽかぽかしてきた。
「だっ、だめですか?」
「だめじゃないけど、……情けないわねぇ」
はぁ、とため息をつく女神。
「きっと姉のほうが、上手く選んでると思うんですよ」
俺がそう言うと、女神は顎に手を当てた。
「あなたのお姉さんは、ミナトはちゃんと付いてくるかしら~、とか言ってた。弟が弟なら、あなたのお姉さんも過保護よね」
おいマジか。さすがというかなんというか、マナ姉……。
……いや自分もやはり姉離れできないな。
でも――それでもいい。
ちゃんと生きてから離れればいい。今度は、時間がある。
「まぁ、いいわ。転生後すぐお姉さんに会えるようにしてあげるから、喜びなさい」
これでも縁の女神だから、と女神は人差し指の先をこつんと赤い唇に当てた。
うれしい計らいだった。
体が軽くなった気がする。
なんだか、これからの時間が少しだけ楽しみになった。
「そういえば、異世界転生といえば、スキルみたいなのもらえたりするんですか?」
ぴくっ……と女神の頭がわずかに揺れた。
もしかして聞いちゃいけない質問だったか?
「ほら、アニメとかだと、転生先でがんばれるようにって、特別な力とかもらえますよね、ははは」
とりあえずアニメの見過ぎってことにしてごまかす。
天界でアニメやってるのか知らんけど。
「……そうねぇ、無いことも、無いわよ?」
おお、マジか? 言ってみるもんだな。
魔法か? 空飛べたりとか? それとも剣技みたいな? もしくはすごい武器かな?
テンション上がってきた‼
なぜか女神は目を閉じ、顔を地面に向ける。
……。
微妙な間。なんだこの時間。なんだか黙とうみたいな。
女神が顔を上げ、瞳をゆっくりと開く。
「アンガーマネジメントスキル、っていうんだけど」
「アンガーマ……なんです、それ?」
モンスターの口をあんぐりさせて油断させるとかだろうか。
使い道を工夫する的な感じで知的な転生主人公が使いそう。
「怒りがこみ上げそうになったとき、目を閉じて頭の中で1、2、3……って6秒数えれば、落ち着けるってスキルよ」
…………。
「それってひょっとして、不思議な力とか何もない、ただのビジネススキルとか、ですか?」
女神は再び目を瞑り、…………きっかり6秒後に目を開け、にっこりと告げる。
「そうよ」
あ、コレいま発動してたな。
そして俺はこれ以上聞くのをやめた。
◇◇◇◇
「さて、さっそく転移ね」
女神が左腕を胸に添えると、黒い薄型端末のようなものが現れ抱えた。
「トンネルを開くわ、あ、ポチっとね。」
――ぱきん、と目の前の何もないところに、一本の筋のようなものが横に走る。
ソレは次第にひび割れていき、太い亀裂になった。
亀裂の輪郭はあまりはっきりとしない。だがその周囲では細い雷光がぱちぱちと爆ぜ、わずかに煙が立ち始めていた。
焦げ臭い匂いが強くなるのを俺は感じた。
そうか、この部屋で最初に感じた匂いはこれだったのか。
はじめに感じたわずかな匂いが、誰を異世界に送り出した残滓だったのか。
それに思い至ると、胸のあたりがきゅっと縮むようだった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
続きの第2話は、第1話と同時に投稿しています。
よかったら続きもお楽しみください。




