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ホワイトピーコック&スパロウ  作者: マン太
第二章 帝都

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8.宮殿

「宮殿とは、どちらになるのでしょう」


 ルンは案内に立つアトフに声をかけた。


「アルーン様の住まう宮殿にほど近い宮になります。春光宮(しゅんこうぐう)と申しまして、意匠の凝らされたとても美しい宮殿となっております。代々お世継ぎの妃が入られていた(みや)で、各所に華や鳥の彫り物が施され、寝台は螺鈿細工がちりばめられております。今回お揃えしたお道具も、すべて漆塗りで、金銀の蒔絵がほどこされております。すべて名だたる(たくみ)の手によるもので──」


 と、アトフがやや頬を上気させ、興奮しながら得意気に説明していれば、にわかに行く手が騒がしくなってきた。

 磨き抜かれた杉板の廊下には、侍女や侍従が溢れかえっている。しかも遠巻きに様子を伺っているようだ。俺は首を伸ばすようにして様子をうかがいながら、


「…何があったんだ?」


「今、様子を見て参ります。ここでお待ちを…」


 その問いに、眉をひそめたアトフが急いで人混みをかき分け見に行く。その間にも、騒ぎを聞きつけた侍女や侍従が増えて行った。

 しばらくそこで待つと、アトフが人ごみを縫うようにして戻って来る。


「どうだった?」


 俺の問に息せき切って話すには、


「どうやら春光宮の中で、騒ぎがあったようで…」


「騒ぎ?」


「ええ。その…、なんというか──」


 言いづらそうなアトフの横を、侍女が通り過ぎていく。


「──春光宮に牛のふん尿がまかれていたって。本当かしら?」


「そうみたいよ」


「まあ、いったいなぜそんなことが?」


「わからないわ。とにかく、上に報告しないと──」


 そんなことを口にしながら、足早に廊下を渡って行った。


「…牛の糞」


「も、申しわけございませんっ」


 どうも今回は縁があるらしい。牛糞も鶏糞も馬糞も、すべて畑の肥やしになる。畑仕事では随分世話になってきたが、さすがにここで世話になるとは思ってもみなかった。

 アトフはひどく弱った顔になって。


「なぜそうなったのか分からないのですが…。今しばらく、控えの間でおくつろぎを。イサク様にお伺いし、ほかの宮を探してまいります──」


 そう言って、アトフがまた来た廊下を戻ろうとすれば。


「その必要はない。空いている宮があるだろう?」


 ふわりときつい香水の香りがして、折れた廊下の先から、貴人がひとり現れる。キヤーナだ。

 これまた大勢のお付きを従えて、後宮の(あるじ)と言った風情。前に見た顔の浅黒い従卒はとくに重用しているのか、ぴたりと側に控えていた。嫌な予感しかしない登場だ。

 キヤーナは濃い紫の生地に金糸の刺繍が施された、煌びやかな衣装を身に着けている。

 綺麗に結い上げられた髪には、紫水晶が嵌め込まれた金の簪が揺れていた。化粧も濃い。先ほど会った時と違って、明らかに着飾っているのがひと目でわかった。


「その…空いているとは、どちらの宮でしょうか?」


 思い当たる節がないらしい。アトフが思わず問えば、口元を覆っていた扇子をパチリと閉じて、空を指した。


「──北の端にあるだろう? 前皇帝の皇后が亡くなるまで住んでいた宮殿が──。春光宮は今や牛糞まみれ。掃除した所で、床板壁板、全て取り替えねば、とても人が住めるような場所ではない。──いくら牛糞に慣れ親しんだリイン王子とは言え、さすがに、それでは住まうのも大変だろう?」


「……」


 俺はニヤリと笑んだキヤーナを睨みつける。ここへ来た時の話を、侍女から耳にしたのだろう。


 ──まあ、確かに臭かったけどな…。


 アトフは思い当たったのか、ハッとしてキヤーナを見やる。


「しかしっ、あの宮は入る準備をしておりません。何ぶん、かなり手を入れておりませんので、すぐにお入りいただくことは──」


「私に口答えするつもりか?」


 キヤーナの鋭い視線に、アトフは縮こまって平伏する。


「いいえ! 断じてそのつもりは──っ」


「──まあ、いい。おまえは状況を口にしただけだろう…」


 再び扇を開くと、それで口元を覆いながら、


「あそこは、亡き皇太后を慕っていた、アルーン皇子が大変大切になされていた場所だ。そこへお連れするというのに、何の不足があるものか。──そうであろう? リイン王子」


 扇の端からのぞく口元が、ニッと吊り上がる。ありがちな事だ。先住者が後から入ってきたものをいびるのは。俺のことなど気にしないんじゃなかったのか。


 ──ふん。野良育ちを舐めんなよ。


 こんなことではへこたれない。俺はすうっと息を吸ったあと。


「雨風凌げるなら、俺はそこでかまわないよ。アルーン皇子が慕っていた方の宮と言うなら見てみたい。アトフ、案内してくれないか?」


「ですが…、本当に手入れが行き届いておりませんので…」


 アトフは歯切れが悪い。


「気にするな。もう日も暮れかけている。そんな場所なら明るいうちに見ておいた方がいいだろう。──行こう」


「…かしこまりました…」


 キヤーナはそんなやり取りを座興でも見るかのように、面白そうに眺めていたが、


「僕はアルーン皇子とこれから夕餉を共にするんだ。この事は僕から伝えておくよ。──さて、急がないと。アルーン様は今晩私の居所でお休みだよ。では──」


 高笑いが聞こえそうなくらいの勢いでそう言い残すと、キヤーナは大勢の供を引き連れ去っていった。強い香水の香りを残して。

 ルンはその群れが消えてなくなるまでじっと睨みつけていたが。


「…なんか。すっごくムカつくんですけど。何なのですか? あの態度」


 ルンは持っていた扇でその残り香をあおいで散らす。


「今晩って、今日リイン様が輿入れしたのはわかってるでしょうに! どういう日かわかってあんなこと…。だいたい、牛糞だっておかしくありません? だれかの差し金に違いないでしょう?」


「まあ、落ち着け。ルン」


「でも……っ」


 憤りの収まらないルンに、アトフは。


「…こんなことは、あってはならないのですが…。揃えたお道具や寝具、衣装もすっかり汚れてしまい…。これは内密なのですが、今回お揃えした衣装もお道具も、すべてアルーン皇子の指図であつらえたものなのです。平素ならイサク様にお任せすることなのですが…。今回の事をお知りになれば、さぞ残念に思われるでしょう…」


 その言葉に驚いた。あのアルーンがそんなことに気を使ったとは。意外だ。


「…きっと、あのキヤーナが企んだんじゃないのですか。絶対、そうですって!」


 ルンは怒り立つが。


「こら。想像でものを言うんじゃない」


「だって…」


 たしなめられて頬を膨らます。

 しおしおとうなだれるアトフに、俺は笑顔になると。


「気にするな。穢れたと言っても、牛糞だ。汚れは落として使えばいい。俺は気にしない。それに、せっかく誠心こめて造られた品を早々、破棄はできないさ。救えるものは救って、宮に置いておくといい。とにかく今は先に部屋へ案内してくれ。じきに日が暮れる」


「…はい…」


 それでようやく、アトフはその宮へと案内してくれた。


 後宮の長い廊下をあちこち曲がり、ようやく北の端、目的の宮の側まで来た。

 その頃になると、渡り廊下ばかりとなり、最後にはそれさえ無くなって、一旦、庭に下りなければ、宮まで辿り着けなくなっていた。


「ただいまお履物をご用意致します!」


 人の出入りがないため、履物の用意がないのだ。慌てたアトフが急いで履物を取りに行く。

 渡り廊下の終わりは階段になっていて、降りた先は敷石が飛び飛びに敷かれていた。敷石の周囲は草がいきいきと生えている。


 ──このまま、裸足で行けそうだな──。


 小川にある飛び石に似ている。子どもらと一緒に渡って遊んだものだ。ウイラでの生活を懐かしく思い出す。と、そこへ。


「──リイン様。まさか裸足であちらへ渡ろうなどと、お考えではありませんよね? 小国と言えど、一国の王子がそんな真似をするはずがありませんよね?」


 ジト目のルンが釘を刺す。すっかりお見通しだ。


「…わかっているよ。大人しく待つさ」


 うっかり出しかけたつま先を引っ込め、大人しく階段の一番下に腰掛け、肘をつく。

 ルンは二の腕を抱えながら、不安げに辺りを見回した。


「…けど、こんな宮殿の敷地の隅なんて…。灯りも人気もありませんよ? 今晩は月が出ているからましですが…」


 暮れ始めた空には、少し欠けた月が、白く浮き上がって見え始めている。

 確かに行く先の宮は灯りが一つもなく、黒々とした建物の影が浮かんでいるだけだった。

 宮は檜皮葺(ひわだぶき)の屋根のがっしりとした造り。大きさとしては、宮と言うより庵に近い。

 そうこうしていると、アトフが灯りと人数分の履物を抱え戻って来た。


「こちらをどうぞ。照らしますので…」


「ありがとう」


 言って用意された漆塗りの木靴を履く。ひやりとした履き心地が、素足に気持ちいい。

 と、それをつっかけ、二人を待たず先に建物へと歩き出した。


「お待ちを! 足元が危うございます」


 慌てたアトフが、声をかけてくるが。それにひらひらと手を振って。


「大丈夫だ。月の明かりで十分だよ。先に行くから慌てずに来てくれ」


 飛び石の様になった敷石を、童心にかえって大股になったり、小股になったりして渡る。途中、手押しの井戸があった。古びているが使えそうだ。

 渡り切った所で、目の前にせまった建物を見上げた。


「──さて。どうなってる…?」


 やはり庵に近い。板壁で覆われた庵は、全体的に焦げ茶色に落ち着いていた。柿渋が塗られているらしい。

 入口は引き戸で、繊細な格子模様が張り巡らされている。凝った意匠だ。皇太后が住んでいたのだ。それなりに手をかけて造られているのだろう。──しかし。


 ──やっぱり小さいな。


 二人住めるかどうかの広さだ。

 入口の扉を横に引くと、突っ掛かりながらも、軋んだ音を立てて開く。鍵はかけられていなかった。

 室内はしんとして時が止まったかのよう。板壁には隙間ができていて、そこから月の灯りが差し込む。埃と煤の香りが鼻先を突いた。長い間、空気の入れ替えもなかったのだろう。

 灯りがないため、差し込む月明かりでしか室内を確認できない。

 上がりかまちを上がった居間の中央に囲炉裏があり、後はがらんとして何もない。奥の引き戸を開ければ、更に部屋があるのだろう。


 ──なるほど。かなり質素だな。


「リイン様、勝手に先に行かないで下さいよ!」 


 追いついたルンが、ぷりぷりしながら灯りをかざし肩越しに部屋の中を見渡した。そして声を上げる。


「うわぁ…。かなり年季が入っていますね…。それに、煤と埃だらけ…。ここじゃ寝られませんよ?」


「どうだろう…。少し雑巾をかければ、人ひとりならいけそうだ」


「えぇ? 本当ですかぁ?」


「ルンは侍従達の部屋を使わせてもらえばいい。俺はここが気に入った。ウイラで使っていた小屋を思いだす…。──ああ、アトフ。雑巾はあるかな? あと桶も。外に井戸がある。そこは使えそうだ」


「あの…、その前にお食事はいかがでしょう。お湯のご用意もありますし。その間に私の方でお部屋を片付けさせていただきますが──」


 アトフの言葉に、ルンはパッと表情を明るくしたが、俺は首を横にふる。


「いいよ。やるなら皆でやった方が早く済む。半時とかからないさ。──ほら、雑巾と桶をよろしく頼む」


「あ…、はいっ!」


 アトフは再び踵を返し、慌ててそれらを取りに行く。


「ルンも手伝ってやってくれないか。俺は井戸の様子を見てくる」


「ちょっ、本気ですか?!」


「本気もなにも、キヤーナじきじきに是非にと言われたしな…」


「もう! 意地っ張りなんですからっ」


「なに、この広さだ。掃除なんてあっという間だ。それに、村人に混じって野宿だってしたこともあるし、漁の時は海辺の隙間だらけの小屋で過ごしたことだってある。それを思えば立派な屋根も床もある。──上等だ。まだ囲炉裏がいる季節じゃないのが幸いだな。ほら、行った行った」


 ルンの背中を押すと、


「もうっ」


 いやいやながらも、先に行ったアトフの後を追った。


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