7.謁見
その後、謁見の間において、皇帝マシュリクとその后、ならびにアルーン皇子との顔合わせがあった。
俺は玉座を置いたひな壇の下、黒光りする床に片膝をつき、かしづく。
横には宰相アスワドや将軍らが居並ぶ。厳粛な空気に、俺の緊張は否応にも増した。
ウイラにいた頃は、何か行事で集まっても、皆でワイワイ、ガヤガヤ、和やかに過ぎていったものだ。だからこうした堅苦しい雰囲気には慣れていない。
ちなみにマシュリクには后の他に側が数名いて、長子であるアルーン以外にも男女ともに子どもがいた。かなり子だくさんと聞いている。
「…そなたが、カセムの?」
皇帝マシュリクが頭にいただく冠の細工がシャラと音を立てた。玉座から身を乗り出したのが分かる。
「はい…」
許しがあるまで顔はあげられない。
というか、ルンのおだてなど、どこぞへ吹き飛んで、すっかり自信をなくしていた俺は、このまま顔を上げずにいられれば、どんなにいいか──そう思っていたのだが。
「面をあげて、顔をよく見せてくれ」
「──はい」
そうは上手くいくまい。マシュリク直々に言われれば、上げざるをえない。
──ええい。どうにでもなれっ。
覚悟を決めて、頭にかけた薄い布をたくし上げると、それまで垂れていた頭を上げ、上壇に据えられた玉座のマシュリクを見上げた。
マシュリクは、白地に金の縫い取りのある衣装を身に着け、髪は白銀。瞳も同じだ。
金の冠には、御簾のように鎖が幾つも下げられている。それが先ほど音を立てたのだ。マシュリクは満面の笑みを浮かべ、眉を八の字に下げ目を細めると。
「──よく似ている…。髪は奴の方がもう少し濃かったが…。懐かしいな…」
じっと見つめられ、気恥ずかしくもあるが。確かに完璧に地味な面差しは父親譲りだった。
「父もまた、会いたいと申しておりました…」
別れの宴の際、お披露目にはぜひ出席するぞ、と息巻いていたのを思い出す。
「そうか、そうか。アルーンとの婚儀のお披露目は各国に声をかけるつもりだ。父親でもある。カセムもぜひ、正式に招待しよう。神子が来るとなれば精霊の祝福を受けるも同然。大いに盛り上がるだろう」
「ありがたき幸せ──」
と、そこまで言いかけたところで、同じ壇上のひと席分、空けた場に座していた皇子アルーンが声を上げた。
「父上──」
視線は自然とそちらに向かう。
肘掛けにもたれ座るアルーンは、マシュリクと同じ銀糸の髪に銀の瞳。切れ長の瞳は涼やかでいて鋭い。額に銀の細い冠を戴いていた。
ともあれ、目を奪われるほどの美貌であることは間違いない。
──ああ。昔と同じだな…。
その姿を認めて、そう思った。いるだけなら、精霊の如くだが──。
「今回の婚儀、お披露目するほどのことではないかと」
「アルーン?」
マシュリクが訝しむ。
「皇帝が后を迎えるのとは、わけが違うのです。あくまで私個人のこと。後を継いでもいない半人前の婚儀のお披露目など、大々的にする必要はありません」
凛とした低く落ち着いた声音。こちらをちらとも見ずに言う。しかし、つっけんどんな言いようだ。
「しかし、だな──」
「それに、そんな場を設ければ、他の側や妾が騒ぎます。そうなると、治めるのが大変で…」
「しかし、リイン王子の父、カセムは私の長年の友であり、今回の件で姻戚関係も結ぶ。精霊の声を聞く神子を生む、ウイラの王族から大切な長子をよこしてくれたのだ。歓待は必要だ」
アルーンはマシュリクのその言葉にそっぽを向くと、
「…力なし、だからだ…」
小さく呟く。その言葉にドキリとした。が、マシュリクには聞こえなかったらしい。
「なんだ? なにか言ったか?」
「──いえ」
と、そこへ揉み手をした宰相アスワドが割って入る。
「では、うちうちで開いてはいかがでしょう? 皇帝と后、顔合わせに皇子の側や妾を呼ぶ程度。他国の招待はいたしませんが、民にはお披露目を。──そのくらいならよろしいのでは。今後、同じ後宮に住まうのであれば、顔を知っておいたほうがなにかと都合がよろしいかと…。民も安心するでしょうし。アルーン皇子もそれでよろしいでしょうか?」
アスワドの提案にアルーンは無言のまま頷いて見せた。マシュリクも渋々うなずくと、
「…わかった。そうしよう。──それでいいだろうか? リイン王子」
「いいえ。こちらこそ、お心にかけていただいただけでありがたい限りです。すべて、皇帝の御心のままに…」
「すまないな。盛大にひらいてやりたかったのだが──仕方ない。それはまた別の機会にするとしよう。その時は、誰が何と言おうと、カセムも呼ぶぞ」
どこか悪戯っぽく笑んだマシュリクだった。
その謁見の間中、アルーン皇子とは一瞬たりとも、こちらを見ようとはしなかった。
それで顔合わせはお開きとなり、皇帝マシュリクと皇后、アルーン皇子もそれぞれ退った。
アルーンから特に言葉があるでもなく。まるで存在していないかの如くの扱いだった。
──力なし、か。
控えの間に戻った俺は、窓枠に腕をつき、ぼんやりと外の景色を眺める。雀が地面に落ちた赤い実を啄んでいた。
イサクの言った、アルーンは自身のことには関心がないという言葉の意味が分かった気がする。
自身の妃の存在など、どうでもいいのだ。
俺への評価は『力なし』。つまり、神子の力の発現がなかった、使えないもの。
──なんだ。一応、調べてはいるじゃないか。
まったく興味がなかったわけではないらしい。
傷つく言葉ではあったが、その通りなのだから仕方ない。神子の力がなければ、用無しと言ってもいいのだ。
王家に生まれたからと言って、力の発現がなければ意味はない。よそへ婿か嫁に行かされるか、あとは多少なりとも力があれば、補佐として神子の傍に仕えることもある。
──俺は、そのほんの僅かもなかったからな。
母の死の要因となったそれは、幼い頃から突き付けられてきた現実で。自分の価値はないと思った。
だからせめてもと、民の助けになるため、寝食をともにし働いたのだ。俺が出来ることと言ったら、それくらい。
精霊の神託を聞くことも、願いを乞うこともできない。力なしとは、役立たずと言われたのも同じ。
…俺だって、分かってるんだ。
小さなため息をついた。
やはり、諸々の事情により、ウイラで役に立たなかった俺を仕方なく引き受けた、そういう考えなのだろう。思っていた通りだ。
「リイン様?」
ルンが訝しむ様に尋ねてくるが。
「…なんでもない」
そう返して、もう一度ため息をついた。
ルンにあの言葉は聞こえていなかっただろう。従者が控えていた場所までは届かないほどの呟きだったのだから。
この落胆は、心のどこかで、望まれる自分を期待していたからにほかならない。
──期待など、もたない方がいいんだ。
幼い頃より、身に沁みて分かっていたことなのに。
なにか唐突に全て空しくもなった。が、ここで逃げだすわけにはいかない。ウイラの民のためにも、形だけでも、ここで過ごさねばならないのだ。
せめて、僅かでも神子の力の発現があったなら、今もウイラで人々に囲まれのんきに過ごしていただろう。
だが、そうなれば、他の弟が行かされる。あのアルーン皇子の下で、幸せになれたかは不明だ。
──やはり、俺でよかったんだ。
鏡台の鏡に映る自身の姿も、今はむなしいだけ。どんなに着飾った所で、アルーンに響くものはないのだ。
「…ルン、衣装を解いてくれないか?」
「ですが、夜までこのままで──」
「これじゃ、苦しくて満足に飯も食えない。夜までまだ時間がある。何か言われたなら、俺の我儘だと言えばいい」
「…はい。でも、叱責などどうでもいいのです。お綺麗だからもう少しこのままでいて欲しかったのですが…。アルーン皇子もしっかりと見てはいないでしょうし…」
アルーン皇子が終始、そっぽを向いていたのは気付いていたらしい。
「見たところでなんの感銘も受けないさ。…わかるんだ。この分だと夜の閨も別だろう。いらぬ心配をしてしまったな。──さあ、いいから脱ぐのに手を貸してくれ。この冠は自分じゃ外せない」
「わかりました…」
不承不承、ルンは衣装を解くのを手伝ってくれた。
すっかり衣装を解き、郷里から持ってきた普段着を身につけると、やっと息がつける気がする。
半ば腕の見える濃紺の短衣に、ひざ丈の下袴姿。あまりに平素の服装過ぎたため、ルンが抗議して、謁見用とは別に用意した銀の縫い取りのある羽織だけは身に着けたが。
ごろりと床へ直に横になる。板の間だから気にはならない。
どっかと大の字になって天井を見つめていれば、廊下を歩く人の足音が聞こえた。ルンは脱いだ着物を吊るし、しわを整えている。
「──失礼いたします。イサク様の部下、アトフと申します。これより、今後滞在いただく宮殿へ案内させていただきます…」
小柄な細面の侍従が現れた。線が細く吹けば飛びそうなほどだったが、表情はきりとしている。
「わかった」
「でも、まだ衣装をしまっていないのですが──」
ルンが肩越しに振り返る。
「こちらの衣装ものちほどそちらへお運びいたします」
「ルン、そういうことだ。行こう」
「──はい、では。ただいま」
ルンは慌てて衣装の最後のしわをピンと伸ばすと、侍従と俺の後に続いた。




